【※ネタバレあり】「麒麟がくる」最終回 解説&考察|明智光秀が主人公ゆえに辿り着いた賛否割れる神秘的なラストに

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予想はしていなかった。しかし、望んではいた。そんなラストシーンが結果的に目の前に現れた。

謀反人として教わってきた明智光秀の新たな一面を1年通して我々視聴者に届けてくれた「麒麟がくる」が遂に最終回を迎えた。

最終回で描かれた「本能寺の変」は誰もが「明智光秀が織田信長を討った」と知っている史実である。しかし、その史実には諸説あるためこの「麒麟がくる」でどう描かれるかに多くの視聴者が注目していた。

最終回を見終えて数分、まだ隅々まで整理しきれてはいないが今思っていることを文章に記したいと思う。

※動画も上げてますので、良かったら合わせてお楽しみください。

「本能寺の変」前後の史実を振り返る

まず、今回の「麒麟がくる」最終回のエピソードタイトルはズバリ「本能寺の変」であった。

つまり「本能寺の変」がメインで描かれることは事前にわかっていた。史実において「本能寺の変」の前後は下記のような時系列となっている。

※諸説あるため参考程度でご容赦くださいませ。

天正10(1582年)5月29日
=織田信長が本能寺へ入る

※以下全て同年のできごと

6月1日
=明智光秀、1万3千の兵を率いて丹波亀山城を出陣する

6月2日
=本能寺の変

6月2日
=徳川家康、本能寺の変の知らせを聞き堺を出発、三河へ戻ろうと伊賀越えへ

6月3日
=羽柴秀吉、備中高松にて本能寺の変の知らせを聞く

6月4日
=羽柴秀吉、毛利軍と和睦

6月6日
=羽柴秀吉、「中国大返し」開始する

6月9日
=明智光秀、細川藤孝 父子に協力要請

6月10日
=明智光秀、筒井順慶に協力要請

6月12日
=羽柴秀吉が摂津富田へ到着

6月13日
=山崎の戦いにて明智軍VS羽柴軍が激突。羽柴軍の圧勝で明智光秀の三日天下が終わる
=明智光秀は負けた道中で落ち武者狩りに遭い落命(※諸説あり)

諸説あるが、時系列ではこのような流れとなっている。

つまり6月2日に本能寺の変が起きた後、11日後の6月13日に明智光秀は落命しているということである。

次の章にて記すが、「本能寺の変」の後の明智光秀は天下を一時的に取ったものの坂を転げ落ちるように6月13日へ突き進んでいったのである。

–{※ネタバレあり:最終回の構成を紐解く}–

※ネタバレあり:最終回の構成を紐解く

さて、歴史の前提を記したところで「麒麟がくる」の最終回へと話を進めていこう。

最終回はざっくり言えば、

前半
=本能寺の変へ至る経緯

中盤
=本能寺の変
(&ナレーションで山崎の戦いで明智光秀が敗れたと説明)

終盤
=本能寺の変の3年後、光秀の生存が確認され馬で颯爽と去っていく背中で「完」

という構成であった。

前半部分を「本能寺の変」へ至る経緯とすることで、「それで本能寺の変へ至ったのか」と視聴者が理解できる形となっていた。細川藤孝が羽柴秀吉に本能寺の変よりも先に文を渡し、織田信長が討たれるならそれで良いとしつつ、黒田官兵衛に和睦を急がせるという描写も単なる「中国大返し」よりもリアリティがあった。

そして中盤で「本能寺の変」をしっかりと描き、ドラマ最大の山場として申し分ない衝撃を残した。織田信長の最期、明智光秀の涙を溜めた目の描写もとても印象に残っている。

意外だったのはその後。「本能寺の変」後、明智光秀が坂を転げ落ちるような流れをナレーションで瞬時に済ませた。明智光秀の生死がわからぬまま「本能寺の変の3年後」に話が進み、明智光秀が生き残っていたという描かれ方でドラマは幕を閉じた。

「明智光秀は6月13日に落命した」という説と合わせて、俗に言う「天海説」という生き残ったという説も唱えられている。これに近い流れが「麒麟がくる」の最終回では取られた。

光秀には、生存説が残されています。なんと徳川家に仕えた僧侶・天海だと言われているのです。天海といえば徳川家康の参謀で、大阪冬の陣の発端となった方広寺鐘銘事件にも関わったと言われる高僧。江戸時代初期のキーマンです。

歴史家にはほとんど棄却されている説ですが、ファンにとっては夢のある光秀=天海説。

参考記事:明智光秀は生きていた?「天海説」は「麒麟がくる」では使われるのか?
 
今回の「麒麟がくる」最終回において、徳川家康や菊丸とのシーンが明確に描かれなかったため、この天海説が使用されたとは言えない。しかし、この説に着想を得たクライマックスであったのではないかと思う。

6月13日に落命という壮絶なラストを勝手に脳内でイメージもしていた。しかし、明智光秀が主人公のドラマで「麒麟がくる」という平和な世を願うという主題が掲げられている以上、今回の生き残る結末は最良の形であったのではないだろうか。

もちろんラストシーンは駒の思い描く空想・幻想のエピローグと解釈する方もいると思われ、その解釈は人それぞれでよろしいかと思う。ここは演出側も視聴者に解釈を託していると考えて差し支えないだろう。

「本能寺の変」の3年後において正親町天皇と望月東庵、足利義昭と駒、2つの「実在の人物とオリジナル人物」との対話によって主題を紐解いたのも個人的には気に入った。

駒や望月東庵という「麒麟がくる」におけるオリジナル人物については、常々賛否が割れていた。しかし、実在の人物(正親町天皇や足利義昭ら)の心情を台詞にして炙り出すための対話役としてこのクライマックスでわかりやすく機能していた。そのため私は良い創造、良いオリジナル人物であったと確信した。

これは「本能寺の変」後の明智光秀と伊呂波太夫(同じくオリジナル人物)との対話も同じである。麒麟を連れてくるのは自分だと自信を持って言った明智光秀が、三日天下で終わったのは「麒麟がくる」のドラマに感情移入してる身としては寂しさも感じたのは事実ではあるが。

今の混沌とした世の中へ、まるで明智光秀が私たちの背中を押す力強さを持った神秘的で感動的な結末。「麒麟がくる」という主題において「麒麟がきた」物語では無かったかもしれないが、今私たちが生きる世に「果たして麒麟がくるのだろうか」という問いかけをしたクライマックスに思わず鳥肌が立った。

余談ではあるが、私自身のYouTubeチャンネルにおける「麒麟がくる」第43話考察動画においては、以下のような構成を予想した。

1:本能寺の変

2:中国大返し&光秀の三日天下

3:山崎の戦い

→クライマックスへ

結果的にこれは大ハズレとなった。しかし、予想は外れたが上記述べたように明智光秀を生存させたことは「麒麟がくる」というドラマの主題から逸脱しない素晴らしいクライマックスであったと繰り返し述べておきたい。

–{「挫折しても、転んでも、再起を伺って良い」という強いメッセージ}–

「挫折しても、転んでも、再起を伺って良い」という強いメッセージ

では、明智光秀が生き残るというこのクライマックスは、ドラマとしてどのようなメッセージになっているのだろうか。

勝手な解釈であるが、「麒麟がくる」最終回における明智光秀は、「本能寺の変」で勝ち、「山崎の戦い」で敗れ、その後は死なずに生き残り、駒の台詞を借りれば再起を目指しているという形となった。

人間というのは必ず失敗をする。今大きな成功を手にしている人であっても、悩み苦しみ、失敗した暁に手にした成功である人も多いはずだ。

明智光秀が山崎の戦いで敗れても、再起を伺う。そんなラストは「史実と違うぞ」という否定意見にも繋がるだろう。

しかし、ドラマのメッセージとしてはこれ以上のものはないのではないだろうか。今の社会において、挫折しようが、転ぼうが、再起を伺うことは悪いことではないというメッセージではないだろうか。

そんな説教臭いことは言葉では一切触れられていないが、ラストシーンで馬で走り去っていく明智光秀の背中を見て、私はそんなことを感じた。

「麒麟がくる」ロスは起きそうだが、背中を押されふわっとした爽快な感覚すらある。

ありがとう「麒麟がくる」

ありがとう「明智光秀」

ありがとう「出演者・関係者のみなさま」

「このドラマは良かった」だけではなく、こういった感謝すら述べたくなる大河ドラマであった。この気持を大切にしていきたい。

動画も上げてますので、良かったら合わせてお楽しみください。

来週からは早速新大河ドラマ「青天を衝け!」が始まる。渋沢栄一を描く全く違う物語だが、引き続きNHK大河ドラマを楽しんでいきたいと思う。

(文:ヤギシタシュウヘイ)