(C)2019 こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
2019年12月20日より『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開となりました。
これはこうの史代の人気コミックを原作に、戦時下の広島・呉を舞台に市井の生活を描いて、2016年度の映画賞を総ナメした片渕須直監督の長編アニメーション映画『この世界の片隅に』に大幅な追加シーンと再編集を施した長尺ヴァージョンです。
この秋の東京国際映画祭やその後のマスコミ試写では30分ほど長い2時間40分版の途中経過版がお披露目されましたが、完成版はさらに10分前後は長くなっているとのこと。
途中経過版の段階で初公開版とはかなり印象の違うものになっており、特に映画化にあたって原作から多くの出番をオミットされた娼婦りんさんのシーンが大幅に増えており、原作ファンは溜飲が下がること必至。またこれによってヒロインすずさんの嫉妬など女としての生々しい部分などが強調されており、より奥深い世界観が描出されています。
今回はそんな『この世界の(さらにいくつもの)片隅に」公開を記念して、この映画の舞台となった戦争の時代を市井の目線で描いた(いくつもの)映画をご紹介していきたいと思います。
戦時下でも変わらない母子の絆を描いた『陸軍』
まずは木下惠介監督の1944年度作品『陸軍』から。これは戦時中に製作されたもので、幕末から日清日露の両戦争、そして日中戦争に至る60年余の歴史を三代にわたる軍人家族の立ち位置から描いていくもの。
(C)1944 松竹株式会社
戦時中の映画ということで、当然日本国民の戦意昂揚を目的に作られたものでした。
しかしデビューして間もなかった木下惠介監督は「戦争があろうとなかろうと、親と子の絆に何の違いがあろうか?」といったヒューマニズムの視点をなくすことなく演出にあたり、その想いが高じすぎて、息子が出征していくラスト・シーンで、見送る大群衆の中延々と我が子を追いかけていく母(田中絹代)の姿を映し出していきます。
おかげで本作は太平洋戦争開戦3周年を記念して1944年12月8日に全国公開されたものの、当時は多くの観客から「めめしい」「士気がなえる」といった批判を受けるとともに、軍部から睨まれることになった木下監督は会社に辞表を出して田舎に帰省し、終戦まで映画を撮ることはできませんでした。
(このあたりのエピソードは、2013年の原恵一監督作品『はじまりのみち』で描かれています)
木下監督自身、別に軍部に逆らう気も何もなく、ただ上記に記したように母と子の絆を描きたかっただけなのに、そういった人として当然の想いすらバッシングしてしまう当時の国民感情とは何だったのか、そういった背景もおさえながら鑑賞すると、より現代との比較や類似点なども痛感させられることでしょう。
–{黒澤明監督の乙女讃歌!『一番美しく』}–
黒澤明監督の乙女讃歌!『一番美しく』
木下惠介監督と同時期に監督デビューし、以後生涯の友でありライバルとして拮抗しあった名匠・黒澤明監督が、戦時下の軍需工場で働く女子挺身隊の姿を描いた作品が『一番美しく』です。
(『この世界の片隅に』のヒロインすずの妹すみちゃんも、こうした女子挺身隊の一員として軍需工場で勤労動員していました)
こちらも戦時下の1944年に作られたもので、やはり戦意昂揚を目的にしたものではありましたが、黒澤監督は軍国主義的なメッセージ臭を極力抑え、非常時に真摯に向き合う女子工員たちの日常をドキュメンタリー・タッチで描くことで、不思議なまでに登場する女子らの可愛らしさを醸し出していきます。
黒澤映画といえば『七人の侍』(54)をはじめ男臭いバイタリティに富んだ世界映画史上に残る名作群があまりにも有名ですが、本作はそんな“世界のクロサワ”が若き日に撮ったキラキラ乙女映画といっても過言ではなく(!?)、黒沢監督自身、自作の中で「もっとも可愛い映画」とコメントしています。
ここにも木下監督同様、戦争があろうとなかろうと青春の輝きに変わりはないといった黒澤映画ならではの前向きなメッセージに満ち溢れています。
なお本作の主演・矢口陽子はこの後、黒澤監督と結婚しました。
–{21世紀に蘇った奇跡の原爆映画『ひろしま』}–
21世紀に蘇った奇跡の原爆映画『ひろしま』
『この世界の片隅に』の舞台となった戦時下の広島といえば、やはりどうしても原爆の惨禍が心をよぎってしまいます。
戦後、日本映画は今に至るまで原爆を題材とする数多くの映画を世に発表していますし、これからもそうでしょう。
そうした流れの中、現在ある原爆映画に注目が集まっています。
戦後初の本格的戦場反戦映画『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』(50)で知られる関川秀雄監督が1953年に手掛けた『ひろしま』です。
ずばり広島原爆投下の惨劇をまざまざと描いたもので、撮影に際しては広島市民が何と8万5000人もの広島市民がエキストラで参加。日本映画の枠を超えるどころか、海外でもあまり例を見ない超大作としての体裁で、しかも実際に原爆を被災した人々が多数撮影に参加していることで、原爆投下直後の阿鼻叫喚の地獄が壮絶に再現。そこに伊福部昭の荘厳なレクイエム曲が奏でられていくことで、観客はただただ呆然となるのみ。
また本作は戦後を描いた後半、原爆を浴びた人々にふりかぶる差別であったり、もう原爆のことなど考えたくもないといった苦悩の想いまでもリアルに描出していきますが、それらを見るにつけ、3・11福島原発事故以後の日本の実態とも大いにダブるという現実に慄然とさせられます。
さて、こうした秀作の映画『ひろしま』ですが、当時は反米色が強いとして数か所のカットを要求した配給元の松竹と製作元が対立したことで、結果として自主配給せざるをえなくなり、小規模の興行に終始。以後も長らく上映される機会のない幻の映画となっていましたが、21世紀に入って再評価がなされようになり、フィルムの劣化を防止すべくデジタル化が実現。2019年の夏にはNHKEテレで特番及び本編の地上波テレビ初放送もなされました。DVDも出ていますので、ぜひ一度ご覧いただきたい作品です。
–{反戦映画であり続けるべき『火垂るの墓』}–
反戦映画であり続けるべき『火垂るの墓』
『この世界の片隅に』のラスト、すずさんは戦災孤児を拾って我が子として育てていきますが、戦災孤児の悲劇を描いた作品も多数ある中、やはりもっともポピュラーなのは高畑勲監督のアニメーション映画『火垂るの墓』(88)でしょう。
もはやストーリーなど記す必要もない(というよりも、あまりの過酷さゆえに記したくない!)ほどの映画史上に残る名作で、原作者の野坂昭如に「アニメおそるべし!」と言わしめた傑作。
兄と幼い妹の飢えと哀しみの彷徨は、今では世界中の映画ファンからもリスペクトされている反戦映画の傑作です。
ところが高畑勲監督は晩年、本作は反戦映画ではないといった衝撃的な発言をしています。
つまり、戦争のために犠牲となった幼い兄妹の悲劇を繰り返さないために、次の戦争は勝たねばならないと政治家が訴え始め、世の中がそういった流れに傾いてしまった場合、本作は好戦映画に転じてプロパガンダの道具にされかねないといった趣旨です。
さすがは随一の知的映画人たる高畑監督ならではの弁で、またそれを避けるには国民が常に政治が軍国主義に流れないよう監視していく必要があるとも。
実は好戦映画と反戦映画は紙一重といった映画論もありますが、いすれにしてもキナ臭さこの上ない今の日本および世界情勢の中、もう『火垂るの墓』を見て単に涙を流すだけの時代は終わりにして、本作が永遠に反戦映画であり続けるよう、ひとりひとりが意識を持ち続けていく必要がありそうです。
–{戦時下の日本も晴れ}–
戦時下の日本も晴れ
『この世界の片隅に』を見ますと、とかく暗い時代のように思われていた当時の日本にも実は明るい陽射しが降り注ぐ日がいっぱいあったことを、戦争礼賛とはまったく無縁の次元で優しく描いてくれているのが見てとれます。
戦争の時代を描いた日本映画も総じて重苦しいイメージがつきまといますが、たとえば『人間魚雷回天』(55)『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(60)『連合艦隊』(81)など、浄土真宗の僧侶で“社長”シリーズなど喜劇映画の名匠でもあった松林宗恵監督が手掛けた戦争映画の数々に接しますと、当時の銃後の明るさも暗さも等しく描かれていることに気づかされるとともに、戦争責任は軍人や政治家のみならず国民一人一人にもあるといった厳しい連帯責任の訴えと、一方では時代の流れを止めることは誰にもできないといった仏教的無常観が醸し出されています。
対して『大日本帝国』(82)なるぶっそうなタイトルの超大作は、太平洋戦争開戦時の首相・東條英機をクローズアップしたがゆえに公開前から激しい上映反対運動が巻き起こりましたが、蓋を開けてみると東條もその他の軍人も政治家も、そして国民も等しく天皇制の支配下にあった事実を鋭く示唆していくという、『仁義なき戦い』シリーズの脚本家・笠原和夫ならではの強烈なメッセージとハリウッド超大作『トラ・トラ・トラ!』(70)日本側監督(深作欣二と共同)も務めた舛田利雄監督の豪快な演出が、日露戦争の激戦を描いた初コンビ作『二百三高地』(80)に続いて見事に結実した問題作でした。
その中で床屋の夫が南方戦線に出征し、一時帰国するも戦争の狂気にとり憑かれてしまっていることに気づいた妻が、自らの肉体をもって夫の心を国家から奪還させることに成功するというエピソードが登場しますが、ここには運命に負けじと対峙する庶民の前向きな気概が感動的に描出されています。
戦艦大和の運命を描いた超大作『男たちの大和/YAMATO』(05)では『この世界の片隅に』の舞台である呉に寄港した大和の乗組員たちが最後の休暇に降り立ちますが、そこでは若き恋人たちをはじめ、母と子、なじみの娼婦、若夫婦などの別れのエピソードが次々と描かれていきます。
公開当時それを「お涙頂戴」と批判する向きもありましたが、当時の状況を知る世代の佐藤純彌監督は「戦時中は毎日のように、ああいった別れの光景を町のあちこちで日常的に見かけたものでした。つまり『お涙頂戴』はあの時代のリアルだったのです」と答えています。
こうした戦中のリアルの反動ゆえか、お涙頂戴は戦後になって否定される傾向にあり、心が乾ききってひからびた結果が2019年のリアルなのかもしれませんが、まもなく戦後75年を迎える中、『この世界の片隅』が『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』として蘇り、またいくつもの涙で心を潤してくれることで何某かの新しい想いが見る側の内に生まれることを期待してやみません。
(文:増當竜也)