庵野秀明監督「プロフェッショナル 仕事の流儀」の言葉にならない衝撃ベスト5|シン・エヴァ製作現場がすごすぎた!

映画コラム

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2021年3月22日、NHK総合にて「プロフェッショナル 仕事の流儀 庵野秀明スペシャル」が放送されました。

このドキュメンタリーは、現在上映中の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の製作現場で働く、庵野秀明(総)監督に4年にわたって独占密着をしたもの。その内容は、衝撃という言葉では足りませんでした。

ここでは、筆者が独断と偏見で選んだ、同番組の「言葉にならない衝撃」のベスト5を紹介します。当然、番組内容のネタバレとなりますので、ご覧になってからお読みください。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の内容もごくわずかに含んでいるので、そちらを未見の方もご注意ください。

5位 初っ端のナレーションが前代未聞

言葉にならない衝撃の瞬間は番組開始から数分、連続で訪れました。ナレーションで「密着を始めてまもなく、私たちは悟った。この男に安易に手を出すべきではなかったと」言った上に、「伝説のアニメ『エヴァンゲリオン』が完結すると聞きつけ、取材を申し入れた。だが、それが苦行のような日々の始まりだった」「密着は伸びに伸びて、番組史上最長の4年、類をみないものとなった」と語られているのですから。

(C)NHK

その後も、庵野監督は「取材の仕方が気になる」「僕に撮ってもしょうがない時に、僕にカメラを向けていますよね」「僕の周りにいる人が困っているのが面白いんですよ」などと、と番組スタッフにダメ出しまでしていました。

他にも、庵野監督が合宿や仕事場に現れない日もあるなど、シーンごとに番組スタッフの苦労を想像せずにはいられず、前述した「苦行の日々」とまで宣う前代未聞の冒頭のナレーションが大納得できるものでした。アニメの製作スタッフも大変だけど、4年間も付き合い続けた番組スタッフもまた大変。その甲斐あって、まさに類をみない、歴史的なドキュメンタリーになっていたと思います。

4位 ものすごい「やり直し」があった

庵野監督は作品の冒頭にあたるAパートで「シンジの放浪をトンネルだけで構成する」ことを思いついたそうですが、その2ヶ月後、メインスタッフを集めた会議で「あまりうまくいっていないから、(9ヶ月かかった冒頭の4分の1を)できればゼロからやり直す」と言い放ち、ナレーションでも「この後に及んでの脚本のやり直しは異例」と告げられます。そのやり直しの理由は、「長い」「説教くささがあった」など、スタッフの一部から不評の声があがっていたからなのだとか。

(C)カラー (C)NHK

その後も、「2018年冬、作品は着々と完成に進みつつあった……とは言えないのがエヴァンゲリオンであった」というナレーションの後、作品の4分の1にあたるDパートが固められないまま、庵野監督は過去最大級に脚本をやり直すことになります。しかも、2ヶ月経っても脚本の内容が固まらないまま、前半のアフレコが始まったりもしたのでした。アフレコ現場でも、庵野監督はシンジのセリフを書き足していたのだそうです。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 から8年以上も間が空いた『シン・エヴァンゲリオン劇場版』でしたが、脚本も製作現場も本当にギリギリのスケジュールで動いていたのは間違いありません。「自分の命よりも、作品」というテロップも表示され、終幕ではスタッフからの「なんでそこまでされるんですか」という質問に、「僕が最大限、人の中で役に立てるのは、そこしかないから」とまで答えていました。完璧主義者というよりも、作家としての執念の凄まじさが、この作品を完成させたのでしょう。

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–{次のページで3位から1位まで紹介!}–

3位 妻の安野モヨコがいてくれたから

マンガ家であり庵野監督の妻である安野モヨコは、夫の庵野監督に対して「自分のことをしない。死んじゃうんじゃないかなと思った」「誰もお世話しない?じゃあ私するけど」と語っていました。

当の庵野監督は、テレビアニメ版『新世紀エヴァンゲリオン』が、観るものに多くの憶測を生む終わりとなったため、一部のファンから「庵野は作品を投げ出した」とまで批判され、ネットの掲示板で「庵野をどうやって殺すかを話し合うスレッド」を読んだ時には「アニメを作るとかどうでもよくなって」しまい、電車の線路に入るか、会社のビルから飛び降りることを考えるまでに追い詰められたそうです。

(C)NHK

その時には「死ぬ前に痛いのは嫌だ」という理由で踏みとどまったそうですが、2012年12月、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の公開後にも庵野監督は「壊れた(うつ病になった)」のだそうです。その時に、安野モヨコは「誰かが一緒にいてくれるだけで、救われる部分ってあると思う」と思い、庵野監督に「みんながいなくなっても、私はいなくならない」と告げたのだとか。

個人的に、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の劇中における、マリの「どこにいても必ず迎えに行くからね、ワンコ(シンジ)くん」という言葉が、この安野モヨコの言葉と重なりました。マリは安野モヨコその人そのものであり、作品そのものが庵野監督から妻へのラブレターだったんだ、と再認識できた瞬間でした。庵野監督が生きていてくれて、そして『エヴァンゲリオン』を終わらせることができたのは、間違いなく安野モヨコがいてくれたおかげです。

2位 父との思い出が「欠けていた」から

庵野監督には「家族で遠出した記憶が欠けていた」そうです。それは、庵野監督の父は事故で左足を失い、出歩くことがままならなかったから。その父が「世の中を憎んでいた」ということも、庵野監督はわかっていたのだそうです。

そんな庵野監督が最初に夢中になったのが、『鉄人28号』でした。その頃に庵野監督が描いた絵のロボットには、必ず腕や脚がなかったのだそうです。その「欠けているのが好き」の理由は、「『欠けていること』が日常の中にずっとあって、それが自分の父親だった」全部が揃ってない方がいいと思っている感覚が、そこにある「そういう親を肯定したいという思いが、そこにある」と語っていました。

(C)カラー

さらに庵野監督は「完璧なはずなのに、どこか欠けているのが、自分が面白い。キレイなものを作っても、そんなに面白くならない。それはキレイなだけだから」とも語っていました。実際に、『エヴァンゲリオン』シリーズの登場人物は、シンジだけでなくレイやアスカも、(身体的な特徴ではなく、精神的なところで)完璧ではない、どこか欠けた人間です。そんな彼らを応援したくなり、そして観る人が自分の悩みや姿そのものを投影したくなるのは、それが理由でもあるのでしょう。

1位 終わり方も前代未聞だった

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の初号試写が行われた間、庵野監督は試写会場の外にいました。なぜ作品を観ないのかとスタッフが尋ねたところ、庵野監督は「毎回観ていないよ。完成したら、次の仕事をしないと」と言い放ち、すぐそばのテーブルに座り、パソコンで何か(脚本?)を書いているのでした。

庵野監督は『エヴァンゲリオン』について「自分自身が始めちゃったので、終わらせる義務がある。それは自分自身、スタッフ、一番大きいのはお客さんに対して」とも言っており、実際に25年の時を経て『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で本当に終わりを迎えました。でも、まだ庵野監督が作品を作り続けることはほぼ確定的になったのです。

(C)NHK

さらなる衝撃が訪れたのはラスト、スタッフが「プロフェッショナルとは?」と聞いたところ、庵野監督は「あんまり関係ないんじゃないですか、プロフェッショナルっていう言葉は。この番組、その言葉だけは嫌いなんです。他のタイトルにして欲しかった。ありがとうございました」と、爆弾発言をしたのでした。

庵野監督が(おそらく)自身をプロフェッショナルと思っていないのは、良い意味でのアマチュア気質だからなのでしょう。劇中では、画コンテを作らないままモーションキャプチャーでのシーンの撮影を始めるなど型破りな手法を取り入れており、アニメ製作そのもので新しいことに挑戦し続けていたのですから。

そのアマチュア気質、いや作家としての執念の結果として、本当にギリギリのところまで追い詰められ、苦しんでいたのですが、その苦しみさえも『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の内容に反映され、だからこそ妻の安野モヨコ、そして私たち受け手への愛情がたっぷりも注ぎ込まれた作品になったのでしょう。改めて、庵野監督および、アニメと番組それぞれのスタッフに「お疲れ様です。ありがとうございます」と、労いと感謝の言葉を捧げたいです。

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(文:ヒナタカ)