(C)Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2019
映画ファンならケン・ローチ監督の名前は先刻ご承知のことと思われます。
1967年『夜空に星のあるように』で監督デビューを果たし、第2作『ケス』(69)でカルロヴィヴァリ国際映画祭グランプリを受賞。以後、ほとんどの作品が何らかの映画賞を受賞し続けているイギリス映画界の名匠です。
特にカンヌ国際映画祭とは相性がよく、『ブラック・ジャック』(79)『リフ・ラフ』(91)『大地と自由』(95)で国際批評家連盟賞、『ブラック・アジェンダ/隠された真相』(90)『レイニング・ストーンズ』(93)『天使の分け前』(12)審査員賞、そして『麦の穂を揺らす風』(06)『わたしは、ダニエル・ブレイク』(16)ではパルムドールをそれぞれ受賞。
描く内容も労働者や社会的弱者に寄り添いながら、反骨の姿勢を決して崩すことのない一貫性が幅広い層に支持され続けている所以なのかもしれません。
実は『わたしは、ダニエル・ブレイク』を発表した後で引退を宣言した彼ですが、やはり社会の過酷な現実を目の当たりにして、再びメガホンをとることになりました……
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街422》
そんなケン・ローチ監督の最新作『家族を想うとき』が12月13日より公開。今回もまた弱者に寄り添いつつ、社会の闇を訴えながら、家族のつつましやかな絆を描出していくのでした!
1日14時間労働の中でバラバラになっていく家族
『家族を想うとき』の舞台はイギリス、ニューカッスル。
主人公はあまり世渡りが上手くなさそうな一家の夫リッキー(クリス・ヒッチェン)。
マイホーム購入を夢見る彼は、一念発起して1日14時間労働のフランチャイズ宅配ドライバーの仕事に就くことになりましたが、事業用のバンを買う資金のために、妻アビー(デビー・ハニーウッド)の車を売ることに。
介護福祉士の仕事をしているアビーは車を手放したことで各介護先までバスで通うことになって、ますます家を空ける時間が多くなり、16歳の息子セブ(リス・ストーン)も12歳の娘ライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)もどこか寂し気ではあります。
フランチャイズ宅配の仕事はリッキーが予想していた以上に厳しいルールに縛られまくったもので、ドライバーと本部のマロニー(ロス・ブリュースター)の日々のトラブルも絶えません。
リッキーが疲れ果てて帰宅すると、いつのまにかセブが学校をさぼって“グラフィティ”なる壁の落書きに夢中になっていることが発覚し、叱る父とすねる息子の対立が始まっていきます。
やがてリッキーとアビーはセブが喧嘩で相手に怪我を負わせたことで学校から呼び出しを受けますが、リッキーは仕事を休むことができず、ますます父子の溝は深まっていきます。
家族がバラバラになっていくことを憂えたリッキーは思い立ってマロニーに1週間の休暇を頼みますが、フランチャイズのシステムとして休むためには代理のドライバーを立てなければならず、それが無理なら1日100ポンドの罰金を払わなければなりません。
代理を立てられないまま、やむなく働き続けるリッキーでしたが、セブの反抗はますますエスカレートしていき……。
そしてさらに、家族に思いがけない事件が……!
–{社会の闇を訴えつつ観客に示唆される期待}–
社会の闇を訴えつつ観客に示唆される期待
正直、見ていていたたまれない気持ちに包まれていく映画ではあります。
日本でも昨今コンビニの就業時間であったり、宅配に従事る人々の過剰労働などさまざまな問題が表面化してはマスコミをにぎわしていますが、イギリスも状況は似たり寄ったりのようです。
本作はいつもアットホームでいたいと願いつつ、現実的には家族を犠牲にしてまで働かねばならないという現代社会の闇を糾弾しつつ、それでも家族の絆を信じようとする祈りが満ち溢れています。
前章ではシビアな物語の展開のみを記してしまいましたが、実際はシビアな状況の中にも家族が和やかに笑い合う瞬間も多分に用意されており、その伝では妻アビーと娘ライザの存在が大きく作用してくれているのが救いにもなっています。
ケン・ローチ監督作品の常として、ここでも声高に怒りを叫ぶような描写はなく、むしろ淡々と主人公や家族が追い詰められていく姿を見据えていく演出がなされています。
またそのことで、ひいては観客それぞれにこの問題と対峙してもらいたいという訴えによって、こちらの胸にズシンと響きつつ深く考えさせられるものに成り得ています。
「仕事と家族」という、おそらくはほとんどの人間にとって避けて通れない問題といかに向き合うか、見る側も試されているような、しかしながら期待されてもいるような、見終えてしばらくするとそんな想いに包まれていく作品です。
年末年始の慌ただしい中、逆にこういった熟考するタイプの作品こそ響くものがあるかもしれません。
いずれにしましても引退撤回したケン・ローチ監督、俄然健在ではあります!
(文:増當竜也)