『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』レビュー:“家”にこだわる“人”から窺える“今”

映画コラム

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コロナ禍も災いして不況の続く日本ではありますが、まだ大抵の人は大なり小なりの住まいがあるかと思われます。

ただ、アパートやマンションとかではなく、自分の家を持ちたい、自分の家に住みたいと願い続けている人も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

今回ご紹介する『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』も、かつてご先祖様が建てたという家に住みたいと願う黒人青年およびその周辺の人々の行動の数々から、現代アメリカ社会が抱えるさまざまな問題点が浮き彫りになっていくとともに、どこの国でも不変であろう家族の絆、友情などの情緒が見事に醸し出されていくヒューマン映画です……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街509》

サンダンス映画祭監督賞・審査員特別賞をはじめ世界中で数々の映画賞を受賞し、絶賛された秀作がいよいよ日本上陸です!

祖父が建て、かつて住んでいた家に無断で住み着く黒人青年

『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は、その名の通り、サンフランシスコで暮らす黒人青年たちのお話です。

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ゴールドラッシュを含む長い歴史と見映えの美しい海を抱く一方、都市開発や産業発展に伴って今や“最もお金のかかる街”とも謳われ、それらのひずみで奇形魚が生まれるなどの公害問題も深刻化し、防護服を着た者たちが闊歩していたりもするサンフランシスコ。

貧富の差や偏見、差別、対立なども普通にまかり通っているかのようなこの街で、ジミー(ジミー・フェイルズ)とモント(ジョナサン・メジャース)は生まれ育ちました。

ジミーは父との関係が良好ではないようで、今はモントの家に寝泊まりしています。

さて、街のフィルモア地区には、観光名所となって久しいヴィクトリアン様式の美しい屋敷があります。

その家はジミーの祖父が建て、かつては家族で住んでいたこともあったのですが、今は初老の白人夫婦の所有物となっています。

ジミーはその家をサンフランシスコの歴史とともにある“先祖の魂の生きる家”とみなしているかのように、常に憧れを抱き続け、ついには勝手に入り込んでペンキを塗り直したりして夫婦の叱責を受けることもありました。

そんなあるとき、夫婦が屋敷をワケありで手放すことになり、これを機にジミーは再びこの家を手に入れるべく奔走し始めます。

もっとも、売りに出された家を買えるほどのお金が、貧しい彼にあるわけもありません。

しかし「我が家に勝る場所はなし」とばかりに、ジミーは勝手にその家をリフォームし始めていくのでした……。

–{人と家、そしてサンフランシスコ}–

人と家、そしてサンフランシスコ

本作は主演ジミー・フェイルズの人生のキャリアを基に、彼とその旧友でもあるジョー・タルボットが原案を構築し、タルボットが長編初監督に挑んだ作品です。

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ジミー・フェイルズは6歳までサンフランシスコのフィルモア地区で育つも、その後立ち退きを余儀なくされ、その後は公営住宅や避難施設で暮らしていたとのこと。

フィルモア地区は、もともと日系人が移住し発展させてきた地区でしたが、1941年12月に勃発した太平洋戦争のあおりを受けて、翌42年に日系人は収容所へ強制移住。その後は黒人が中心となって同地区のコミュニティを確立していったものの、やがては彼らも白人富裕層によって立ち退きを余儀なくされていったという経緯があります。

その意味ではアメリカ白人社会のひずみを体現しているかのようなサンフランシスコのフィルモア地区ではありますが、ジミー・フェイルズは同地区に住んでいた幼い日々の思い出を忘れたことはなく、その象徴として当時自分たちが住んでいた家があったとのこと。

人が生きる上で「家」とは一体何なのか?

少なくともフェイルズにとっての「家」は、祖先から脈々と受け継がれるアイデンティティを体感できると信じられる空間なのかもしれません。

だから本作の主人公ジミーも徹底して「家」にこだわります。

一方で、ジミーの親友モントは、住む家があるのかどうかも定かではないようなチンピラ黒人グループとの交流を図りつつ、ひいてはそれがひとり舞台の公演に繋がっていきますが、グループの存在は彼らにとっての「家」なのか否か?

また、いつもモントの解説付きでテレビを見ている盲目の祖父(ダニー・クローヴァー)の存在も、終の棲家としての「家」を痛感させられます。

さらには黒人だけでなく、ジミーらを叱責していた白人夫婦が遺産相続のトラブルで家を手放さざるをえなくなったときの慟哭も、本作は決して見逃しません。

アルツハイマーなのか、全裸でバスを待つ白人老人(彼の家は、つまり家族は一体どういう状況なのでしょうか?)を観光客が変態とからかう短いシークエンスからも、サンフランシスコの、そして世界の「今」が見えてきます。

本当に、人にとって「家」とは一体何なのか?

正直、今の日本社会ではここまで「家」にこだわりを示す人はさほど多くはないかもしれませんが、今の不況がさらに深刻化していったとしたら、ジミーのような人間も増えていくかもしれません。

後半の意外な展開も含めて、人と家の切っても切れない関係性をサンフランシスコの街に託して描いたヒューマン映画として、映画ファンならずとも見逃せない作品です。

(文:増當竜也)