『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』レビュー:「こういうとき、どんな顔すればいいかわからないの」

映画コラム

時は2021年3月11日。『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』終劇後、TOHOシネマズ六本木、7番スクリーンのど真ん中の席で、一人の中年男性が脱力していた。筆者である。

脱力していた理由は長時間上映による体力の低下でも、映画の出来栄えが悪かったわけでもない。いや、もう、めっちゃ面白かったです。と、勢い敬体になるくらいは面白かった。ただ、「エヴァンゲリオンシリーズ」が確実に終わってしまったという、祭りのあとの寂しさが、いやでもやってきたからである。

さて、公開から1週間ほどだというのに、既に解説・深堀・直感による感想まで、あらゆる言説がネット上に溢れている。これも「何か言いたい」「何か言わせろ」というよりも、居なくなってしまった人や物について語り合うように、「ほぼ確実に続きを観られない、完結した作品」に対しての寂しさを紛らわせる行為に近いのではないか。何ならもう、供養に近い。

よって、筆者も本コラムをもって、庵野秀明が私達にもたらした「良い知らせ」に対する感謝の意味を込めて、言葉を供物とし、寂しさの理由を掘り下げていく。

※以下、ネタバレ有りです。未鑑賞の方はご注意ください

→『シン・エヴァンゲリオン劇場版』より深く楽しむための記事一覧

–{「祭りのあとの寂しさ」は、碇シンジが大人になってしまったことによる}–

「祭りのあとの寂しさ」は、碇シンジが大人になってしまったことによる

※筆者注。念の為、以下盛大にネタバレするので、未見の方はご注意ください。

本作の碇シンジは、シリーズを通して最も大人(「大人という表現は定義が曖昧なので不適切だと思うが、適当なものが見当たらないので許して欲しい」)である。そして、大人になるまでの過程も丁寧に描かれる。この過程が描写不足だという意見もあるかもしれないが、筆者の考えは少し違う。

シンジは冒頭、胎児のように身体を丸めているばかりで、言葉を発することもない。しかし、レイの介入により、まるで産声をあげるかのように大声で泣き、新生する。自身の責務を果たしたかのようにLCL化するレイを見て、大きな喪失を抱えるものの、再び塞ぎ込むことはない。彼は世界と関わることを選ぶ。

ヴンダー乗艦後は自分の気持ちに折り合いをつけただけでなく、他者の気持ちも慮れるようになり、ついには、最大の懸念事項であった父との問題も解決してしまう。シンジの新生や父との問題解決に用いられたのは、神にも近しい強大な力でも何でもない。リリンのみが扱える言葉である。

父からの呼び出しの言葉ではじまった物語は、言葉によって解決されなければならない。とでもいうかのように、ゲンドウのアドバイスはあったものの、シンジは言葉を使って父に立ち向かう。

「殺し合う」と仮定した場合、暴力によってもたらされるのは肉体の損壊だが、言葉によってもたらされるのは、それよりも遥かに恐ろしい精神の消失である。しかし、シンジは言葉でゲンドウを殺すことはない。いつも1人ぼっちだった、誰かと一緒に居ても、どこかで孤独を感じ続けていた、他人を拒絶し続けてきた彼は、1人では決して行うことのできない「対話」にて決着をつけた。

対話後について少し。「GOD’S IN HIS HEAVEN. ALL’S RIGHT WITH THE WORLD.」とは、ネルフのシンボルマークに記されている言葉だ。解釈はさまざまだが、大きな事件や災厄もなく、平穏無事に日常を送る様子を表しているといった説もある。であるならば、「神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し」は、本作のシンジにこそ相応しい。シンジはゼーレとゲンドウがそれぞれ目指した世界とは異なる、エヴァのない(少なくとも、彼と周囲にとっては)平穏な世界を実現した。

以下、空想を飛躍させるが、その世界は、おそらく我々の世界と似ているのだろう。例え天に神が存在しようとも観測するのみで、神の力が世界に介在することはない。知恵の実と生命の実を食べた、完全なる生き物ではなく、不完全なリリン、つまり新生しなかった人類が、シンジやレイ、アスカ、カヲル達も含め、神の力など借りずに、平和であるものの、時には大変なことも、辛いことも起きるといった、直球で表現するならば「人生」を過ごしていくのだろう。そして、物語は完結する。じゃによって、シンジたちは「人生を語らず」である。

以下、空想を飛躍させたうえでの願望になるが、シンジやレイ、アスカ、カヲル達の新たなる人生が、上々であったならいいなと思う。「思う」と映画評で書いたらお終いなのだが、今回ばかりはご容赦願いたい。だって、思っちゃったんだから。

とにかく、四半世紀、何か問題が起きる度に殻に閉じこもっていたシンジは、たった155分でこれまでにない成長を遂げ、殻に閉じこもるループを断ち切ってみせ、世界すら変えてみせた。そんな彼に、四半世紀さしたる変化もなく、映画を観てああじゃないこうじゃない言っている自分が、置いてけぼりにされてしまったように感じてしまった。ここに、寂しさの理由のひとつがある。

「祭りのあとの寂しさ」は、反復記号「:||」がつけられていることによる

エヴァンゲリオンシリーズでは、これまでさまざまな世界が描かれてきた。だとすれば、今後も別の世界線スピンオフだって描けるはずだ。

だが、個人的には反復記号の存在により、エヴァンゲリオンシリーズは完全に終わったという立場を取る。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は、末尾に反復記号(:||)がつけられている。反復記号は「||:」と「:||」の記号間を反復し、2回演奏するという意味だが、「:||」のみが記載されている場合、曲頭に戻って繰り返されることとなる。また、言い方を変えれば、繰り返しの終わりという意味でもある。

つまり、どのような並行世界があろうとも、「新劇場版エヴァンゲリオン」の結末は、本作の結末以外は有りえず、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の反復記号に向かって収束していく。

この言説は、タイトル発表時には既に指摘されていたので、別段真新しいものではないのだが、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』鑑賞後では、「:||」の持つ重みが違う。はっきりと明示された「終わり」に、寂しくなってしまった。

とにかく、「エヴァンゲリオン」は本作をもって完結した。この、長い祭りのあとの寂しさは、「いや、すごくよかったんですけど、こういうとき、どんな顔すればいいかわからないの」と感じさせるに十分である。

ただ、祭りのあとに残るのは寂しさだけではない。シンジ達と同じく、我々も「エヴァのない世界」に生きることとなったが、繰り返しの物語で最後に奏でられた音は、心地よい残響として耳と記憶に残り続ける。

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(文:加藤広大)

–{『シン・エヴァンゲリオン劇場版』作品情報}–

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』作品情報

基本情報
総監督:庵野秀明

監督:鶴巻和哉/中山勝一/前田真宏

製作国:日本

公開日:2021年3月8日

上映時間:155分

配給:東宝=東映=カラー

予告編

スタッフリスト
企画・原作・脚本:庵野秀明

総作画監督:錦織敦史

作画監督:井関修一/金世俊/浅野直之/田中将賀/新井浩一

副監督:谷田部透湖/小松田大全

デザインワークス:山下いくと/渭原敏明/コヤマシゲト/安野モヨコ/高倉武史/渡部隆

CGIアートディレクター:小林浩康

2DCGIディレクター:座間香代子

CGI監督:鬼塚大輔

CGIアニメーションディレクター:松井祐亮

CGIモデリングディレクター:小林学

CGIテクニカルディレクター:鈴木貴志

CGIルックデヴディレクター:岩里昌則

動画検査:村田康人

色彩設計:菊地和子(Wish)

美術監督:串田達也(でほぎゃらりー)

撮影監督:福士享(T2 studio)

特技監督:山田豊徳

編集:辻田恵美

テーマソング:「One Last Kiss」宇多田ヒカル(ソニー・ミュージックレーベルズ)

音楽:鷺巣詩郎

音響効果:野口透

録音:住谷真

台詞演出:山田陽(サウンドチーム・ドンファン)

総監督助手:轟木一騎

制作統括プロデューサー:岡島隆敏

アニメーションプロデューサー:杉谷勇樹

設定制作:田中隼人

プリヴィズ制作:川島正規

制作:スタジオカラー

配給:東宝、東映、カラー

宣伝:カラー、東映

製作:カラー

エグゼクティブ・プロデューサー:庵野秀明/緒方智幸

コンセプトアートディレクター:前田真宏

監督:鶴巻和哉/中山勝一/前田真宏

総監督:庵野秀明