竹中直人、山田孝之、齋藤工といった才人の存在を知らない映画ファンは、ほとんどいらっしゃらないことでしょう。
そしてこの映画『ゾッキ」は、何とこの3人が共同監督した作品となります。
なるのですが……ところで、これってどんな映画?
そもそも“ゾッキ”ってどういう意味?
正直、おわかりになってない方も多いことでしょう。
ならば、ちゃちゃっと検証していきましょう!
監督もキャストも寄せ集め(=ゾッキ)しながら面白い映画を!
映画『ゾッキ』は、「音楽」などでも知られる大橋裕之の同名漫画を映画化したものです。
“ゾッキ”にはいくつか意味がありますが、ここでは古本業界の用語にもなっている“寄せ集め”といった意味合いで捉えるとわかりやすいことでしょう。
原作漫画も短編エピソードの“寄せ集め”で成立しており、その映画化も同様。
原作に準じながら、竹中直人、山田孝之、齋藤工がそれぞれのエピソードを監督しています。
そもそも企画の発端はアニメーション映画『音楽』(20)にも声の出演を果たしている竹中直人が大橋漫画に魅了され、その中で「ゾッキ」を映画化したいと思い立った瞬間、自身の単独演出ではなく複数の監督で1本の映画として成立させるのが面白い! と閃いたのだとか。
そしてそのときパッと脳裏に浮かび上がったのが、山田孝之と齋藤工だったのだそうです。
つまりは天性の閃きで、山田&齋藤の両名を寄せ集めて(=ゾッキ)映画を作ろう!と。
さらにはキャスティングも吉岡里穂、松田龍平、鈴木福、倖田來未、松井玲奈、國村隼などなどユニークな面々を“寄せ集め”!
かくして日常世界ではありながらもどこか不可思議な、もはやジャンル分けすら不可能なワンダーランド、簡単にいってしまえば素っ頓狂な(!)映画が出来上がってしまったわけなのです。
小さなエピソードの積み重ねで醸し出される「秘密」と「嘘」
最初に申したように、本作は小さなエピソードの寄せ集めで成り立っています。
祖父(石坂浩二)から「秘密は大事に、たくさん持て」と言われた孫娘(吉岡里穂)。
あてがないというアテを頼りに、ママチャリで南を目指す旅に出る男(松田龍平)。
やっとできた友達(九条ジョー)から“存在しない空想上の姉”に恋されて戸惑う少年(森優作)。
消息不明の父(竹原ピストル)と体験した幼い日の奇譚を思い出す青年(渡辺佑太朗/幼い頃は潤浩)。
そしてDVDレンタル店でアルバイトしている少年(鈴木福)が知る、ある事件……。
これらのエピソードは一見独立したオムニバス仕立てのように見せておきながら、実はどこかで連結しているという妙味を示しながら、あくまでも1本の映画として屹立させています。
また、それらの積み重ねから、いつしかこの地球は「秘密」と「嘘」で回っていることが示唆されつつ、そのことを否定するのではなく、飄々とした温かさで包み込んでくれています。
これは原作そのものの持ち味であるとともに、今回の仕掛人である竹中直人の資質とも大いにリンクしたものであることは、これまでの竹中監督作品を見続けてきた方なら一目瞭然でしょう。
–{誰がどこを撮ったか 見分けのつかない一体感!}–
誰がどこを撮ったか見分けのつかない一体感!
竹中直人といえば、1980年代よりコメディアンとして人気を博しつつ、俳優として数々の名作に出演し、1991年に『無能の人』で映画監督デビューを果たして世界的評価を得ながら、現在もマルチに活躍中の才人です。
そもそも彼が映画を監督しようと思った理由のひとつに「監督なら最後まで撮影現場にいられるから」というのがあり、要するにいつも現場でスタッフ&キャストとわいわいやっていたい。
ならば、自分でみんなを現場に“寄せ集め”すればいいじゃん! というのが彼の映画制作理念のひとつなのでした。
また『無能の人』の原作がつげ義春という昭和カルト漫画の代表格である点も含めて、彼はいわゆる華やかなメジャー的な題材よりも、たとえ密やかながらも確実に接する者へ影響を及ぼし続ける、そんな深みのあるカルティックなものにこそ興味を示す向きがあります。
本作もそんな竹中直人が『無能の人』同様の興味を持って取り組んだ映画なのでした。
そして、そんな彼に閃かれた山田孝之&齋藤工。
山田孝之はデビュー当時はイケメン若手男優として売り出されたものの、本人は当初からそこに違和感を生じており、次第にクセのある役を好んで演じるようになっていきました。
さらには『デイアンドナイト』(19)で映画プロデュースにも乗り出すなど多彩な活動を続けています。
もっとも彼は自分に映画監督は向かないと思っていて、今回の竹中直人からの誘いにも最初は躊躇してしまったようですが、結果としては初監督としての緊張感が初々しい効果をもたらすものへと導かれています。
一方、齋藤工は知る人ぞ知る大の映画マニアで、『blank13』(18)『COMPLY+-ANCE』(20)など、既に映画監督としても意欲的に活動。
また劇場体験が困難な被災地や途上国の子どもたちに映画を届ける移動映画館“cinema bird”を主宰したり、昨年から続くコロナ禍の中でオンラインを駆使した映画活動を展開し続けています。
そんな彼ですが、実は自身が映画を監督したいというきっかけになった1本として『無能の人』を挙げています。つまりは今回のコラボも宿縁だったといえるでしょう!
ここではあえて、3人の監督がどのエピソードを演出しているかは記しません(映画のエンドクレジットに、それぞれのパートが表記されます)。
なぜかというと、誰がどこを撮ったのか、まったく見分けがつかないほどに、1本の映画としてのまとまりが上手くなされているからです。
完全なオムニバス映画ならまだしも、1本の映画を複数の監督が撮るとどこかで個性のぶつかり合いが生じて、そこからほころびが見え隠れしたりもするものですが、本作にはそれが微塵も感じられません。
それはやはり総監督的なポジションに立った竹中直人の存在と、彼を信じながら自由に演出を采配していった山田孝之&齋藤工との信頼関係の賜物であったともいえるでしょう。
はてさて、そんな感じで映画『ゾッキ』、上映中は本当に、何だか素っ頓狂ながらも不思議と惹かれてやまないものを見せられている気分になってくることでしょう。
そしてすべてが終わったとき、「一体このカタルシスは何?」といった感動とも達成感ともつかない気持ちにつかまれること必至。
それこそ即ち映画『ゾッキ』の本質であり、同時にこれぞ映画鑑賞の醍醐味であるのでした!
(文:増當竜也)