『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』の「5つ」の魅力を徹底解説!隠された父と息子の物語とは?

映画コラム

1997年に公開された『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』が、2021年2月5日に金曜ロードショーで放送されます。

(C)1997 青山剛昌/小学館・読売テレビ・ユニバーサル ミュージック・小学館プロダクション・TMS

本作は今に至るまで絶大な人気を誇る劇場版『名探偵コナン』の記念すべき1作目。2016年に開催された歴代映画人気投票では、19作品中第5位と高順位の人気作となっています。

観直してみても、エンターテインメント性がものすごく高く、その後の劇場版に引き継がれる謎解きとアクションの「原点」が明確に存在する快作でした。そして、「真犯人の動機」を考えてみると、深読みができる面白さもあったのです。

ここでは、本作のさらなる魅力を「有名映画のオマージュ」「小五郎と蘭のキャラクター性」「隠された父と子の物語」「3つの事件に関連がある作劇」「後の劇場版がもっと楽しみになる理由」の5項目に分けて紹介していきましょう。

※以下からは『時計じかけの摩天楼』の結末や真犯人を含むネタバレに触れています。まだ一度も本作を観たことがないという方は、観賞後に読むことをお勧めします。

※この記事における解釈は、筆者個人の主観を元に構成しております。参考としつつ、観た方がそれぞれの解釈を見つけていただけたら幸いです。

1:有名映画のオマージュ

『時計じかけの摩天楼』では有名映画のオマージュと思しき展開があります。まず、爆弾魔に電話で指名され、次々と爆破予告と共に出題される謎に翻弄される様は『ダイ・ハード3』(1995)でしょう。

中盤の列車の速度を落とすと爆弾が爆発するというのは、『新幹線大爆破』(1975)。この『新幹線大爆破』は後の『スピード』(1994)の元ネタであるとも語られています。

そして、ラストの時限爆弾の解除にて「赤の線を切るか青の線を切るか?」という決断を迫られるのは『ジャガー・ノート』(1974)の他、多くの時限爆弾もののサスペンスで流用されたアイデアです。

『時計じかけの摩天楼』が秀逸なのは、これらの映画の展開を流用するだけでなく、しっかり独自のアイデアも打ち出していることでしょう。

『ダイ・ハード3』らしい町中を駆け巡る展開も謎解きは独自のものですし、『新幹線大爆破』な爆弾解除までにも「環状線を列車が走る」設定から新たな謎解きを提示していますし、『ジャガー・ノート』的な「赤と青のどちらを切るか」というサスペンスにおいても序盤から提示された「好きな色」や「赤い糸」などの要素から「その色を選ぶ理由」をつくり出しているのです。

何よりも、これらの有名映画の3本ぶんの「おいしい」展開がテンポ良く提示され、それらが1本の映画の中で違和感なく結びついています。これこそが、『時計じかけの摩天楼』がシンプルに面白い理由と言えるでしょう。

余談ですが、テレビ番組『水曜日のダウンタウン』の2017年4月の放送回では「赤や青の線を切ったら止まる爆弾は実在します。けっこう多いですよ」と、本作の例を引き合いに専門家から語られたことも話題となっていました。

荒唐無稽なところもある『名探偵コナン』ですが、本作では犯人がプラスチック爆弾の材料を盗み出しているなど、十分にリアリティにある、納得できる理由も語られていることも長所でしょう(爆弾が登場するサスペンスものにおいて、もっとも重要であるはずの爆薬の入手方法が語られてないことも多いのです)。

–{2:小五郎と蘭のキャラクター性}–

2:小五郎と蘭のキャラクター性

(C)1997 青山剛昌/小学館・読売テレビ・ユニバーサル ミュージック・小学館プロダクション・TMS

『名探偵コナン』を語るにおいて、キャラクターの魅力は欠かせません。本作では、特に毛利小五郎と毛利蘭、それぞれの特徴が初めて観る人にもわかりやすく、そして大好きになれるということも大きな魅力になっています。

江戸川コナンは序盤で早くも1つ殺人事件を解決していますが、ここで小五郎はコナンに「おっ、珍しく冴えてる」と思わせるも、実際は犯人もダイイングメッセージも勘違いしていました。アフターヌーンティーパーティーでも出題された謎を溶けませんでしたし、終盤でも白鳥刑事をも犯人と名指しし怒られてしまいます。劇中では小五郎は探偵としてはいいところがありません、

しかし、小五郎は子煩悩でありまともな倫理観を持った大人でもあります。娘の蘭が高校生なのにオールナイト上映に行くことに反対していますし、子どもの(と思っている)コナンに対しても爆弾を自身で何とかしようとしていたことに、その身を案じて怒っていました。終盤で娘の蘭を犠牲にしようとする真犯人に激昂し、よろめきながら助けに行こうともしていました。こうしたところで、ヘボ探偵だけど憎めない、大切な子どもを守ろうとしている父親としての小五郎というキャラクターが描けているのです。

そして、蘭は終盤まで事件に大きく関わっていませんでしたが、ビル内に閉じ込められた時に、近くにいた女性に「大丈夫よ、もうすぐ助けが来るわ」と声をかけていました。しかし、その直後に扉越しに工藤新一(コナン)の声を聞いた蘭は「何していたのよ。いつもいつも肝心な時にいないんだから。本当にいつも、いつも、わかっているの?私が今どんな目にあっているか……」と涙ながらに答えるのです。こうしたところから、彼女が自身よりも他者の気持ちを思いやる優しい性格と、それでいて不安に押しつぶされそうになっている深刻な想いが存分に伝わるのです。

それでいて、蘭は新一から爆弾を解体するように言われた時、「待って、電話しながらじゃうまくできないよ、今からそっちに行く」と、一歩間違えば死んでしまうその作業に全く躊躇をする素振りがありませんでした。この短い間に彼女の不安と、それを上回る「胆力」を描き切っているのです。

そして、最後に蘭が切ったのは時限爆弾の線は、「自分と(新一が)好きな色」の赤ではありませんでした。「赤い糸は新一とつながっている」からこそ、それを切りたくないと思ったのです。序盤にコナンが「少女趣味」と快く思っていなかったその蘭の価値観を肯定し、そして蘭の新一への一途な愛情をも示すこの作劇は、見事と言う他ありません。

–{3:隠された父と息子の物語(真犯人は何を目指していたのか?)}–

3:隠された父と息子の物語(真犯人は何を目指していたのか?)

(C)1997 青山剛昌/小学館・読売テレビ・ユニバーサル ミュージック・小学館プロダクション・TMS

真犯人であった森谷帝二(名前の由来はシャーロック・ホームズの宿敵であるモリアーティ教授)は有名な建築家でしたが、度を超えた完璧主義者であり、イギリス古典建築のシンメトリー(左右対称)の構造に並々ならぬこだわりを持っていました。彼は若い頃の建築物が完璧なシンメトリーにできず、その存在を許すことができなかったため、凶悪な連続爆弾犯となってしまったのです。

この森谷の、さらなる犯行の動機とも思われる興味深いセリフがあります。彼は、終盤でよろめきながら蘭を助けに行こうとした小五郎に向かって、「あわれな父親の娘への愛か。建築にも愛は必要ない。人生にもな」と口にしているのです。

このセリフの意味を読み解くのに重要なのは、森谷の父の存在です。森谷の父は世界的に有名な建築家で、主にイギリスで活躍していました。森谷自身も高校までイギリスにいて、英国風の建築の傾倒していたそうです。しかし、15年前に別荘が火事になった時に森谷は父と母を亡くし、今住んでいる「完璧にシンメトリーになった屋敷」は父からの遺産であると語っていました。この火事の時から、急に森谷の建築が脚光を浴びるようになったと、白鳥刑事から指摘もされていました。

劇中では明確に語られていませんでしたが、森谷は火事で父を亡くしたことで、「イギリス様式のシンメトリーの建築物を完璧に作り続けること」を人生の目標と定め、それをもって父からの愛に報いようとしていたのではないでしょうか。それも、父から完璧にシンメトリーになった屋敷を遺産として受け継いだタイミングで。それが「建築にも愛は必要ない。人生にもな」という言葉の意味なのだと思うのです。

小五郎に「あわれな父親の娘への愛か」と言い捨てていたのも、その「父が愛していたイギリス様式のシンメトリーの建築物を完璧に作ること」だけが、人生の目標だと信じていた、彼の悲しくも哀れな価値観そのものだと思えるのです。その歪んだ目標が、彼が建築家として成功していた理由にも、そして連続爆弾犯になってしまう理由にもなってしまうのが、また切ないのですが……。

また、森谷は独身であり、アフターヌーンティーパーティーの食べ物も自分で全て作るなど、パートナーとなる人物がいない、この先も必要としないような人物でもありました。まさに「愛のない人生」を体現していたのです。

なお、屋敷に飾ってあった、10歳の頃の森谷と、その父と母が写っていた写真では、森谷は「母親とだけ」手を繋いでいました。ひょっとすると、森谷は生前の父とは(その愛情を感じていたとしても)良好な親子関係を築けなかった。だからこそ、シンメトリーの建築物を作り続け、その他は断じて認めなかったのかもしれません。

–{4:3つの事件に関連がある作劇}–

4:3つの事件に関連がある作劇

もう1つ、本作の物語で皮肉的なことがあります。中盤の目暮警部の回想において工藤新一は、市長の息子が事故を起こした父の身代わりになり罪を背負おうとしていた事件を解決します。このために市長は失脚し、森谷が手がける予定だった新しい町づくりの計画は白紙となってしまいます。森谷が新一を指名し、爆弾の場所の謎解きをさせていたのも、その逆恨みのためだったのです。

市長の息子が罪を背負おうとしたのは、権力者である父の身を案じてのこと。これもまた、森谷とは異なる「息子の父への愛」ゆえの行動だったのです。もちろん、その愛もまた正しいとは、到底言えるようなものではありません。

さらに、この映画の冒頭で起きた殺人事件の動機は、権力者の医者が酔っ払ったまま手術をして失敗したことについて、その圧力から病院関係者からの証言が得られなかった、ということでした。

市長の息子が父の権力者の立場を理由に罪を被ろうとしていたのに対し、権力者がただ理不尽に周りを支配し殺人事件につながることもある……こうして、劇中で起きた3つの事件に関連がある作劇がなされている、ということも本作の美点でしょう。

–{5:後の劇場版がもっと楽しみになる理由}–

5:後の劇場版がもっと楽しみになる理由

ここまで本作を称賛しましたが、正直に申し上げて個人的には不満もありました。それは「少年探偵団がほとんど活躍してない」「小五郎がヘボ探偵のまま」ということ。少年探偵団は吉田歩美の「甘い(パイプの)匂いがする」という証言以外は特に捜査で役に立っているところがないですし、前述した通り小五郎は探偵としては全くいいところがないのですから。

しかし、劇場版『名探偵コナン』の素晴らしいところは、その後の作品でまさに「あのキャラクターの活躍が少ない(ない)」という不満を解消してくれるところにもあります。

具体的には、2001年に公開された5作目の『天国へのカウントダウン』では、人気キャラクターの灰原哀も新たに加えた少年探偵団のメンバーが「お前らみんな最高だ!」と言えるほどの大活躍をしているのですから。この作品では、今回の『時計じかけの摩天楼』の真犯人だった森谷の弟子に当たる人物が登場するという「リンク」もあったりもします。

小五郎が大活躍する作品が観たいのであれば、2005年の9作目『水平線上の陰謀(ストラテジー)』がオススメです。序盤ではいつも以上にだらしない姿を見せているだけに、後半の「対決」のカッコ良さにギャップに惚れ惚れとできます。

合わせて、1998年の2作目『14番目の標的(ターゲット)』も、小五郎の「刑事を辞めるきっかけとなった事件」や「妻と別居した理由」などの過去が描かれるので、観てみると良いでしょう。

好きになったキャラクターが後の作品でもっと大好きになれる。その他の多数のゲストキャラクターの活躍の場もまだまだ残されている。20年以上にわたり、劇場版『名探偵コナン』が愛されているのは、ファンからの「まだまだあのキャラクターが観たい!」という気持ちが溢れている、というのも大きな理由なのではないでしょうか。もしも「あのキャラクターの活躍が少ないな」と不満を持ったとしても、「いつかは大活躍してくれるはずだ!」と希望も持てるのです。

そして、新型コロナウイルスの影響でまるまる1年の延期を経て、2021年4月16日に公開される24作目『名探偵コナン 緋色の弾丸』は、人気キャラクターの赤井秀一が劇場版では5年ぶり、世良真純が7年ぶりに登場する他、羽田秀吉や領域外の妹が劇場版初登場となります。彼らが、またどんな活躍をしてくれるのか、今から楽しみで仕方がありません。

(文:ヒナタカ)