(C)2020「Red」製作委員会
ここ最近、週替わりのように報道される不倫ニュースの数々に、正直うんざりしています。
もちろん不倫を肯定する気などさらさらありませんが、こういうのは当事者たちの問題であり、外野からあれこれいうものでもないでしょう。
(報道も他に大きく採り上げるべきものがたくさんあるのに、何やってんだか……って、今更ながらの愚痴としか今や受け止められなくなって久しいご時世でもありますが)
また今はSNSの発達のせいもあって、不倫の当事者たちに対して激しいバッシングがなされては炎上、といった事象も懲りることなく繰り広げられてはいます。
ただし、深いところでの事の真相(深相とでもいうべきか)もわからないまま、上っ面の報道だけを鵜呑みにしながら、第三者が頭ごなしに彼ら彼女らをまるでストレスのはけ口のように叩き続けるのも大きな暴力にしか思えない部分もあります。
一方で、映画や小説などはこれまで数知れないほどに不倫をモチーフにした作品を発表してきました。
人生の光と闇を描くに長けたこれらのメディアは、日頃「禁断」とされるものにこそ着目し、またそこからは当事者たちの「なぜこのような行為に至ったのか?」といった内面心理を描出していくことで、人間の本質を見極めようとしているかのようでもあります。
2月21日より公開される映画『Red』もまた、ひとりの人妻の道ならぬ恋を描いた作品……などと記してしまうと身も蓋もないほどに、ヒロインの心の推移や周辺の状況、それに伴う葛藤などが繊細かつ見事なまでの説得力をもって描出された恋愛映画の、いや人間ドラマとして一大収穫ともいえるでしょう……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街442》
原作は「ナラタージュ」や「ファースト・ラブ」などで現代女性の圧倒的支持を得続ける島本理央の同名小説。監督は『少女』(16)『幼な子われらに生まれ』(17)など人間の心理を細やかに描き続ける三島有紀子。
即ち、この作品は21世紀も20年経ち、令和などと元号が変わっても、何ら解決されない(むしろ複雑化してきている?)現代女性の生きづらさや息苦しさ、また現代においてもそれを無自覚なまま強い続けている男性のエゴなどを秀逸な映像センスで描き得た秀作なのです。
一見幸せな生活を送る主婦にもたらされる人生の試練
映画『Red』は大雪の夜、電話ボックスの中で受話器を握りしめている女・村主塔子(夏帆)と、停まった車の外から彼女を見つめ続ける男・鞍田秋彦(妻夫木聡)の、寒々しくもどこか異様で虚無的にも映える風景から始まります。
果たして、ふたりの関係性は……?
映画は回想に入ります。
塔子は一流商社に勤務する優しい夫・真(間宮祥太朗)と幼い愛娘の翠、そして真の親と同居しています。
はたから見れば何一つ不自由のない、明るく恵まれた家庭。今のところ深刻な嫁姑問題もなさそうです。
しかし、よくよく見ていくと「おなかが空いてないから」と塔子の作った料理を拒みつつ、姑の作った煮つけは「後で食べる」とさらっと言ってしまう真を黙認するなど、どこかしら塔子は自分を抑え込みながら生活しているかのような趣きもあります。
そんなある日、真に連れられて訪れたパーティの場で、塔子は鞍田(妻夫木聡)と10年ぶりに再会します。
塔子は学生時代に鞍田の設計事務所でアルバイトをしており、一時は男と女の関係になったものの、当時の倉田は既婚者であったことから、それ以上危険で深いところまで行くことはありませんでした。
しかし今の鞍田はフリーで、友人の会社で設計の仕事を携わっているとのこと。
久々の再会に戸惑う塔子でしたが、まもなくして鞍田が務める会社に誘われます。
共稼ぎする必要のない裕福な暮らしを自負している真は不満気ですが、無下に反対もしきれぬまま塔子の就職を認めます。
働き始めることで、家庭にはなかったやりがいを徐々に見出していく塔子。
しかし、同時に鞍田との関係も再び呼び覚まされていくことになり……。
–{人が心の中に想うことは誰も止められない}–
人が心の中に想うことは誰も止められない
このように本作は、恵まれた環境で生活していたにも関わらず、禁断の恋に落ちていくことで今後の人生の試練の選択を迫られていくことになるヒロインの心の葛藤を通して、現代を生きる女性そのものの立場や苦悩などまで象徴的に描いていきます。
彼女に対して「贅沢な暮らしさせてもらっといて、何を好き勝手なことやってんだ」などと、安易に非難するのは非常に簡単でしょう。
しかし、人が心の中に想うことは、誰にも止められないものです。
特に彼女の場合、幼くも愛しい娘がいるということが、後々の大きな試練となっていくさまは痛々しいほどです。
とにもかくにも、塔子を演じる夏帆の存在感に圧倒されます。
『天然コケッコー』(07)など少女時代からの可愛らしい面影を今も残しつつ、その実ここまで女の業みたいなものまで自然に醸し出せる女優になっていたことに驚きを隠せないほど。
一方で、男の目線からこの作品を見据えていきますと、もうただただ「ごめんなさい!」と塔子および世のすべての女性に謝りたくなること必至でしょう。
特に真は優しい夫を自負しつつ、どこかしら日々の塔子の心を閉じ込めてしまっていることに何ら気づいておらず、また「男は女を守るもの」「家庭を支えるのは夫の使命」「子育ては妻の仕事」とでもいった、昔も今も変わることのない概念に知らず知らずの内に取り込められていることが、第三者たる観客からは一目瞭然。
どちらかというと『全員死刑』(17)などエキセントリックな役柄が印象深い間宮祥太朗に“優しい夫”を演じさせたことで、本作の裏テーマのひとつでもあろう「優しさを鼓舞することでもたらされる暴力」みたいなものまで巧みに浮かび上がっていきます。
不倫=悪といった安易な目線で捉えると今回最大のワルともいえる鞍田ですが、彼が抱える意外な内情であったり、何よりも演じる妻夫木聡の醸し出す妖艶な趣きはどこかしらメフィストのように塔子を甘美でピカレスクな道へ誘っているかのようで、実は塔子も心の奥でそんな彼を白馬の(実は邪悪な?)王子のようにみなしている節も感じられてなりません。
今回の妻夫木聡はそういった説得力とも魔力ともいえるような魅力を、同性から見て嫉妬するほどに全身から発散させ得ています。
逆に男性目線で少し救われるのは、塔子が務める会社の同僚・小鷹でしょう。何かと塔子にちょっかいを出そうとする軽薄なキャラクターであるにも関わらず、いつしか彼女の心を開く共感者となっていくあたり、柄本佑の個性豊かな演技で映画の深刻度をふと和らげる良きクッションになっていました(こういった「恋人にはなれないけど、お友達でいましょ」的な男って、世の大半を占めていると思います……)。
映画そのものは夜の雪道を車で走らせる鞍田と塔子の“今”と、そこに至るまでの歩みが巧みな編集で交錯していきます。
白く寒々しい雪景色と、時折浮かび上がる「赤」の色の対比が『Red』というタイトルおよび、塔子の心の中の寒さと熱さの双方を映しこんでいるかのようです。
また一度見ただけでは気づかないであろう、回想シーンでのたとえば一見温かみのある色合いの幸せそうな家庭内セット(二世帯が同居しているのにキッチンはひとつ)とか、さりげなく置かれた小物の数々、また専業主婦だった塔子が働き始めてからの衣装の変化など、実に様々なところにまで繊細に目配りされた演出およびスタッフワークの妙にも唸らされっぱなし。
そして極めつけはこの作品、原作とはラストが異なります。
しかし原作者の島本理生は、今回の三島有紀子監督が下した結末を大いに称賛しています。
それは小説を読むことでイメージされる世界と、ダイレクトに映像を見ながらイメージしていく世界には微妙な違いがあることを、このふたりの作家は承知しているからだと思われます。
またクライマックスに至るまでの塔子の心情が見事に描かれていることで、こうなると彼女には様々な人生の選択肢が待ち受けている。つまりは小説の選択肢も、映画の選択肢も、どちらもありえるのだというリアリティが双方ともに醸し出されているからに他ならないでしょう。
映画は光も描けば闇も描きます。すべてが思い通りに事が運ぶ明朗健全な作品も楽しいものはありますが、なかなか思い通りにいかず、他人からいかに非難されようともどうしようもない方向へ転がっていく心の苦悩を描くのもまた映画の妙味です。
あくまでも個人的意見ですが、ある程度映画や小説などの文化に親しんできている人は、昨今の不倫やら麻薬所持やらのスキャンダルに対して安易な反応を示すことはないように思っています。
なぜならそういった文化を通して、人の心には闇があることを知っているからです。
ついついSNSにあれこれ書き込みたくなる心情もわからないではないですが、それよりも『Red』のような映画を見て、現代の女性の生き方、男性の生き方、そして社会の偏見やら何やらに想いを馳せながら、自分の心(自心)を豊かに育ませていくほうが得策のように思えてなりません。
(文:増當竜也)