ジャッキー・チェン主演映画『プロジェクトV』の配信&ソフトのリリースが始まりました。
『ポリス・ストーリー3』(92)や『レッド・ブロンクス』(95)『ライジング・ドラゴン』(12)などジャッキーと名コンビのスタンリー・トン監督が、彼の資質を大いに活かしながらイギリスにアフリカなど世界中を駆け巡りつつ、民間の国際特殊護衛部隊「ヴァンガード」の面々が依頼人を命がけで救出するミッションを描いていきます。
撮影時のジャッキー・チェンは65歳!まだまだ元気です!
というわけで、今回はアクション・スターとして今なお危険なシーンにチャレンジし続ける彼の映画を大まかにカテゴライズしてみることにしました。
「拳」から始まる日本での人気
1979年7月21日、東映映画『トラック野郎 熱風5000キロ』の同時上映として『ドランクモンキー 酔拳』(78)が公開されました。
これが日本で初めて劇場公開されたジャッキー・チェン主演映画です。
それまで日本で公開される香港映画といえば、ブルース・リー主演映画を筆頭とするカンフー映画や武侠映画が主体でしたが、1979年2月にホイ兄弟の現代ナンセンス・コメディ『Mr.BOO!ミスター・ブー』(76)が日本公開されてクリーン・ヒットしたことで香港のコミカル・ジャンルに注目が集まり、その波に乗ってお披露目されたジャッキー・チェンのそれまで見たことのない軽快なコミカル・アクションの数々は、またたくまに評判となっていきました。
これにより『スネーキーモンキー 蛇拳』(78)『クレージーモンキー 笑拳』(79)『拳精』(78)などジャッキーの旧作が「拳」の邦題をつけられながら続々と公開され、そのつど話題になっていったのでした。
「プロジェクト」&「ポリス・ストーリー」
1980年代に入ってジャッキー・チェンの日本での人気はうなぎ上りとなり、その大きな象徴となったのが自身が監督・主演した『プロジェクトA』(83)でした。
20世紀初頭のイギリス植民地下の香港を舞台に、水上警察と陸上警察が反目しながらも海賊退治に奮闘するもので、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウといったジャッキーの古くからの仲間たちとともに繰り広げるユーモラスながらも危険極まりないアクションの数々、特にジャッキーが時計塔から落下するシーンは今も語り草です。
もう1本、やはりジャッキーの監督・主演作『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(85)も、彼の人気を不動のものにした感がありました。
邦題に偽りなく現代香港警察の決死の活躍を描いた作品で、バート・レイノルズやクリント・イーストウッド、シルヴェスター・スタローンなどのハリウッド・スターにも大きな影響を与えたことでも有名です。
この2作品、前者は続編『プロジェクトA2 史上最大の標的』(87)が作られ、後者も『九龍の目/クーロンズ・アイ』(88/ソフト化に際して『ポリス・ストーリー2/九龍の目』と改題)以後シリーズ化されていきます。
ただし日本では、実質的なシリーズ作ではないものにまで“プロジェクト”や“ポリス・ストーリー”といった冠の邦題をつけることがままあり、要はジャッキー・チェンのアクション映画であることを、特に後者はジャッキー主演のポリス・アクションものであることをてっとり早く日本の映画ファンに伝えるための言葉の響きとして機能しています。
(スティーヴン・セガール主演映画に“沈黙の”といった邦題がつけられるのと似た道理ですね)
冒頭でご紹介した『プロジェクトV』も、実は『プロジェクトA』と関係なく、原題も“VANGUARD”。
また変わり種として『ポリス・ストーリーREBORN』(17)も一見シリーズとは無関係な、内容もまるでハリウッドの『アベンジャーズ』あたりを意識したかのようなSFアクション映画でしたが、主題歌が『ポリス・ストーリー/香港国際警察』の《英雄故事》をジャッキー自身が歌う北京語ヴァージョンにアレンジしたものだったことから、日本では“『ポリス・ストーリー』ユニバース10本目の作品”として公開されました。
『ポリス・ストーリーREBORN』配信サービス展開一覧
※2021年9月10日現在の情報
□dTV
□U-NEXT
□Hulu
□TSUTAYA TV
□Amazonビデオ
□FOD
□RakutenTV
□iTunes
□Google
–{国際スターとしてのハリウッドへの挑戦}–
国際スターとしてのハリウッドへの挑戦
ブルース・リー以降、なかなか国際スターを輩出できずにいた1970年代の香港映画界でしたが、70年代後半より国内での人気が出始めたジャッキー・チェンは1980年代に入って念願のハリウッド進出を目論み、『燃えよドラゴン』(73)のロバート・クローズ監督作品『バトル・クリーク・ブロー』(80)に主演し、ハル・ニーダム監督『キャノンボール』2部作(81・84)にも出演。
しかし前者はアメリカ本国でこけ、後者は香港公開が奮わず、さらには1985年、ジェームズ・グリッケンハウス監督の『プロテクター』に主演しますが、こちらも彼の魅力を活かすには至らず終わりました。
しかし、1995年の香港映画『レッド・ブロンクス』が全米興行収入初登場第異1位を獲得したことで一気に風向きが変わり、再びハリウッドへの挑戦が成され、クリス・タッカーと共演した1998年の『ラッシュアワー』が評判となってシリーズ化されるとともに、ジャッキーのハリウッド・スターとしての道も切り開けていきます。
2010年のアメリカ&中国合作のリメイク版『ベスト・キッド』も世界的に大ヒットし、2016年にはアカデミー賞名誉賞を受賞するに至りました。
中国映画界の国際化に伴って海外スターとの共演も多くなり、2017年のマーティン・キャンベル監督『ザ・フォーリナー/復讐者』ではピアース・ブロスナンと共演。
ここでジャッキーは、娘を殺されて文字通り復讐の鬼と化す主人公を熱演し、コミカル色を廃したスタイリッシュなサスペンス・アクションとして異彩を放っています。
悠久の中国大陸その歴史への憧憬
1997年に香港が中国に返還されて以降、ジャッキー・チェンは徐々に中国映画界とも歩調を合わせるようになっていきます。
特に中国悠久の歴史を背景にした史劇系アクションものが俄然増えていきます。
また1911年の辛亥革命を描いた本格歴史映画『1911』(11)は、従来のジャッキー・ファンを大いに驚かせたものでした。
そして現在、中国政府を支援する発言が目立つようになって久しい彼ですが、2003年のドキュメンタリー映画『失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン』は、その理由を鑑みる上での大きなテキストにもなり得ているように思われます。
これはメイベル・チャン監督がジャッキーから頼まれて彼の家族の系譜を調べ上げ、記録したものですが、日中戦争や国共内戦に翻弄されながらも必死に生き抜きながら香港へ逃れていった両親のエピソードの中には、ジャッキー自身が知らなかったものも含まれていて、そうした衝撃的な内容の数々ゆえに、香港や中国では未だに劇場公開されてない(アジア圏では日本のみ公開)、ある意味幻の作品でもあります。
しかし、この作品の中から醸し出される両親への想いが、ひいては壮大なる中国とその歴史そのものへの憧憬へと結びつき、今のスタンスへと繋がっていったのではないかと、今は勝手に想像している次第です。
–{日本のファンへの篤い信頼 }–
日本のファンへの篤い信頼
日本で人気が出始めた頃から日本のファンに寄せる信頼も篤い親日派のジャッキー・チェンですが、これに相応するかのように日本ロケの作品もあります。
ジャッキー・フィーバーたけなわの1985年に富士急ハイランドなどでロケが敢行されたサモ・ハン・キンポー監督『香港発活劇エクスプレス 大福星』(85)は、公開前から大評判となりました。
2009年の『新宿インシデント』は、その奈緒ごとく新宿を舞台にした裏社会もので(ジャッキーがいわゆるクンフー・アクションを披露しない異色作!)、新宿歌舞伎町や神戸繁華街などで大規模なロケを敢行し、竹中直人ら多くの日本人俳優と共演しています。
ハリウッド映画『ラッシュアワー3』(07)では、長年の友人でもある真田広之と共演。
西城秀樹とも親友の間柄で、彼が死去した際は「僕らは永遠にあなたのことを想っております」といった弔電を送っています。
また彼の出演作品は『スパルタンX』(84)のデリカ、『ファースト・ミッション』(85)のミラージュ、『香港国際警察/NEW POLICE STORY』(04)のパジェロなど、2000年代まで三菱自動車の車両協力が多いのもひとつの特徴ではありました。
『ツイン・ドラゴン』(92)では三菱自動車のテスト場でクライマックスを迎えたりもしています。
日本のファン・イベントには積極的にメッセージを送り、また彼らが香港を訪れたときも温かく迎えるなど、常にファンを大事にし続ける彼の姿勢もまた、長年愛される所以なのは間違いないでしょう。
(文:増當竜也)