新海誠監督最新作『天気の子』は、“観るたびに新しい発見がある映画”です。それは細部まで描き込まれた背景や、アニメとしての表現それぞれに、様々な“意味”が込められていることが理由でしょう。加えて、登場人物の何気ないセリフや、その内面を考えてみると、さらなる“気づき”もたっぷりと用意されているのです。
事実、新海誠監督は『天気の子』の小説版のあとがきにて、映画というメディアにおける(小説とは異なる)表現方法について、こう記しています。「映画の台詞は基本的に短ければ短いほど優れている(と僕は思ってる)。それは単なる文章ではなく、映像の表情と色、声の感情とリズム、さらには効果音と音楽等々の膨大な情報が上乗せされて完成形となるからだ」と。
実際の映画本編でも、アニメならではの表現を最大限に生かした情報がとことん詰め込まれている一方で、セリフやナレーションは“説明しすぎない”程度に抑えられており、そこには(文章では表現できない)音楽の魅力や声の出演者たちの熱演もあるのです。だからこそ、『天気の子』は1つ1つのシーンそれぞれに「これはこういうことなんだろう」と深読みができる、登場人物のそれぞれの気持ちを考えてみるとさらなる感動がある、重層的な物語構造も持った豊かな作品になったのでしょう。
ここでは、『天気の子』を1度観ただけでは気づきにくい、もっと本編を面白く観ることができる“盲点”を項目ごとに分けて紹介します。なお、項目2.までは大きなネタバレを避けて書いていますが、それ以降は物語の核心に触れるネタバレに触れているのでご注意を!
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※この記事における解釈は、映画本編の他、小説版やパンフレットの記述、筆者個人の主観を元に構成しております。参考としつつ、観た方がそれぞれの解釈を見つけていただけたら幸いです。
- 1:帆高の家出の理由が描かれていない理由とは?そのキャラクター性を肯定したい理由とは?
- 2:小学生なのにモテモテの凪はとっても良い子!“紹介の仕方”を姉から学んでいた?
- 3:陽菜が実は“わかっていたこと”とは?ラブホテルでの食事が示していたこととは?
- 4:須賀はなぜ泣いた?水浸しになってしまうのに窓を開けた理由とは?
- 5:陽菜と帆高それぞれの“年齢”へのこだわりでわかることとは?“呼び捨て”にも重要な意味があった?
- 6:テッシー、さやちん、四葉はどこにいた?
- 7:陽菜のチョーカーと、誕生日プレゼントの指輪が意味していたものとは?
- 8:天気と人間の関係性の変化が“お花見”の話題で示されていた!
- 9:帆高が卒業式で歌うのをやめた理由とは?
- 10:ラストシーンは解釈が分かれる?
- 簡潔あらすじ
- スタッフ
- キャスト(声)
- 基本情報
1:帆高の家出の理由が描かれていない理由とは?そのキャラクター性を肯定したい理由とは?
主人公である帆高の家出の理由は、最後まで描かれることはありません。これは新海誠監督の「トラウマで駆動される物語にはしたくない」「内省する話でなく、憧れのまま走り始め、そのままずっと遠い所まで駆け抜けていくような少年少女を描きたかった」という意向によるもので、終盤で提示される“願い”を強固にするためにも重要であったのでしょう。
しかし、明確でなかったとしても、帆高の過去を“それとなく”匂わせる描写は映画本編にあります。例えば、序盤の彼は頰と鼻にバンソウコウを貼っていて、漫画喫茶で過ごしていくうちに剥がしています。実は、小説版では帆高が「親父に殴られた」という記述があるのです。映画でのバンソウコウは、その殴られた時の傷を治すためのものだったのでしょう。
さらに、映画でも小説版でも、帆高は「もともと住んでいた島で、雨雲から漏れる光を目指して自転車をめちゃくちゃ漕いでいた(そこにはたどり着けなかった)」という“夢”を見ているシーンがあります。帆高は雨の降りしきる閉鎖的な島から抜け出し、希望の象徴とも言っていい“光”の中に行きたいと(ヒロインの陽菜と同様に)願っていた──まさに新海誠監督の狙い通りの「憧れのまま走り始め、そのままずっと遠い所まで駆け抜けていく」ことを目指す少年の純然たる想いが、この夢のシーンだけでも伝わるようになっているのです。
そんな帆高は、後に反社会的な行動を繰り返してしまいます。しかしながら、彼は序盤でお酒を並べられ乾杯を促されても「未成年だから」とジュースを自ら選び取っていて、終盤でもバイクで二人乗りをする時にヘルメットを(あごひもは忘れていますが)ちゃんと被っています。須賀にはご飯を奢って恩を返していますし、後にアメと名付ける迷子の猫にも栄養機能食品をあげています。彼は客観的に見れば正しくない、はっきり犯罪と言える行動をしているようで、根っこでは最低限の社会性もあったのでしょう。しかし、終盤で提示されたあの“価値観”による決断は、彼を社会的に正しいままにはさせなかったのです。
この帆高の“間違った行動をし続けてしまう”というキャラクター性そのものに、必要以上にイライラしてしまったり、拒否反応を覚えてしまう方もいるかもしれません。しかしながら、新海誠監督が目指した“憧れ”を体現し、本質的には正しく社会的でもあろうとした片鱗も見える、豊かなキャラクターとして、筆者は帆高を大好きになれました。その過去を明確に描かなかったことも、観客それぞれの経験や過去を彼に投影しやすくなりという点でもプラスであったと、肯定したいです。
–{2:小学生なのにモテモテの凪はとっても良い子! “紹介の仕方”を姉から学んでいた?}–
2:小学生なのにモテモテの凪はとっても良い子!“紹介の仕方”を姉から学んでいた?
ヒロインの陽菜の弟の凪は、小学生にして女の子にモテモテという若干イラっとするシーンから登場していますが……その実、とても良い子であることも示されています。具体的には、彼は冨美という老婦人の家に訪れたとき、肩たたきや肩もみをしてあげているんですよね。しかも、姉の陽菜が母を亡くしてからずっとバイトをしている理由について「きっと俺のためなんだ。俺、まだガキだからさ」と、姉が自分のことを大切にしているということを、子供であることも自覚しつつ言葉にしているのですから。
また、凪は終盤に「カナ、こちらアヤネさん。アヤネ、こちらカナちゃん。こちら、婦警の佐々木さん」と丁寧にその場にいる人を紹介しています(このカナとアヤネという女の子の名前は演じている人気声優の花澤香菜と佐倉綾音から取られており、それぞれの名前と苗字が入れ替わっています)。実は、序盤では姉の陽菜も同様に「帆高、この子、弟の凪。この人、帆高。私のビジネスパートナー!」と丁寧に紹介しているんですよね。凪はお姉ちゃんの行動から素直に学び取っている、お姉ちゃんっ子であることもわかるのです。
また、その豊富な恋愛経験から来る適切なアドバイスによって、凪は帆高から年下にも関わらず“センパイ”と呼ばれるようになるのですが……このことも終盤に重要な意味を持つことになります(詳しくは項目5.で後述します)。
※以下からは映画『天気の子』本編の重大なネタバレに触れています。鑑賞後にお読みください。
–{3:陽菜が実は“わかっていたこと”とは? ラブホテルでの食事が示していたこととは?}–
3:陽菜が実は“わかっていたこと”とは?ラブホテルでの食事が示していたこととは?
陽菜の行動をよくよく顧みると、かなり切ない理由で数々の行動を起こしていたのではないか……とも思えます。
例えば、年齢を偽ってまでハンバーガー店(マクドナルド)で働いていたのは、何とかして弟の凪と一緒に暮らそうとしていたから、というのはもちろんですが、自分が人柱に捧げられる運命を知っていたからこそ、今のうちにできる限りのお金を凪に残そうとしていたのかもしれません(この時には夏美から天気の巫女の話を聞いていませんが、潜在的に人柱の運命をわかっていたのかも……)(バイトがクビになってしまったのも本当の年齢がバレたからですよね)。
巫女の力で天気を晴れにするたびに、陽菜が太陽に手をかざしていた、“手のひらを太陽に透かしていた”のは……文字通りに「自分の体がどんどん透けていっていること」を確認しようとしていたからなのかもしれません(小説版ではその言及があります)。
陽菜は「この仕事で自分の役割みたいなものがやっと分かった───ような気がしなくもなくもなくもなくもなくもなくもない」と冗談めかして言っていましたが、晴れにしてたくさんの人に喜んでもらうのは嬉しい、でも人柱になることになることには納得していない、でも納得するしかない、でもやっぱり、でも…それが私の役割であり運命なんだ…でも…という葛藤が、この言い方に表れていたのではないでしょうか。
そして、ラブホテルで帆高と陽菜と凪はからあげクンや焼きそばなどを交換しながら食べていましたが……陽菜にとってこれは人柱に捧げられる前に食べられる最後のご馳走、つまり“最後の晩餐”でもあったのでしょう。
みんなでジャンクフードをおいしそうに食べることは、序盤で帆高が陽菜に奢ってもらったビッグマックを頬張り、「僕の16年の人生で、これが間違いなく、一番おいしい食事だった」と思ったことと“対”になっています。陽菜はその16歳だった帆高よりもさらに若い15歳という年齢で、自分を犠牲する前の、ジャンクフードの最後の晩餐を(おそらくは)心からおいしいと思っていたでしょうから。
–{4:須賀はなぜ泣いた?水浸しになってしまうのに窓を開けた理由とは?}–
4:須賀はなぜ泣いた?水浸しになってしまうのに窓を開けた理由とは?
編集プロダクションの社長である須賀は、帆高が警察署から逃げ出したこと、「将来を棒に振ってまで会いたい子がいる」ことを安井刑事から聞かされると──いつの間にか涙を流していました。彼は、なぜ泣いたのでしょうか。
結論から言えば、須賀は「全てを放り投げてでも会いたい人がいる」と、“自分も願っていた”ことに気づかされたのでしょう。
須賀は「死んでしまった妻に会いたい」という気持ちを(寝言では「明日花」と妻の名前を言っていましたが)表には出さなくなっていて、「人柱1人で狂った天気が元に戻るんなら、俺は歓迎だけどね」とも言っていて、「人間、歳を取ると、大事なものの順番を入れ替えなくなるんだよ」と自己批評的に分析もしていました。しかし、須賀は帆高と同じ気持ちだったから、本音では大切な人にまた会いたいと思っていたから、自然と涙が出てしまったのではないでしょうか(夏美も帆高と須賀は似ていると言っていました)。
そして、クライマックスでの代々木会館で(初めは帆高に警察に戻ることを促すものの)帆高の「俺はただ、もう一度あの人に──会いたいんだ!」という痛切な言葉に、さらに須賀は気づかされたのではないでしょうか。大切な人に会いたい気持ちは、何にも勝ると──。だから、須賀はあの場所で考えが変わり、高井刑事を押さえつけ、帆高を向かわせたのでしょう。
また、須賀が涙を流してしまう前、地下にある編集プロダクションにある窓の後ろには水槽のように水が溜まっていたのですが、須賀は何を考えるでもなく窓を開けてしまい、案の定部屋には水が流れ込んでしまいます。合理的でない、意味のない行動のようですが……須賀はここで、文字通りに“過去を洗い流したい”からこそ無意識的に窓を開けたのではないでしょうか。
編集プロダクションの事務所の柱には娘の萌花の身長の記録が刻まれていて、事務所の外には萌花の三輪車も置かれていて、冷蔵庫には死んだ妻が書いたメモがまだ貼られていました。須賀が水が入るとわかって窓を開けてしまったのは、そうした過去にまだ縛られている、自分の過去と清算をつけて“大人になるべき”であるという考えが、半ば自暴自棄な形で表れた結果のように思えるのです。
しかし、須賀はその後すぐに娘の萌花から“陽菜が晴れを祈ってくれた夢”を見たことを知らされ、帆高が大切な人に会うために警察署から逃げ出したことも知ります。ここで提示されるのは過去ではなく、現在と未来のこと。少年の“これから”の本当の願いのために涙を流し、そして実際に行動を起こす須賀の姿にも、深い感動を覚えるのです。
ちなみに、新海誠監督はスタッフの意見を聞きながら本作のプロットを何度も書き直しており、須賀はその過程で最も変わっていったキャラクターだったのだそうです。最後の最後で変更が加えられる直前では、須賀には帆高と徹底的に対立する、その存在を乗り越えさせるという、“父親殺し”に近い役割を担わせていたのだとか。しかし、須賀は常識人で、観客の代弁者であり、そして帆高と真に対立するのは社会の常識や最大多数の幸福のほうなのではないか、などと新海誠監督は思い直していったため、須賀は“最後には味方になってくれる存在”へと変わっていったのだとか。この変更も大正解であったと、筆者は肯定したいです。
なお、その須賀の姪であり、自由奔放のようで就職活動に苦戦していたりもしていた夏美は、小説版では彼女がどういう考え方をしていたか、実は類稀な記憶力を持っていたことなどが示されています。映画で描ききれなかった登場人物の内面や性格は、ここで記した以外にもたくさんあるので、ぜひ読んでみることをオススメします。
–{陽菜と帆高それぞれの“年齢”へのこだわりでわかることとは?}–
5:陽菜と帆高それぞれの“年齢”へのこだわりでわかることとは?“呼び捨て”にも重要な意味があった?
陽菜は劇中で誕生日を迎えて15歳となりますが、帆高には「来月で18歳」と嘘を言って、敬語を使うように命令もしていました。その他でも、陽菜は須賀に「16?17?18?大して変わんねえじゃん」と言われると「変わりますっ!」と返したり、夏美に「(帆高は)本当に子供ですよね」とグチをこぼしたり、夏美の「就活ダルいなーいいなー女子高生」という言い草に陽菜は「私は早く大人になりたいです」と応えていたり、警察に職務質問をされた時にも「私は大学生で、2人は弟です」と言っていたりと──陽菜は年齢的にも精神的にも、帆高と凪より“お姉さん”であることに努めようとしていたようなフシがあります。
それとは対照的に、帆高は須賀に「16?17?18?大して変わんねえじゃん」と言われると「ですよねっ!」と言っていて、凪に恋愛指南をされると(年下のうえに呼び捨てにされているのにも関わらず)“センパイ”と呼ぶようになってしまいます。彼は年齢差についてプライドも何もないように思っていると……警察に連行された時に陽菜が15歳であることを知ると、苦渋に満ちた声で「俺が一番年上じゃねえか…!」と言うのです。
その後、代々木会館でワンピース姿で警察にタックルをしてきた凪のことを、帆高はセンパイではなく「凪!」と呼んでいます。さらに、たどり着いた空の上では、帆高は初めは「陽菜さん」と今までと同じように呼びますが、すぐに「陽菜!」と呼び捨てにして、「俺は青空よりも陽菜がいい」「自分のために願って、陽菜」と“さん”付けはしなくなるのです。
帆高は、陽菜と凪よりも年上であることを知り、彼女たちよりも“少し大人”な立場としての責任感も得ていた──だから陽菜と凪を呼び捨てにするようになったのでしょう。須賀の言うように大人からすれば1歳2歳の違いなんて大したことはないですが、思春期の少年少女にとってはわずかな年齢差も絶対的な価値観になり得ます。その年齢への向き合い方を、帆高と陽菜のそれぞれのセリフで示しているというのも、見事なものでした。
–{6:テッシー、さやちん、四葉はどこにいた?}–
6:テッシー、さやちん、四葉はどこにいた?
本作には新海誠監督の前作『君の名は。』のキャラクターが登場しており、同じ世界観を共有していることがわかります。序盤では雑誌「ムー」に「彗星が落ちた日Part6」という記事も載っていましたね。
立花瀧と宮水三葉は目立っていますが、エンドロールの勅使河原克彦(テッシー)と名取早耶香(さやちん)と宮水四葉の名前を見て、「どこにいたの?」と思った方も多いのではないでしょうか。その“答え合わせ”を以下に記しておきましょう。
・テッシーとさやちんはバザーを晴れにした時、観覧車から後ろ向きの姿で「うわー、晴れて綺麗ー」「スッゲー」と話している。
・四葉は陽菜が人柱に捧げられて快晴になった時、手で太陽を隠しながら学校から「なんか涙出るねー」と言っている。
・帆高が警察署から逃げる時にすれ違った女性も、おそらくさやちん。
それぞれ、成田凌、悠木碧、谷花音と声の担当者を再登板させ、しっかりセリフを言わせているのも嬉しかったですね。
さらに、他作品からは『ふたりはプリキュア』のコスプレをしていたお姉さんたちの後ろにはゴジラがいたり、アニメ『この素晴らしい世界に祝福を!』の“アクア”というキャラも映り込んでいたりもしました。こうした「ここに○○がいた」という小ネタは他にもきっと見つかるでしょう。
ちなみに、前作『君の名は。』でも、新海誠監督の過去作『言の葉の庭』のキャラクターであるユキノとタカオが登場していたりもします。ユキノは序盤にセリフ付きで登場しているためわかりやすいですが、タカオのカメオ出演は新海誠監督が地上波放送時にクイズを出すほどにマニアックなものでした。
『君の名は。』テレビ放送ご覧いただけた方々、本当にありがとうございました!!
マニア向け「タカオはどこにいるか?」クイズの回答です。ラスト付近の大事なカットなので、観客の気が逸れないように顔を隠していました…笑。 #君の名は。 pic.twitter.com/3WKYQorgeI — 新海誠 (@shinkaimakoto) January 3, 2018
※『君の名は。』で登場したユキノというキャラクターについては、以下の記事も参考にしてみてください↓
□『君の名は。』の深すぎる「15」の盲点
さらに余談ですが、『君の名は。』で就職活動をしていた瀧は、面接でこう訴えてもいました。「東京だって、いつ消えてしまうか分からない」「たとえ消えてしまっても、いえ、消えてしまうからこそ、記憶の中でも人をあたためてくれる街作りを──」と。瀧は計らずも『天気の子』で東京の一部が水の下に沈んでしまうことを予言していたのかも……でも、おそらくは建築の仕事に就いたであろう瀧は、この状況になった東京を少しでも良くしていくために、一生懸命に働いているのかもしれませんね。
–{陽菜のチョーカーと、誕生日プレゼントの指輪が意味していたものとは?}–
7:陽菜のチョーカーと、誕生日プレゼントの指輪が意味していたものとは?
陽菜は“雨の雫”がついたチョーカーをいつも身につけています(ラブホテルのお風呂に入る時でさえも)。実はこのチョーカーは、病床に臥せっていた陽菜の母親が腕につけていたものでした。
このチョーカーは、彼女の巫女としての力を示しているのでしょう。陽菜がラブホテルから雲の上に行ってしまった時、帆高からもらった誕生日プレゼントの指輪は彼女の体をすり抜けて地上に落ちたのにも関わらず、チョーカーはそのまま身に着けていました(バスローブ姿だったはずの陽菜がいつの間にかいつもの服を着ているのは気にしないでおきましょう)。そして、帆高が陽菜を救い、代々木会館屋上の小さな鳥居の前に戻った時、そのチョーカーは割れていました。
『君の名は。』の三葉がそうだったように、『天気の子』の陽菜は“巫女の血”を母親から引き継いだのかもしれません。そして、陽菜は巫女として人柱に捧げられなければならないという重責から、帆高の行動のおかげで逃れることができたのでしょう。事実、陽菜はラストシーンではチョーカーをつけていないのですから。
また、帆高が誕生日プレゼントに指輪をあげたことは、須賀が薬指につけていた結婚指輪をクセのように何度も触っていたことと“対”になっています。前述したように、須賀もまた帆高と同様に“どうしても会いたい大切な人がいる”と願っていたということが、この指輪というアイテムで示されているのでしょう。その帆高が買った指輪は3時間もかけて選び抜いたもので、店員である三葉は「きっと“大丈夫”、喜んでくれますよ」と帆高を激励していました。言うまでもなく“大切な人への想いが込められている”ことも、この指輪は示していたのでしょうね。
–{8:天気と人間の関係性の変化が“お花見”の話題で示されていた!}–
8:天気と人間の関係性の変化が“お花見”の話題で示されていた!
本作では“天気と人間の関係性の変化”も描かれています。具体的には、ラストシーンの直前、3年(実際の時間経過は約2年半)の間ずっと雨が降り続いていて、東京の一部が水の下に沈んだにも関わらず、テレビでは「穏やかな気候が続き、桜も長く楽しめるでしょう」と予報がされているのです。しかも、道ゆく女性からは「あんたって本当にポジティブよね」「週末のお花見楽しみ!」という会話も聞こえてきます。
つまり、“お花見は晴れの日にするもの”という常識が3年のうちに覆された、雨の日でも桜を見て楽しむことはできると、人々の天気の向き合い方が変わっていったことが示されているのです。そしてラストシーン、陽菜が祈っていたその場所でも桜が咲いていて、やってきた帆高を見つけた陽菜の眼前には桜の花びらが舞うのです。
陽菜の晴れにする巫女の力は確かに人々を幸せにしていましたが、たとえ雨が降り続いていたとしても、人々はたくましく生活を続けていました。神主の老人は「天の気分は正常も異常も測れるものではない」「我ら人間は湿って蠢く天と地の間で振り落とされぬようしがみつき、ただ仮住まいをさせていただいているだけの身」などと言っており、最近はすぐに異常気象だと世間が言ってしまうことにも苦言を呈していました。
確かに天気により困らされたり、塞いだ気持ちになってしまうことはあるけれど、どのように天気と向き合うかによって、変わってくることもあるのではないか、ポジティブに生きていくことはできるのではないか──『天気の子』は、そのような問いかけもされているのです。
余談ですが、この“雨の日でもポジティブな考えを持つ”ということは新海誠監督の過去作『言の葉の庭』にも通じています。こちらには「どうせ人間なんて、みんなどっかちょっとずつおかしいんだから」という、『天気の子』で須賀が言っていた「世界なんてさ、どうせ元々狂ってんだから」と似たセリフもありました。
その他、前述した桜というモチーフは『秒速5センチメートル』にもありますし、世界とヒロインの関係性は『雲のむこう、約束の場所』も想起させました。言うまでもなく様々な天気における美しい光景を描いているということは、新海誠監督の多くで共通しています。前作『君の名は。』において、川村元気プロデューサーには“新海誠監督のベスト盤にする”という意向があったのですが、今回の『天気の子』も新海誠監督の過去作のエッセンスを拾い出し、その作家性と価値観を前面に打ち出した内容になっていたと言っていいでしょう。
–{帆高が卒業式で歌うのをやめた理由とは?}–
9:帆高が卒業式で歌うのをやめた理由とは?
3年(2年半)後の高校の卒業式、帆高は他の生徒たちと一緒に「仰げば尊し」を歌い始めるのですが……「おもえばいと疾しこの年月」のフレーズで歌うのをやめてしまっています。ここでは「過ぎ去った日々はとても早く感じた」ということが歌われているのですが……おそらく帆高にとってはこの3年はとても長い日々だった、その歌詞に迎合できないと思ったから、歌えなくなったのでしょう。
帆高が3年間の日々を長く感じた理由は、陽菜を救う代わりに天気(世界)が狂ったままになってしまったことに、途方もない罪悪感を覚えていたことも理由なのかもしれません。そんな帆高にとって、アパートに移り住んだ老婦人の冨美が「東京のあの辺はもともと海だったのよ。だから結局元に戻っただけだわ、なんて思ったりもするのね」と語ったこと、須賀に「お前たちが原因でこうなった?自分たちが世界のかたちを変えちまったぁ?んなわけねえだろ、バーカ。自惚れるのも大概にしろよ」と言われたことは、ある意味では救いでもあったでしょう。
もう1つ、帆高が3年間の日々を長く感じていたのは、“陽菜にずっと会えなかったから”なのかもしれません(誕生日プレゼントの指輪もずっと持っていたようです)。そしてラストシーンでは──帆高は前述した冨美や須賀の言葉を覆すように、「違う!世界は最初から狂っていたわけじゃない、僕たちが変えたんだ!」「あの空の上で、僕は選んだんだ。青空よりも陽菜さんを、大勢のしあわせよりも陽菜さんの命を!」と自身たちの行動を再認識します。そして、帆高が「僕たちは大丈夫だ」と希望を持てたのは、後述する強い願いを体現した陽菜に、自分も会いたいと願っていた(そして自分の決断によりその命を救うことができた)陽菜に、3年の時を経てやっと、やっと再会できたことも理由なのでしょう。
その時の陽菜は、高校の制服姿でした。しかも、前述したように帆高は空の上では「陽菜!」と呼び捨てにしていたのですが、ここではまた呼び名が「陽菜さん」に戻っています。それは陽菜が“今度こそ本当に18歳になる”年齢であり、“元の関係に戻ったから”と思ったからこそ、帆高はやはり3年前と同じように「陽菜さん」と呼んだのではないでしょうか。この2人なら、(天気が狂っても)元どおりになった2人なら、確かに大丈夫なんだろうと──希望が持てる、素晴らしい幕切れでした。
10:ラストシーンは解釈が分かれる?
本作のラストシーンで──陽菜はあの場所で、何を願って(祈って)いたのでしょうか。これには、大きく分けて2通りの解釈があるようです。
(1)陽菜は(巫女の力を失っても)晴れになりますように、世界がより良くありますようにと(3年も)願っていた
(2)陽菜は帆高に会いたいと願っていた(そして願いが叶って帆高と会えた)
陽菜が“曇り空に向かって願っていた”ことを考えれば(1)であるように思えますが……空の上で帆高に「自分のために願って、陽菜」と言われたこと、巫女としての役割から解放されたことからは(2)であるかもしれない──とも思えるのです。
事実、小説版での陽菜は、空の上に帆高がやってきたことを“自分の(会いたいという)願いと帆高の(会いたいという)願いが重なった”と考えていました。これを踏まえると、ラストシーンでは(空の上の時と同じように)もう一度、帆高と陽菜の2人の“会いたい”という願いが叶えられたようにも思えるのです。
これ以外にも、『天気の子』で気づいていない盲点はまだまだあるはずです。すでに観たという方も、ぜひリピートしてそれぞれの解釈による、それぞれの盲点を見つけて見てください!
(文:ヒナタカ)
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–{『天気の子』作品情報}–
簡潔あらすじ
「君の名は。」が歴史的な大ヒットを記録した新海誠監督が、天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄されながらも自らの生き方を選択しようとする少年少女の姿を描いた長編アニメーション。離島から家出し、東京にやって来た高校生の帆高。生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく手に入れたのは、怪しげなオカルト雑誌のライターの仕事だった。そんな彼の今後を示唆するかのように、連日雨が振り続ける。ある日、帆高は都会の片隅で陽菜という少女に出会う。ある事情から小学生の弟と2人きりで暮らす彼女には、「祈る」ことで空を晴れにできる不思議な能力があり……。
スタッフ
監督:新海誠
演出:徳野悠我/居村健治
脚本:新海誠
原作:新海誠
エグゼクティブプロデューサー:古澤佳寛
プロデュース:川村元気
制作プロデュース:STORY inc.
企画:川村元気
製作:市川南/川口典孝
プロデューサー:岡村和佳菜/伊藤絹恵
制作:コミックス・ウェーブ・フィルム
キャラクター・デザイン:田中将賀
作画監督:田村篤
撮影監督:津田涼介
美術監督:滝口比呂志
音楽:RADWIMPS
音楽プロデューサー:成川沙世子
主題歌:RADWIMPS/三浦透子
音響監督:山田陽
音響効果:森川永子
助監督:三木陽子
CGチーフ:竹内良貴
キャスト(声)
醍醐虎汰朗→森嶋帆高
森七菜→天野陽菜
本田翼→須賀夏美
吉柳咲良→天野凪
平泉成→安井刑事
梶裕貴→高井刑事
倍賞千恵子→立花冨美
小栗旬→須賀圭介
神木隆之介→立花瀧
上白石萌音→宮水三葉
谷花音→宮水四葉
成田凌→勅使河原克彦
悠木碧→名取早耶香
花澤香菜→カナ
佐倉綾音→アヤネ
市ノ瀬加那→佐々木巡査
木村良平→木村
基本情報
製作国:日本
製作年:2019
公開年月日:2019年7月19日
上映時間:114分
製作:「天気の子」
製作委員会:東宝=コミックス・ウェーブ・フィルム=STORY=KADOKAWA=ジェイアール東日本企画=voque ting=ローソンエンタテインメント
制作プロデュース:STORY inc.
制作:コミックス・ウェーブ・フィルム
配給:東宝
レイティング:一般映画
カラー/サイズ:カラー
公式サイト:https://tenkinoko.com/