『猫の恩返し』が公開された2002年、こんな時代だった

映画コラム


(C)2002 猫乃手堂・Studio Ghibli・NDHMT

本コラムは『猫の恩返し』が公開された2002年に、どのような映画や音楽などがあったのかを掘り起こし、懐かしがってみようといった意図で書かれている。

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当時を知っている人には「ああ、懐かしいな」と、知らない方には「こんなことがあったのか」と感じていただけたら嬉しいし、『猫の恩返し』を現在の解像度ではなく、当時の視点から鑑賞する手助けになれば幸いだ。

さて、まずは2002年の出来事を簡単にさらってみる。

2002年の出来事

時の首相、小泉純一郎は我が国の首相として初めて北朝鮮を訪問。平壌にて金正日と会談した。同年10月に拉致被害者5名の帰国が実現している。

また日経平均株価がバブル崩壊後の最安値を記録し、1983年以来19年ぶりに9,000円を割り込んでいる。参考までに、2021年8月17日現在の日経平均株価は27,424円(端数切捨て)である。

日韓共催のサッカーW杯では日本が初のベスト16を達成。他にもめでたい出来事としては、小柴昌俊田中耕がそれぞれノーベル物理学賞・化学賞を受賞し、時の人となっている。

一方、そんなにめでたくない出来事としては、雪印食品と日ハムが輸入牛肉を「国産です」と偽装した事件もあった。また田中真紀子や辻元清美、加藤紘一などが「政治とカネ」をめぐる問題で辞職している。鈴木宗男が逮捕されたのもこの年だ。

世界に目を向けてみると、ブッシュ米政権とフセイン政権の対立によりイラク情勢は緊迫。北朝鮮の核問題でも緊張が走り、イスラエル軍はパレスチナに大規模侵攻をかけている。

インターネット界隈ではテキストサイト「侍魂」が前年に「最先端ロボット技術」でヒットを飛ばし、さらに「ヒットマン事件簿」でホームラン。テキストサイトが隆盛を迎え「フォント弄り系」サイトも次々と登場した。

ので、本コラムも以降は当時の雰囲気を出すために以下、大事なところはフォントをデカくする。

※残念ながら一部の配信先ではフォントが反映されないかもしれない。元サイトでの閲覧を推奨する。

話を戻して、イラクだ核だとまあまあ火薬臭い年なのだが、流行語大賞は緩く「タマちゃん」と「W杯」が受賞している。念のために補足しておくと、タマちゃんは2002年の8月に突如多摩川に出現したアゴヒゲアザラシ(雄)の愛称で、ニュースなどで盛んにとりあげられた。

余談だが、タマちゃんは翌年に横浜市西区より特別住民票を与えられ、「ニシ タマオ」として市民権を得ている。もう少しマシな名前はなかったのか。名前が気に入らなかったどうかはわからないが、2003年からは埼玉県あたりでの目撃例が多く、2004年以降彼の姿を見たものは居ない。

ともかく、『耳をすませば』の主人公、薬もキメずに素面で異世界と猫を幻視できる不思議少女月島雫が書き上げた物語としての位置付けである『猫の恩返し』は、このような年に公開された。

とはいえ、ここまで記したのは「教科書に載るような」出来事である。以下自分視点になって恐縮だが、当時の雰囲気をもう少し補足していきたい。

–{なぜなら、2002年の東京に住んでいたからである}–

なぜなら、2002年の東京に住んでいたからである

筆者は2002年に群馬県から東京に出てきた。服飾の専門学校に通うためである。よって、当時の雰囲気はなんとなく覚えている。19歳のガキからすれば拉致被害者も、日経平均株価も、食品偽装も、イラク情勢も、なんとなーく「遠い国の出来事で、自分の身の回りにあるものが世界の全てだった。

2017年に公開された『レディ・バード』という素晴らしい映画があるが、本作もまた2002年を舞台にしている。主人公のクリスティン(シアーシャ・ローナン)は高校生で、田舎町を飛び出して「文化のある都会」に出たいと願っている。彼女はイラク情勢が緊迫するニュースを家でゴロゴロしながら観ているが、ちょうどそんな感じだ。

そんな「自分の」視点から当時の東京を思い出してみると、渋谷のスクランブル交差点は今よりもずっと汚なかった(なにせ路上喫煙ができた。千代田区で歩きタバコ禁止条例が初めて成立したのはこの年だ)。センター街では路上で当時は合法だったマジックマッシュルームが売られており、怪しげな外国人は今でも違法な物を取り扱っていた。

ツタヤ方面に踵を返し甘栗屋を左に。マックを通り過ぎてタワレコを右に曲がってガードを潜り、キャットストリートを抜けて表参道に差し掛かり下っていくと、GAP前にはあらゆる雑誌のスナップ、カットモデルのキャッチ、あるいは「そこに存在することがお洒落だと思っている」人々が陣取っていた。メイン通りから小道まで、ありとあらゆる筋まで人が溢れ、活気に満ちていた。

路線を変えて、下北沢は今でこそガールズバーなどが点在しているが、当時は未だサブカルに憧れる者の聖地、みたいなもんであり、ヴィレッジヴァンガードの店内の如く、細く入り組んだ道には洋服屋やレコード屋、本屋、飲食店などがひしめいていた。レディ・ジェーンには行ってみたかったが金がなかった。ときに、レディ・ジェーンの2階は賃貸物件になっており、7万5千円くらいで住めた。下北沢物件情報はさておき、高円寺も同様な雰囲気だったが「下北よりはやや夢を諦めている感」が心地よく、適当に生きていても許してくれるような寛大さがあった。

筆者の縄張りは東横線上だったので新宿はあまり行かなかったが、2003年から行われた歌舞伎町の浄化作戦にはギリギリ間に合った世代だ。浄化の足音は近づいて来ていたものの、クラブやライブハウスの「危ない感じ」はまだ若干残っていた。CLUB WIREのトイレに入っていたら「ウラァー! テメェ! パンクスのクセに鍵なんてかけてんじぇねぇよォォォォ!」の叫び声とともにスチールトゥのマーチンでドアをガッツンガッツン蹴られたのも良い思い出である。もちろん、ここにはとても書けない話もある。浄化作戦以降の新宿はつまらなくなったし、ある意味で悪化したことも多い。

さて、渋谷原宿下北高円寺新宿と出てきたし、一応は服飾専門学校(スタイリスト科)卒ということもあるので、ファッションに触れておこうとしたのだが、2002年のファッションはトレンドこそあれ、街単位で見てみたり、授業で定点観測をしていたりした身からすると非常に雑多だったと記憶している。じゃによって、ジャンルで区切るのは結構難しい。

これは映画も音楽も同じで、表通りから裏通りまで実に様々で、大小問わずコミュニティが形成されていた。2002年はまだYou Tubeは開設されておらず、Twitterどころかmixiもない。スター・ビーチはあった。が、それなのにどうやって人と繋がったり、コミュニティに出入りしていたのだろうと考えると、ちょっと不思議な気持ちになる。あくまで思い出補正の入った視点で、少なくとも一部はとするけれども、当時の東京はこのような空気感だった。

–{2002年の日本興行収入では『猫の恩返し』が7位にランクイン}–

2002年の日本興行収入では『猫の恩返し』が7位にランクイン

2002年の日本興行収入ランキングによると、1位は『ハリー・ポッターと賢者の石』で203億円、2位は『モンスターズ・インク』(93.7億円)、3位には『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(93.5億円)が僅差で付けている。

『猫の恩返し』(『ギブリーズ episode2』と同時公開)は7位で64.8億円。『メン・イン・ブラック2』、『アイ・アム・サム』に続いて10位には『名探偵コナン ベイカー街の亡霊』がランクイン。国産映画は2本ランクインしており、いずれもアニメーションだ。

興行収入ランキングには入っていないものの、2002年の邦画はウェルメイドな小品から有名作まで次々と登場している。

思い出すだけで怖い『仄暗い水の底から』、当時レンタルビデオ屋に通って居た方が何度も見たであろうジャケットが懐かしい『Laundry ランドリー』、金大中事件を題材にした『KT』、今なお語り継がれる『ピンポン』、今敏の『千年女優』、山田洋次の『たそがれ清兵衛』、そして北野武の『Dolls』。なかでも個人的に思い出深いのは『青い春』『狂気の桜』である。

『青い春』は言わずもがな、松本大洋の短編集『青い春』を原作として豊田利晃が実写化した。舞台は朝日高校という男子校で、その学校にいる不良グループの人間関係を描いている。松田龍平、新井浩文、高岡蒼佑、鬼丸、大柴裕介などのキャスティングも素晴らしく、特に闖入してくる他校の番長がKEEこと渋川清彦なのが衝撃というか笑撃だった。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが提供した「ドロップ」はもちろん「赤毛のケリー」の使用タイミングも上手く、映画館で観たら今でも鳥肌が立つかもしれない。また曲こそ流れないが壁に落書きされた「野良犬にさえなれない」という文言は『青い春』にピッタリだ。一緒に観た当時の彼女に「あのメッセージはさぁ」なんつってTHE STREET SLIDERSの話をずっとしていて遠い目をされたのも今は懐かしき黒歴史である。

『狂気の桜』は薗田賢次が監督で、「ネオ・トージョー」なるナショナリスト3人組を主人公として、暴力団や右翼団体といった社会の暗部を描いている。と書くとシリアスっぽいが、暴力で粛清しまくるネオ・トージョーの面々は窪塚洋介、RIKIYA(現在は川口力哉)、須藤元気(現在は参議院議員)であり、さらに音楽はK DUB SHINEが担当、主題歌はキングギドラ「ジェネレーションネクスト」である。「あんな不良、いましたよね」は『青い春』のほうがリアルだが、今観てもブッ飛んでいて面白い。何より、当時の渋谷の風景が懐かしすぎる。

ちなみに本作は目黒川で桜が映る印象的なシーンがあるが、あの頃の中目黒は桜のシーズンでも空いていた記憶がある。若干盛ってるかもしれないが、今よりも人が少なかったことは確かだ。駅から1本目の橋に向かう手前からは一段降りられるようになっていて、ビニールシートを広げて花見もできた。

未だ中目黒GTができるかできないかの頃だったし、高架下も立ち退きしていなかった記憶がある。記憶違いだとしても、今と人の流れは大きく違ったし、猥雑で良い街だった。ところで、昔からの中目黒の味を守り続けている「高伸」という街中華がある。もし中目を訪れる機会があったらぜひ行ってみて欲しい。餃子とレバニラとチャーハンを注文すれば、昔と変わらぬ味を楽しむことができる。クオリティは保証する。冗談抜きで美味い。

目線を日本から海外に向けてみると、全世界興行収入ランキングでは『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』が1位、2位以下は『ハリー・ポッターと秘密の部屋』、『スパイダーマン』、『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』が続く。

2002年度の作品を扱った2003年の第75回アカデミー賞は『シカゴ』が6部門を受賞。監督賞は『戦場のピアニスト』でロマン・ポランスキー、脚本賞は『トーク・トゥ・ハー』、撮影賞は『ロード・トゥ・パーディション』、長編ドキュメンタリー映画賞は『ボウリング・フォー・コロンバイン』が戴冠。『千と千尋の神隠し』が長編アニメ映画賞を獲ったのもこの年だ。

邦画と同じく、2002年の洋画も佳作から名作まで幅広い。後に続くオーシャンズシリーズの魁となる『オーシャンズ11』、ジャン・レノと広末涼子が共演した『WASABI』、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ初監督作品である『アモーレス・ペロス』も公開されている。

他にもデヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』、天才数学者、ジョン・ナッシュを描いた『ビューティフル・マインド』、壮絶な「モガディシュの戦闘」を映像化した『ブラックホーク・ダウン』、ショーン・ペンがとにかく凄まじい『アイ・アム・サム』、今となっては眉唾ものとなってしまったスタンフォード監獄実験をテーマにした『es[エス]』、初見では全く意味のわからなかった『ドニー・ダーコ』などなど、挙げればキリがないのでこのくらいにするが、豊作と言っても問題ないだろう。

※『ビューティフル・マインド』は2001年アメリカ公開、2002年日本公開である。なお、2001年度の作品が対象となる第74回アカデミー賞の作品賞は本作である。

もし何かひとつ作品を選べとなったら、筆者としては『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』をセレクトする。監督・主演のジョン・キャメロン・ミッチェルはその後『パーティーで女の子に話しかけるには』という珍妙かつ素晴らしい映画を撮ることになるが、ヘドウィグが「片割れ」を探し続けたがごとく、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』と『パーティーで女の子に話しかけるには』は、ニコイチで観ることによって完成するような気がしないでもない。

–{2002年のドラマ・アニメ。覚えていますか『ビッグマネー! 〜浮世の沙汰は株しだい〜』を}–

2002年のドラマ・アニメ。覚えていますか『ビッグマネー! 〜浮世の沙汰は株しだい〜』を

2002年はドラマもアニメも盛況だった。ドラマの最高視聴率ランキングを参考にしてみると、1位は『空から降る1億の星』、2位は『人にやさしく』で、以下『ごくせん』『恋のチカラ』『ロング・ラブレター〜漂流教室』などが続く。

個人的に思い出深いのは、宮藤官九郎が『池袋ウェストゲートパーク』の次に放った『木更津キャッツアイ』だ。『池袋ウェストゲートパーク』は暴走族が一夜にしてカラーギャングになってしまうほどのデカルチャーを田舎者に与えたが、『木更津キャッツアイ』はいわゆる「ご当地感」が出ていたので関東圏に住んでいる方は親近感すら覚えたことだろう。

公開時は大いに笑いながら観ていたが、改めて大人になってから鑑賞してみると、まるで極上の人情噺のように泣けてくるから不思議だ。「木更津」という地理もちょうど良い。『木更津キャッツアイ』で描かれる大都会の周辺部(の田舎)は、現在の目線を採用するならば距離感こそ違えど、ともに「ディズニーランドの外周」を舞台とした『ケンとカズ』や『フロリダ・プロジェクト』を思い出さずにはいられない。ただ、『木更津キャッツアイ』は底抜けに明るく、哀しくて、粋で鯔背で、野暮でいなたい。

また『私立探偵 濱マイク』も公開されている。映画3部作に続くドラマ化で1話ずつ異なる監督を起用している。どの話が好きかは良く酒の席でのネタになるが、筆者としては利重剛が監督したSIONが登場する『ビターズエンド』、次点では「アレックス・コックスが好き過ぎる」という理由から『女と男、男と女』になる。ちなみにドラマ版の主題歌EGO-WRAPPIN’の「くちばしにチェリー」も文句などあるはずないが、映画版で使用された永瀬正敏が歌う「キネマの屋根裏」が最高だ。バックはTHE VINCENTSなのだが、THE VINCENTSはHILLBILLY BOPSとThe TRUMPSが合体したようなバンドで、リーダーの川上はザ・タイマーズでも(2000字中略)だから、とにかくガチなんである。

ここでちょっと想像してみて欲しい。東京に出てきて少し慣れた頃の田舎者が、ある日テレビをつける。そこには永瀬正敏が室内だというのにレザーのロングコート、部屋の中だというのにサングラス、室内だっつってんのにジョージコックスのラバーソウルで、くわえタバコをしながらEGO-WRAPPIN’の「くちばしにチェリー」に合わせて動いている。ガラクタばかりの雑多な部屋で彼は『傷だらけの天使』、『探偵物語』もかくやといった感じで動く、動く、動く。マスキングテープを指に巻き付け、ビルの壁にスプレーを吹き付けると「私立探偵 濱マイク」とタイトルロゴがステンシル印刷される。

これを目撃した若者がどうなるか。真似するに決まっている。第一話放映翌日、筆者が通っていた専門学校の喫煙室のロングコート率は7月なのに跳ね上がり、ラバーソウル率もさらに高く、ジョージコックスの奴も居ればロボットの奴もいるし、他人と差を付けようとヴィンテージのクリーパーを履いてきた奴も居た。無論、シャツは柄物である。その後も影響され続けて家を土足にしたお陰で敷金が返還されなかった奴も片手では足りない。

そしてもう1作、『ビッグマネー! 〜浮世の沙汰は株しだい〜』にも触れておきたい。石田衣良の『波のうえの魔術師』を原作とした株式投資フィクションだ。

就職浪人中で、ひょんなことから相場師として成長していく主人公の白戸則道を演じるは長瀬智也。大資産家で伝説の投資家である小塚泰平には植木等を起用。この時点でもう満点なのだが、ネコ好きの大物総会屋の辰美周二には小日向文世、辰美の部下で寡黙な強面、蒔田に松重豊をキャスティングしている。小日向文世、松重豊のコンビはまるで『アウトレイジ』である。

物語は、半ば詐欺のように「相続保険」を売り続け、被害者たちを食い物にしていた「まつば銀行」サイドと白戸・小塚の投資バトルが繰り広げられていくのだが、まつば銀行の経営企画部調査役にして最悪役、山崎史彦役にははらだたいぞ……原田泰造!?と書いていて自分でも驚いてしまうが、2002年時点の演技クオリティはどうあれ「嫌な奴」感はものすっごい出ている。取引システムをはじめとした設定に関してはおかしな箇所も多々あるが、チキチキ投資バトルフィクションとして観れば今でも十分通じる作品だろう。

ドラマの話はこれくらいにして、2002年のアニメもまた豊作と断じて問題ないだろう。視聴率ランキングでは、2月3日放送の『サザエさん』が25.6%で1位、2位には4月21に放送された『サザエさん』が24.9%でランクイン、3位には24.5%で12月15日放送の『サザエさん』が肉薄。4位以下は『サザエさん』、『サザエさん』、『サザエさん』、『サザエさん』、『サザエさん』と続いている。磯野家強すぎだろう。

磯野家はさておき、同年作品をピックアップしてみると『藍より青し』『あずまんが大王』『デジモンフロンティア』『天使な小生意気』『灰羽連盟』『機動戦士ガンダムSEED』『フルメタル・パニック!』『最終兵器彼女』『.hack//SIGN』、そして『NARUTO -ナルト-』などが放映開始となっている。

ちなみに映画の補足になるが、『ドラえもん のび太とロボット王国』『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』『劇場版ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスとラティオス』も2002年に公開されている。新海誠の初劇場作品『ほしのこえ』も同年だ。

映画と同じく「何か1作チョイスせぇ」と言われたら、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』を推したい。笑い男事件や村井ワクチン、電脳硬化症などを巡る「社会の暗部」を描くメインストーリーも良いが、『タチコマの家出 映画監督の夢 ESCAPE FROM』、『全自動資本主義 ¥€$』、『未完成ラブロマンスの真相 ANGELS’ SHARE』など時折差し込まれるエピソードも素晴らしい。

とくに『未完成ラブロマンスの真相』に「ANGELS’ SHARE」と副題を付けているのが良い。ウイスキーやワインなど、樽で熟成させる酒は熟成中に水分やアルコール分が蒸発してしまう。この蒸発分を「Angels’ share」、日本語に直すと「天使の分け前」とか「天使の取り分」と言う。

ワインを熟成させる際には樽中の液量が減ると空気の面積が大きくなり、空気とワインが触れて酸化してしまうと劣化してしまう。そのため、樽にワインを入れて量を補うウイヤージュという工程が行われる。荒巻課長と昔馴染みの美しい女性、シーモアは2人の間にある空白期間をウイヤージュするかのように埋めていくのだ。

–{2002年の音楽は2強の歌姫(notマクロス・フロンティア)}–

2002年の音楽は2強の歌姫(notマクロス・フロンティア)

2002年といえば、初代iPhoneが発売される5年前だ。iPodはギリギリ第1世代が登場しているが「持ち運ぶ音楽」としては未だCD・MDが主流だった。

この年の音楽は、表通りだと浜崎あゆみ、宇多田ヒカルの2強だった。オリコンの年間シングルヒットチャートを参考にしてみると、1位は浜崎あゆみの「HANABI」、「independent」、「July 1st」からなる3曲A面シングルで、2位には宇多田ヒカルの「Travelling」がチャートイン。3位には元ちとせ「ワダツミの木」が付けている。

女性陣強しだが、4位にはDragon Ashの「Life goes on」、5位にはGLAYの「Way of Difference」がランクインしている。桑田佳祐も「東京」で11位につけ、チャート常連のMr.Childrenは「君が好き」で12位、B’zも「熱き鼓動の果て」で14位と健闘している。

ちなみに、ドラマの項でも登場したEGO-WRAPPIN’は、「~Midnight Dejavu~ 色彩のブルース」で61位に昇りつめており、100位までの面子を見ても結構異色だ。本シングルはライブ音源を含めて全5曲が入っていて、なかでも「かつて..。」のライブバージョンはEGO-WRAPPIN’史上最高峰の音源と言っても言い過ぎではないだろう。

ここで正直に告白すると、筆者はこの頃のヒットチャートは全く追っていない。今からおそらく1000人が読んだとして2人くらいしか伝わらない情報を書くが、60〜80年代ガレージ、マージービートにホットロッド、ネオロカ・サイコビリーに傾倒しており、ついでにSTIFFレコードをコレクションしているような人間だった。

よって当時メインで流行っていた音楽と、その空気感を表現するのは少々難しい。のだが、2002年のライジングサンに行っている。このラインナップがまさに2002年なので、これを突破口としたい。

2002年のライジングサン初日、8月16日のSUNステージにはオープニングアクトのDragon Ashを皮切りに、KICK THE CAN CREW、SNAIL RAMP、山嵐、モンゴル800、THE HIGH-LOWSがラインナップされていた。

他にもガガガSPにSHAKA LABBITS、HERMANN H.&THE PACEMAKERS、RIZE、KEMURI、たま、キセルも出ている。懐かしすぎるだろう。

上記豪華な面子のなかでも、筆者が最も記憶しているのは遠藤ミチロウ&中村達也のTOUCH-MEとTHE TRAVELLERSなのは如何に好事家であろうとどうかと思うのだが、それにしたっていずれも素晴らしいライブだったし、THE HIGH-LOWSでヒロトはやっぱり脱いだ。

2日目のSUNステージのオープニングアクトは奥田民生。この時点で最高だが、筆者は同時刻に行われたTHE NEATBEATSに行っている。今思えばニートは新宿あたりで見ても良かったんじゃないかと思うのだが後の祭りである。

メインステージアクトを補足すると、BACK DROP BOMB、Dry & Heavy、東京スカパラダイスオーケストラ、TOKYO No.1 SOUL SET、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、井上陽水、忌野清志郎&矢野顕子、THE MAD CAPSULE MARKETS、JUDE、GOING STEADY、EGO-WRAPPIN’、ゆらゆら帝、WRENCH、THE BOOMである。一つも抜けないので全部書きだしてしまった。これだけでも当たり年なのがおわかりいただけると思う。

ミッシェルの出番はちょうど日が落ちるか落ちないかくらいで、「ドロップ」のイントロが流れた際に感動して死にそうになったし、JUDEの時はベンジーっぽいシャツ1枚で参戦したため寒さで死にそうになった(夏の石狩は夜になるとマジで寒い)。そういえば、JUDEで浅井健一、TOUCH-ME・LOSALIOSで中村達也、ROOSOで照井利幸が来ていたので「もしかしたら、ブランキーやるんじゃ……(願望)」とちょっとした話題になっていた。

結局ブランキー再結成事件は無かったが、夜にはスカパラとロッソとトラベラーズをバックにしたようなバンドで、おそらく泥酔状態のチバユウスケが「Light My Fire」を歌っていた(もしかしたら、曲間で叫んでいただけかもしれないが)。完全に客と化した向井秀徳は人のテントで飯を食い、至るところで弾き語りを披露していた。プログラムには載らない楽しさが盛り沢山だった。

面白すぎる向井秀徳はさておき、メインステージ以外にもデキシード・ザ・エモンズとKING BROTHERSを並べるセンスの良さは流石だし、CRAZY KEN BANDやTHA BLUE HERBなどもよく覚えている。斉藤和義も元ちとせもUAも山弦も、TAKKYU ISHINOも、売れてる / 売れてない関わらず、ジャンルを飛び越えた豪華なラインナップは、おそらく今では不可能とまでは言わないまでも、かなり難しいのではないか。「皆さん! こんなアーティスト集めましたよ」ではなく「集まっちゃった」感じが良い。

完全な思い出話で恐縮だが、よくよく考えると、ライジングサン1つとっても『青い春』で楽曲を提供したTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT、シングル売上年間3位を達成した元ちとせ、『私立探偵 濱マイク』のオープニングを担当したEGO-WRAPPIN’などなど、まさに2002年である。

ちなみに苗場の方に目を向けてみると、日本人アーティストはライジングサンと結構重複している。それ以外ではChar、BRAHMAN、V∞REDOMS、四人囃子、SUPERCAR、Rhymester、CORNELIUS、THE BACK HORN、少年ナイフ、Going Steady、曽我部恵一、Ska Flames、Polari、渋さ知らズオーケストラなど多数出演しており、これまたジャンル問わず豪華な面子だろう。今となってはフジロックに行けば良かったと思う。

–{2002年の『猫の恩返し』と2021年の恩返し}–

2002年の『猫の恩返し』と2021年の恩返し

2002年のアレコレを駆け足で紹介・解説・回想してきたが、今回、テレビで『猫の恩返し』をご覧になる方のなかには、1人で観る人もいるだろうし、同い年くらいの恋人と鑑賞する方もいるだろう。年の離れた恋人かもしれない。恋人ではなく友人とかもしれない。もしかしたら、病院のベッドで観る人だっているかもしれない。ご自身の子供や家族とご覧になる人もいるだろう。

その時に、昔を懐かしがる話題のひとつとして、あるいは子供たちに語る昔話として、本コラムが役に立つならば、1万文字も書いた甲斐がある。

2002年はもちろん、それ以前から今まで、映画やドラマ、アニメ、音楽から色んなことを学んだ。馬鹿みたいなクリシェになるが、それは学校で学んだものよりも遥かに多い。

最後だけ一人称を変えさせてもらうが、本コラムは僕の、2002年の映像作品や音楽に対しての恩返しである。黒歴史の供養でもあるのだけれど。

(文:加藤広大)