©Universal Pictures
2001年日本公開の映画『アンブレイカブル』、そして2017年公開の『スプリット』。このM.ナイト・シャマラン監督による2作品が、まさかの合体!
遂に18年越しの最終章を迎えるという、正にシャマラン作品ファンには涙ものの映画『ミスター・ガラス』が、いよいよ1月18日から全国公開された。
堂々の完結編だけに、どれだけ凄い展開が待っているのか? かなりの期待を胸に鑑賞に臨んだ本作。果たして、その内容と出来はどうだったのか?
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ストーリー
フィラデルフィアのある施設に3人の特殊な能力を持つ男が集められ、研究が開始された。彼らの共通点はひとつ――自分が人間を超える存在だと信じていること。不死身の肉体と悪を感知する力を持つデヴィッド(ブルース・ウィリス)、24もの人格を持つ多重人格者ケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)、そして、非凡なIQと生涯で94回も骨折した壊れやすい肉体を持つ“ミスター・ガラス”(サミュエル・L.ジャクソン)…。彼らは人間を超える存在なのか? 最後に明らかになる“驚愕の結末”とは?(公式サイトより)
予告編
あの2作品が奇跡の合体、遂に完結する!
今回『アンブレイカブル』と『スプリット』を見事に繋ぐ、ファン待望の完結編として製作された、この『ミスター・ガラス』。
確かに両方の作品に決着がつくのだが、日本版ポスターの宣伝文に「M.ナイト・シャマランが仕掛ける『アンブレイカブル』の“その後”」とあるにも関わらず、研究施設で3人が病室に収容されている様子は、実はそのまま『スプリット』での被害者とケヴィンの立場を逆転させたものであり、映画の中で女性精神分析医のエリーが、3人に対して「その特殊能力は単なる妄想・思い込みの産物に過ぎない」と説明するのも、『スプリット』の中で精神分析医のカレンが、ビ-ストの存在が虚構のものだとケヴィンに説明する描写を思わせるなど、若干『スプリット』の続編としての性質が強い本作。
『スプリット』では、過去の苦悩を通じて脳の潜在能力を解放したために、ケヴィンの特殊能力が開花したとの説明が成されるのだが、映画の中で印象的だった、カレンの「私たち、心に傷を負った人を劣ってると見がちよね。でも、もし私たちより優れてたら?」というセリフ。
実はこれこそが今回の3部作の重要なテーマであり、同時にシャマラン監督作品に共通する重要な要素とも言える。
彼の作品の主人公である、“社会のはぐれ者たち”への温かい目は、彼らの存在を「負の存在ではなく、可能性の具現化だ」「失意のものは、より進化した者なのだ」と表現した『スプリット』のセリフにも、実によく現れているのだ。
話を『ミスター・ガラス』に戻すと、既に心に傷を負っていたケイシーは別として、終盤の展開で大きな傷を心に負った2人もまた、主人公たちの様に優れた存在に成りうる可能性を予感させる本作のラストこそ、新しい時代の到来と心に傷を負った者たちの解放を告げる最高のエンディングであり、シャマラン監督作品を通じてのテーマに対する、見事な答えになっているのが凄い!
18年越しの完結編として、見事にその役目を果たしたこの『ミスター・ガラス』だが、実は本作には重要な裏テーマが存在する、と言ったら驚かれるだろうか?
残念ながら、今回劇場パンフが製作されていないため、やはり細かい部分の謎が気になる本作。
それでは、本作に隠された数々の謎や裏テーマとは、いったい何だったのか?
謎1:実は、あの女性精神分析医にも実在のモデルが?
本作でまず驚かされたのが、主要登場人物3人が研究施設に収容されて、女性精神分析医であるエリーから強制的にセラピーを受けさせられるという、かなり意表を突く展開になっていたことだった。
前作の『スプリット』にも、女性精神分析医のカレンが重要なキャラクターとして登場していることから、一見『スプリット』を踏襲しているかの様に見える、本作の展開。
だが、日本版のポスターに書かれた「“スーパーヒーロー”は、実在するか?」の宣伝文が示す通り、本作ではアメコミの世界観やルールが重要な要素・ヒントとなっているだけに(コミックショップのシーンが3回も登場する上に、「特別編でなくオリジンだった」とのミスター・ガラスのセリフなど)、実はこのエリーも、アメコミの歴史に重大な影響を及ぼした、ある実在の精神科医のことを指していると考えられるのだ。
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その理由について語る前に、まずはアメリカ国内で巻き起こったコミックスの過激な表現に対する規制と、表現の自由を巡る当時の社会状況について語る必要がある。
実は、アメリカにおけるコミックス規制の起源は、遥か1930年代にまで遡る。当時の全米の教育者たちが、子供や学生たちへの悪影響と学業成績の低下を理由に、悪役(ヴィラン)を賞賛したり裸に近い格好の女性が登場するコミックスを、一斉に批判し始めたのだ。
こうした論争の末、遂に1954年にコミックス倫理規定委員会(the Comics Code Authority、以下CCA)が、全米コミックスマガジン協会の一部門として発足することになった。
当初は政府によるコミックスの規制を防ぐための、一種の自主規制団体として発足したCCAだったが、2011年の廃止まで実に60年以上の長きにわたり、アメコミの表現の自由を厳しく規制することとなる。
更に、CCAが規制した過激な表現の中には、犯罪物やホラー・コミック内の暴力及び流血表現と、性的表現が含まれていたが、それらに加えて、「いかなる場合においても善は悪を打ち負かす」事を要請したため、アメリカン・コミックスはいわゆるスーパーヒーローもの以外の題材を描くことが難しくなってしまう。
CCA発足のきっかけとなった社会的論争や、アメリカン・コミックスにおける過激な表現に対する反対運動の原因は、実は当時の精神科医フレデリック・ワーサムの著書『無垢への誘惑』(原題 Seduction of the Innocent)に記された、「行き過ぎたコミックの表現が主要な読者層である子供や学生に対して有害である」という主張によるところが大きい。
事実、彼の著書は当時の世論の盛り上がりを生み、コミックの過激な表現に対する反対運動を引き起こす大きな要因となった。
しかもワーサム自身は、後述する出版業界の自主規制として作られた“コミックス・コード”を認めておらず、この辺の対立状況も本作での女性精神科医エリーの登場と設定に、大きく影響を及ぼしているのだ。
つまり、本作に登場する精神分析医のエリーとは、実在の人物であるフレデリック・ワーサムを模した存在であり、そう考えれば本編中に彼女が言う、「ヒーローであろうと悪役であろうと関係なく、バランスを崩す者は正す」とのセリフや、何故かコミックストアでコミックスをチェックしている彼女の行動の理由も、きっと納得して頂けるはずだ。
では、彼女が所属する謎の組織と、彼らがメンバーの証としている“三つ葉のクローバー”のイレズミには、どの様な意味があるのだろうか?
ここから先は若干のネタバレを交えつつ、本作が描こうとした真のテーマや数々の謎について、解説・検証してみたいと思う。
※本作の性質上、深く掘り下げるためには、どうしても多少のネタバレに触れる必要がありますので、本編を未見の方は鑑賞後にお読み頂くか、十分にご注意の上でお読み頂ければ幸いです。
–{あの組織の正体、そして三つ葉のクローバーの意味とは?(※ネタバレあり)}–
※ここからは映画本編のネタバレを含みます。
映画鑑賞前の方は、鑑賞後に読むことをおすすめします。
謎2、謎3:あの組織の正体、三つ葉のクローバーの意味とは?
本作の終盤で、突然その存在が明らかになる謎の組織。メンバーが皆、体に“三つ葉のクローバー”のイレズミを入れているという設定なのだが、実はこの部分にも組織の目的や正体に対しての重要なヒントが隠されている。
“三つ葉のクローバー”の花言葉は「復讐」や「約束」であり、更に1本の茎に3枚の葉が生えていることから、昔からキリスト教においてはクローバーを「三位一体」と関連付けて考えている。つまり、父なる神・その子キリスト・精霊の3つで三位一体というわけで、彼らがキリスト教の厳格な教えを守る組織であることが、このイレズミから推測出来ることになる。加えてこの三つ葉が、そのままデヴィッドとミスター・ガラス、それにケヴィン=ビーストの3人を指すというわけだ。
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更に「復讐」という花言葉から考えて、この組織の正体が、ミスター・ガラスが引き起こした列車事故の犠牲者によって作られた組織である、との見方も可能であり、実際これは、かなり有力な解釈の様に思える。
だが、ここで前述した本作の裏テーマである、アメリカン・コミックスの歴史という部分を踏まえて考えると、この組織が何を表しているのかが見えてくることになる。
つまり、この組織は前述した通り全米のコミックス倫理規定委員会(CCA)の象徴であり、彼らが3人に対して行おうとした粛正こそ、アメリカン・コミックスの歴史に名高い“コミックス・コード”による表現の規制に他ならないのだ。
既に解説した様に、CCAは全米のコミック・ブックの過激な表現や内容を自主規制するために設立されたものであり、その影響力は最盛期において、全米のコミックス業界における事実上の検閲機関となっていたほど、大きなものだった。
CCAに加盟している出版社は、まず販売するコミックスを委員会に提出し、委員会はそれらのコミックスがコミックス倫理規定(コミックス・コード)に従っているか否かを審査し、 規定を満たしているコミックスには、委員会が出す許可マークの使用が承認されるというものだった。
こうして、1930年代に映画における検閲制度として定められた“ヘイズコード”のコミックス版とも言える、表現の自主規制として定められた“コミックス・コード”の存在は、本来子供向けだったコミックスの過激な表現や描写を、次第に厳しく規制していくことになる。
この時に厳しく制限されたのは、なにも暴力や残酷・性的表現だけではなく、実は吸血鬼や狼男、それにゾンビといったホラー映画お馴染みのキャラクターの使用も禁止されており、これを踏まえて考えると、ケヴィンの最後の人格であるビーストが象徴するのは、「X-メン」のオリジナルメンバー“ビースト”だけでなく、実は“狼男”に対するCCAの規制をも匂わせていることになるのだ。
本作が真に描きたかった裏テーマとは?
単刀直入に言うと、実は本作で描かれているのは、アメリカ国内におけるコミックスの表現規制と迫害、そして表現の自由を守るための戦いの歴史に他ならない。
実際『アンブレイカブル』の時は、夜や暗闇での登場シーンが多くてよく分からなかったのだが、今回昼間に戦いを繰り広げるデヴィッドが来ているパーカーの色は、何と緑色なのだ!
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そう、緑色のフードのヒーローと言えば、これはもうDCのグリーンアローやスペクターを連想せずにはいられないのだが、前述した通りCCAによって厳しく規制されていた人種差別や薬物中毒、環境問題などを、1970年代にあえて描いたことでも有名なDCコミックスの人気シリーズ、『グリーンランタン/グリーンアロー』を思い出すアメコミファンも多いのではないだろうか。
これに加えて、デヴィッドが息子をサイドキック(相棒)に事件を捜査する様子はバットマン、その怪力と思わぬ弱点の存在はスーパーマンを思わせることからも、デヴィッドが実はDCコミックス系のスーパーヒーローを象徴していることは明らかだ。
更に天才的な頭脳を持ちながらも、その脆弱な肉体のために今回は全編車椅子での登場となるミスター・ガラスは、マーベルの「X-メン」の指導者である、プロフェッサーXを思わせる。
実際、DCの「グリーンランタン/グリーンアロー」と同様に、マーベルもまた1970年代に「アメイジング・スパイダーマン」誌で麻薬依存症問題を扱って、コミックス・コードに対して戦いを挑んでいるという歴史的背景があるのだ。
更に、ケヴィンの最後の人格であるビーストは、当時のCCAによる主な規制対象となった、「イーリー」や「クリーピー」といったホラー系のコミックスの象徴と見ることが出来るし、ビーストが不純な若者を食べる描写は、表現がエスカレートし過ぎたコミックスが、若者に害を与えることのメタファーとも取ることが出来る。
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今回ネットで散見出来た、本作が「中途半端・微妙な内容だった」という意見は、きっと『スプリット』の続編としてのラブストーリー要素と、『アンブレイカブル』の続編としてのアメコミ賛歌が混在している点に引っかかったためではないだろうか。
あくまでも一つの解釈・方向性として、今回の記事が『ミスター・ガラス』を更に深く楽しむための参考になることを願って止まない。
最後に
『アンブレイカブル』と『スプリット』。一見かけ離れて見えた二つの世界が融合することで、観客の心に深い余韻と感動さえ呼ぶエンディングを見せてくれた、この『ミスター・ガラス』。
前作の『アンブレイカブル』や『スプリット』で描かれた、“社会からはみ出した者たち”に対する肯定と応援のメッセージは、本作で更に力強いものとなっていた。
実は『スプリット』の中でも、既に『アンブレイカブル』との関連性は描かれており、それはケヴィンが駅のホームに花束をそっと供えるシーンや、その後に乗り込んだ列車の中で、遂に彼がビーストへと変貌する描写にも表れている。
更には、『スプリット』で描かれた2人のラブストーリーの行方と同時に、『アンブレイカブル』で描かれたスーパーヒーローと悪役の関係、それにコミックスに対する愛情までも盛り込んだ、正にシャマラン信者も大満足の壮大な傑作になっているのが素晴らし過ぎる!
CCAによる自主規制によって表現の自由を奪われ、ある物は表現の自由に挑戦して破れ、またある物は地下に潜って、自主流通経路による販売の道を選んだ、当時のアメリカン・コミックスたち。
ある登場人物の命をかけた行動が、遂に世界中を一つに繋ぐ本作の結末は、WEBでの配信により、表現の規制に縛られず世界中でコミックスが見られる現在の状況の素晴らしさと、シャマラン監督のアメコミ愛が炸裂する感動の名シーンなので、全力でオススメします!
(文:滝口アキラ)