昭和を壮麗に彩った名女優たちと富司純子、そして令和の新作『椿の庭』

映画コラム

現在放送中のNHK朝のテレビ小説「おちょやん」がいよいよクライマックスを迎えようとしていますが、この作品のヒロインのモデルは戦前戦後を通して昭和の名女優と謳われた浪花千栄子です。

令和の時代が始まって早2年が経とうとしていますが、そのふたつ前の年号となる昭和……。

それは日本映画にとってある種の黄金時代でありました。

そして当然ながら、そこには煌めくようなスターがいっぱい銀幕にお目見えしては観客を魅了し続けていたのです。

日本映画黄金時代を支えたスター女優たち

戦後の日本映画界は松竹、東宝、大映、新東宝、東映、日活といった映画会社が、毎週のように新作映画を全国の映画館に供給し続けていました。

インターネットどころか、まだテレビがお茶の間になかった時代、映画こそは娯楽の王者だったのです。

“大船調”と呼ばれる市井の機微を描くことに長けた松竹は、メロドラマも含む女性映画も得意としていました。

岡田茉莉子

そういったスキルを活かしながら、同社は戦前から大人気だった田中絹代や高峰三枝子などをはじめ、原節子、高峰秀子、淡島千景、桂木洋子、岸惠子、岡田茉莉子、倍賞千恵子、倍賞美津子、松坂慶子などなど、数えきれないほどのスターたちの主演映画を世に送り出していきました。

それに比べると東宝は、男女を問わずハイカラで上品かつスマートな作品が多く、それに即した現代的イメージのスターを多く育てあげていきました。

浜美枝

杉葉子、司葉子、新珠三千代、八千草薫、河内桃子、白川由美、水野久美、草笛光子、星由里子、団礼子、浜美枝、内藤洋子、酒井和歌子、鳥居恵子などなど。

全体的に下町の清楚なお嬢さん、妖艶ならば銀座高級クラブのホステスといったイメージを抱かせる女優が多く見られたのが特徴ともいえます

池内淳子

また戦後の東宝争議で新たに作られた映画会社・新東宝でも久保菜穂子、池内淳子、三ツ矢歌子、北沢典子、小畑絹子、三原葉子、高倉みゆきらが育てられていきます。

もっとも同社は当初の文藝路線が上手くいかず、次第にエログロ路線にスライドし、ついには1961年に倒産。お抱えのスターもスタッフも、その多くが他社へと流れて活躍していくことになりました。

創業1912年ながら1942年の戦時政策のあおりを受けて長らく製作部門を持たなかった日活は、1954年より映画製作を再開。

初期の模索を経て新人を多く登用する政策に転じたことで、同社は当時の若者たちの支持を得る初々しくも躍動感あふれる青春&アクション映画の宝庫と化していきます。

浅丘ルリ子

女優としては浅丘ルリ子、芦川いづみ、笹森礼子、筑波久子、吉永小百合、松原智恵子などなど。

1960年代以降の日本映画界斜陽を受けて、同社は1971年にロマンポルノ路線へシフトしますが、そこからも白川和子、宮下順子、風祭ゆき、美保純などがブレイクし、一般映画に進出していくようにもなりました。

大映は1942年の映画会社三社(日活・大都・新興キネマ)統合によって生まれた会社です。

中村玉緒

こちらは京マチ子、山本富士子、若尾文子、野添ひとみ、中村玉緒、藤村志保、安田(大楠)道代、渥美マリなど、アダルトな影とでもいった愁いのあるオーラを発するスターが男女ともに多くうかがえるのが特徴かもしれません。

こちらも1971年に倒産し、1974年に別体制で復活しますが、専属の俳優を擁することはなく活動を続け、2003年に解散。現在はKADOKAWAが同社の権利を継承しています。

大手の中で唯一戦後に創業を開始した新参会社の東映は、京都撮影所で制作していた時代劇が一世を風靡し、さらには1960年代以降は任侠映画へ路線をスライドしていったことで、どうしても男性スター中心の印象が強いです。

ただしその中で桜町浩子や丘さとみ、長谷川裕見子、大川恵子、花園ひろみなど着物姿が艶やかな女優たちも人気がありました。

また東京撮影所では現代劇を量産していたことで、中原ひとみなど庶民感覚のスターも輩出。1960年代になると一時期女性映画路線を敷いた時期もあり、そこから佐久間良子、三田佳子などがブレイクしていきました。

またこうした昭和の映画会社をフリーとして渡り歩き続け、今に至っている日本映画のレジェンドとも呼べる大女優・香川京子のような存在もいます。

(実際は原節子のように、戦後はフリーで各社の作品に出演するスターも多かったのです。高峰秀子も戦前の松竹子役時代、東宝での少女時代、戦後間もなくの新東宝時代を経て1951年からフリーで活動し続けていきました)

–{任侠映画スター藤純子から 邦画界のレジェンド富司純子へ}–

任侠映画スター藤純子から邦画界のレジェンド富司純子へ

さて、戦後の日本映画黄金時代は1960年代に入ってTVが一般家庭に浸透していったことから、一気に斜陽の時代へ突入していきます。

しかしその中で東映は時代劇から任侠映画へ路線をシフトしていくことで経営を保持。

そこから高倉健、鶴田浩二らが任侠スターとして熱い支持を得ていきますが、そうした傾向の中で女性を主人公とした任侠映画も作られるようになっていきました。

藤純子主演の『緋牡丹博徒』シリーズ(68~72)です。

藤純子は映画製作者・俊藤浩滋の愛娘で、1963年にマキノ雅弘監督にスカウトされて東映に所属し、映画デビュー。

当初は主人公の相手役的スタンスの10代の娘役が多かったものの、1967年、出演映画55本目の『尼寺㊙物語』で初主演を務め、その翌1968年、明治時代半ばの女侠客“緋牡丹のお竜”こと矢野竜子が諸国を旅しながら義理と人情を踏みにじる輩を成敗していく『緋牡丹博徒』シリーズの主演に抜擢されます。

これは当時の任侠映画ファンから喝采をもって迎え入れられ、大ヒット・シリーズとして全8作が制作。

藤純子としては、背中に掘った緋牡丹の刺青を見せるシーンが当時の若い女性として肌を見せる行為に対する抵抗感もあったようですが、そこを度胸をもってクリアし、堂々たるタンカと壮絶な殺陣、それでいて普段の凛とした美しい佇まいのギャップも大いに魅力的でした。

その後、彼女は『日本女侠伝』『女渡世人』など主演シリーズを連打していき、瞬く間に東映の屋台骨を背負う看板スターとして台頭していきます。

しかしNHK大河ドラマ「源義経」で共演した四代目尾上菊之助(現・七代目大江菊五郎)と結婚し、『関東緋桜一家』を最後に引退を表明。

以後、1974年より“寺島純子”の本名でフジテレビのワイドショー「3時のあなた」の司会を務めるなど、お茶の間で活躍。

そして1989年、富司純子(ふじすみこ)と芸名を改めて、高倉健主演映画『あ・うん』で女優として復帰したのでした。

以後の活躍は映画ファンならご承知の通り、1998年には『おもちゃ』で26年ぶりに東映映画に出演してその年の助演女優賞を多数受賞。また2006年の『フラガール』も絶賛されました。

老舗の映画雑誌「キネマ旬報」で2000年に組まれた「20世紀の映画スター・女優篇」で彼女は日本映画女優第10位、2014年度の同誌ムック「オールタイム・ベスト日本映画男優・女優」では日本女優第3位となっています。

まさに日本映画世界を代表するレジェンドとして、富司純子は常に美しく佇み続けているのでした。

–{『椿の庭』に見られる三世代の女優への讃歌}–

『椿の庭』に見られる三世代の女優への讃歌


©2020 “A Garden of Camellias” Film Partners

そんな富司純子が久々に主演した映画が『椿の庭』です。

 写真家として著名な上田義彦が監督・脚本・撮影を担当したこの作品、葉山の海を見下ろす坂の上の古民家を舞台に、夫を亡くした祖母・絹子(富司純子)、長女の娘・渚(シム・ウンギョン)、ふたりのことを何かと心配する次女・陶子(鈴木京香)といった3世代の女性の生きざまを、四季の移り変わりととも美しくもはかなく描いていきます。

©2020 “A Garden of Camellias” Film Partners

 特に主体となるのが絹子で、和服の着付けの美しさと品格から彼女自身の性格から人生観まで見事に描出されていますが、それもこれも若き日の東映時代に着物を着ながら凛とした役を演じ続けてきた彼女ならではの賜物ともいえるでしょう。

やがては家を手放すか否かの問題に直面していく彼女ですが、最後にとる決断はあたかも『緋牡丹博徒』シリーズのお竜さんも同じことをするであろうといった、穏やかで淡々とした佇まいながらも真摯で固い人生の決意に裏付けされた凛とした至高の美としても屹立しています。

©2020 “A Garden of Camellias” Film Partners

またこの作品、平成時代から台頭し続ける鈴木京香(彼女を“平成の原節子”と讃える向きもあります)、そして国際交流が必須となった令和の今を代表する韓国の女優シム・ウンギョンが共演していることでも、見事に昭和から平成、令和の女優の系譜を示唆した逸品となっています。

日本の伝統や、滅びゆくものへの哀悼、新しい世代への継承など様々な人生の機微が詰まった 『椿の庭』、女優たちの競演を見届けるだけでも必見の作品だといえるでしょう。

(文:増當竜也)