『博士と狂人』レビュー:学者と殺人犯が共闘して作り上げたものとは?

映画コラム

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一見地道に見える作業に対して、コツコツと、真摯に従事し続ける人々がいます。

辞書作りもそのひとつに入れられるかもしれません。

三浦しをん原作で映画化&TVアニメ化された『舟を編む』は、個性豊かな面々が辞書制作に没頭していく様を描いたものでした。

本作『博士と狂人』もまた辞書制作の映画です。

ここで作られる辞書とは、世界最大の英語辞典。

そして、邦題が示す通り……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街511》

本作は、世界最大の英語辞典誕生に孤高の学者と呪われた殺人犯が深く関わっていた事実を描いた衝撃のドラマなのでした。

しかも演じるのは博士=メル・ギブソン、狂人=ショーン・ペンという、二大スターの火花散る競演!

世界最大の辞書編纂に挑んだ博士と狂人!

本作は41万語以上の収録語数を誇る世界最大の英語辞典「オックスフォード英語辞典」誕生にまつわる秘話を描いたサイモン・ウィンチェスターの小説「博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話」を原作にした映画です。

時代背景は19世紀後半のイギリス。

南北戦争での過酷な体験で心を病むようになった元軍医大尉ウィリアム・チェスター・マイナー(ショーン・ペン)は、イギリスに渡った後の1872年、幻覚による精神錯乱から殺人を犯してしまいますが、精神異常のため無罪判決となり、そのままブロードムア刑事犯精神病院に入れられました。

その頃、オックスフォード大学に呼ばれたジェームズ・マレー博士(メル・ギブソン)は、同大学が20年かけて製作を目指すも未だに完成のめどが立たない英語辞典の新たな編纂責任者に任命されました。

マレーは辞典にすべての英語(古語、廃語、俗語、外来語など)とその変遷を収録すべく、学者や専門家だけでなく広く一般に単語と用例を書いて郵送してもらうよう声明文を出します。

そして病棟内で幻覚に苦しむマイナーの対処法として、看守マンシー(エディ・マーサン)が差し入れた本の中に、その声明文が入っていました……。

しばらく時が過ぎて1885年、編纂作業が未だに「A」のまま足止めを食って苦境に立たされていたマレーのもとに、何と引用文を記した1000枚のカードが届けられます。

送り主はマイナーでした。

その後も定期的に膨大な量のカードがマイナーから寄せられ、マレーの作業はぐんぐんはかどっていきます。

と同時に、マレーとマイナーの間に不思議な絆が生まれていくのですが……。

–{地道な作業の裏に秘められた壮大な人間ドラマ}–

地道な作業の裏に秘められた壮大な人間ドラマ

このように本作はマレーとマイナー、博士と狂人の不思議な奇縁と共闘を描いていきます。

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マレーは学士号を持たない叩き上げの学者で、それゆえに理事会から疎まれていました。

マイナーはもともとはインテリながらも、戦時中の心の傷が癒せぬまま、その悪夢に苦しみ続けています。

そんな中で二人の交流は、お互いにとって生きる上での大きな励みになっていきます。

またマイナーは自分が殺した男の妻イライザ(ナタリー・ドーマー)への償いの想いから、徐々にお互いの気持ちを通わせていくようにもなります。

しかし、そのことが結果としてはマイナーの繊細な心を再び苦しめることになり、ひいてはマレーとの交流にもひびが入っていき、辞書編纂に影響を及ぼすとともに、マレーの立場も危うくさせていきます。

いやはや、辞書編纂という地道な作業の裏に、かくもすさまじく壮大な人間ドラマが秘められていた事実に驚かされますが、それを体現していくメル・ギブソンとショーン・ペンの名演がさらに大きな説得力を持たせています。

元々本作は原作にほれ込んだメル・ギブソンが、20年の構想を経て完成させた執念の作品なのでした。

俳優としては『マッドマックス』シリーズなどアクション・イメージの強い彼ですが、監督として『ブレイブハート』(95)や『パッション』(04)『ハクソー・リッジ』(16)など壮大な問題作を連打してきた才人ならではの奥深い見識に裏付けられながら、静謐な中にも激しい情念を籠らせた秀逸な人間ドラマとして見事に屹立しています。

“狂人”を演じるショーン・ペンの鬼気迫る存在感も特筆しておくべきでしょう。

繊細であるがゆえに心を病み、そのことに苦しみ続け、さらには殺した相手の妻を愛してしまったことへの罪悪感など、激しい衝動に翻弄されては己を傷つけていってしまう男の悲劇を見事に演じ切っています。

監督はメル・ギブソン監督作品『アポカリプト』(06)脚本に参加したP.B.シャムランで、これが初監督作品となりますが、誠実かつ着実な描写の数々で見る者を19世紀末のスケール豊かな世界へ誘ってくれます。

天変地異や戦争みたいな派手な要素がなくても、映画はどんなジャンルであれ心のスペクタクルとしての醍醐味をもたらせてくれる。そのことを改めて痛感させてくれる作品です。

しかも、やはりそれが辞書編纂という地道な作業の中に秘められている事実にも、改めて感嘆せざるをえないのでした。

(文:増當竜也)