マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)のブラック・ウィドウ役で知られるスカーレット・ヨハンソンが、先日、自身の主演映画『ブラック・ウィドウ』をめぐり、ディズニーを提訴したというニュースがありました。
今回の提訴は、Disney+(ディズニープラス)を中心とした同社の今後の戦略にも影響を及ぼす可能性のある、重要なケースとなるかもしれません。
同時配信でインセンティブが激減したと主張
(C)Marvel Studios 2021
スカーレット・ヨハンソンの訴えの内容は、映画『ブラック・ウィドウ』が劇場公開と同時にDisney+でオンライン配信されたことが契約違反だというもの。ヨハンソンの出演料は、劇場での興行成績に基づくインセンティブが大部分を占めており、映画館での封切と同時にオンライン配信をされたことで、受け取れる出演料が激減したということです。
ディズニーが、本作を劇場公開と同時にオンライン配信に踏み切った背景は、当然新型コロナウイルスの世界的大流行があります。映画館が長期間休業を余儀なくされ、ハリウッド各社はオンライン配信へと傾注することで、この危機を乗り越えようとしました。
ディズニーはこの機会に、Netflixなど先行する動画配信プラットフォーム追随すべく、2019年11月に開始したDisney+の利用者拡大を考え、『ムーラン』などの新作を同プラットフォームで封切ることにします。
そうした時流に不安を覚えたヨハンソン陣営は、インセンティブ内容に関する新たな話し合いの場を設けるようディズニーに要請していたようですが、再交渉の呼びかけに反応しなかったと報道されています。
ヨハンソン陣営は、このオンライン同時配信よる損失は、5000万ドル(約55億円)ほどになると主張。ディズニー側は、Disney+のプレミアム配信によって、これまでにヨハンソンが受け取った2000万ドルに加えて「追加報酬を獲得する能力が大幅に向上」していると反論しています。
業界内外でヨハンソン支持が広がる
(C)Marvel Studios 2021
この訴訟はディズニーにとって逆風になるかもしれません。ヨハンソンを支持する声が業界やSNS上で広がっています。
マーベル・スタジオ社長兼マーベル・チーフ・クリエイティブ・オフィサーのケヴィン・ファイギは、今回のディズニーの対応について不満を持ち、ヨハンソンを支持していると報道されています。
Twitter上では「#TeamScarlett」というハッシュタグが登場。ヨハンソンへの支持が広がり、アレック・ボールドウィンなどの有名俳優もこのハッシュタグで彼女を支持しています。
今回の訴訟は、他のスターたちを勇気づけ、後に続く者が出てくるのではと英語圏のメディアは相次いで指摘しています。『クルエラ』のエマ・ストーンが同様の訴訟を行うのではというニュースも入ってきており、ディズニーが、コロナ禍に乗じてディズニープラスの拡大を急速に推し進める流れに対して、ブレーキがかかるかもしれません。
配信とスターのインセンティブ
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今回の訴訟の背景には、コロナの感染拡大による映画館と配信のパワーバランスが大きく変化したことがあります。しかし、コロナがなくても遅かれ早かれこうした問題に直面したでしょう。
ハリウッドスターの中には、ヨハンソンのように興行成績に応じたインセンティブを主な出演料とする俳優はかなり多く存在します。例えば、トム・クルーズは『宇宙戦争』の時は固定のギャランティは受け取らず、興行成績の10%をもらう契約を交わしたそうです。(参照)
大ヒットが見込める作品に出演する場合は、固定の金額よりもこうしたインセンティブのマージンを受け取る方が結果として高い金額になることが多く、大ヒット確実なマーベル映画シリーズであれば、インセンティブの方が高くなることが多いでしょう。
ヨハンソン陣営が計算した5000万ドルの損失というのも、あながち的外れな数字ではないでしょう。北米市場で『ブラック・ウィドウ』は初週こそ大ヒットを記録していますが、2週目には67%の成績ダウンとなっており、これに配信が影響していないとは考えにくいでしょう。ちなみに、ディズニーはDisney+の2週目以降の数字は公表していません。
それでは、オンライン配信時にも同様のインセンティブ契約を結べばいいのではないかと考える人は多いでしょう。しかし、近年の動画配信の主流は定額の見放題プランです。この料金体系の場合、どんなインセンティブ契約が可能なのでしょうか。(注:『ブラック・ウィドウ』の配信は追加で30ドル支払うプレミアムプランで提供されたため、見放題ではありません。以下の話は主流の定額配信の一般論として記述します)
–{定額配信サービスはブラックボックス}–
定額配信サービスはブラックボックス
アメリカの俳優組合SAGに所属するShiro KawaiさんがQuoraで質問に答えていますが、Netflixの作品の場合は、制作予算に応じてインセンティブの支払い上限が決まっており、再生回数などでロイヤリティが上下することはないようです。
Netflixはあらかじめ見放題プランで配信するので、成績に応じたインセンティブを計算がしにくい性質です。基本的には固定のギャランティをベースにもらって、あとはShiroさんのいうような基本マージンが発生するということになるのでしょう。
しかし、そもそも配信の場合、儲けや利益をどう計算すればいいのか不透明な部分が多いです。なぜなら、作品がどれだけ見られたのか、また新規契約の増加や既存会員の繋ぎ止めなど、利益にどの程度貢献したのかを計算しようにも公的なデータがないからです。
このことは、タレントエージェントや契約をまとめる弁護士たちの頭を悩ませています。NYタイムスは、NetflixやAmazon、Disney+のようは配信業者は、自社の数字を非常に厳密に保護しており、どの作品がどれだけ視聴されているかのデータは、共有されたとしても大変限定的だと指摘しています。
例えばテレビの場合、ニールセンやビデオリサーチのような第三者機関が視聴率を調査しています。これは広告取引をするにあたり、より信頼できる数字が必要なためです。もし、テレビ局自身が視聴率を調査して、その数字を元に広告取引は行われるような仕組みだった場合、テレビ局は数字を盛り放題ですよね。映画館の興行成績も日本なら興行通信社のような、第三者機関がまとめていることが多いです。
そのような客観的な数値は、広告取引以外にもタレントの価値を測ることにも用いられるでしょう。配信サイトの場合、客観的に取引に用いることのできそうな指標がまだ存在していません。このことが、エンタメ産業の弁護士たちの頭を悩ませているようです。
NYの法律事務所の方は、インディーワイヤーの記事で配信の場合「配信プロジェクトの視聴率の統計がほとんど公表されていないため、プロジェクトがどれくらい価値があるのかを知ることすら難しい。すべてが機密で、すべてがブラックボックスの中にある」状態で交渉をしなければいけないと語っています。(筆者による意訳)
『ブラック・ウィドウ』のDisney+での売上は初週で6000万ドルだったと発表されています。しかし、これはディズニーによる発表であり、第三者機関による調査ではありません。別に嘘をついていないと思いますが、事実かどうかを証明する方法はありません。
ちなみに、ニールセンがストリーミングの視聴率計測モデルを開発・改良を進めていますが、それが客観的指標となるのかはまだわかりません。
新しい報酬モデルの確立を
アメリカのエンターテインメントWebサイト「バラエティ」の記事では、ハリウッドの伝統的な企業は相次いでストリーミング事業に進出しているが、それに合った新たな報酬モデルを確立できていない。コロナがその欠陥を露呈させた」と指摘しています。
つまり、ハリウッドは急速に配信事業へシフトしようとしているが、実態は俳優や監督などのクリエイターたちの権利がおざなりになっている可能性があるということです。
配信はもはや無視できないものですが、クリエイターの権利もまた無視してはなりません。もし、配信がスターや監督を不利にするものならば、その未来はそれほど明るくないかもしれません。なので、ハリウッド各社はまずはきちんと報酬制度と、透明性のある数字の好評するためのシステムを整備するべきなのではないでしょうか。スカーレット・ヨハンソンの起こしたアクションは、それをハリウッドに広く知らしめたという点で、非常に価値ある、勇気あるものだったと思います。
(文:杉本穂髙)