『風の谷のナウシカ』を深く読み解く「5つ」の事実

映画コラム

1984年に公開された映画『風の谷のナウシカ』。

2019年12月には歌舞伎上演もされ、長く愛されている作品であるのはご存知の通り。

文明の破壊と再生、自然への畏怖と敬意、戦争の批判と共生への道を探す物語構造など、後年の『もののけ姫』にもある宮崎駿監督の作家の“原点”が表れている作品。

何度観ても新しい発見がある奥深さがあるのは、言うまでもないことでしょう。

ここでは、宮崎駿監督作品の中でも特異と言える製作過程を振り返りながら、『風の谷のナウシカ』で何を描こうとしていたのかを、少しだけ紐解いてみます。

1:“マンガにしか描けないもの”を宮崎駿は目指していた?

まず、アニメ映画『風の谷のナウシカ』には原作とされているマンガ版があります。このマンガ版は休載期間を挟みながら14年という歳月、映画の公開から数えれば11年後にやっと完結した作品であり、映画で描かれているのはマンガ版の2巻の途中までなのです(それまでにも映画とマンガにはいくつもの差異があります)。

この“(便宜的には原作と呼んでいる)マンガが完結していないのにアニメ映画になった”というのは、企画や製作過程の都合でそうなったというだけでなく、ある意味では『風の谷のナウシカ』という作品、ひいては宮崎駿の作家性をも読み解く1つの指針にもなり得ます(その理由については5:で後述します)。

後に多数の宮崎駿作品のプロデュースを手がけることになる鈴木敏夫は、新作アニメの企画を役員に売り込んでも良い反応が得られなかった、その役員を説得するために雑誌「アニメージュ」でマンガ版を連載して、その人気が出ればアニメ化にこぎつけられるという戦略を考えていたのですが、そのマンガを描く宮崎駿本人は「映画化を前提にマンガを描くのは不純だから、マンガにしか描けないものを描きたい」ということを、連載を引き受ける条件の1つに挙げていたそうです。

なんともややこしい話ですが、『風の谷のナウシカ』はアニメ(映画)化の企画が先にあったのにも関わらず、当の宮崎駿はアニメにはしないつもりのマンガを描き、その後にマンガが大人気を博しアニメ化が決まって“しまった”、という成り立ちなのです。その時の宮崎駿はほぼ失業状態で、“映画の仕事の唯一のチャンス”がこの『風の谷のナウシカ』になっていたのだとか。この時の宮崎駿の葛藤がどれほどのものかは、想像を絶するものがあります。

具体的にどういうことが宮崎駿にとって“マンガにしか描けない”ものであったかと言うと、独特なコマ割りや絵柄の他、情報が1コマ1コマに詰め込まれた壮大かつ複雑な世界観、“蟲”や“戦闘”の描写が“アニメーター泣かせ”になるといった、表現方法および技術的なことに関わることだったのでしょう。

結果的にアニメ映画版『風の谷のナウシカ』には現在のアニメ界でも活躍する精鋭のスタッフが関わり、後世に残る名作となったのですが、どこかで歯車が狂えばこの世に誕生することはなかった(その後の宮崎駿監督作品もなかった)かもしれない、奇跡的な作品と呼んでも過言ではないかもしれません。

2:ナウシカのヒロイン像の元ネタとは?

主人公であるナウシカは、ほぼ全編で徹底して蟲たちやトルメキア軍との“共生”の道を探しており(父のジルを殺されて激高した時を除く)、その行動には一種の博愛精神、さらには自己犠牲をもいとわない性格が見て取れます。噛みついてくるキツネリスには「怖くない」と言葉をかけて仲良くなり、暴走した王蟲や傷ついたウシアブを森に帰らせて争いの道を避けています。他にも、隠れて腐海の植物の研究をしていたり、濃い瘴気に満ちた場所でマスクを外してまで風の谷の仲間たちに言うことを聞かせていたこともありました。

このナウシカのヒロイン像のアイデアの元になったものの1つに、日本の古典文学「堤中納言物語」に登場する「虫愛づる姫君」があります。これはタイトルからもわかる通り、花や蝶といった“美しいと世間で常識になっているもの”を好むのが普通であるのに、気味が悪いとされる虫を愛でているお姫様を主人公としたごく短い話です。宮崎駿によるとこの姫君の“普通の人には得られない洞察力がある”ということも、ナウシカのヒロイン像に反映されていたのだとか。

さらに、ギリシア叙事詩「オデュッセウス」に登場する王女から、“ナウシカ”の名前が取られています。この物語に登場する王女は、結婚もせず恋人もいない浮世からは少しズレているような少女で、海岸に血まみれの男が打ち上げられて、他のみんなが逃げ惑う中でも、その男の介抱をしてあげるという、やはり慈愛の心を持っていたようです。

こうしてナウシカの元になったヒロインをみると、ただ変人というだけでなく、何者をも受け入れ癒してくれる聖母のような印象もあります。しかし、宮崎駿はナウシカという主人公の最大の特徴を「何よりも責任を負っているということ。自分の思いとか、やりたいことがあったとしても、とにかくその前に、たとえ小さな部族とはいえ、部族全体の利害や運命をいつも念頭に置いて行動しなければならないという“抑圧”の中で生きている」とも語っています。これは、企画が立ち消えとなってしまったアメリカのマンガのアニメ映画化作品「ロルフ」の物語を、もう一度作り直そうと考えて生まれたヒロイン像でもあったのだとか。

つまり、宮崎駿はナウシカを聖母のような完璧な人間ではなく、高度産業文明が崩壊し、腐海に侵食されている世界で、皆を率いるリーダーとして“そうせざるを得なかった”という抑圧の中で生きていると考えているのです。ナウシカというキャラクターに血が通っているように、重層的に奥行きを感じさせるのも、そのためでしょう。

3:戦争のメタファーと、現実との偶然の一致もあった?

『風の谷のナウシカ』の生きることも困難な世界は、核戦争が起こった後の世界そのもののメタファーでもあります。“火の七日間”は核戦争、“巨神兵”は核兵器、トルメキア軍はその巨神兵という核兵器を持っており、どこかで人間同士の争いも起こりうるという一触即発の緊張が続いているのですから。

同時に、現実でその頃(1980年代)に続いていたアメリカとソ連との冷戦下の状況も意識されていたようです。宮崎駿は『風の谷のナウシカ』のマンガ版の連載時において、映画には登場しない土鬼(ドルク)という帝国があっけなく崩壊しちゃってよいのかと疑問に思っていたものの、その後に現実ではもっと簡単にソ連が崩壊したのであっけに取られていていたこともあったのだとか。ファンタジーであっても、こうして現実の戦争や、自然破壊などの問題が作品に反映している(または偶然にもシンクロしている)というのも、宮崎駿作品の特徴です。

さらに、後年に宮崎駿が『風の谷のナウシカ』を作る大きなきっかけとして語っていることに、水俣湾が水銀に汚染されたことがあります。「人間にとっての死の海での漁をやめたとしても、数年が経ったら他の海には観られないほどの魚の群れがやってきて、岩には牡蠣がいっぱいついた。これが僕にとっては背筋の寒くなるような感動だった」と……。『風の谷のナウシカ』では自然破壊の結果としての荒廃した世界が描かれていますが、同時にそうした現実に起こりうる(人間以外の)生き物の健気さやたくましさも表現しているとも言えます。

–{宮崎駿がアニメ映画版につけた点数は…}–

4:宮崎駿がアニメ映画版につけた点数は“65点”!“宗教的に見える結末”に悩んでいた?

実は、宮崎駿監督本人はアニメ映画版の『風の谷のナウシカ』を高く評価しておらず、新聞のインタビューでは “65点”という厳しい自己採点をしているという事実があります。その大きな理由はラストにあり、「ナウシカが蘇るところ、その場面に今でもこだわっていて、まだ終わった感じがしない」「(自己犠牲で命を投げ打って死んでしまった)ナウシカが王蟲に持ち上げられて朝の光で金色に染まると宗教絵画になっちゃう、あれ以外の方法はなかったのかとずっと考えている」というものであったのだとか。

実は、初めに宮崎駿が考えていたアニメ映画版のラストは「空から飛んできたナウシカが王蟲の大群の前に降り立って、暴走していた群れが止まって、エンドマーク」だったのですが、この終わり方はないだろうと鈴木敏夫と高畑勲は喫茶店で8時間ほども話し合ったのだそうです。結果的に「娯楽映画として感動させるなら主人公が蘇るべきだろう」と案が宮崎駿に持ちかけられ、それが採用されたのだとか。

このアニメ映画版の“宗教的にも見える結末”を宮崎駿が気に入っていなかったことが、後に11年をかけて完結することになるマンガ版に反映……というよりも、宮崎駿を大いに悩ますことになります。

どういうことかと言うと、宮崎駿自身は映画が公開された後のマンガの執筆において、「僕自身が宗教的な領域にどっぷりと浸ってしまって、“これはヤバい”と深刻に追い詰められた」「マンガのナウシカの困惑は僕の困惑でもあるんです」などとも語っており、実際のマンガの内容も生命や人間とは何か、ほぼ神のようなものまでに言及した内容になっていくのです。つまり、アニメ版の宗教的に見える結末に満足をしていなかったはずの宮崎駿が、後のマンガ版では意図せずに宗教的な内容を描かざるを得なくなったという、何とも矛盾した製作過程があったのです。

さらに、宮崎駿は「映画は風呂敷を広げてそれを閉じてみせる必要があるから、それ以上はやれない。映画でやるのはそこまでと決めていたけど、自分の中でにその枠では収まらないモヤモヤが多すぎて、整理がつかないんです」とも語っています。

そして、宮崎駿はマンガ版の製作を「ずっと描くのをやめたかった」などとインタビューで答えていたにも関わらず、国民的アニメ作家となりスタジオでのアニメの仕事で手いっぱいになっていても、結局は寝る間を惜しんででも描き続けていたそうです。

映画のその先を描くマンガ版を、その後に11年もかけて完結させることができたのは、映画の枠では収まらなかったモヤモヤに決着をつけるため、そのラストが納得できなかったから自分の手で決着をつけたいという、宮崎駿の“意地”でもあるでしょう。

5:宮崎駿監督の作家性にある“矛盾”とは?

マンガ版『風の谷のナウシカ』において、宮崎駿の中で矛盾するような製作過程があったと前述しましたが、この“自身の中での矛盾を作品内で問い直そうとする”こともまた、宮崎駿の重要な作家性と言えます。

その宮崎駿の中にある矛盾で最もわかりやすいのは、「兵器は大好きであるのに、戦争は批判している」ということでしょう。例えば『紅の豚』では多数の戦闘機を登場させながらも殺人も戦争も良しとはしない主人公を追い、後の『風立ちぬ』ではまさに戦闘機の設計者を主人公にした上で戦争の無残さを訴えていたりもするのですから。そもそもの“ジブリ”というスタジオ名も、第二次大戦中にイタリアが用いた軍用の爆撃機から取られています。

『風の谷のナウシカ』においても戦車や軍用機が登場しており、やはり兵器への偏愛と戦争への批判という矛盾したものが同居していることはもちろん、そのマンガ版ではさらに宗教的な考えについての矛盾を、宮崎駿は問い直そうとしていたのではないでしょうか。

映画版しか観たことがないという方は、ぜひマンガ版も読んでみてほしいです。映画では描かれなかったキャラクターの顛末、世界の成り立ちについての衝撃的な事実などもありますし、何より宮崎駿の中にある矛盾および作家性について新たな見識も得ることができるでしょうから。簡単に語ることは決してできない多重性と奥深さを持つ物語が展開しており、『風の谷のナウシカ』のさらなる魅力を発見できることは、間違いありません。

参考図書:ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ(文春ジブリ文庫)

(文:ヒナタカ)