<ひきこもり先生>最終回まで全話の解説/考察/感想まとめ【※ネタバレあり】

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佐藤二朗が中学校の教師を演じる「ひきこもり先生」が2021年6月12日より放送開始となった。 本作で佐藤が演じるのは11年間のひきこもりを経験した後、公立中学の不登校生徒が集まるクラスの非常勤講師となる上嶋陽平。 cinemas PLUSでは毎話公式ライターが感想を記しているが、本記事ではそれらの記事を集約。1記事で全話の感想を読むことができる。

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もくじ

・第1話ストーリー&レビュー

・第2話ストーリー&レビュー

・第3話ストーリー&レビュー

・第4話ストーリー&レビュー

・第5話ストーリー&レビュー

・「ひきこもり先生」作品情報

第1話ストーリー&レビュー

第1話ストーリー

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「はじまりの一歩」

上嶋陽平(佐藤二朗)は、客と話をしない、サービスもしないという一風変わった焼鳥屋の店主。そんな陽平が、市立中学校の非常勤講師を依頼される。不登校生徒を支援する学級の人手不足を解消するために、榊校長(高橋克典)が白羽の矢を立てたのだ。榊はスクールソーシャルワーカーの磯崎藍子(鈴木保奈美)とともに説得するが、陽平は固辞。しかし、不登校児・奈々(鈴木梨央)と出会い、関わるうちに少しずつ心を開いていく。

第1話レビュー

元暴走族の弁護士が主人公の「ドラゴン桜」、ケンカ最強の元ヤンキーが主人公の「GTO」、同じくケンカ最強でヤクザ一家のお嬢が主人公の「ごくせん」、メカに強いだけでなく身体能力も高い主人公の「3年A組 今から皆さんは、人質です」など、人気の教師ドラマの主人公は何らかのチート能力を持っていることが多い。

だけど、この「ひきこもり先生」の主人公、上嶋陽平(佐藤二朗)は何ひとつチート能力を持っていない。11年間のひきこもり生活から脱したばかりで、まだ心の傷をひきずっている状態。チート能力どころか、マイナス要素のほうが多い彼が、中学校の非常勤講師になり、不登校の子どもたちに向き合っていくという物語だ。

なんといっても佐藤二朗の説得力に尽きる。主人の陽平は、他人とまともにコミュニケーションもできないし、焼き鳥を焼いてもマズいし、好きな花だって枯らしてしまう。なにより、大切な娘をひきこもりによって捨ててしまったことが大きな心の傷になっている男。何もかも不器用な彼が、歩道橋から飛び降りて命を断とうとする少女に向かって、涙と鼻水を垂らしながらかける言葉は、

「生きよう、生きよう、生きよう、生きよう、生きよう……生きよう」

50歳の大人なのに含蓄も何もないし、どうしようもなくカッコ悪い。でも、だからこそ人の胸を打つ。陽平の取り柄といえば「生きる、ただそれだけ」。だけど、それがもっとも大切なことだって知っている。ひきこもりを経験したからこそ、わかることがある。そんな人物を、佐藤二朗は全身全霊で表現している。

陽平と不登校の少女・堀田奈々(鈴木梨央)が出会うきっかけになった楽曲はアイドルグループ、GANG PARADEのもの。奈々の部屋にはポスターも貼ってあった。偶然二人が口ずさんでいたのが「Close your eyes」。「朝の光浴びて目を覚ます いつも同じ状況さ」という歌い出しの歌詞は、まさにひきこもりのことを歌っているかのよう。

二人が心を通わせる場面で流れるのは「ブランニューパレード」。「何度も生き返るのです こう見えて苦労人なんです」という歌詞やサビの「僕らの青春 命がけさ 苦労も栄養 飛び出すぞ!」という部分が印象的。GANG PARADEはメンバーの何人かが引きこもり経験者だと告白している。シリアスなトーンのドラマだが(奈々の母親を演じた嘉門洋子のリアリティが凄まじかった)、どこかポップな印象があるのは、こうした挿入歌の効果もあるのだろう。

「誰だって、ひとつやふたつ、誰にも話せない過去ぐらいあるわよ。でもね、あなたは大人、私も大人。そういうの全部、過去のもの。子どもたちは今、苦しんでる。子どもたちは今、助けを求めてる。不登校の問題は、命の問題なの」

これはスクールカウンセラー・磯崎藍子(鈴木保奈美)が非常勤講師になるのをためらう陽平にかけた言葉。今、苦しんでいる大人だって大勢いることはわかった上で、大人は子どもを守ってやらなければいけないことを訴え、大人が子どもにしてやれることは何かと問いかけている。大人が子どもに「生きよう」と言うこと。これがドラマ全体を貫くテーマなんだと思う。

佐藤二朗は本作に関して、こんなことをツイートしていた。



第2話以降、陽平は本格的に子どもたちの問題に向きあっていく。苦しんでいる子どもを助けることは、彼自身を助けることでもある。どんな展開が待っているのだろうか。

※この記事は「ひきこもり先生」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第2話ストーリー&レビュー}–

第2話ストーリー&レビュー

第2話ストーリー

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「ようこそ!STEP(ステップ)ルームへ」

上嶋陽平(佐藤二朗)が中学校に通い始めた初日、不登校生徒の坂本征二がおにぎりを万引きしたという連絡が学校に入る。征二は無職の父・征一(村上淳)と二人暮らしで、深刻な貧困状態にあった。スクールソーシャルワーカーの藍子(鈴木保奈美)は生活保護の申請を勧めるが、征一は頑として受け付けず、別居中の母・ユキ(内山理名)も家に戻る素振りはない。陽平は、希望を失いかけている征二を連れて、ユキの職場を訪ねていく。

第2話レビュー

第2話も、お腹の下あたりにドスンと響き、やがてタイトルバックのように一瞬の晴れ間がのぞくような、濃密なエピソードだった。

ひきこもり生活を11年経験してきた上嶋陽平(佐藤二朗)が、中学校の不登校児を集めた「STEPルーム」の非常勤講師に就任する。教室から逃げようとして、STEPルームの担任教師、深野祥子(佐久間由衣)に襟をつままれて子猫のように連れ戻されるのが可愛らしい。

陽平がSTEPルームで最初に直面したのは、深刻な貧困にあえぎ、コンビニでおにぎりを万引きしてしまった生徒、坂本征二(南出凌嘉)のこと。

彼の父親、征一(村上淳)は事故で仕事を失い、うつ状態になってひきこもりになっていた。セルフネグレクト状態の征一は、生活保護の申請を進められても頑なに拒絶。家を飛び出した母親、ユキ(内山理名)も帰宅を拒否していた。両親が養育義務を放棄しているのだ。

スクールソーシャルケースワーカーの磯崎藍子(鈴木保奈美)は苦悩する。彼女は「親であること」の重さ、大切さを征一とユキに訴えかけるが、まったく届かない。征二には「お父さんは悪くない!」と突き飛ばされ、ユキには子どもを産んだことがないことを見抜かれて「母親ってものがわかってない」とせせら笑われる。

「私は子どもいません、子ども産んでません。産んでみたかった……。育ててみたかった……。もっと大事にしろよ、自分の産んだ子ども!」

ビールをジョッキであおり、陽平に「強いですね」と言われて藍子は「好きなだけよ」と返すが、これはダブルミーニング。彼女は「子どもを守る」強い使命感があり、今の仕事が好きで仕方がないのだろう。しかし、藍子のきれいごとは、ユキが訴える母親と生活のリアリティに通じない。藍子は自分の無力さにひとり涙を流す。大人だって悩んでいる。それでも、子どもを守らなければいけないのだ。

かつては時代のヒロインを演じていた鈴木保奈美が、この作品では芯が強くて気のいいおばちゃんにしか見えないのが素晴らしい。風俗で働く母親を演じる内山理名の変貌ぶりも凄まじかった。征二役の南出凌嘉は「姉ちゃんの恋人」に続いて好演。これからますますすごい役者になっていくだろう。

一方、陽平は「食べること」と「好きなこと」が気になっていた。前者は生きることそのもの、後者は心の健康に大きく関わってくる。いわば、人間の核にあたるものだ。

人間、生きていれば腹が減る。でも、辛いことがあると、食べることを拒絶するようになる。征一は征二が持ってきたサンドウィッチを振り払ってしまったし、藍子も悩んでいるときは焼き鳥を口にしなかった。征二がオムライスや陽平が持参した焼きとり弁当を頬張るのは、彼の心がまだそれほど病んでいない証拠でもある。

征二は父親が好きなおにぎりの具を知っていたし、母親が毎日持たせてくれていた弁当を「世界中で一番おいしい」と思っていた。食べることは生きることだ。親子は一緒に同じものを食べて生きてきた。陽平は別れてしまった子どもが好きなおにぎりの具を知らない。だけど、愛情の深い母親(白石加代子)はいつも食事の心配をしてくれる。だからこそ、征二たち親子の深い結びつきがわかるのだ。

「こわさないでください。子どもを……子どもを、子どもを手放したら、ダメです!」

征一の前で、指を組んで這いつくばる陽平の姿は祈るようでもある。続けて、陽平は征二とともにユキを訪れる。征二に持たせた家族の思い出の花、白いトルコキキョウの花言葉は「思いやり」。平穏だった頃の家族は、お互いの思いやりを忘れていなかった。征二の気持ちと陽平の愚直さが、頑なだった大人たちの壁に少しヒビを入れる。

次に征二自身の心のケアだ。STEPルームの担任、祥子は「好きなこととか、それをきっかけに一歩、踏み出せることもあります」と陽平に教える。陽平も大好きな花の世話をするために学校に通っていたから、好きなことの大事さはよくわかっている。第1話で堀田奈々(鈴木梨央)の心を開いたきっかけになったのも、彼女が大好きなアイドルグループ、GANG PAREDEの曲だった。

陸上部だった征二の「好きなこと」は「走ること」。どう見ても走るのが苦手そうな陽平だが、征二とともに何度も走る。スニーカーを買い揃えて、みっともない姿で走る。

「走れ、走れ、走れーっ!」

そう叫んで、青息吐息の陽平はグッと征二の背中を押す。子どもの背を押すのが大人の役割だ。好きなことを取り戻した征二は、陽平と抱き合って笑う。まだまだ現実的に解決しなければいけない問題はたくさんあるが、彼はもう大丈夫、そんなことを確信させてくれるような笑顔だった。

第3話の予告では、また胸が押し潰されるようなシーンが展開していた。陽平は過酷ないじめの問題にどう立ち向かうのだろうか?

※この記事は「ひきこもり先生」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第3話ストーリー&レビュー}–

第3話ストーリー&レビュー

第3話ストーリー

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「いじめの法則」

元ひきこもりの陽平(佐藤二朗)が中学校の不登校クラスの先生になったことが話題になり新聞でも紹介される。まだ学校に慣れない陽平は、ひきこもり仲間の依田(玉置玲央)に叱咤(しった)激励される日々。そんな中学校の花壇が何者かに荒らされる。それは生き物係の和斗をいじめているグループの仕業だった。陽平は和斗を守ろうと不登校クラスに誘うが和斗はかつて同じクラスだった奈々と目が合った途端、教室を飛び出してしまう。

第3話レビュー

「苦しいときは学校なんか来なくていい!」

「苦しかったら、学校なんか、来なくていいんだ! 苦しかったら、苦しいときは……学校なんか来なくていいんだ」

佐藤二朗演じる上嶋陽平が絞り出すようにして叫んだ言葉で思わず涙腺が緩んでしまった「ひきこもり先生」第3話。タイトルは「いじめの法則」。重いテーマだ。

11年間のひきこもり生活から脱した陽平が非常勤講師として勤める中学には、あちこちにいじめがあった。きっかけはさまざま。不登校児が通うSTEPルームの松山ちひろ(住田萌乃)は、友達からのメッセージに返信しなかっただけでいじめの標的にされていた。

スクールカウンセラーの磯崎藍子(鈴木保奈美)は「スクールカースト」の存在を指摘する。カースト上位の生徒が下位の生徒をいじめる。しかし、上位の生徒はいついじめられる側にまわるかわからない。いつも花壇にいる伊藤和斗(二宮慶多)は、カースト上位の奥山博喜(中川翼)に指示されて堀田奈々(鈴木梨央)をいじめていたが、奈々が不登校になってからは苛烈ないじめを受ける側になっていた。

和斗は不登校児ではない。毎日欠かさず学校へ行く。だが、教室には居場所がなく、いつも花壇にいる。学校に居場所がない。家にいることもできない。そんなの苦しいに決まっている。さらに追い打ちをかけるように、いじめがある。いじめは人の心を殺す。

磯崎はもうひとつ重要な問題を指摘していた。スクールカーストによるいじめを見て見ぬふりをするどころか、カースト上位の子どもを上手く使って学級運営に利用する教師がいるというのだ。和斗のクラスの担任・田代(佐野泰臣)がそうだ。

表向きは優等生なのに裏でいじめを行っている物語といえば、「3年B組金八先生」の第5シリーズを思い出す人もいるかもしれない。風間俊介演じる優等生がクラスでいじめや暴力を扇動し続けるショッキングなストーリーだった。金八先生の息子で、いじめを見て見ぬふりしなかった生徒として出演していたのが佐野泰臣である。このあたりは意識されたキャスティングなのかもしれない。

陽平にできるのは、見て見ぬふりをしないことだけだ。花壇に散らばった和斗の教科書を一緒に拾いながら、絞り出したのが冒頭の言葉だった。「学校なんか、来なくたっていいんだ!」という言葉は、子どもたちにひたすら生き抜いてほしいという強い願いの表れである。学校に来て死にたくなるのなら、そんな場所になんか来なくていい。陽平の言葉は、聞いていた子どもたちの心を揺らす。いじめの被害に遭っている子ども、居場所を失っている子どもは和斗だけではない。

しかし、いじめを告発しようとする陽平に、校長の榊(高橋克典)が立ちはだかる。「不登校はゼロにする。いじめはあってはならない。これ、うちの学校の方針だから」と言って憚らない榊は、いじめを人間関係の問題として処理しようとする。和斗の心が踏みにじられるのを見て、陽平は呻くしかない。

チーフ演出の西谷真一は「ひきこもり先生」が他の学園ドラマと大きく異なる点として、「エネルギーを失った日本を描いている点」だと答えている(スタッフブログ 6月24日)。金八先生はエネルギー全開で問題にぶつかり、生徒にも親にも熱く説教をして改心させ、子どもたちはエネルギーを取り戻した(第5シリーズは生徒全員でソーラン節を踊って大団円になる)。エネルギーがまだ満ちていた時代だった。しかし、今はそうではない。大人も子どもも疲れ果てている。

陽平は愚直に、子どもたちに「消えていい人間なんかいない」と語りかける。意識しているかどうかはわからないが、自分が子どもたちの居場所であろうとしているようにも見える。しかし、第4話では大人たちの論理によって、さらに苦しい立場に追い込まれそうだ。

重い展開の第3話の中で、一筋の光明のようだったのが、ひきこもり歴21年のヨーダ君こと依田浩二(玉置玲央)をめぐるエピソードだった。モニター越しには超然としているのに、学校で働くようになった陽平と対面すると挙動不審になってしまう彼が、自分の意志で家を出るようになった。行き先は家からずいぶん離れたコンビニ。そこで働く店員のビック(フォンチー)に思いを寄せているようだ。彼女から手渡しでおつりを受け取っただけで、生きる喜びを全身で表すように自転車で疾駆するヨーダ君。恋愛がひきこもりから脱するきっかけになるのかもしれない。

※この記事は「ひきこもり先生」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第4話ストーリー&レビュー}–

第4話ストーリー&レビュー

第4話ストーリー

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「戦場」

同級生にいじめられて登校するのが辛くなった生徒に陽平(佐藤二朗)が言った「無理して学校に来なくていい」という言葉が波紋を呼び、学校を休む生徒が続出。いじめゼロ、不登校ゼロを方針に掲げる榊校長(高橋克典)は、教育委員会の聞き取り調査を受ける陽平に「この学校にはいじめがない」と証言するように迫る。生徒の将来のためと説得された陽平は、教育委員会にうそをついてしまい、それを苦に再び家にひきこもってしまう。

第4話レビュー

すさまじかった。再びひきこもりになってしまった佐藤二朗の芝居。物を投げ、戸棚を倒し、紙くずを口の中に入れ、何度も何度も咆哮する。自分への怒り、嫌悪、悲しみ、絶望が全身から伝わってくる。まるで『ゴジラVSコング』のゴジラのよう。

「ひきこもり先生」第4話のタイトルは「戦場」。11年のひきこもりを経て非常勤の教師になった上嶋陽平(佐藤)にとって学校は、ありったけの覚悟を決めて赴く「戦場」だった。同時に、子どもたちにとっても学校は「戦場」である。やらなければやられる陰惨ないじめ、暴力、不安定な人間関係、大人たちの無関心、横暴、忖度と圧力。

繊細な感受性と優しい心の持つ人にとって、学校は戦場だ。こんな場所を平気で生き抜いていけるのは、心のどこかを意図的に殺している人なのかもしれない。 第4話では、校長の榊(高橋克典)のモンスターぶりが際立っていた。「いじめゼロ、不登校ゼロ」という目標は、すべて「教育長になる」という己の野心のため。子どもの気持ちを無視し、周囲の大人にはあからさまな忖度を要求する。

「苦しいときは学校なんか来なくていい!」と叫んだ陽平の言葉の救われた生徒たちが何人もいたが、榊はそれを問題視する。彼にとって大事なのは表向きの数字のみ。榊は陽平を呼び出して説得し、教育委員会の指導室長(室井滋)の前で「いじめはありません」と嘘を言わせることに成功する。

陽平が嘘をついたのは、学校や榊の都合のためでなく、それが子どもたちのためだと思ったからだった。だが、榊は徹頭徹尾、自分の保身と出世のために嘘をつかせようとしていた。かつて榊は「学校は社会の縮図」と言っていたが、こんな人間がトップにいる社会なら腐るのも当然だし、「気持ち悪い」と思われるのも当たり前である。

嘘をついてしまった陽平は自己嫌悪に陥り、一人娘のゆい(喜多川ゆい)との再会もうまくいかず、体調に異変を来たして部屋にひきこもってしまう。

佐藤二朗と同様に、すさまじい芝居を見せていたのが、ひきこもり仲間の依田浩二を演じる玉置玲央だった。コンビニ店員(フォンチー)に恋心を抱いた依田は、社会に出ることを決意するが、その場で倒れてしまう。依田はすい臓を蝕まれていた。余命は半年。彼はひきこもってしまった陽平の部屋を訪れて自分の病状を告げ、これまで認めてこなかった陽平のことを讃える。

「上嶋氏、すごいよ。本当に。……ひきこもりが先生なんてさぁ! 上嶋氏、時間があるじゃない」

真っ黒だった依田が透きとおって見えたし、それを受ける陽平の慟哭はまるで親を亡くしたゴリラのようだった。どっちもすごい演技だった。

これまで無力感に苛まれてばかりいた新人教師の深野祥子(佐久間由衣)が一念発起してSTEPルームの子どもたちに大人たちの欺瞞と陽平の真意を伝え、それが子どもたちによる陽平の励ましを生むクライマックスは、少々現実離れしているようにも見えたが、やっぱり胸が熱くなったよ。

依田と子どもたちの励ましを受け、再び陽平は戦場へと向かう。大仰に迎える榊に対する言葉は、彼なりに覚悟を決めた宣戦布告のようでもあった。

「無理をします。しなくちゃいけないんです。僕はもう、逃げません。僕は子どもたちのために戻ってきます。学校を、子どもたちが安心していられる場所にしたいんです」

次回のタイトルは「できる、できる、できる」。陽平は学校をどう変えていくのだろうか。

※この記事は「ひきこもり先生」の各話を1つにまとめたものです。

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–{第5話ストーリー&レビュー}–

第5話ストーリー&レビュー

第5話ストーリー

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「できる、できる、できる」

ひきこもっていた陽平(佐藤二朗)は、不登校クラスの生徒たちの励ましで学校に復帰する。陽平は梅谷中学校を本当のことが言える学校に変えようと奮闘するが、いじめが発覚することを恐れる榊校長(高橋克典)は陽平に圧力をかける。卒業式が近づき、不登校クラスの生徒たちは、不登校クラス独自の卒業式をやりたいと祥子(佐久間由衣)に訴える。その矢先に、コロナの影響で全国一斉休校の要請があり、校長は決断を迫られる。

第5話レビュー

佐藤二朗主演のドラマ「ひきこもり先生」が最終回を迎えた。全5話。ちょっと短すぎるんじゃないのか。どうせなら10話、いや、かつての「3年B組金八先生」のように20話ぐらいかけて、ひきこもり先生の奮闘ぶりを見ていたいと思っていた。

だけど、観終わった後、これでよかったと思った。実に濃密な最終回だったのだ。深くて、広がりがあって、熱があって、救いがあった。

最終話。生きづらさを感じていた生徒たち一人ひとりへのケアは、かなり進んでいた。徹底的に子どもたちの味方になり、守ってやり、話を聞く。それを丁寧に繰り返す。いつしか生徒たちの凍てついた心は溶けていき、孤独からも解放されていく。STEPルームには不登校の生徒たちが集まるようになり、和気あいあいとした空気ができあがっていた。

陽平(佐藤二朗)は、他にも困っている生徒がいるんじゃないかと立ち上がり、「味方」と描いた板をまとって校門の前に立ちはじめた。愚直だ。陽平が何か行動しようとすると、必ずどこかにけつまずくのは、何事もスムーズに運ばないことを象徴している。だけど彼は蹴躓いたぐらいでは諦めたりしない。

一方、「いじめゼロ、不登校ゼロ」を掲げる校長の榊(高橋克典)は、教師たちに忖度を求めて学校内でのいじめや不登校をなかったものにする。忖度によって「あったものをなかったことにする」のは現代の社会と同じ構図である。 榊は生徒たちに「制度」の大切さについて語る。社会には制度があり、社会で生きていくためには自分を制度に合わせていかなければいけない。学校はそのための練習の場である、と。そして、制度に自分を合わせられない人間、社会の枠組みからこぼれ落ちてしまう人間は、周囲の大切な人たちを悲しませることになる。落伍者である。榊は名前を出さずとも、生徒たちは誰もが陽平の話だとわかる。STEPルームで落ち込む陽平の前に、生徒たちが「味方」という看板を持って迫ってくるシーンは目頭が熱くなる。

榊による呪縛を解くためのヒントを与えたのは、STEPルームに話にやってきた依田浩二(玉置玲央)だった。依田は榊の欺瞞を指摘し、自分は自由だと生徒たちの前で叫ぶ。だが、それが彼の本心というわけではない。突っ伏して「俺だって、何かできたはずなんだ」と嗚咽する。だけど、彼の語った言葉は、生徒たちの行動のトリガーになる。

卒業式の季節がやってきた。STEPルームの生徒たちの前で、陽平はそれぞれのクラスに戻って卒業式を迎えてもいいんじゃないかと提案する。どうしても辛ければ逃げればいい。学校だって来なくていい。陽平はずっとそう言ってきたし、子どもたちは陽平の言葉で救われてきた。でも、と陽平は言う。

「でも、逃げたまま、ずっと生きていくわけにはいかない。だから、ほんのちょっとだけ、ほんの一歩だけ、STEPルームから出て、みんなと……っ……みんなと一緒の卒業式に、出てみてほしいんだ」

人は変わることができる。陽平は変わった。新人教師の祥子(佐久間由衣)も変わった。生徒たちも変わった。ならば、もう一歩、踏み出してもいいんじゃないだろうか。一歩踏み出すのは生徒たちだけじゃない。陽平は娘のゆい(吉田美佳子)と再会し、和解する。「もう自分のことを許していいから」と言うゆいと、彼女の手をとる陽平の姿は、美しい陽射しと音楽もあいまって、何か宗教画のようにも見えた。これが本編のラストカットだったというが、よくもまぁ、こんな美しい絵が撮れたものだ。

いつも陽平を見守ってきた母親・美津子(白石加代子)との短いシーンも忘れがたい。美津子は陽平の存在を全肯定する。これが、親が子にできる最大で最良のことなのかもしれない。「僕も、母さんの息子で、良かったよ」という陽平の言葉は、全編を通してもっとも淀みなく語られていた。人は誰かとつながっているから、生きていられるんだなぁ。

年度末、新型コロナウイルスがやってくる。リアルだ。有無も言わさず政府は学校の一斉休校を決めたことは記憶に新しい。教師も教育委員会たちも大混乱のままだった。

子どもたちを苦しめているのは、社会の歪みだ。不登校、ひきこもり、どちらも当事者だけの問題ではない。脚本を担当した梶本惠美は、「私が取材した実感では、ひきこもりの問題と言うのは当事者の問題ではなくて、やっぱり社会の問題だし、不登校もそう。学校だったり、教育だったり、社会の問題であるというのがはっきりとわかってきました」と明言している(公式サイト)。大人たちの歪み、制度の歪み、教育の歪みが、子どもたちに行き場を失わせ、心を踏みにじっている。

それが象徴的に表されているのが榊という存在だった。スクールカウンセラーの磯崎(鈴木保奈美)が「子どもたちの苦しみの根っこを取り除きたいんです」と言って榊のことを告発するのは、少しでも歪みを正そうという決意の表れ。コロナ禍でも、社会と大人たちの歪みの「しわ寄せ」が子どもたちに押し寄せる。学校に行け、と言っていたはずの大人は、学校に来るな、と言う。

STEPルームの生徒たちは閉ざされた学校を訪れ、自分たちだけで卒業式を行おうとする。陽平、磯崎、祥子の3人はそれを離れて見守っている。大人たちは味方になり、話を聞き、あとは見守ってやって、「手伝って」と言われたときにだけ、手伝ってやればいい。

やがて閉ざされた校門を挟んで榊をはじめとする教師たちと向かい合うが、陽平は「もう諦めるのをやめませんか」と訴え、校門は開き、生徒たちはあれだけ嫌っていたはずの学校に入っていき、校庭に手足を投げ出す。陽平も、磯崎も、榊も一緒だった。

ドラマが訴えていたのは、一貫して「生きよう」ということ。「人は変われる」「大人は子どもを守る」「しんどかったら逃げよう」「そこにいてもいい」「一歩踏み出そう」「諦めるのをやめよう」……。たくさんの「きれいごと」を「どうせきれいごとでしょ?」と言わずに「きれいごと」として繊細に、だけど力強く伝えてくれた。

子どもたちの前で大人たちはどう振る舞えばいいのか、生きづらさを感じている大人たちはどうすればいいのか、現実との大きな矛盾をどうすれば乗り越えられるのか。それぞれ難しいテーマにも、逃げずに正々堂々と立ち向かっていたと思う。「ひきこもり先生」という作品に感謝したい。

(文:シネマズ編集部)

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「ひきこもり先生」作品情報

11年間のひきこもり生活を経験した主人公・上嶋陽平は、ひょんなことから公立中学校の非常勤講師となり、不登校の生徒が集まる特別クラス「STEPルーム」を受け持つことに。複雑な家庭環境、経済苦、クラスの中での居場所のなさ…一筋縄ではいかない中学生の心に深く分け入り悪戦苦闘! これは、新時代への不安と向き合いながら社会とのつながりを模索する大人と、子どもたちの物語。「生きていける場所」を求める日本人へのメッセージを送ります。

原案:菱田信也

脚本:梶本惠美

音楽:haruka nakamura

出演:佐藤二朗、鈴木保奈美、佐久間由衣、玉置玲央、半海一晃、鈴木梨央/室井滋、白石加代子、高橋克典 /村上淳、内山理名ほか

制作統括:城谷厚司(NHKエンタープライズ)、訓覇圭(NHK)

演出:西谷真一(NHKエンタープライズ)、石塚嘉(同)

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