『カウラは忘れない』レビュー:「脱走という名の集団自決」カウラ事件が今の日本人に訴えかけるものとは?

ニューシネマ・アナリティクス

■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」SHORT

カウラ事件とは第2次世界大戦真っただ中の1944年8月5日、オーストラリア東部の田舎町カウラの第十二捕虜収容所で1104人に及ぶ日本軍捕虜が集団脱走を図り、日本人捕虜234人、オーストラリア監視兵4人が命を落とした事件のことです。

この事件をモチーフにした作品としては、かつて石田純一も出演したオーストラリアのTVミニシリーズ「カウラ大脱走」(86)や、最近では山﨑努や小泉孝太郎らが出演した日本のTVムービー「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった―カウラ捕虜収容所からの大脱走―」(08)、オーストラリア映画『WAR OF THE SUN カウラ事件―太陽への脱出―』(10/劇場未公開)などが映画ファンには知られるところ。

この事件の異様性は、アメリカ映画の名作『大脱走』(63)を代表として連合軍側の捕虜脱走が「脱走もまた兵士たちの立派なミッションである」とでもいった前向きな勇ましいものであったのとは真逆に、「脱走すれば敵に撃たれて戦死できる」といった、集団自決的思想に基づく日本人独自の驚愕的な深層心理に基づく脱走であったことに尽きるでしょう。

「生きて虜囚の辱めを受けず」なる日本軍隊独自の戦陣訓を徹底的に叩き込まれていた日本兵は、今更おめおめと帰国することもできないと思い込み、その大半は収容所内で偽名を用い、いかにして名誉の戦死を遂げるべきかを考えつつも、実際のところは自分らをちゃんと人間として扱う収容所内の環境で本来の人間性を取り戻していくことで生きる喜びも見出しており、そうした生と死のジレンマに悩み続けていたのです。

(先ごろリバイバル・ヒットした『戦場のメリークリスマス』でも、連合軍捕虜を統治する当時の日本軍の思想が如実に描かれています)

しかし、実は戦陣訓ができる前の日清&日露戦争のときから既に、日本国内では捕虜になった家の者が村八分に遭うなどの悪しき風潮があり、ひいてはこうした日本独自の深層心理がもたらした象徴的な悲劇がカウラ事件でした。

映画は前半部で事件のあらましなどを生存者の証言を交えながら解説していきますが、映画として興味深いのはむしろ後半、生存者のひとり立花誠一郎さんと地元の女子高校生たちとの交流や、彼女たちがカウラ事件70周年記念行事に出席したり、またそこで事件のあらましを再現した舞台を上演する日本人演劇団などを通して、西洋諸国とはあまりにも真逆すぎる日本人独自の集団心理などが次々と露にされていくところでしょう。

今の自分たちの生活からは想像もできないカウラ事件の真相に驚嘆しつつ、ひとりの少女が「日本の女の子はトイレに一緒に行くとか、その子の服が似合わないと思っても“可愛い”って言っちゃうでしょ」みたいなことを冗談交じりに漏らした瞬間、彼女たちもまた今なお日常の中に同調圧力がもたらされていることに気づかされます。

本作はそうした事件に携わる現代人ひとりひとりの些細な言動から見え隠れする日本人独自の深層心理を暴いていきつつ、そこからもたらされる悲劇が二度と起きないよう、祈りを込めて制作されていると捉えて間違いないでしょう。

監督は『戦場にかける橋』(57)のモデルにもなった、日本軍の泰麺鉄道建設に伴う連合軍捕虜虐待の実態を暴いたドキュメンタリー映画『クワイ河に虹をかけた男』(16)の満田康弘。

今回は脱走という名の集団自決の悲劇を通して、今なお同調圧力に支配されながら空気を読むことに必死な現代日本人に鋭く問題提起を成してくれているのでした。

そして『カウラ「を」忘れない』ではなく、『カウラ「は」忘れない』という、この違いが意味するものも、映画鑑賞後は多くの人が痛感と共に理解できることでしょう。

(文:増當竜也)

–{『カウラは忘れない』作品情報}–

『カウラは忘れない』作品情報

 【あらすじ】
太平洋戦争中の1944年8月5日、オーストラリア東部の田舎町カウラに設立された第十二捕虜収容所から1104人に及ぶ捕虜が集団脱走した。日本人捕虜234人、オーストラリア人の監視兵ら4人が命を落とした“カウラ事件”。だが、正確に言えばそれは“脱走”ではなく、日本人捕虜の目的は“死に行く”ことだった……。オーストラリア側の捕虜の待遇は、日本軍とは違い申し分なかった。食事はあり余るほどで、捕虜たちは麻雀や花札、演劇など様々な娯楽を楽しんでおり、中でも大きな楽しみの一つが野球だった。手製のバットやグローブを器用に作り、班対抗の試合なども行われていた。捕虜の間に階級の序列はなく、重要事項は全員の投票を経て42の班の代表からなる班長会議に諮られ、決定した。形式的には民主的な秩序が成立していたのだ。収容所で手厚い保護を受けた生活を送るうち、捕虜たちの間には生への執着が確実に芽生えていた。しかし、そんな安穏な日々の中でも捕虜たちの頭を絶えず離れないことがあった。「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」彼らを絶望的な集団脱走へと向わせたのは、捕虜になることを恥とした東條英機陸相による「戦陣訓」に象徴される旧日本軍の方針だった。決起への是非を問う投票で、生への希望に抗いながら、実に8割がトイレットペーパーの投票用紙に「○」(脱走に賛成)と書いた。そして、8月5日の深夜、静寂を破るかのように突撃ラッパが収容所に響き渡る……。 

【基本情報】
監督:満田康弘

上映時間:96分

製作国:日本