『映画 えんとつ町のプペル』が2021年12月25日に公開され、2021年1月19日現在も興行収入ランキング3位と大ヒット上映中。そんな中、cinemas PLUSでは俳優のテット・ワダが西野亮廣さんへインタビューを敢行。映画の話から未来の話まで幅広く話を聞いてみました。
インタビュー映像
映像(※下記のインタビューと内容は同じです)
インタビュー文
導入:公開されてみて
インタビュアー(以下、テット・ワダ)
みなさんこんにちは。本日は西野亮廣さんをインタビューさせていただきます。
西野亮廣
はい!頑張ります!お願いします!
テット・ワダ
僕はテット・ワダと申します。1991年から20年間アメリカに住んでいまして、その後台湾に3年間。日本に帰ってきて、まだ5-6年なんです。仕事の仕方とか、アメリカと違う部分があって葛藤していた時期があったんですけど、西野さんの『えんとつ町のプペル』を観て、まっすぐでいいんだなって。間違ってないんだなと勇気と元気をいただきました。
西野亮廣
嬉しい!ありがとうございます!
テット・ワダ
実は2回観ました。
西野亮廣
ええ!嬉しい!
テット・ワダ
観れば観るほどですね。ディープで、また観に行こうかなと思っています。
西野亮廣
嬉しい!ありがとうございます!
テット・ワダ
クリスマスの12月25日に公開されまして今日(インタビュー日)で3週間ですね。感想というか、今感じていることは?
西野亮廣
評判が良いので一安心っていうのと、まだまだこれからだなっていう感じですね。
テット・ワダ
評判が本当に凄く良いじゃないですか。その中で西野さんが感想を読んでハッとされるような、意外なことだったり、思っていたのと違うっていうのはありましたか?
西野亮廣
思ってた以上にリピーターの方が多かったのが意外でした。自分自身が、映画を何回も観に行くっていうことをしないものですから。でも、今言って頂いたように「もう1回行く」みたいなことを結構みんな言ってくださっていますね。
作り手としての下心としては、リピーターがいたらいいなっていう気持ちはあったんですよ。でも、そんなにいないだろうなって思ってたんですけども、10回観に行ってる人とか本当に沢山いらっしゃって。そういう類の映画になってるんだなって。
–{バッシングの嵐について}–
バッシングの嵐について
テット・ワダ
今のこの時代、特に日本にすごくフィット感のある映画ですよね?
西野亮廣
確かに。
元々は自叙伝だったんです。自分がテレビの世界から軸足を抜いて、絵本を描き始めた時に、日本中からバッシングがすごかったんですよ。「芸人なのになんで絵本描くねん」みたいな。何かに挑戦する度に、とにかく日本中がバッシングする。
こういう、何かに挑戦すれば叩かれるっていうのは挑戦者の副作用みたいなものだと思ったので……この経験を物語にしようと思ってスタートしたんですけど、僕がバッシングを受けた当時より挑戦者をとにかく叩くっていう社会になりましたよね。
テット・ワダ
日本は誰かがを夢に向かって走ると、何だよあれっていうのがある。すごく残念だなと思います。そんな今の日本にぴったりだなと。
西野亮廣
やっぱり僕がバッシングを受けたのと同じように、挑戦して叩かれている人を応援したいっていうのは強くありますね。
折り合いつけてない人
テット・ワダ
みんな小さい時って色々なことにチャレンジしたいじゃないですか。でもそれがだんだん歳をとってくると、やめた方がいいのかな、諦めたほうがいいのかな、あと流されてしまう社会で。それでもやっぱりどこかでチャレンジャーに対して「いや俺も実はあれやりたかったんだよな」っていう思いがあるのでしょうね。
例えば映画で言うとアントニオ。あの存在が僕にとってはすごく大きかったです。最初はアメリカの悪ガキ的なイメージだったんですけど、実は心の中には「俺も見たい」「頑張れよ」って気持ちとは裏腹に、「お前なんて」ってのがあるじゃないですか。
西野亮廣
もしかしたら、結構な方が心当たりのあるキャラクターかもしれないですね。みんなやっぱりどこかのタイミングで自分の夢に折り合いをつけてるはずなんで。そうすると折り合いをつけてない人を見た時に、もう憎くて仕方がないというか。「俺が折り合い付けたんだからお前も折り合いつけろ」っていう、そういう力学が働くっていうのはあるかもしれませんね。
–{世界配給、そしてディズニーに挑む}–
世界配給、そしてディズニーに挑む
テット・ワダ
この映画、世界へは?
西野亮廣
もう既に世界の配給会社40社ぐらいからオファーを頂いていて。今、順々に話を進めています。自分は始めた時からエンタメで世界取るって決めていたので、そこに向かって走るっていう感じですね。
テット・ワダ
そうすると、やっぱり、敵じゃないですけど、例えばディズニーとかは世界規模じゃないですか。そういうのに対しての考えは?
西野亮廣
正面から挑むっていうことですね。大前提としてディズニーが無茶苦茶好きなんですよ。ディズニーランドも好きで行きまくってますし。ですが、好きっていうことと、挑まないっていうのは別の話なので。
10年くらい前に、「ディズニーを超えたい」って言った時にむっちゃ笑われて、バカにされたんです。クリエイターさんからも笑われたんですよ。
それがすごく悔しくて。悔しいっていうのは、自分が笑われたから悔しいっていうのももちろんあるんですけど、それよりも何より、なんでみんな「ディズニーよりも下でやろうよ」っていうことを良しとしてるんだろうと思って。
例えばクリエイターとかだったら、自分のファンがいる訳じゃないですか。そのファンに対して、自分が提供するものがいつまでもディズニーより下でいいのかって。
それってちょっと不誠実じゃないかって思うんです。今はまだ力及ばずかもしれないですけど、作り手なら「俺が作るものが世界で一番素晴らしくて、あなたに頂いたこの時間は、本当に世界で最高なものにする」って言い切ってくれないとやりきれないじゃないですか。日本中がディズニーに挑むことなしに、「僕たちはこの下で細々とやりましょうよ」って話がまとまってる感じがすごくイヤで。
やるからにはちゃんと挑んで、そこで勝った負けたをちゃんとやりたいなと思って。やっぱり同世代の日本人と戦うのと同じように当然ディズニーともシルク・ドゥ・ソレイユとも全てのエンターテイメントとちゃんと競争するっていうのはありますね。
実際にえんとつ町を作る
テット・ワダ
今までこれも10年近くかけてやってきたわけですよね?
西野亮廣
そうですね。
テット・ワダ
映画一発で終える訳ではなく、そこからまた未来に繋いでくっていう気持ちは。
西野亮廣
もちろん仰る通りで、「えんとつ町のプペル」はミュージカルやVRの製作がスタートしています。あと実際に町を作っちゃうんです。えんとつ町を実際に作ってしまって、そこで生活ができるようにする。
町の中に美術館があり映画館がある、えんとつ町を実際に作っちゃうっていうことです。ディズニーがやられたようなテーマパークというよりは、コンセプトシティーですね。京都やベネチアのような、ひとつのコンセプトでまとまってる町を作りたいんです。
テット・ワダ
日本にですか?
西野亮廣
日本です。それはもう進めていて、それをとにかくやる。結構積極的に進めてますね。
テット・ワダ
みんなが遊びに行けるという?
西野亮廣
そうです。『ランド』みたいな発想って『夢の国』じゃないですか。つまり現実と夢との境界線がちゃんとあって、ここから先は夢の国だよっていう。それよりはボーダーレスで、本当に生活空間の中にファンタジー的な要素があったら面白いなと思っているんです。
電車に乗っていて、どこかのタイミングでよくよく外を見たら「なんかもうえんとつ町っぽくない?」みたいな。京都に行くときと一緒ですね。京都で「ここから先が京都です」みたいな入り口は別にないじゃないですか。ニューヨークでもだんだんニューヨークみたいな感じで、そこはファンタジーっていうよりは本当にそこで生活ができる。それをやります。
テット・ワダ
かなり大きいプロジェクトですね。
西野亮廣
確かに確かに。土地を買い漁ってます!
テット・ワダ
完成はいつになるのでしょうか?
西野亮廣
常にアップデートしていくので…ずっと町が完成しないかもしれない。
テット・ワダ
オープニングはいつぐらいに?
西野亮廣
いつになりますかね。でもまず真ん中に置くのは美術館って決めているんです。美術っていうものを大事にしようと。町の真ん中に何があるのかって結構重要だと思っていて、その町を色付けるものになるので、やっぱ美術館だなと。美術館は多分3〜4年後になると思います。
テット・ワダ
美術館は「えんとつ町のプペル」美術館?
西野亮廣
「えんとつ町のプペル」美術館ですね。実際に町を作ってしまう。そんな感じですね。
–{お金を貯めてしまう日本人}–
お金を貯めてしまう日本人
テット・ワダ
『映画 えんとつ町のプペル』は映画館に入って面白かった、外に出てサヨナラじゃなく、そのあとも考えさせられる映画でしたね。人間て良いところも、黒いところもあるじゃないですか。それらが全て映画に出てたじゃないですか。その中で凄く面白いコンセプトだなって僕が思ったのは腐るお金ですね。
西野亮廣
腐るお金には実際にモデルがあって、1930年代にオーストリアで実際にあった地域通貨なんですけど。時間が経てば経つほど価値が下がったんですよね。だから結構みんな溜め込まずに使っていくっていう。これがもし今日本にあったらどうなのかなって。
日本って、みんな貯金しちゃうんですよ。ちゃんと使わないんですよね。お金を回さないっていうのは、何なんだろうなと思ったんですよ。結論、人のことを信用してないんだなと思うんです。
それこそお仕事で色んなとこに行かせていただくんですけど、フィリピンのスラム街とか行ったときにお手伝いとかしてくれた現地の子供たちに僕お小遣いとかあげたりすることがあるんです。「チョコレート買っておいで」って彼らにお小遣いをあげるんです。そうするとすぐに売店に行ってチョコレートを買うんですけど、それを僕にもくれるんですよ。
根っから貯めないんですよね。何か良いことしたら、巡り巡って返ってくるって信じてるから。
だから自分が貧しいのにも関わらずバンバン与えるっていう。でもそれが結構面白いなと思って。やっぱり与えた人が一番与えられるっていうそういう発想になっている国で。
日本は、「お前に与えて返ってくるのか?」というところに疑いがあるから、まずは貯め込んでしまう。ここって結構人を信じないといけないところで。コロナなんかはまさに協力しないと乗り切れない問題なので。日本人が他人を全然信じないっていう事に対して、ちょっと見直さなきゃいけないタイミングなのかなっていうのがあって映画の中に入れてみてます。
テット・ワダ
日本は歳取った時にお金がないと動けなくなって大変だからって考えますよね。大切だと思うんですけど、本当に日本の人はお金を使わないなと。
西野亮廣
投資の発想が日本人にはあんまりないですよね。自己投資も含めて。日本の学校教育で、お金のことを全く習わないので。もし持ってるお金が沢山あったとしたら、若いうちに自己投資して、知識がいっぱいある状態で人生生きた方がプラスですもんね。
テット・ワダ
普通だったら、そのチョコレート買ったら僕のってなっちゃいますよね。そのお金をくれた人に渡すっていうのがお金の循環というか、そのハピネスが循環してるような気がしますね。
西野亮廣
むっちゃわかります。クラウドファンディングをやると凄く見えてくるんですよ。本当は、学校の義務教育とかでクラウドファンディングをやるといいと思うんですけど。
クラウドファンディングでお金が集まる人ってわかりやすくギバーなんですよ。人にシェアしまくってる人に、チャンスが来るので。その人が挑戦しなきゃいけなくなって「予算が必要です」ってなった時に、返してもらえる。
それまでにどれだけギブしてたかっていうのは、クラウドファンディングが結構可視化するんで。面白いですよね。みんなやると良いと思いますね。
テット・ワダ
クラウドファンディングは、その人の信頼とガッツ、未来に対して一緒に歩もうぜっていうものですよね。そこで成功というか、それを西野さんはエンジョイされてるじゃないですか。今のこの世の中に必要なシステムですよね。まだ日本では、クラウドファンディングって何っていうところがありますよね。
西野亮廣
詐欺みたいな扱いですよね。詐欺ですかってまだ言われるので。ヤバいですよね。
–{新しいビジネスモデル}–
新しいビジネスモデル
テット・ワダ
通常の映画って公開されてからすぐピークが来て、その後テレビやDVDなどへ流れというのが普通ですけど。この映画はロングランになるような雰囲気がありますよね。一年で終わりじゃないような雰囲気が。
西野亮廣
雰囲気ありますよね。
テット・ワダ
ハロウィーンのシーンがあったり。アップビートでドーンと上げられて、映画には入り込めて凄く良いシーンだったと思うんです。ダンスシーンというか、日本でいうとお祭りというか。あれを入れたきっかけというのは毎年…
西野亮廣
仰る通りですね。内緒にはしているんですけれど、読み通りだと思います、やろうとしてることは。
行事ごとにするって結構大事だなと思っていて。
例えば『作品』って究極、『ビジネスモデルが作る』と思うんです。
例えばですね、本を出したら大体1週間-2週間ぐらいは本屋さんの店頭に並んで、横に平置きになるんですけど、3週間くらいから1か月くらい経ったら本屋さんから消えていく。大体このルールになってるんですよ。
そうすると本っていうものが2-3週間で結果を出さないといけなくなって、パッと目に付くタイトルや内容に偏ってしまう。つまりロングセラーがあんまり許されないビジネスモデルになっている。
そうすると同じようなものが出来上がってしまうなと思って、違うビジネスモデルで作品作りをしようと思いました。
国内外で個展を積極的に開いて、その個展会場の出口で自分の絵本をお土産として売っているんですね。それが結構買って頂けるんです。
Amazonとか本屋さんとかは「売れたらラッキー」ぐらいで考えておいて、僕たちの本の売り場の本丸を個展会場にするっていうことです。つまり個展をやめない限り、僕たちが作ってる絵本の売り上げが止まることはないという。
そうなったら「5年とか10年かけて売れたらいいよね」っていう発想になってくるから、それくらいの制作費を本にかけられるので全く別のものが出来上がるっていう。
自分の絵本は33人ぐらいで作ってるんですけど、これまでの本のビジネスモデルでいうと、例えば本当に2-3週間で回収しなきゃいけないとかってなってきたら印税を33人で割ったらとても食えないんです。そこを10年かけて回収しようよっていうモデルにしていると、全然違うものが出来上がる。
映画も同じように1ヶ月くらいで閉じるっていう風にしてしまうと、大体同じ映画が出来上がってしまうので。それは端から考えてなくて。おっしゃる通り行事ごとにしていくっていう考えがありますね。
テット・ワダ
ハロウィーンは、日本では最近といえば最近じゃないですか。今後日本でハロウィーンといえば西野さんの作品の中のアレになるのかなとか。
時期がくればあの曲を思い出し、あの曲を聴けば映画思い出し、観ればあの時期を思い出すっていうのが何となくリンクされてるなぁなんて思いました。
西野亮廣
全部読まれちゃってますね(笑)。読み通りです。
テット・ワダ
こういった作品はなかなか無いですよ。
西野亮廣
嬉しいです。伝えますスタッフに。みんな喜びます。
大きな未来について
テット・ワダ
最後に、西野亮廣さんの未来について。来年-再来年じゃなく、10年-20年を考えた時に何をチャレンジしたいですかね?
西野亮廣
移動遊園地も作りたいですし、たくさんあるんですけれど……。
やっぱり、エンタメってお客さんの安心安全が約束されてようやく届くものじゃないですか。
日本って毎年のように災害がありますよね。最近は特に水害が多い印象がありますけど、そういったときのケアが出来るようにしておきたいですね。
エンタメを作ると同時に被災地支援がちゃんとできるように。チームを組んでその両輪で行くっていうのは積極的にやります。
毎年のように災害があるので、政府に全部お願いするだけじゃなく、自分たちでやれるところから被災地支援をやっていこうと思っています。
インタビュー:テット和田 / 構成:ヤギシタシュウヘイ /撮影:MAKOTO TSURUTA
–{インタビュー後記へ}–
インタビュー後記
『映画 えんとつ町のプペル』を二度鑑賞し、ただその作品の素晴らしさや出来るまでの過程を伺ってみたい。そう思ってインタビューに入りましたが、結果的に映画に留まらず「えんとつ町のプペル」という大きなプロジェクトをより知り、未来へ期待せざるを得ないインタビューとなりました。
何よりも映画ビジネスの当たり前のセオリーを、絵本を制作した時と同じように疑い、未来への仕掛けを既に考えている点に感嘆。西野亮廣はタダでは転ばない。いや、映画は興行収入10億円を既に突破し映画ビジネスとして転んでないわけだが、今までたくさん転んで、バッシングされ、その結果今の西野亮廣がいると思うと胸が熱くなった。
彼の挑戦はまだまだ道半ば。映画はゴールではないことをインタビューで痛感。
ここまでしてでも彼を笑う人はいるだろう。彼の行動を叩く人もいるだろう。今そうであっても、1年後、3年後、5年後とどこかで笑い叩く人たちは心の折り合いを付けることになる気がする。
未来の西野亮廣がただただ楽しみだ。しかし、同時にこう思う。この人のように行動し、突き進みたい。そんな嫉妬心すら植え付けられたインタビューであった。
テット・ワダ プロフィール
TET WADA|テット・ワダ
1973年1月20日生まれ
東京都港区生まれ
18歳で単身渡米。ニューヨーク州立大学バルーク校において経営学士を取得後、アパレル会社に入社。マーケティング業務するもその後モデル転身を決意する。ニューヨークの「Q Models Management」に日本人として初めて所属。VOGUE、GQなどにおいて欧米のハイファッション誌のページを飾り、SONY、HP、MOTOROLAなど多くのグローバルブランドのキャンペーンキャラクターを務めた。
とりわけ、VOGUE FRANCEの紙面を飾ったカナダのスーパーモデル・ダリア・ウェーボウとのキスショットは、アジア人男性モデルが初めてVOGUE PARIS誌に登場したことも大きな話題になった。その後、俳優業をスタートさせ、ニューヨークインディペンデント映画でキャリアを積む。2008年には一時帰国し、TBSドラマ『ブラッディ・マンデー』にスナイパー役として出演。2012年より拠点をアジアに移し、日本や台湾をはじめアジア圏において俳優として活躍している。
(取材構成:ヤギシタシュウヘイ、インタビュアー:テット・ワダ)