『すべてが変わった日』レビュー|「掘り出し物」という言葉でももったいない秀作の理由

映画コラム

2021年8月6日より、『すべてが変わった日』が公開される。

本作は「『マン・オブ・スティール』(13)でも夫婦役だったダイアン・レインとケビン・コスナーが再共演している映画」以外の情報は、なるべく入れずに観るのがいいだろう。

なぜなら「思ってもみなかったほうに話が進む」内容であり、その「どこに連れて行かれるのかわからない」「まさかの事態に翻弄される」様こそが面白い作品だったのだから。そして、「小粒な作品」とたかを括っている人にこそ観てほしい。劇場で堪能するべき、役者・演出・脚本など全方位的にハイクオリティな一本だったのだ。ここでは、その面白さを削がないように、ごく短く魅力を紹介しよう。

1963年のモンタナ州の牧場で、元保安官のジョージは家族と共に幸せに暮らしていたが、ある日息子が落馬して命を落としてしまう。それから3年後、息子の妻(つまり義理の娘)が若者と再婚するのだが、ジョージと妻のマーガレットはその若者が幼い孫に暴力をふるっている事実を知ったため、車に乗り込み救出の旅に出る……というのがあらすじだ。

まず、本作は義理の娘と孫を救う旅に出る「ロードムービー」なのだ。美しい自然の風景はどこか「西部劇」風でもあるし、後半はさらにジャンルそのものが変わっていくような印象を受ける。それでいて、「義理の娘と孫を救う」という強いストーリーの軸があるため、わかりやすく、のめり込みやすい内容にもなっている。

そして、劇中では(PG12指定されるだけの)暴力による事件が起こる。その暴力に飲み込まれてしまうのか、または命からがら逃げるのか、または戦うのか。その過程はハラハラドキドキの「サスペンス」にもなっている。特に終盤の展開には、手に汗を握る方が多いだろう。

義理の娘を演じたケイリー・カーターは「ストーリーの全体を流れるテーマとは、家族、女家長制度と血統、人間が代々受け継いでいるものだと思います」と、そして「暴力やトラウマの連鎖が起こり、いろいろな人間関係でこの負の連鎖が繰り返されています」と語っている。まさにその通り、劇中では人間の社会および歴史が描かれていると同時に、その「暗部」も示されている。だからこそ、主人公夫婦の「絶対に大切な人を救う」という固い決意が、相対的に尊く力強いものとして際立っている。

また、夫婦は旅の途中で、辺境の地に住む孤独な若者と出会う。トーマス・ベズーチャ監督によると、この若者の生い立ちは米国の恥ずべき歴史を示しており、それは「多くの部族のネイティブアメリカンの子どもたちが、寄宿学校に送られ言語と文化を放棄して“文明的な”市民になるよう過酷な教育を受けていた」というものだったのだとか。さらに、彼には「亡くした息子に似ている」「一種の幽霊」という含みも持たせているのだそうだ。

このように、エンターテイメントとして面白いだけでなく、アメリカの社会、ひいては人間の歴史の暗部のメタファーも込められている『すべてが変わった日』は、「掘り出し物」という言葉でももったいない秀作だ。邦題も良いが、原題の「Let Him Go」はとても示唆に富むものであり、その意味は観終わってからわかるだろう。

(文:ヒナタカ)

–{『すべてが変わった日』作品情報}–

『すべてが変わった日』作品情報

【あらすじ】
1963年、モンタナ州の牧場。元保安官のジョージ・ブラックリッジと妻のマーガレットは、落馬の事故で息子のジェームズを失う。3年後、未亡人として幼い息子のジミーを育てていた義理の娘のローナが、ドニー・ウィボーイと再婚。暴力的なドニーがローナとジミーを連れてノースダコタ州の実家に引っ越したと知ったマーガレットは、義理の娘と孫を取り戻すことを決意する。しかしジョージとマーガレットを待ち受けていたのは、暴力と支配欲ですべてを仕切る異様な女家長、ブランシュ・ウィボーイだった……。 

【予告編】

【基本情報】
出演:ダイアン・レイン/ケビン・コスナー/ケイリー・カーター/レスリー・マンヴィル/ウィル・ブリテン/ジェフリー・ドノヴァン/ブーブー・スチュワート

監督・脚本:トーマス・ベズーチャ

原作:ラリー・ワトソン