現在、ディズニー最新作『ラーヤと龍の王国』が映画館で公開、およびDisney+ (ディズニープラス)のプレミアアクセス(追加料金)で配信されています。結論から申し上げれば、昨年末に配信されたピクサー製作の『ソウルフル・ワールド』に続き、「3DCGアニメ映画で、この先これ以上のものが作られるのか……!?」と思うばかりの新たなディズニーの傑作でした。
※『ソウルフル・ワールド』の解説はこちら↓
『ソウルフル・ワールド』がピクサーの到達点となった「5つ」の理由
本作の素晴らしさは、「信じる」ことへを肯定する物語、東南アジアの種々の文化を表現した世界観、個性豊かなキャラクター、“シスターフッド”の関係性、『ザ・レイド』も参考にした格闘アクションなどに集約されます。それぞれについて解説していきましょう。
1:「信じる」ことを肯定する物語
あらすじ
“龍の王国”クマンドラは、かつては聖なる龍たちに守られた平和な王国だった。しかし、突如現れた魔物のドルーンのために龍は姿を消し、多くの人は石と化し、残された人々も分断された世界で信じる心を失っていた。18歳のラーヤは、バラバラになった世界を再び1つにするため、龍の石を集める旅へと向かう。
重要なのは、世界が分断されてしまうきっかけに、幼い頃の主人公のラーヤが関わっていること。そして、とある人にひどく裏切られてしまったことにあります。その後も、ひょうきんで純粋な性格をした龍のシスーもあっさりと人を信用したりするのですが、それが間違っていたとわかる展開が用意されているのです。
しかし、最終的に物語は「信じる」ことを肯定します。それはキレイゴト、あまりに理想化されたものだとも言えますが、それでも信じることはより良い世界のためには必要なのではないか……という、「理想論をとことん肯定する」内容になっているのです。
これは、コロナ禍の今こそ心にズシンと響くものです。実際に、新型コロナウイルスのために、特定の人種への差別や偏見も横行し、時には他者への容赦のない攻撃をしてしまったり、それこそ分断を生む原因にもなっていた、まさに信じる心を失ってしまいがちな世界になってしまったのですから。
しかも、劇中で人々を石に変えてしまう魔物のドルーンは「疫病」でもあると明言されていたりもするのですから、より現実の世界の反映にも思えてきます。その疫病が流行する世界で、何が私たちができるのか?と、今一度観客に思考を巡らせてくれることにも、本作の意義があると言っていいでしょう。
–{2:東南アジアの種々の文化を表現した世界観}–
2:東南アジアの種々の文化を表現した世界観
舞台であるクマンドラにある5つの国は、それぞれが独自の気風を持っており、それぞれの衣服や生活スタイル至るまで徹底的に構築されています。例えば、主人公のラーヤのいる国のハートでは、龍との関わりが深く、その龍は水との関わりも深いため、建物や部屋などの様相はしずく状のイメージが強く、丸みのあるデザインになっているそうです。
それぞれの国の自然環境や建築物の素材などの設定にこだわるのはもちろん、スタッフたちは製作全体を通じて、東南アジア出身のコンサルトである文化人類学者や言語学者や舞踏家たちと相談しながら作業を進めていたのだとか。
東南アジアの種々の文化をひとくくりにせず、「それぞれ違っていてどれも良い」な国の姿を作り出しているというのも賞賛するしかありません。これらの世界観が構築されてこそ、観ていてただただ楽しく魅了されるということがもちろん、それぞれ文化に住む人々が分断されてしまうという悲劇が際立つのですから。
3:個性豊かなキャラクター
この『ラーヤと龍の王国』の最大の魅力は、個性豊かなキャラクターにあります。主人公のラーヤは真っ直ぐな信念を持つ強い女性で、龍のシスーはおしゃべりでひょうきん、なんでも1人でこなす少年のブーンも愛らしく、一見すると凶暴な大男のトングは実は優しい。映画を観る誰もが、彼女たちのことをすぐに大好きになれるのではないでしょうか。
注目すべきは、3人目に仲間になるキャラクターでしょう。ネタバレになるのでどんなキャラかは書かないでおきますが、彼女が「こんなの見たことない!」な活躍をしてくれるのがたまりません
そんな彼女らは、表向きには明るく振る舞っていたり、もしくは虚勢を張っているように見えても、実は悲しみに包まれているということが重要です。ラーヤおよび仲間の4人(+ダンゴムシのようなトゥクトゥク)は、それぞれ大切な家族を石にされてしまい、ひとりぼっち。それでも、この分断がされてしまった世界でも、たくましく生きているのですから、なんとも健気で応援したくなるのです。
また、龍のシスーは「グループ学習で1人成績の悪い子がいてもそのグループは評価されるでしょう」と言っており、実は優秀な能力を持つきょうだいの龍たちへコンプレックスを持っていたこともわかります。こうしたディテールが、さらに彼女たちを魅力的にしているのです。
そんなシスーが終盤に立てる「作戦」はあまりに楽天的で、実際にギャグとして描かれているので大笑いしてしまうのですが、実は彼女の作戦こそが「信じる」ことについての本作のメッセージを、最も尊い形で示しているというのも見事です。単なる「ギャグ要員」に止まらず、明るく楽しいキャラであることが物語上も必然性のあるものになっているのですから。
また、共同脚本を書いた1人であるキュイ・グエンは、「東洋には龍に対してとても強い愛着と愛情がありますが、それらの龍はたとえば「ゲーム・オブ・スローンズ」で描かれているドラゴンとは全く違う存在です。東洋の龍は幸運を与える存在です。龍は肯定的な生きる力を与えるパワーや剛勇さを示しているのです」と語っています。そんな東洋の龍への敬意を払いつつも、コミカルで愛らしいキャラにしてしまうというのは、アニメ版の『ムーラン』と共通していますね。
なお、主人公のラーヤの声を演じたのは、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』のローズ役でお馴染みのベトナム系アメリカ人女優のケリー・マリー・トラン。彼女が強くある一方で、トラウマも持つ複雑なラーヤの心境を見事に表現しています。
そして、龍のシスーを演じているのは『クレイジー・リッチ!』や『オーシャンズ8』に出演した、中国系アメリカ人の父親と韓国系アメリカ人の母親を持つアジア系女優のオークワフィナ。アニメで描かれている龍であるはずのシスーが、もう一挙一投足までコミカルな役が多いオークワフィナにそのものに見えるのですから驚異的です。序盤に「韻を踏む」言葉遊びをしているのも、おそらくオークワフィナがラッパーでもあることの反映でしょう。
日本語吹き替え版でも、ラーヤ役の吉川愛、シスー役の高乃麗を筆頭に、全員が文句なしにハマっています。字幕版と日本語吹き替え版それぞれを聴き比べても、きっと楽しいでしょう。これらの最高のボイスキャストが、魅力的なキャラクターを、もっともっと魅力的にしているというのは言うまでもありません。
–{4:シスターフッドの関係性}–
4:シスターフッドの関係性
最近では、女性のエンパワーメントに溢れる、または女性の辛い心境に寄り添った、「シスターフッド映画」が数多く世に送り出されました。シスターフッドとは女性同士の連帯や絆を示す言葉で、1960年代から1970年代のウーマンリブ運動の中でも使われており、近年の映画作品においては厚い信頼や友情に基づく、姉妹または姉妹に近い関係性を指すことも多いのです。
例を挙げるのであれば、『ハスラーズ』、『スキャンダル』、『チャーリーズ・エンジェル』(2019)
、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』、『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』、『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』、『ウルフウォーカー』、『燃ゆる女の肖像』、『あのこは貴族』などなど……この『ラーヤと龍の王国』も、そのシスターフッド作品の1つに数えて良いでしょう。
主人公のラーヤと龍のシスーが女性であり、彼女たちが親友を超えて家族のような絆を深めていくというのももちろん、敵として立ちはだかるナマーリという女性とも、ラーヤは愛憎入り混じる関係にあるのです。対立する彼女たちが共に格闘技を駆使して戦う強い女性であることも、新たなディズニーのヒーローおよびライバル像を提示してくれていたようで、なんとも嬉しくなるのです。
そのように強い女性を描く一方で、ラーヤの父親や、なんでも1人でこなす少年のブーンという男性が「料理をする」立場であったというのも、ジェンダーロールに囚われない人々の姿を描くという気概なのでしょう。加えて、前述した個性豊かなキャラクターそのものが、世の中の「みんな違ってみんないい」という多様性の素晴らしさそのものも訴えられているようでもあるのです。
余談ですが、吹き替えおよび字幕での、幼い頃のラーヤとナマーリが言い合っていた「龍のファン」とされていたセリフは、原語をよく聞くと「Doragon Nerd(龍のオタク)」でした。つまりあの2人は「私たちオタク同士だから」と自虐的な物言いをしながら、心では通じ合っていたということですよね……尊い!あとラーヤがナマーリのことを「ショートカットの姫」と皮肉まじりだけど愛情もありそうな絶妙な呼び方をしているのも尊い!
5:『ザ・レイド』も参考にした格闘アクション
本作で多くの方が度肝を抜かれることは、ハイスピードで繰り出される格闘アクションなのではないでしょうか。ベトナム系アメリカ人脚本家であり、マーシャルアーツのコンサルタントも務めたクイ・ヌエンは「これは、今までに誰も見たことがないような、ものすごく勇敢なキャラクターを世界に紹介できるまたとない機会だった」と考えたのだとか。
彼が参考用資料としてアニメーターたちに観るように勧めたのは、なんと『マッハ!!!!!!!!』をはじめとした「大量のトニー・ジャー映画」の他、『チョコレート・ファイター』や『ザ・レイド』などの東南アジアのマーシャルアーツ映画だったそうです。
その結果、ラーヤは素手ではシラット(東南アジアの伝統武術)、武器を手にした時はアーニス(フィリピン武術)を使い、ライバルであるナマーリはムエタイの使い手として描かれることになったのです。共同監督のドン・ホールにとってもアクションは特にこだわった部分であり、それがラーヤとナマーリの関係性の変化も示す、ストーリー上にも深く関わるものにしたいという気概があったそうです。
その甲斐あって、ラーヤとナマーリのアクションはそれ単体で見応えが抜群であることはもちろん、ストーリーの大きな転換点として見事に機能しているのです。「格闘アクション映画としても最高!」なディズニーのアニメ映画ともいうのも斬新であり、それこそが傑作となった大きな理由でしょう。
–{おまけその1:『ブラインドスポッティング』の監督の作家性とは}–
おまけその1:『ブラインドスポッティング』の監督の作家性とは
『ラーヤと龍の王国』で共同監督を務めたカルロス・ロペス・エストラーダは、インディーズ映画『ブラインドスポッティング』でメガホンを取っていました。同作はバラク・オバマ前大統領が2018年のベストムービーに選出していたことでも話題になっていたのです。
この『ブラインドスポッティング』と『ラーヤと龍の王国』は作品のトーンこそ全く異なりますが、実は友情の関係性を深く描いたり、多様性および「信じる」ことを肯定するという共通した要素があります。
『ブラインドスポッティング』の物語は、あと3日で自由の身となる保護観察期間中の青年が、とある殺人事件を目撃したことから始まります。劇中の主人公の2人は幼なじみ同士で、肌の色は違えど育った環境も同じで、ずっと仲の良い親友でいられると思っていたのですが、実は見ていた景色も、その価値観も大きく異なっていたという事実が、その殺人事件がきっかけで浮き彫りになってしまうのです。
タイトルの「ブラインドスポッティング」とは、「2通りの見方ができるが、それを同時に見ることができないという状況」を指しており、それをもって人種にまつわる諸問題が、まさに「見る人によって異なる」ことが示されています。しかし、新たな視点を得て、多層的な世界の姿を知ることができれば、より良い方向に進むことはできる。そんな普遍的な問題解決へのヒントも与えくれる内容になっていたのです。
『ラーヤと龍の王国』の主人公のラーヤもまた、幼少時に次々に国の特徴を端的に語っており、そこには異なる文化への偏見も少なからず見えました。そして、ナマーリは敵として立ちはだかる一方で実は自分たちの国を守ろうとしている、その行動原理が彼女の母親の価値観によってもたらされていたこともわかるようになっていきます。
現実の国同士または人間同士の問題というのも、どちらもが「自分は正しい」と思ってしまっている、まさに「見る人によって異なる」からこそ起こってしまうのでしょう。その解決方法の例の1つを寓話的に示してくれるということも、『ブラインドスポッティング』と『ラーヤと龍の王国』は共通しており、いずれも(共同)監督の作家性が存分に表れた作品とも言えるのです。
–{おまけその2:短編『あの頃をもう一度』もディズニーの短編アニメ史上屈指の傑作!}–
おまけその2:短編『あの頃をもう一度』もディズニーの短編アニメ史上屈指の傑作!
映画館では、『ラーヤと龍の王国』に短編『あの頃をもう一度』が同時上映されています。その内容は「若者でにぎわう都会の街を舞台に、老夫婦がダンスや音楽を通し人生の喜びや輝きを表現する」というものなのですが……本編の前にここでもう号泣してしまうほどの、ディズニーの短編アニメ史上でも屈指の傑作だと断言できる、素晴らしい作品でした!
詳しくは観てほしいのですが、ある意味でこれは『ラ・ラ・ランド』×『天気の子』とも言えます。本編『ラーヤと龍の王国』とは、3DCGアニメの製作上で最も難しいであろう「水」と「雨」の表現がとても美しく、かつ物語上で重要な役割を担っていることも共通していました。
なお、監督は『ベイマックス』でヘッドアニメーターを務めたザック・パリッシュ。主人公夫妻のダンスパフォーマンスを、韓国の人気グループ「BTS」の振り付けなども手がけているケネオ&マリ・マドリッドが担当しています。そのトップクリエイターの力により、映像はもちろんダンスのクオリティも圧倒される作品に仕上がっていました。
なお、今『あの頃をもう一度』を観られるのは映画館だけで、まだDisney+では配信されていません(6月配信予定)。この感動をスクリーンで体験するだけでも、ぜひ映画館に足を運んで欲しいです。
–{おまけその3:『トロールズ ミュージックパワー』に似ていること}–
おまけその3:『トロールズ ミュージックパワー』に似ていること
『ラーヤと龍の王国』に偶然にして良く似ている作品に、現在配信中の『トロールズ ミュージックパワー』があります。「いくつかに分断されていた世界」「分裂したきっかけは偏見とそれによる悪意」であることなど、両者はよく似ているところがあるのです。
あらすじは、音楽のジャンルごとに6つに分断されていた世界で、ロックの女王が他の村を乗っ取ろうとしていたため、ポップの女王とその親友が危機に立ち向かうというもの。ダフト・パンクの「ワン・モア・タイム」やPSYの「江南スタイル」など、日本でもよく知られている有名楽曲をノリノリに奏で、きらびやかな装飾で彩るという、音楽と映像の魅力が半端ではない内容になっていました。
同時に、多種多様な音楽の魅力を描くことで、ストレートに多様性の素晴らしさを訴えていおり、クライマックスからラストにかけての「多様性の肯定」についての回答は、これ以上はないと思えるほどのものでした。作品としての構造は似ていても、この着地は『ラーヤと龍の王国』のラストとは異なるものというのも面白いです。ぜひぜひ、合わせて観てみてください!
(文:ヒナタカ)
参考記事:『ラーヤと龍の王国』ディズニー新ヒロインはシラット使い!『ザ・レイド』も参考にした異色の武闘派|シネマトゥデイ