『ようこそ映画音響の世界へ』レビュー:全ての映画ファン必見の“音”の魅力!

映画コラム

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結論から先に言わせていただきますと、この映画『ようこそ映画音響の世界へ』は、一度でも「映画が好き」と思ってみたり、あるいは「自分は映画ファンだ」と自認したことのある方ならば、絶対に見ておくべき作品です。

本来、こういった映画こそが、全国のシネコンの一番大きなシアターで公開され、老若男女を問わず人々へ映画における画と音が融合されていく上での魅力やらカタルシスを広めていくべきではないかとまで思えるほどです。

いわば映画ファンがこれからますます映画を好きになっていくための〝必須映画”!

映画に音が入っていることを、当たり前のように感じている人はいませんか?

もともと映画に音はありませんでした。

今から100年以上前の映画は音のない無声映画であり、日本では映画の上映中に弁士が物語を語り、楽団が音楽を生演奏していました(先ごろ公開された映画『カツベン!』でそのあたりのことは描かれていましたね)。

しかし、やがて技術が発達し、1927年のアメリカ映画『ジャズ・シンガー』を皮切りに、音楽やさまざまな環境音などの音を映画に入れられるようになったことから……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街497》

映画はより一層表現の幅を広げた秀逸なるエンタテインメントとして屹立していくことになったのです!

映画の中の音はいかに構築されていく?そして、その歴史の歩みとは?

ミッジ・コスティン監督の2019年度作品『ようこそ映画音響の世界へ』は、アメリカ製作のドキュメンタリー映画です。

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ハリウッド100年の映画の歴史とともに、映画の音はどのように作られ、またどのように活かされてきたのかを、映画音響技師や映画監督などさまざまな映画人のインタビューや、証言の数々を裏付ける実際の作品映像とともに、実に分かりやすく構成されています。

以前、映画における映画音楽の魅力とその構造に迫ったドキュメンタリー映画『すばらしき映画音楽たち』(16)もありましたが、今回は映画音楽も含む映画の“音”とは何ぞや? をとことん追求してきます。

例えばジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』(77)に登場するロボットR2-D2の声は、どのようにして作られたかご存じですか?

また、もし彼の声があのピポピポとした愛らしいものでなかったとしたら、印象はどう変わったことでしょうか?

『スター・ウォーズ』に限らず、SFやファンタジーものでは現実にない音をいっぱい用意し、しかもそれらが作品世界に見合ったものになっていなければなりません。

音響技師たちはどのようにして、それらの音を用意するのか?

では、日常社会をリアルに描いた作品などの場合はどうなるのか?

ただ単に、撮影現場の本番の音を録音すればいいのでは? なんて安易に思い込んでいる人はいませんか?

実際は日常の音を映画館で再現するために、音響技師たちはひとつひとつの細かい音を幾重にも重ねていき、ときには現実にはない音まで合わせながらその映画ならではのリアルな音を構築していくこともあるのです。

こうした作業は画の華やかさに比べてなかなか気づかれないものですが、まさに縁の下の力持ち的な存在、それが映画音響です。

論より証拠で、テレビをつけて映画でもドラマでもなんでもボリュームを0にして見てみてください。

何とも味気ない、そのうちすぐに飽き飽きしてしまうこと必至でしょう。

そういえば故・大林宣彦監督は、『E.T.』(82)の初公開当時に「耳をふさいであの映画を見ると、何ともへたくそな映画なのがわかりますよ」と、ちょっとスピルバーグをディスっているようにも聞こえつつ(!? お断りしておきますが、大林監督はスピルバーグ映画のファンでした)、映画における音がいかに重要であるかをコメントしています。

–{映画ファンを音の虜にした『地獄の黙示録』の音響}–

映画ファンを音の虜にした『地獄の黙示録』の音響

本作を見ていくと、映画音響の魅力を簡明かつ奥深く伝える最大級の映画としてフランシス・F・コッポラ監督の『地獄の黙示録』(79)を挙げ、その音響デザイナーを務めたウォルター・マーチに限りないリスペクトを捧げつつ、彼らの世代によって映画音響が飛躍的に向上していった歴史的事実までも網羅していることがわかります。

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個人的にも1980年の春、『地獄の黙示録』を初めて映画館で拝見したときの音の衝撃は、今も耳に焼き付いています。

冒頭、劇場内のあちこちを浮遊するヘリコプターの音にドアーズ《THE END》がかぶさっていき、画は爆撃されるヴェトナムのジャングル(爆撃音はなし)から、サイゴンのホテルの一室に横たわるウイラード中尉(マーティン・シーン)のアップなどとオーバーラップしていき、どこか幽玄なるファンタジック性をもたらしながら、彼のつぶやくようなモノローグから壮大なる映像オペラ(公開時、そうたとえた人もいました)が繰り広げられていく。

また映画の前半部、キルゴア大佐(ロバート・デュヴァル)が兵士らにサーフィンさせてやりたいがために敵地を急襲するくだりで、ヘリコプターのスピーカーから景気づけにワーグナーの《ワルキューレの騎行》をボリューム最大限に流しながら現地へ向かい、やがて爆撃を敢行する際のおぞましいまでの昂揚感などなど、まさに音がもたらすさまざまな魅力が充満されていたのが『地獄の黙示録』でもありました。

こうしたウォルター・マーチの驚異的実績に感銘を受けた若き映画ファンの多くが、やがて彼の後を追いかけながら音響技師となり、さらなる音の飛躍を果たしていくことも、この映画は伝えています。

こうして考えていくと、映画の音響は映画館で見ることを前提に構築されており、その意味ではTVなどで映画を見ても(ましてやスマホなんて!)それは真に作品の魅力を体感していることにはならないことにも改めて気づかされることでしょう。

世界的な自粛の風潮で映画をソフトや配信で見る機会がぐんと増えてしまった昨今ですが、やはり映画ファンならば映画館で映画を見てこそ、その本質に接することができるのではないかと確信をもって言うことができます。
(もっとも音響設備の良くない映画館は避けましょう。昭和の昔、音が籠って台詞が聞き取れない映画館の何と多かったことか……)

などなど、こちらがいくらへたくそな文章で本作をアピールしても、文字で音の魅力を表現することの限界を痛感させられるのみ。

もう論より証拠で、何度も繰り返しますが映画ファンを自認する方は絶対的なまでに本作を見てほしい必見作です。

特に、これから映画ファンになりそうな若い世代がこれを見たら、その後はもう画と音の融合がいかになされるかを基軸に映画鑑賞していくこと必至。

『ようこそ映画音響の世界へ』という優しくも簡明な邦題に装われた作品世界の中には、映画本来の観客に対するおもてなしの精神と、その精神を具現化するための音響面スタッフの努力と苦悩と誇りがぎっちり詰め込まれているのです。

今後「『ようこそ映画音響の世界へ』を見たけど、面白かったよ」なんて言ってる方がいらっしゃったら、本当の映画ファンだなと認識するようにしたいと思っています。

P.S.9月25日公開の『映像研には手を出すな!』でも、映像を構築する上で音響がいかに大事な要素であるかが面白おかしく、そしてわかりやすく描かれています。本作と続けてみると、楽しさは倍増すること間違いなしでしょう!

(文:増當竜也)