(C)2019 Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.
12月20日より『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』が公開されます。
『スター・ウォーズ』シリーズの正編第9弾にして完結編となる本作ですが、シリーズ第1作『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』が製作されたのは1977年、日本で公開されたのは1978年ですから、どちらで計算しても40年以上の歳月がかかっているわけで、特にマニアではないものの、これまでリアルタイムでシリーズに接してきた身としては「いよいよ!」という喜びもさながら、どこかしら「ようやく……」といった嘆息気味な想いがよぎってしまうのも正直なところです。
また、シリーズの完結を楽しみに待ち望んでいた友人知人のうち、この世を去ってしまった者も決して少なくはありません……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街423》
「あれから40年……!」などと綾小路きみまろっぽく冗談ぶるつもりもありませんが、今回はしばしノスタルジックに浸りつつ、40余年の流れを振り返ってみたいと思います。
『スター・ウォーズ』シリーズ完結を見届けることなく逝った、映画の仲間たちへ……。
『スター・ウォーズ』全米大ヒットが伝えられた1977年夏
シリーズ第1作『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』が全米で公開されたのは1977年5月25日。
ちょうどそのころの私は中学2年生で、映画に目覚めたばかりのビギナーでしたが、それから1~2カ月もしないうちに全米大ヒットのニュースが日本の映画雑誌などで紹介されるようになっていました。
当時は『惑星大戦争』という邦題で紹介されていましたが、まもなくして『スター・ウォーズ』で正式決定。『エピソード4』や『新たなる希望』といったサブタイトルが加えられるようになったのは、シリーズ化が決定した後になってからです。
(よって、本項と次項のみ当時の雰囲気を醸し出したいので『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』のことを『スター・ウォーズ』と記させていただきます)
インターネットもなかった時代にしては比較的情報は早かったような印象はありますが、日本公開は翌78年夏と知らされたときは正直「どうして?」と首を傾げたもので、日米同時公開が当たり前の今から比べると、信じられない事象ではあります。
一方、1977年の日本の夏は『宇宙戦艦ヤマト』劇場版が公開されて大ヒットとなり、空前のアニメーション・ブームが巻き起こり始めていた時期で、そこにまだ見ぬ海の向こうのSF映画に対する期待がリンクしてSFブームへ繋がっていった感もあります。
(日本における『スター・ウォーズ』ブームを語る際、実は『宇宙戦艦ヤマト』の存在が外せないと思っていたりもしています)
秋になるといち早くアメリカで見てきたという映画評論家や文化人のコメントやエッセイ、座談会などを載せた特集記事を、映画雑誌だけでなく少年漫画誌などでもかなり目にしたものです。
(このころ既に「ジョージ・ルーカス監督は、実は9部作を構想している」といった情報も入ってきています)。
個人的にはSF映画の権威でもあった映画評論家・石上三登志氏や『HOUSE』(77)で商業映画デビューしたばかりの大林宣彦監督らの熱気にあふれた鑑賞記などを読みながらワクワクさせられた記憶がありますが、そういった作品の魅力を映画ファンに伝えるのに大きく貢献した石上さんは、シリーズ完結を見届けることなく2012年にこの世を去りました。
–{『スター・ウォーズ』に便乗した2本の日本映画}–
『スター・ウォーズ』に便乗した2本の日本映画
77年12月になると『スター・ウォーズ』ブームに便乗した企画意図で東宝が福田純監督で『惑星大戦争』(タイトルまで『スター・ウォーズ』仮邦題からいただいてしまった!?)を。
78年GWには東映が深作欣二監督で『宇宙からのメッセージ』を発表しました。
これら2本の日本映画、当時も今もいろいろ賛否が語られがちではありますが、本家の全米公開からたった半年で長編特撮映画を企画から完成、公開まで成し得た『惑星大戦争』スタッフの技量は大いに讃えたいところで、まだ撮影所システムが機能していた時代ならではの賜物とも捉えられるでしょう。
また『宇宙からのメッセージ』は全米でも公開され、SF映画のアカデミー賞ともいわれるサターン賞1980年度の外国語映画賞候補にもなっていますが、後の『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還(初公開時の邦題サブタイトルは『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』)』クライマックスの特撮は『宇宙からのメッセージ』と同じ趣向で撮られています。
『スター・ウォーズ』シリーズの特撮スタッフは日本のモノマネ映画もちゃんとチェックし、良いところはちゃんと採り入れるといった姿勢を目の当たりにして、こちらは驚嘆かつ感服したものでした。
なお福田純監督は2000年に、深作欣二監督は2003年に亡くなっており、また『宇宙からのメッセージ』の矢島信男特撮監督もシリーズ最終作たるエピソード9『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』公開直前の今年11月28日に永眠されました。91歳でした。
–{『スター・ウォーズ』が日本公開された1978年の夏}–
『スター・ウォーズ』が日本公開された1978年の夏
この2本の公開を挟む形で1978年の春、スティーヴン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』が『スター・ウォーズ』よりも先に日本で公開されました。
(おかげで当時の映画ファンの間では『未知との遭遇』派と『スター・ウォーズ』派に分かれての論議がわいわい繰り広げられていたものです)
これによってますますSFブームは過熱するとともに『スター・ウォーズ』に対する期待度も高まっていきました。ラジオをつけるとジョン・ウィリアムスのテーマ曲がしょっちゅう流れていて、『スター・ウォーズ』を筆頭とするSF映画の記事を掲載してない漫画雑誌はないほど。
おかげで見る前にしてストーリーなどすべて把握してしまっている状態で、ネタバレ厳禁の今だと大炎上は必至でしょう。
かくして『スター・ウォーズ』は1978年6月24日先行公開、7月1日全国公開され、配給収入43億8000万円を計上。
同時期公開の映画としては『コンボイ』『スウォ-ム』『ワイルド・ギース』や『劇場版科学忍者隊ガッチャマン』『火の鳥』などがありましたが、むしろ『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が8月に公開されて配収21億円と大健闘したことは象徴的で、以後も『宇宙戦艦ヤマト』と『スター・ウォーズ』の両シリーズは公開時期を同じくし、ぶつかりあっていくことになります。
なお『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの西崎義展プロデューサーは2010年に死去。実はすさまじい人物であったことが、後々の評伝などから明らかになっています。
–{シリーズ最高傑作の誉れも高い『帝国の逆襲』}–
シリーズ最高傑作の誉れも高い『帝国の逆襲』
『スター・ウォーズ』の世界的ヒットにより、ジョージ・ルーカスの9部作構想は現実的なものとなり、『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』が製作されることになりました。
(初公開時はまだ『エピソード5』のサブタイトルは入っていません。また本作の公開に合わせて『スター・ウォーズ』第1作は『スター・ウォーズ/新たなる希望』と表記されるようになり、後に『帝国の逆襲』などと同様にエピソードの数字も加えられていきます)。
アメリカは1980年5月21日、日本は6月28日と、今度はほぼ同時期の公開。
監督をベテランのアーヴィン・カーシュナーに委ねての第2弾で、シリーズ最高傑作と讃える声は昔も今もよく聞くところです。
このときの盛り上がりは前作以上で(国際版ポスターのイラストを日本人の生賴範義が手掛けたことも話題になりました)、特に宿敵ダース・ベイダーの正体に関しては、その後の父と子をめぐるドラマツルギーに大きく影響していった感もありますが、一方で日本の子供たちは石ノ森章太郎の漫画などでそういった世界観は割かし慣れ親しんでいたので衝撃こそあれ、さほど違和感はなかったようにも思います。
クライマックスのレイアとハン・ソロが交わす“I LOVE YOU” “I KNOW”の台詞も、当時リア充をめざすべく腐心していた若者たちの心を大きく揺さぶったものでした。
なお、この年の夏休み映画は『スター・トレック』『ファイナル・カウントダウン』『復活の日』『ヤマトよ永遠に』などSFメインの錚々たるものの中に『二百三高地』『翔んだカップル』(同時上映はアニメ版『まことちゃん』)などもあったりして、当時高校2年だった私などは映画代捻出のため小遣いの工面に苦労したものです。
『エピソード5/帝国の逆襲』では『リオ・ブラボー』などの名脚本家で小説家(そしてエドモンド・ハミルトン夫人)リー・ブラケットが本作の第1稿を書き上げた直後に亡くなり(ローレンス・カスダンが後を受け継ぎました)、美術監督ジョン・バリーもクランクイン直後に病死しています。
アーヴィン・カーシュナー監督も2010年に死去しました。
–{華やかに盛り上がった『エピソード6/ジェダイの帰還』公開の1983年夏}–
華やかに盛り上がった『エピソード6/ジェダイの帰還』公開の1983年夏
シリーズ第3弾、リチャード・マーカンド監督の『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』は1983年に公開されましたが(米:5月25日、日:7月2日)、初公開時の邦題は『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』でした。
これは当初告知されていた原題が“STAR WARS REVENGE OF THE JEDI ”だったためで、その後公開直前になって“RETURN”に変わったものの、日本は変更が間に合わず『復讐』のまま公開し、2004年のDVD発売の際に『帰還』と改題されたといういきさつです。
これによって本作をどうしても『ジェダイの復讐』と呼んでしまうリアルタイム世代、『ジェダイの帰還』と呼ぶことに抵抗のない21世紀世代が分かれるという現象も起きています(私自身は初公開時より「どうして『帰還』にしないのだろう?」と思いつつ、時を経ていざ改題されてしまってからは、妙に居心地の悪いものを感じています)。
その『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』は9部作構想の中でルーク・スカイウォーカーを主人公とするシリーズ中盤エピソード3部作の完結編ということで、その期待度はハンパではありませんでした。
今は無き新宿プラザで先行オールナイトを見ようと思い、午後の早い時間に現地へ赴くと既に大行列ができていて、ようやく夜が更けて上映が始まった瞬間、満場の客席からはあふれんばかりの拍手喝采! といった大盛況ではありました。
ただし前作『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』の心揺さぶらせる素晴らしいラストを見て以降、3年もの間ずっと期待に胸を膨らませ(過ぎてしまっ)ていたこちらの想いに、この第3弾がフィナーレとしてどこまで応えてくれていたか?
正直、鑑賞後のファンの間では賛否の意見が飛び交うことになるとともに、その分シリーズ前史となるエピソード1~3の製作を渇望することになっていくのですが、このあたりから送り手であるルーカス・サイドと受け手であるファンの間で徐々にズレが生じていきます。
それを語る前に、1983年夏公開の映画は『スーパーマン3 電子の要塞』『007オクトパシー』『フラッシュダンス』『南極物語』『探偵物語』『時をかける少女』など、映画街は華やかな賑わいに満ちていました。なお、この年の春に『宇宙戦艦ヤマト完結編』が公開されています。
この後、何とリチャード・マーカンド監督は1987年に49歳の若さで脳梗塞により死去。また撮影監督のアラン・ヒュームは2010年に亡くなっています。
–{シリーズ再開まで長すぎた空白の16}–
シリーズ再開まで長すぎた空白の16年
『スター・ウォーズ』9部作のうちエピソード4~6は77年から83年のおよそ6年で完結しましたが、続くエピソード1が発表されたのは1999年。何と16年も待たされてしまったことになります。
これには『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』完成後、公私にわたる諸問題などで疲弊したジョージ・ルーカスが映画製作の意欲を失ってしまったなど、さまざまな理由が取りざたされていますが、ファンはその間『イウォーク・アドベンチャー』(84)『エンドア/魔空の妖精』(85)といったTVムービー(日本では劇場公開)や『ドロイドの大冒険』(85)『イウォーク物語』(85~87)といったアニメーション、または外伝小説やコミックなどに目を向けるか、ビデオやレーザーディスクを繰り返し見て気を紛らわすしかありませんでした。
やがて1990年代半ばになって、ルーカスはようやく重い腰を上げ、まずは97年にエピソード4~6に追加再編集を施した特別編をそれぞれ製作。
その上で99年に『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』を(米:5月19日、日:7月10日公開)、2002年に『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』を(米:5月22日、日:7月13日公開)、2005年に『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(米:5月19日、日:7月9日公開)を自ら監督して世に送りました。
現在、エピソード4~6は“旧三部作”、1~3は“新三部作”と呼ばれていますが、“新三部作”は発表されるごとに賛否の議論を巻き起こしていきます。
作品個々の質的な意見はさておくとして、“新三部作”はルークとレイアの父アナキン・スカイウォーカーの若い日を描いたものですが、最終的に彼はダークサイドに堕ちてダーズベイダーになることをほとんどの観客が知っている以上、回を重ねるごとにどこか息苦しい気持ちに囚われてしまったのも正直なところ。
出来れば早く次世代のエピソード7~9を始めてほしいというのが、多くの“旧三部作”世代の望みでもあったような気がしています。
–{6部作で打ち切り宣言したジョージ・ルーカス}–
6部作で打ち切り宣言したジョージ・ルーカス
ところがルーカスは「エピソード7以降の『スター・ウォーズ』の物語はない」といった発言をしたことで、ファンを落胆させてしまいます。
また2004年に発売された旧三部作のDVDは1997年に発表された特別編にさらに手を加えられた修正版で(2011年発売のBlu-rayも修正がなされています)、『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』に至ってはラストに登場する老アナキン役のセバスチャン・ショウを“新三部作”の若きアナキン役ヘイデン・クリステンセンにCGで差し替えてしまったこともファンの怒りを買いました。
(このためセバスチャンが登場するのは『ジェダイの復讐』、ヘイデンに差し替えられたものは『ジェダイの帰還』とみなそうといった、ちと乱暴な分け方をする向きもあります)。
一方では“新三部作”で初めて『スター・ウォーズ』シリーズに接してその虜になった若い世代も確実に台頭し始め、“旧三部作”世代との意識のギャップももたらされていきました。
こうした世代間の対立も、やはり“旧三部作”から“新三部作”の開始まで16年の歳月を経てしまったことも原因のひとつであるような気がしてなりません。
その間に、セヴァスチャン・ショウが1994年に89歳で、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』でターキンを総督を演じたピーター・カッシングが81歳で、そして旧三部作でオビ=ワン・ケノビを演じたアレック・ギネスが2000年に86歳で亡くなりました。
ちなみに『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』の同時期に日本で公開作品は『ハムナプトラ 失われた砂漠の都』『アイズ ワイズ シャット』『ホーホケキョ となりの山田君』『学校の怪談4』など。
『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』のときは『メン・イン・ブラック2』『タイムマシン』『猫の恩返し』『ピンポン』など。
『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』のときは『バットマンビギンズ』『ザ・リング2』『亡国のイージス』『妖怪大戦争』など。
いずれも“旧三部作”の時代に比べて小粒に感じられるという印象を抱いてしまうのは偏見かもしれませんが、この時期既にシネコンが隆盛でヒットを見込める作品の拡大方式が定着し、しかも公開本数が激増していく中、自分らが所有する大事な新作を大ヒット間違いなしの『スター・ウォーズ』シリーズにぶつけるのを各映画配給会社が避けようとしたのかもしれません。
現に『スター ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』は配収78億円、『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』は興行収入(日本では映画興行成績発表に1999年までは配給収入が用いられていましたが、2000年度から映画館の入場料金収入=興収に切り替えられました)93億5000万円、『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』は興収91億7000万円の大ヒットを計上しています。
–{シリーズ再開の朗報と長き歳月がもたらした痛恨}–
シリーズ再開の朗報と長き歳月がもたらした痛恨
ジョージ・ルーカスは『スター・ウォーズ』シリーズを6部作として一度終結させましたが、それまで9部作構想を信じきっていたファンのモヤモヤが収まることなく、2012年にウォルト・ディズニー・カンパニーがルーカス・フォルムを買収し、エピソード7~9の“続三部作”を製作することを発表。
ルーカスは“クリエイティヴ顧問”なる肩書で、実質的な製作にタッチすることはなくなりました。
ルーカス不在の作品を“スター・ウォーズ”と呼ぶべきか否かといった論議もありましたが、やはり本来の構想ともされる9部作製作の再開そのものを喜ぶ声は多く、かくしてJ・Jエイブラハム監督によるエピソード7『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が2015年12月18日に日米同時公開。
それまでと異なりストーリーなど完全秘密主義が貫かれ、公のマスコミ試写会もなし。世界中の映画ファンは公開初日まで何も知らされないままの新展開を目の当たりにすることになります。
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』はシリーズ第1作『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』のスピリッツを継承した原点回帰として旧三部作世代ファンの支持を得ましたが(日本の興収は116億3000万円の大ヒット!)、逆に新三部作世代ファンの多くからは批難され、ここでも世代間の対立が浮き彫りになってしまいました。
さらには『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』公開からおよそ10年の歳月が経っていたことから、ここで初めて『スター・ウォーズ』シリーズに銀幕で触れる更なる新しい世代も出てきたことで、SNSなどで賛否の感想が激しく錯綜していきます。
それは続くライアン・ジョンソン監督のエピソード8『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(2017年12月15日、日米同時公開/日本の興収75億Ⅰ000万円)でますますエスカレート。おそらくはもっとも激しい論議を生んだか? という印象も受けてはいます。
これまでの“続三部作”2本は“旧三部作”の面々が再登場する喜びはあったものの、彼らを久々に目の当たりにした瞬間「老けたな……」という印象も否めず、特にルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミルは“旧三部作”ではさわやかな風情だったのが、こうも変わるものかと愕然とさせられたものです(まあ、役の設定としてはそれでちょうど良かったのですが……)。
“旧三部作”から16年、“新三部作”から10年、やはりこうしたブランクがもう少し短ければ、少なくとも10年早く続三部作が製作されていれば、印象もかなり違っていたのではないかという想いもなくはありません。
何よりも2016年12月27日にレイア役のキャリー・フィッシャーが60歳で急死したのはファンならずともショックな事件でした。
(今回のエピソード9『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』は、それまでの未公開ショットを上手く繋ぎ合わせて“出演”させているとのこと)。
彼女だけではなく、この2010年以降の『スター・ウォーズ』シリーズ関係者の中で『エピソード4 新たなる希望』の撮影監督ギルバート・テイラーが2013年に99歳で、『エピソード2 クローンの攻撃』『エピソード3 シスの復讐』でドゥークー伯爵を演じたクリストファー・リーが2015年に93歳で、シリーズ当初からエピソード7『フォースの覚醒』までR2-D2を演じたケニー・ベイカーが2016年に81歳で、『エピソード4 新たなる希望』『エピソード5 帝国の逆襲』プロデューサーのゲイリー・カーツが2018年に78歳で、そしてケニー・ベイカー同様にエピソード7『フォースの覚醒』までチューバッカを演じたピーター・メイヒューが2019年4月30日、74歳でそれぞれこの世を去りました。
なお『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の同時期公開映画に『007スペクター』『クリード チャンプを継ぐ男』『杉原千畝』『母と暮らせば』など。『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』の同時期作品にリメイク版『オリエント急行殺人事件』『フラットライナーズ』や『バーフバリ 王の凱旋』『鋼の錬金術師』『DESTINY 鎌倉ものがたり』などがありました。
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』のあとに『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』前夜のミッションを描いた『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(16)、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』のあとに“旧三部作”の人気キャラクター、ハン・ソロの若き日を描いた『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(18)と、2本のシリーズ・スピンオフ映画も作られています。
–{先に逝った映画ファンの位牌を心に据えて}–
先に逝った映画ファンの位牌を心に据えて
この40年の間にこの世を去った人々の中には『スター・ウォーズ』シリーズ関係者だけではなく、応援してきたファンも多数含まれています。私にも長年わいわい映画談義し合ってきた友人知人の中でシリーズ完結を見届けることが叶わなかった者が数名います。
シネマズplusライターで先輩でもあった斉藤守彦氏もそのひとりで、興行評論を主軸とするうるさ型の映画ジャーナリストだった彼は私同様旧三部作世代で、その例に漏れず新三部作には落胆し、それゆえにエピソード7『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を見た後で狂喜乱舞の電話をこちらにかけてきて、深夜から朝まで延々語り合ったものでした。
そのときの結論は「お互い完結まで見届けてから死にたいものだな!」といった冗談交じりのものでしたが、斉藤さんはその後のエピソードを見ることなく、2017年9月に虚血性心不全で急死してしまいました。
1977年製作のシリーズ第1作『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』をリアルタイムで見たときは10代でも40余年も経てば齢50を越えているわけで、当然体のあちこちにガタが来始めるのも道理。現に斉藤さんが逝った前後、映画マスコミ系も含む同世代の訃報を片手で数えきれないほど受け取りました(最近ようやく収まった感もありますが)。
『スター・ウォーズ』9部作完結を見届けることなく先に逝ってしまった同胞のことを思い返すだけでも、胸が痛く、そして熱くなるものがあります。
本当に「あと10年早ければ……」などと今更ながらにどうにもならない忸怩たる気持ちを抑えつつ、彼らの位牌を心に据えて、などといったキザなことまではしないまでも、12月20日より公開の『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』をしっかりと自分の目で見届ける所存です。
果たして鑑賞後はどういう想いになるのか……。
作品そのものの出来も興味津々ではありますが、やはり40年余の歴史と自分の人生とを照らし合わせながら、ひとつの時代の終わりを大きく痛感させられることになることでしょう
(文:増當竜也)