(C)2020「君が世界のはじまり」製作委員会
ふくだももこ監督と主演・松本穂香といえば、お父さんがお母さんになってしまった一家を微笑ましく描きながら、
性別の垣根を優に越境させ得た快作『おいしい家族』(19)を手掛けた名コンビです。
そして今回、このふたりがまたさらなるユニークな世界を銀幕の中に開拓させました。
しかも今回は青春群像劇映画『君が世界のはじまり』として!
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街490》
今度はなかなかクールで熱い思春期の焦燥感を炸裂させていくことで、またまた快作足り得ているのでした!
自分を持て余している6人の高校2年生
『君が世界のはじまり』は、ふくだももこ監督が2016年に第40回すばる文学賞佳作を受賞した短編小説「えん」と「ブルーハーツを聴いた夜、君とキスしてさようなら」を映画用に組み合わせて再構築した作品です。
脚本は『リンダリンダリンダ』『もらとりあむタマ子』『愚行録』などで知られる俊英・向井康介。
舞台は大阪のある町、そこで高校生による父親の殺人事件が起きたのですが、映画はその数週間前に遡って始まります。
この町には、自分をもてあましている高校生が多数います。
それは日本中どこにでもいる存在といってもよいでしょう。
本作で描かれるのは、その中の6人の高校2年生男女です。
まずは、成績は学年1位でどこの大学でも行けそうな秀才ながら、幼馴染の琴子と一緒によく学校をさぼるえん(松本穂香)。
えんと真逆に成績が学年ビリで、過激な性格でスモーカー。男のことを基本的にアホとみなしつつ、とっかえひっかえモテまくりの琴子(中田青渚)。
なお、えんの本名は縁(ゆかり)と呼ぶのですが、琴子から「ゆかり言うより、えんっぽいわ」と言われてあだ名がそうなった次第です。
その琴子が純愛に目覚めた? 相手はサッカー部のナリヒラ(小室ぺい)。一見穏やかそうながらも、実は父親が問題を抱えているなどの悩みを隠しています。
同じくサッカー部主将でナリヒラとも仲が良い岡田(甲斐翔真)は女子の人気抜群ながらも、肝心の琴子からは全く相手にされず……。
一方、母親が家を出ていったのは父親のせいだと思い込んで無視しつつ、ブルーハーツの歌に慰められ続けている純(片山友希)。
彼女は東京から引っ越してきた伊尾(金子大地)と「関係」を持つようになります。
同じくブルーハーツ好きで、いつも独りでいる伊尾ですが、実は義母とも「関係」があり、純もそのことを知っています。
–{思春期にのしかかるさまざまな関係性}–
思春期にのしかかるさまざまな関係性
本作はこうした6人の男女がそれぞれ関わったり、ぶつかったり、共闘したりする姿を瑞々しくもどこかしら寂しげに、しかしながら少しだけ温かい風が吹いてくるような世界観の中で進められていきます。
1対1の関係性だったのが、ちょっとした三角関係に微妙に絡み合っていったり、クライマックスの閉店後のショッピングモールで繰り広げられるみんなのファンダンゴであったり(しかし、そこに一人だけいなかったり)などなど、さまざまな組み合わせの中から思春期の繊細な想いが巧みに描出されていくのです。
また彼らのバックボーンに“親”という存在が重さの大小はともかくとしてのしかかっているあたりは、とかく親の存在を無視しがちな昨今のキラキラ映画のノリとは一線を画したリアルなものを痛感させられたりもします。
(だって10代の頃って、親ほどそばにいて鬱陶しい存在はなかったですものね、でも、いざというときにはいてくれないと実は大変困る、といったあたりも煩わしかったりして……)
前作『おいしい家族』に比べると今回はシリアスなタッチも多く見受けられますが、それでもふくだ監督ならではのキャラクターひとりひとりに対する慈愛の目線はひしひしと感じられます。
また、その目線に呼応するかのように瑞々しく画面の中で立ち回り続ける6人の心地よさたるや!
さすがに6人の中ではやはり松本穂香の上手さが光り、また彼女が他の5人を巧みに引っ張っている感もあります。
が、個人的には印象鮮やかだったのは琴子役の中田青渚で、あの猪突猛進的な過激少女の近くにいる者らはさぞ大変だろうと思いつつ、おそらく彼女はその後一生忘れられない高校時代の思い出の存在になること間違いなし。
そう、この作品、現在進行形の10代から20代の今をリアルに描きつつ、かつては現在進行形だったこちらのようなロートルにまで心の奥底まで訴求していく力を大いに持ち合わせています。
その意味では老若男女を問わず、大いに堪能できる逸品であると強く断言しておきたいところです。
鑑賞後「何か良いもの見ちゃったな……」という気持ちにさせられること間違いなし!
(文:増當竜也)