1997年、あなたは何をしていただろうか?24歳の人ならば生まれたて、34歳の人であれば当時10歳で小学生、44歳だと成人式の年になる。
1997年はけっこう激動の年だった。さらっと書いてみるだけでも凄い。
- 正月早々から日本海に重油が流出
- 消費税は3%から5%に
- 酒鬼薔薇聖斗による「神戸連続児童殺傷事件」
- フジロックが初開催
- ダイアナ妃が交通事故死
- 山一證券が破綻
- ポケモンショック事件(光過敏性発作)
- 川島なお美は「私の体はワインで出来ている」と語る
全国の小中学生が「オレタチ、ニンゲンクウ」と猩久のモノマネに明け暮れたかどうかは定かではないが、とにかく『もののけ姫』もまた、1997年に公開された。
本コラムはその『もののけ姫』公開当時(1997年)にどのような映画や音楽などがあったのかを考え、懐かしがろうという趣旨である。当時を知っている人には「あったあった笑」と、知らない方には「こんなことが(ものが)あったのね」と公開当時の雰囲気を感じてもらえたら嬉しい。
さて、当時の空気をもう少し補足してみると、流行語大賞は「失楽園(する)」で、創世記以来の失楽園ブームが訪れた。その他ノミネートされたものだと「たまごっち」「透明な存在」「マイブーム」などがある。ダイアナ妃交通事故で盛んに報道され、今やすっかり浸透した「パパラッチ」もランクインしている。
ファッションでいえば、ジャンニ・ヴェルサーチが射殺されたのもこの年だ。日本では女子高生はルーズソックスを履き、シノラーやアムラーも量産された。女子高生はコギャルになり、一部は進化してガングロギャルになった。
その一方で96年には雑誌「FRUiTS」が創刊されている。「個性派」という言葉は今や死語かもしれないが、自由でフレッシュなスタイリングがストリートで流行した。また「GOODENOGH」「A BATHING APE」「UNDERCOVER」なども90年代前中盤から引き続き盛況であり、「NOWHERE」に吊るされていた商品が高すぎて買えず、怪しい露天商から偽物を買った人もいるのではないだろうか。
他にも「20471120」「beauty:beast」「SUPER LOVERS」「MILKBOY」「TRANS CONTINENTS」「HYSTERIC GLAMOUR」「OZONE ROCKS」「Christopher Nemeth」「W.&L.T.」と、まるで往年のバンド名のようなブランド名をタイプしているだけでも懐かしくて涙が出そうになる。時代が少々前後しているような気がするが、書きたくなってしまったのでご容赦願いたい。
純粋なファッション以外にも、前年96年には『トレイン・スポッティング』が公開されているので、レントンやベグビーのファッションを真似していた人もいるだろう。ビニール素材でポケットのたくさんついた「壁にかける良くわからないアレ」にポストカードを入れていた人もいるだろう。部屋でチャンダンを焚いていた人もいるだろう。何を隠そう筆者である。今タイプしているだけでも懐かしさと恥ずかしさが寄せては返す波のように押し寄せる。
–{1997年の日本配給収入は『もののけ姫』が堂々のトップ}–
1997年の日本配給収入は『もののけ姫』が堂々のトップ
『トレイン・スポッティング』の話も出たところで、ここからは1997年公開の映画を振り返ってみる。
1997年の日本配給収入ランキングを参考にすると、『もののけ姫』が1位。
2位以下は『インデペンデンス・デイ』『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』『失楽園』と続く。5位には『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』。10位には『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』がランクインしており、10作中3作がアニメだ。
当時のニュースを見直してみたところ、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の初日レイトショー公演には多くの人々がチケットを求めて並んでいたようだ。数百人にも及ぶ先頭を陣取った高校生グループの1人は語る。
「エヴァの結末を観にきました!」
彼もまさか、その後24年経ってやっとエヴァンゲリオンシリーズが完結するとは夢にも思っていなかっただろう。彼らが今年、劇場で結末を目撃できたことを祈る。
ときに『もののけ姫』のキャッチコピーは「生きろ。」だったが、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』は「だから みんな、死んでしまえばいいのに…」であり、1位に「生きろ」と言われて10位に「死んでしまえばいいのに」と言われる理不尽さが趣深い。
ちなみに『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』のポスターには「生きたおもちゃと不思議な星で大冒険! 生命のねじが巻き起こす、スペクタクル ドラ巨篇」と記されている。「魂のない(死んでる)おもちゃが生きている」というのは、「生きろ」「死ね」の間に挟まれた5位の惹句としてはまさにピッタリだろう。
(C)1997 青山剛昌/小学館・読売テレビ・ユニバーサル ミュージック・小学館プロダクション・TMS
またランキングには入っていないものの、「名探偵コナン」の長編映画第一弾、『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』が公開されている。
長編ドラえもんの多くのタイトルが『どらえもん のび太の(と)○○』と付けられているように、コナンもまた『名探偵コナン ○○の○○』となるのが恒例だ。この「○○の○○」フォーマットは非常に使い勝手が良い。『名探偵コナン ドラゴンタトゥーの女(ウーマン)』とか『名探偵コナン 怒りのデス・ロード』、『名探偵コナン 陰謀のセオリー』のように、適当に映画名を拝借しただけでもそれっぽくなるし、『名探偵コナン 怒りのデス・ロード』はちょっと観てみたい。
(C)1997 Twentieth Century Fox Film Corporation and Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
話を戻して海外に目を向けてみると、全世界の興行収入ランキングは『タイタニック』がダントツで『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』『メン・イン・ブラック』が続く。日本では『タイタニック』のタの字もないが、公開されたのが97年の終わりなので、98年の日本配給収入ランキングで1位を記録している。
第70回アカデミー賞では、その『タイタニック』が作品賞・劇映画音楽賞・音響編集賞など14ノミニー11受賞と圧倒的。しかし主演男優賞でディカプリオはノミネートもされず、『恋愛小説家』でジャック・ニコルソンが受賞した。ディカプリオはその後「一体どんな役ならアカデミー主演男優賞を獲れるんだ!」とギャングに詐欺師、大富豪、元白人傭兵、FBI長官、大農園の領主、証券会社社長などさまざまな役を演じたが、2015年に「熊に襲われて酷い目に遭う人」でついに主演男優賞を獲得することとなる。1990年代〜2010年代中盤は、ディカプリオのアカデミー賞主演男優賞獲得までの旅路であるとも言えるだろう。
他にも、1997年に日本で公開された映画をピックアップしてみると『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』『バスキア』『うなぎ』『ロスト・ハイウェイ』『フィフス・エレメント』『コンタクト』『ブエノスアイレス』など公開規模・ジャンルもさまざまだが、比較的豪華なラインナップとなっている。そのなかでも、個人的には『GO NOW』と『死にたいほどの夜』が思い出深い。
マイケル・ウィンターボトムが監督した『GO NOW』はサッカー好きの遊び人、ニック(ロバート・カーライル)が多発性硬化症に冒されてしまい、生活はもちろん、人間関係も上手くいかなくなってしまう話で、テーマは重めながらも極上の人間ドラマが描かれる。何より、前年にトレスポがあったので「しおらしいベグビー」を観れるだけでも衝撃だった。
『死にたいほどの夜』は邦題が既に秀逸。ジャック・ケルアックの『路上』に登場する完全無欠のビートニクス、ディーン・モリアーティのモデルであるニール・キャサディが放浪を始めるまでを描く。セロニアス・モンクやディジー・ガレスピーの楽曲が画面を彩り、タイラー・ベイツによるオリジナル劇中曲も夜の気だるさを的確に召喚する。『The Suicide Suite』のタイトルも素晴らしい。
1997年は大作・小品問わず、現在でもよく上映されたり、話題に上がったりするような作品が多数登場した年だと書いて差し支えないだろう。「話題に上がるような」といえば、映画だけでなくドラマもまた、1997年は凄い年だった。
–{1997年最高のドラマは「ギフト」」である。異論は認めるが聞く耳はもたない}–
1997年最高のドラマは「ギフト」」である。異論は認めるが聞く耳はもたない
見出しで思いっきりカマしてしまったが、今調べ直して不安になって来た。1997年のドラマは凄まじい。
流行語にもなった「失楽園」、そして「バージンロード」「ストーカー・誘う女」も捨てがたいが、放映作の並びを見ていると、全国が広末派と稲森派に二分された「ビーチボーイズ」、ロン毛のキムタクを物語内で断髪する松たか子を見るだけでも価値のある「ラブジェネレーション」、そして美男美女が隔離された空間でチキチキサバイバルレースを繰り広げ、3本線のジャージをラッパーよりも流行らせた「ぼくらの勇気 未満都市」が光る。
さらに「踊る大捜査線」が放映されている。
当方熱狂的な恩田すみれ、もとい深津絵里ファンのため、彼女が出ているシーンにおいては「ギフト」を超えてしまう可能性がある。
とはいえ、総合力では1997年のいかなるドラマも「ギフト」を凌駕することはできないだろう。
ポーターの売上を抜いたとしてもだ。もちろん好みの問題もあるが、登場人物のキャラだけをとっても、記憶を失くした運び屋の男。彼を保護する人材派遣会社の遣り手社長。明朗快活ながらも少々影のあるヒロイン。そして、犯罪オタクで情報屋の田村を演じるは忌野清志郎である。今見たら泣いてしまうかもしれない。
極めつけは、主題歌をブライアン・フェリーの「TOKYO JOE」に設定したことである。「TOKYO JOE」は1977年のリリースだが、日本オリジナル版として8センチCDが発売されている。1977年から1997年へ20年の時を経て歌われるファム・ファタールのアレコレは、まるで事前に仕込まれていた贈り物で、「ギフト」のためにあるとさえ思えてしまう。当たり前だが楽曲のクオリティも高い。ギターは「ギター・ジャンボリー」にて古今東西のギタリストの物真似を披露した腕利き、クリス・スペディング、ドラムにはロキシー・ミュージックからポール・トンプソン、ベースに至っては、最早キャリアを記載するのも長すぎて面倒くさい、ジョン・ウェットンである。
念のために書くが、1997年公開のドラマの主題歌クオリティが低いわけではない。なにせ「ラブジェネレーション」の主題歌は大滝詠一の「幸せな結末」だ。というか、大滝詠一が12年ぶりにシングルをドロップした時点で、既に日本ポップス史上を揺るがす大事件であることに異論がある方はいないだろう。
大滝詠一つながりでいうならば、12年ぶりのシングル「幸せな結末」から遡ること4ヶ月ほど前、1997年7月21日にはKinKi Kidsのデビューシングル「硝子の少年」がリリースされている。
作詞は松本隆、作曲は山下達郎。ジャニーズ側からの「オリコン初登場1位」「ミリオンセールス」という注文を、1997年度年間2位という堂々たる結果で見事に捌き切るのだが、1997年のオリコンで年間2位を取るなぞ、まさに神々たちの御業である。
–{表通りから横道まで、名曲揃いだった1997年の音楽}–
表通りから横道まで、名曲揃いだった1997年の音楽
1997年の年間シングルヒットチャートの1位は安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」で、これは「バージンロード」の主題歌でもあった。売上は約222万枚でダブルミリオン。2位には先程も言及した「硝子の少年」がつけ、約168万枚を売り上げている。3位はLe Coupleの「ひだまりの詩」。ドラマ「ひとつ屋根の下2」の挿入歌として使われた。
4位以下にもglobe、SPEED、今井美樹、GLAY、Mr.Children、B’z、PUFFY、SMAP、T.M.Revolution、ZARD、L’Arc-en-Ciel、相川七瀬、広末涼子、My Little Lover、電気GROOVE、JUDY AND MARY、スピッツなど、錚々たる面子が並ぶ。
いくら当時CDが売れていたとしても、これだけの強力な相手を抑えて年間2位を記録するのはまさに奇跡と言いたいところだが、「実力通りって言えばそのとおりだよなあ」と思えてしまうのが松本隆・山下達郎タッグの恐ろしさ。無論、KinKi Kidsの力もある。少なく見積もって7割以上堂本剛・光一のポテンシャルによるものだろう。
ところで、もし筆者が1997年の年間シングルチャートTOP100から10曲セレクトするとなると、以下のようになる。
1:KinKi Kids / 硝子の少年
「雨が踊るバス・ストップ」という歌い出しを、松本隆以外の誰が書けようか。ポップスの歴史を索引するかのような美しいメロディを、山下達郎以外の誰が書けるのか。といった奇跡のような1曲。
2:Mr.Children / Everything (It’s you)
『Everything (It’s you)』の最も素晴らしい点は、カップリングに『デルモ』が入っていることである。
3:広末涼子 / MajiでKoiする5秒前
作詞作曲は竹内まりや。『恋はあせらず』のようなイントロなのに、タイトルが「MajiでKoiする5秒前」なのはヤバい。もう恋してるだろそれ。デモトラックで本人が歌っているバージョンも良いが、やっぱり広末涼子のフレッシュさには勝てない。全国の思春期男子は広末涼子とは付き合えなくても、彼女がつけるクレアラシルくらいにはなりたいと思っていた筈だ。
4:川本真琴 / 1/2
川本真琴の3枚目のシングル。『1/2』ではギターを掻き鳴らしながら歌っているが、実はピアノを弾く姿が一番可愛い。
5:PUFFY / サーキットの娘
作詞作曲・プロデュースは奥田民生。弛いサーフに聴こえるかもしれないがとんでもない。結構いろいろやってます。MVも一瞬回って現代的。
6:LOREN & MASH / Thanatos – If I Can’t Be Yours –
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』のエンディングテーマ。しかし、本シングルの真骨頂はカップリングの『Komm, süsser Tod〜甘き死よ、来たれ』である。個人的にはエヴァンゲリオンシリーズのなかで最も好きな1曲。
7:エレファントカシマシ / 今宵の月のように
エレファントカシマシ15作目のシングル。同年ドラマ『月の輝く夜だから』の主題歌として使用された。タイアップだが名曲過ぎて今でも歌い継がれている。
8:中谷美紀 with 坂本龍一 / 砂の果実
「解剖台の上でのミシンとこうもりがさの不意の出会いのように美しい」の如く、「ベッドの上で空中浮遊する中谷美紀とタランチュラの不意の出会いにように美しい」シュールなMVが印象深い1曲。
9:UA / 甘い運命
UAの7枚目のシングル。『甘い運命』もいいが、千賀かほるのカヴァー『真夜中のギター』がカップリングに入っているので実質的に2枚組と言ってもいい。
10:JUDY AND MARY / LOVER SOUL
当時人妻がヴォーカルのジュディマリのコピーバンドをやっていて、この曲を弾かされた思い出が深すぎるのでセレクトしている。もちろん曲は最高。
正直、これまで書いた文章を書くよりも選曲に時間がかかっている。泣く泣く漏れた曲も10曲どころではない。面白すぎる遊びだったので、当時チャートを追っていた人はぜひ自分だけのプレイリストを作ってみて欲しい。
ここまでは表通りの音楽だが、1997年はAIR JAMが初開催された年でもある。Hi-STANDARD、COCOBAT、COKEHEAD HIPSTERS、HUSKING BEE、ヌンチャクなど、書いているだけで懐かしい。他にもBUDDHA BRANDは「ブッダの休日」をリリースし、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは「バードメン」をドロップした。MALICE MIZERも、eastern youthも、BRAHMANも、SOBUTも、並べ立てても仕方がないのでこれくらいにしておくが、とにかく、ヒットチャートに入るような音楽も、入らない音楽も、等しくチャレンジ精神に溢れ、クオリティが高かった。それが1997年のシーンだといえる。
ちなみに、『もののけ姫』のサウンドトラックは、年間アルバムチャートで61位を記録。米良美一が歌う主題歌は年間シングルチャートで74位だった。『もののけ姫』で使われた音楽は、まさに映画音楽界の天皇・久石譲と評しても過言ではなく、1音たりとも手抜かりはない。純粋な日本の音ではなく、シンセサイザーを多用し、南米などの民族楽器を用いることで『もののけ姫』の世界の音を生み出した。
さて、1997年の年間シングルヒットチャートの1位は安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」で、売上は約222万枚超えを記録したのは先程書いた。だが、1997年にはダブルミリオンを通り越してトリプルミリオンを達成したディスクがある。
–{『CAN YOU CELEBRATE?』よりも売れた『ファイナルファンタジーVII』}–
『CAN YOU CELEBRATE?』よりも売れた『ファイナルファンタジーVII』
1997年の年間ゲームソフト売上ランキングは、1位が「ポケットモンスター 赤/緑/青」で399.5万本と、ほぼ400万本の大ヒットを記録した。2位は「ファイナルファンタジーVII」で、327.7万本を売り上げている。CD3枚組だったので、ディスク換算にすれば1,000万枚近く売れている計算になる。このバカみたいな計算を採用するならば実質1位だ。
一応補足しておくと、「ポケットモンスター 赤/緑/青」はいずれも1996年発売で、翌年にヒットを記録している。よって、厳密に1997年に発売されたソフトのなかでは、「ファイナルファンタジーVII」が1位であるとも考えられる。
この年のランキングはほぼプレイステーション1強となっていて、ニンテンドー64、スーパーファミコン、セガサターン、ゲームボーイがちらほらといった感じだ。ランキングからいくつかPSソフトをピックアップしてみるだけでも、とんでもないラインナップになる。
- ファイナルファンタジーVII
- ダービースタリオン
- ファイナルファンタジータクティクス
- サガ フロンティア
- みんなのGOLF
- パラッパラッパー
- チョコボの不思議なダンジョン
- エースコンバット2
- フロントミッション セカンド
- ブレス オブ ファイアⅢ
- テイルズ オブ デスティニー
- ブシドーブレード
- クロックタワー2
- COOL BOARDERS 2
- RUNABOUT
はい。ヤバすぎます。と思わず敬体になってしまうくらいヤバい。
とくにスクウェアの勢いは凄まじく、「ファイナルファンタジータクティクス」と「サガ フロンティア」なんて約1ヶ月差でリリースされている。オルランドゥ伯爵が壊れとか、トキノくんのタイムリープが壊れとか言っている場合じゃない。創造主のスクウェア自体がぶっ壊れである。
大作から小品まで、良作からクソゲー、スルメゲーまで幅広いラインナップなのは映画や音楽と同様で「余裕・挑戦・失敗」のような三本柱を感じる。念の為に書くが失敗とてポジティブなヴァイヴスに溢れている。
–{「余裕・挑戦・失敗」感漂うなか、1997年の「友情・努力・勝利」は}–
「余裕・挑戦・失敗」感漂うなか、1997年の「友情・努力・勝利」は
週刊少年ジャンプといえば「友情・努力・勝利」だが、1997年の少年ジャンプは新年号で傑作「レベルE」が連載終了するという事件から幕を開ける。連載休止ではなく「終了」なのがポイントで、富樫は仕事をしっかりと終わらせている。というか、この頃の我々は富樫があんなに休むとは思ってもいない。
10号では、田舎に住んでいる少年たちに「東京」という街を勘違いさせた素晴らしき不良漫画「ろくでなしBLUES」が終了。甘美な余韻を残したのもつかの間、19号では「I”s<アイズ>」の連載が開始され「千秋だ和美だ」言っていたキッズ達は「伊織だいつきだ」と完全にシフトしていく。
30号では「ラッキーマン」が最終回となる。ちなみに「幕張」で「作者がガモウひろしでした」と明かされるのはもう少し後のお話。そして33号では「世紀末リーダー伝たけし!」の連載が開始される。何らかの連載が終了したら新連載が始まるのは当たり前の話だが、交代する選手が今となっては懐かしい。
名作「世紀末リーダー伝たけし!」が登場したのもつかの間、次号では「ONE PIECE」の連載が開始。
そう、1997年はルフィが「海賊王に!!! 俺はなるっ!!!」つって、海に出た年でもあるのだ。彼が海賊王宣言をしてから24年と考えると、なかなかに感慨深いものがある。
ルフィと同じく、当時リアルタイムで読んでいた私たちも随分と成長した。少年はいつしか社会人になり「組織やマネジメントの話をワンピースに絡めて話す人」にはなるべく近づかない方が良いことも学んだ。組織運営やマネジメントで参考にすべきは「ONE PIECE」でなく「銀河英雄伝説」である。
ヤン・ウェンリーとラインハルト・フォン・ローエングラムを中心に、広大な銀河系を舞台にした壮大なるスペース・オペラにして、イゼルローン要塞の如く鉄壁のストーリーが展開する宇宙一の傑作の話はさておき、この年のジャンプには「ジョジョの奇妙な冒険」と「こちら葛飾区亀有公園前派出所」も当然ながら掲載されている。ワンピースの24年も凄いが、「載っているのが当たり前過ぎて特に触れることがない」作品もまた凄まじい。
ちなみにこの年、少年ジャンプの発行部数は23年ぶりに少年マガジンに抜かれることとなる。本年のラインナップを鑑みるに、「余裕・挑戦・失敗」は漫画にも当てはまると言えなくもないような気がしてくる。ジョジョ、こち亀はもちろん、時折登場する鳥山明の余裕っぷり、看板漫画家を出そうと挑戦する編集部、それらが不全を引き起こしたかどうかは定かではないが、部数下落や企画が思ったより当たらないといった失敗。しかしながら、「ONE PIECE」を載せた時点で充分に挑戦・失敗コストは回収できているだろう。
–{1997年の『もののけ姫』と2021年の『もののけ姫』}–
1997年の『もののけ姫』と2021年の『もののけ姫』
1997年当時の出来事やファッション、映画、ドラマ、音楽、漫画などを駆け足で説明して来たが、「あれ入ってねぇ」「これ入れないなんてお前本当に1997年生きてたの」といった指摘が入るのは当然だろう。なにせアニメを入れていない。これは正直に告白するが、1997年のアニメリストを調査したところ、ほとんど観ていなかった。ざっと並べ立てて「こんな感じだったんですねぇ」と書くことはできるが、うっすい幕の内弁当になるだけなので避けている。ちなみに本コラムに書いたことは全て「昔を懐かしがろう」という趣旨上、筆者が着て、観て、聴いて、読んだ経験があるものだけで構成した。
(C)1997 Studio Ghibli・ND
今「趣旨上」と書いたが、実は当原稿には「懐かしがりましょ」の目的以外にも『もののけ姫』周辺の物事にフォーカスすることで、また違った形で『もののけ姫』を浮かび上がらせられるのでは」という狙いがあったのだが、1997年の1年間に絞っても雑多過ぎるし、何なら『もののけ姫』は1994年くらいから制作が開始されたと記憶している。1994年と1997年では人々の感覚は大きく変容した。阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こった1995年をまたいでいるからである。なので、単年だけでは狙いの達成は無理筋というものだろう。ただ、公開年に焦点を当ててみるだけでも、少なくとも何も知らないよりは、何らかの気付きや発見があるものだ。
さて、1997年に「幸せな結末」をリリースした大滝詠一は、同年2月に放送されたラジオ「我が不滅のリバプール」に寄せられた「ビートルズって、ぜんぜんロングヘアーじゃないと思うんですけど、どうして当時のイギリス人はショックを受けたんですか(意訳)」という質問に対して、このように答えている。
「短いって言うけど、何でも今基準にして考えちゃあいけません。どちらかといえば、昔から流れて来ているから今があるんですからね。歴史を逆に見ちゃいけないということですよ」
これは何らかの出来事や創作物を観たり聴いたり、考えたりする時には重要な視点で、現在の常識を過去の作品や自分とは異なる文化、人間に対して適用する危険性を説いている。
と書くと物々しいが「こういった見方・考え方もある」と覚えておけば、公開から24年間経ち、何度も観た『もののけ姫』に対して違った見方ができるかも知れないし、発見があるかもしれない。
また24年もの間積もりに積もった考察や解説、都市伝説を評価し、面白がり、味わう手立てにもなるはずだ。
様々な言説溢れるラストシーンひとつとっても、1997年の宮崎駿はこう言っている。
「あの段階ではとにかく映画を終わらせなきゃいけないから、何とかして終わらせようと考えていただけなんですよ」
筆者の現在の気持ちと全く同じである。
(文:加藤広大)