[※本記事は広告リンクを含みます。]
※記事の2ページ目まで、ネタバレはありません。
終わった……終わりました……。
2012年11月に前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』が公開されてから、8年と4ヶ月。
2020年6月の公開日が発表されてからも、新型コロナウイルスの影響で2回も延期され、そこから数えれば9ヶ月。
しかも、元々は2008年初夏に完結編が公開予定のアナウンスもあったため、そこから数えれば13年。
さらに、そもそものテレビアニメ版が終了した1996年3月から数えれば、もう25年。
ものすごく待たされた、続編および完結編が、この『シン・エヴァンゲリオン劇場版』でした。
結論から申し上げれば、もう大満足です。
『エヴァンゲリオン』という作品シリーズの中でも最も好き。アニメーション、いや創作物における1つの到達点。歴史的な作品を目の当たりにして感無量です。
まずは、ネタバレなしで「『シン・エヴァンゲリオン劇場版』と合わせて観ておくべき作品を記しておきましょう。
→『シン・エヴァンゲリオン劇場版』より深く楽しむための記事一覧
1:(ネタバレなし)合わせて観ておくべき作品一覧
大前提として、この『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、今までの『エヴァンゲリオン』シリーズを観ていてこその感動がある内容となっています。
上映前に『これまでのヱヴァンゲリヲン新劇場版』というおさらい映像もありますが、『エヴァンゲリオン』を観たことがないという方は、以下の実際に作品が世に出た時系列順に追って観ることをおすすめします。
・テレビアニメ版の全26話:Netflixで視聴可能
・『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(旧劇場版):Netflixで視聴可能
・『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』『序』、『破』、『Q』の3作:Amazonプライムビデオで視聴可能
これらを先に観ておく(後でもいいかもしれません)ことで、本作の面白さはおそらく倍増します。
特に、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は『序』、『破』、『Q』3作からの物語からの直接的に続きの物語なので、そちらはマストで観ておくべきでしょう。
(個人的には、もうひとつの旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2』はほぼ「総集編」ですし、無理には観なくてもいいかなと思います)
さらに、貞本義行による全14巻のマンガ版もあります。テレビアニメ版や新劇場版にもない、キャラクターの深堀りがされていたりもするので、読んでおけばさらに楽しめるでしょう。最終巻に収録されている「EXTRA STAGE」のエピソードも重要なものになっていました。
そして、理由は後のネタバレ全開部分で書きますが、庵野秀明監督による実写映画作品『式日』(AmazonプライムビデオやU-NEXTで視聴可能)を、本作の先でも後でも良いので観て欲しいですね。
加えて、庵野秀明監督の人となりや来歴を、ざっくりとで良いの知っておくと、より良いでしょう。
新劇場版シリーズ製作発表際の所信表明文、その妻である安野モヨコ描き下ろしのマンガ「おおきなカブ」、またはそのアニメ版も、ぜひ触れてみてほしいです。
他にも『ふしぎの海のナディア』(AmazonプライムビデオやU-NEXT)や『トップをねらえ!』(AmazonプライムビデオやU-NEXT)も観ていたら、さらに楽しめるでしょう。
そんなわけで、観るべき作品が多すぎるわけですが、逆に言えば、オタクたちが四半世紀以上に渡って追って続けてきた、庵野秀明作品の集積が、この『シン・エヴァンゲリオン劇場版』にはあるわけです。
そのオタクたちが観れば……それは感動どころか嗚咽するってもんなのです。
→『シン・エヴァンゲリオン劇場版』より深く楽しむための記事一覧
–{2:(ネタバレなし)固有名詞は「わからなくてもいいんじゃないか」説}–
2:(ネタバレなし)固有名詞は「わからなくてもいいんじゃないか」説
ネタバレなしでの『エヴァンゲリオン』という作品の個人的な思い入れは、以下にも書きました↓
エヴァが嫌いだった僕が、大好きになるまで。|『シン・エヴァンゲリオン劇場版』レビュー
このレビューに付け加えて言うのであれば、個人的に『エヴァンゲリオン』で苦手だったことは、「よくわからない固有名詞」が多いことにもありました。
「ATフィールド」や「人類補完計画」や「使徒」や「ガフの扉」や「リリン(人類を指している)」……これらを聞くたびに、「まあこういうものなんだろうな」となんとなく納得したり、「だからそれは何だろう」とわからないままだったりで、モヤモヤしていました。
しかし、初めて好きになった『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』では、「別にこれらの固有名詞の意味がわからなくてもいいのでは?」とも思いました。「意味がわからない」という自分の気持ちが、劇中のシンジの心理と完全シンクロしていた、つまりは「わけがわからない」ことさえも作品の面白さと直結していたわけですから。
もっと言えば、『エヴァンゲリオン』の固有名詞は、良い意味でマクガフィン(他に置き換えが可能な、なんでも良いもの)と捉えても良いのではないのか、と。
あくまで重要なのは、人の悩みや、コミュニケーションについての物語。そこを理解できれば、数々の固有名詞の意味がはっきりとわからないままでもいいんじゃないかなと、遡って思うことができた、だからこそ今まで苦手意識を持っていた『エヴァンゲリオン』が大好きになれたんです。
今回の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』でも新たな固有名詞が登場したりもしますが、(それを深く考えるのももちろん良いですが)わからないなりにスッと流してみても、それはそれで良いのだと思います。『エヴァンゲリオン』に限ったことではなく、創作物の楽しみ方は人それぞれです。
さて、ここからは『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の結末を含むネタバレに触れまくります。これまでの『エヴァンゲリオン』シリーズのネタバレも大いに含みます。観賞後にお読みください↓
→『シン・エヴァンゲリオン劇場版』より深く楽しむための記事一覧
–{次ページより激しくネタバレ:コミュニケーションを○○○で描いた衝撃と感動}–
3:(ネタバレ)コミュニケーションを農作業で描いた衝撃と感動
※以下からは『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の本編の結末を含むネタバレをしています。まだ鑑賞していない方はネタバレのない1ページ目をご覧ください。
※この記事における解釈は、筆者個人の主観を元に構成しております。参考としつつ、観た方がそれぞれの解釈を見つけていただけたら幸いです。
『エヴァンゲリオン』は一貫して、シンジという思春期の少年のコミュニケーションの物語でした。そして、今回はコミュニケーションを農作業で描いたというのが衝撃的で、かつ感動的だったのです。
何より、トウジとケンスケが生きていた…!しかもトウジは委員長と結婚して子どももできていた…!というのも嬉しかったんですが、あまりにトウジとケンスケが優しくてそれだけでも泣きそうになったんですよ…!
トウジはテレビアニメ版だと、エヴァの攻撃に巻き込まれた妹(今は大人になっていた鈴原サクラ)がケガをしたことを怒って殴っていたりして、シンジとはたびたび衝突していたんですよね。でも今回は「医者のマネ事」と言いつつもコミュニティの人々を気遣い助けていて、もうシンジといがみあうこともありませんでした。
ケンスケは相変わらず「付かず離れず」な距離感ながら本当に良いやつで、テレビアニメ版で描かれていたサバイバルオタクの知識も生かして立派にやっていた……。
この2人が、精神的な意味でも大人になっていたということに、感無量でした。
そして、クローンであるアヤナミレイ(仮称)が農作業を手伝い、「おやすみ」「さようなら」などコミュニケーションの手段を1つずつ知っていきます。
そんなアヤナミレイが、罪の意識が強すぎるため廃人のようになっていたシンジに、委員長から教えてもらった「仲良くなるおまじない」こと握手をするって……それはもう泣きますよ!
テレビアニメ版の最終回は、シンジが「僕はここにいていいんだ」と確信し、そしてみんなから「おめでとう」と言われるというもの。
このシンジの心情だけが説明された最終回はポカーンとなった人がほとんですが、今回はそれに至るまでのシンジの変化を別の形で描いたとも言えるんですよね。
さらに、この天変地異が起こった世界でもなんとか生きている人々の姿は、現実のコロナ禍でこそ響きます。
ケンスケは世界が滅びかけたニア・サードインパクトを「ニアサー」と略し、「ニアサーも悪いことばかりじゃない」と言っていました。これも、現実で新型コロナウイルスをコロナと略していること、そしてコロナに人類が大いに苦しめられるも、そこからたくさんの学びを得て成長をしてきたことを彷彿とさせます。
しかも、テレビアニメ版および新劇場版『破』で加持リョウジがスイカを作っていたのは、この農作業の伏線でもあったのでしょう。
前述した安野モヨコ作画のマンガ『大きなカブ」も農作業=アニメ製作現場を描いているので、これも伏線ですね。
とにかく、今までの『エヴァンゲリオン』では到底あり得なかった、想像もし得なかった狭いコミュニティでの農作業ということが、実は『エヴァンゲリオン』という作品の根幹を成す、コミュニケーションというテーマに見事に合致していたということです。
農作業は、食べ物を得る根源的な手段、言い換えれば「生きるため」に必要なこと。
そして、他者と助け合う、コミュケーションそのものの行為でもあるのですから。
その農作業を、シンジとアスカは結局は手伝っていないというのも、実はそれで良いんだと思います。彼らはそれ以外にも「(エヴァに乗って世界を救うという)やれることがある」のですから。
特に、シンジは父であるゲンドウはもちろん、レイとアスカとカヲルとミサトとのコミュニケーションの決着を完全につけなければいけないのですから。
→『シン・エヴァンゲリオン劇場版』より深く楽しむための記事一覧
–{4:(ネタバレ)ヒロインたちからの○○、そして×××の向き合い方についての物語}–
4:(ネタバレ)ヒロインたちからの卒業、そして創作物の向き合い方についての物語
レイとアスカは、後のオタク文化も多大な影響を与えた、ポップカルチャーにあまりに浸透していたキャラクターでした。
最後に大人になったシンジがくっつくのが、新劇場版から登場した、型破りな性格のマリであるということは、やはり「レイとアスカというヒロインからの卒業」を意味しているのでしょう。
そのアスカが、今回でレイと同じくクローンだったこと(だから新劇場版では苗字が惣流から式波に変わっている)が判明するというのも、やはり「作り物」としてのアニメのメタファーなのだと思います。
そして、今回のシンジは、クローンであったアヤナミレイ(仮称)を、他に名前がつけられない、綾波レイだと認めます。
シンジは、(旧劇場版では同じ浜辺で「気持ち悪い」と最後に言われてしまった)アスカにも「好きだった」と過去形で告白します。
その「(アニメを)(そのヒロインを)好きだった」気持ちは、大切にしていいんだよ……そう庵野監督に告げられているようでした。
ラストシーンは、アニメであるはずのシンジとマリが、実写である駅の外の世界に出ていくという、アニメと現実がシームレスにつながったものでした。
庵野監督が旧劇場版で打ち出した、実写映像を交えたメタフィクション的な構造および、「アニメばかり観ていないで現実に戻りなさい」とも解釈できたメッセージの本質は、この『シン・エヴァンゲリオン劇場版』でも変わっていません。(その旧劇場版の終幕はほとんど観客への悪意とも捉えられるほどの、陰惨なものでもありました)
しかし、今回は「アニメで得たものが現実に繋がっている」んだと、アニメを現実からの逃避のためではなく、現実を生きるためのものであると、再定義しているような、そんな優しさを感じたのです。
また、この映画そのものが庵野監督から妻である安野モヨコへのラブレターであり、シンジ=庵野監督、マリ=安野モヨコとも捉えられますよね。
劇中に『シュガシュガルーン』が出てきますし、安野モヨコ作画の絵本を子どもが読んでいたりもするのですから。
庵野監督の「これからも同じクリエイターである妻と一緒にいたい」という気持ち。
そして、アニメおよび『エヴァンゲリオン』を観てきた受け手たちに、「アニメもいいけど、現実で素敵な人を見つけてね(現実でもいいことがあるかもよ)」という気持ちがあらわれたのが、あのラストシーンなんだと思います。
だからこそ、終盤で今までの『エヴァンゲリオン』シリーズのタイトルが表示されたり、アニメが絵コンテになるというメタフィクション的な描写が、この『シン・エヴァンゲリオン劇場版』には必要だったのでしょう。
レイやアスカというヒロインたちからの卒業を描いたことで、同時に『エヴァンゲリオン』という作品そのもの、ひいてはアニメおよび創作物の向き合い方についての物語になっているというのは見事という他ありません。何かを卒業をしたとしても、「好きだった」気持ちを大切して欲しい。そういうメッセージが確実にあるのですから。
また、今回はクローンが第3の少年=シンジが好きになるように仕組まれたプログラムまでもがあることが示され、『Q』からは「エヴァの呪縛」という「アスカが14年経っても未だに14歳の少女のまま」という設定もありました。
これは「ヒロインは絶対に主人公を好きになる」「現実でどれだけ時間が過ぎようともアニメの中のヒロインの年齢は変わらないまま」という、ある種の「アニメの中のキャラクターを縛り付ける」ことのメタファーなのでしょう。
そんなアニメの中のアスカとレイもまた、シンジ=受け手から卒業し、自由になったのだろう……という感慨もありました。
その上、貞本義行によるマンガ版の最終14巻に収録されている「EXTRA STAGE」で、マリはシンジの母であるユイが好きだったことが明かされています(新劇場版ではユイの旧姓が碇から綾波に変わっており、別の世界の人物ではあるのでしょうが)。その意味でも、最後にマリが(ユイに似ている)シンジを選ぶ理由があったのです。
さらに、大人になったシンジの声を演じていたのは、神木隆之介でした。
ご存知『君の名は。』で主人公の声を務めた彼を最後に「送り出す」というのは、同じくセカイ系(主人公の行動が世界の命運と直結するなどの作品群)の作家である新海誠監督に「これからのアニメのことは任せますよ」という、次世代へのバトンタッチの意味も込められていたのではないでしょうか。
さらに、旧劇場版で「結局、シンジ君の母親にはなれなかったわね」と言っていたミサトが、加持との子どもを生み、彼が14歳まで立派に成長していた…というのも次世代へのバトンタッチを示唆していたのだと思います。
母親となった、おそらくシンジのことも自分の息子のように思っていたであろうミサトも「見送ることができた」感動がありました。
→『シン・エヴァンゲリオン劇場版』より深く楽しむための記事一覧
–{5:(ネタバレ)◯◯の物語、そして☓☓へ帰ってきた}–
5:(ネタバレ)くり返しの物語、そして故郷へ帰ってきた
新劇場版シリーズ製作発表際の所信表明文にて、庵野秀明監督はこう宣言しています。
「エヴァ」はくり返しの物語です。
主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。
わずかでも前に進もうとする、意思の話です。
曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。
同じ物語からまた違うカタチへ変化していく4つの作品を、楽しんでいただければ幸いです。
この『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の正式なタイトルには「:||(演奏記号のリピート記号)」がついており、つまり「くり返し」であることが示唆されています。
前述した通り、農作業のパートはテレビアニメ版の最終話である「僕はここにいていいんだ」に至るまでのシンジの心理の変化を別の形で描いたものとも言えますし、シンジが世界およびアスカやレイとゲンドウと向き合っていくという物語の本質はそのままなのです。この所信表明文の言葉を、庵野監督は完全にやり切っていると断言していいでしょう。
そして……『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のラストシーンで映されたのは、宇部新川駅でした。そして、庵野監督の故郷は、その駅がある山口県宇部市なのです。
それは、「始まりの場所」に戻ってきたということ、故郷にこそ自分の考えが詰まっているんだという、庵野監督の「原点回帰」が、あのラストシーンなのだと思います。
そして、2000年の庵野監督による実写映画『式日』のロケ地および舞台も、山口県宇部市でした。
この作品は、庵野監督の投影と思われる“カントク”が、毎日「明日は私の誕生日なの」と訴える“彼女”と出会い、ぬるま湯のような現実逃避の日々を送るというもの。劇中では「現実と虚構』に対する哲学的な考察がされており、そこに向き合うことこそ、庵野監督の大きな作家性なのだと再認識できる内容になっていました。
その『式日』において、彼女が“鉄道のレール”について「儀式」のために最初に座っていた場所であり、「自分で道を選ばなくてもいい感じ」「2本で1つだから」と“レールが好きな理由”も語られています。
だからこそ、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のラストシーンで、レールの上を走る電車ではない、駅の外へシンジとマリが出ていくというのは、(レールという)決まった場所に行き着くものではない、これからは自由に道を選んでいくということ。これが『式日』の頃の庵野監督自身の哲学的な思考の反復でありつつ、やはり同時に卒業なのだと、と思えたのです。
『エヴァンゲリオン』のテレビアニメ版、旧劇場版、そして新劇場版で、繰り返し同じ物語を語ってきて、そのことで苦しんだこともあった(『Q』の製作後にうつ病になったりもした)庵野監督が、本当に自由になったんだな……と、『式日』を合わせて観ることで、さらに思うことができたのです。改めて、庵野監督に「お疲れ様です」と労いの言葉をかけたくなりました。
同時に、前述したように妻である安野モヨコへのラブレターであり、観客たちへ「(ヒロインやアニメからの)卒業」を促しつつも「好きなままでもいいよ」と提言してくれるこの『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のなんと優しいことでしょうか。
ありがとう、そしてさようなら、全てのエヴァンゲリオン。そして、アニメおよび創作物を、これからも愛し続けようと思います。
→『シン・エヴァンゲリオン劇場版』より深く楽しむための記事一覧
(文:ヒナタカ)
–{『シン・エヴァンゲリオン劇場版』作品情報}–
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』作品情報
基本情報
総監督:庵野秀明
監督:鶴巻和哉/中山勝一/前田真宏
製作国:日本
公開日:2021年3月8日
上映時間:155分
配給:東宝=東映=カラー
予告編
スタッフリスト
企画・原作・脚本:庵野秀明
総作画監督:錦織敦史
作画監督:井関修一/金世俊/浅野直之/田中将賀/新井浩一
副監督:谷田部透湖/小松田大全
デザインワークス:山下いくと/渭原敏明/コヤマシゲト/安野モヨコ/高倉武史/渡部隆
CGIアートディレクター:小林浩康
2DCGIディレクター:座間香代子
CGI監督:鬼塚大輔
CGIアニメーションディレクター:松井祐亮
CGIモデリングディレクター:小林学
CGIテクニカルディレクター:鈴木貴志
CGIルックデヴディレクター:岩里昌則
動画検査:村田康人
色彩設計:菊地和子(Wish)
美術監督:串田達也(でほぎゃらりー)
撮影監督:福士享(T2 studio)
特技監督:山田豊徳
編集:辻田恵美
テーマソング:「One Last Kiss」宇多田ヒカル(ソニー・ミュージックレーベルズ)
音楽:鷺巣詩郎
音響効果:野口透
録音:住谷真
台詞演出:山田陽(サウンドチーム・ドンファン)
総監督助手:轟木一騎
制作統括プロデューサー:岡島隆敏
アニメーションプロデューサー:杉谷勇樹
設定制作:田中隼人
プリヴィズ制作:川島正規
制作:スタジオカラー
配給:東宝、東映、カラー
宣伝:カラー、東映
製作:カラー
エグゼクティブ・プロデューサー:庵野秀明/緒方智幸
コンセプトアートディレクター:前田真宏
監督:鶴巻和哉/中山勝一/前田真宏
総監督:庵野秀明