高畑勲『火垂るの墓』を読み解く3つのポイント

映画コラム

 © 野坂昭如/新潮社,1988

本日4月13日、故・高畑勲監督の代表作の1つ『火垂るの墓』が金曜ロードShow!で放送されます。

本作は、太平洋戦争末期に幼い兄妹の命が奪われてしまう物語であるため「戦争の悲惨さが訴えられている」と語られる一方で、「反戦映画として受け取るのは無理があるのではないか」ともよく論じられています。

また、本作は“嫌いな作品”として名前が挙がることも多くあります。そもそもの悲劇的な物語はもちろん、「主人公の少年の行動があまりに身勝手すぎる」「おばさんの嫌味ったらしい言動にイライラする」ということにはっきりと不快さを覚える方も少なくはないようです。

筆者個人としては、本作は究極的には反戦映画と呼べるものではないと考えます。そして本作を“嫌い”と感じていた方にこそ、もう一度『火垂るの墓』を観て欲しい、とも思うのです。その理由を、以下より語ってみます。

※以下からは『火垂るの墓』本編のネタバレに触れています。まだ映画を観たことがないという方は、鑑賞後に読むことをオススメします。

1:身勝手な清太の行動に“納得できる”理由とは?

兄の清太の行動は、客観的に見れば確かに身勝手にも見えます。親戚のおばさんの家でお世話になるも、理由をつけて学校に行こうとはせず、仕事もしない。おばさんに嫌味を言われ続けた結果、七輪を買ってきて妹の節子と2人だけでご飯を食べようとする。ついには家から出て行き、壕で暮らそうとする……その結果、節子は死んでしまうのです。清太が我慢をしたり、何かしらの仕事を手伝ったりするなどしたら、このような結果にはならなかったでしょう。

その清太の性格は、節子に対する態度にはっきりと表れています。例えば序盤、清太は「お母ちゃんとこ行きたい」と言って泣いている節子に“背を向けて”、「見てみ、兄ちゃん上手いで」と鉄棒を回り続けてごまかそうとしているのです。

清太が現実の厳しさから目をそらし、刹那的な楽しさを優先させるのは、節子と海で遊ぶシーンでも同様です。そこには海水から塩を取る“仕事”をしている人々がおり、海辺にあった死体を見る節子に対して清太は「そんなん見んでもええよ」と言うのですから。その清太は最後まで働くことも学校にも行くこともなく、あまつさえ壕に住んでからは盗みをも働いてしまうのです。

また、清太は母親が本当は全身に包帯を巻かれているほどに重症で、その後に死んでしまったことを、節子に隠し通そうとしていました。しかし、節子は母の死をおばさんからいつの間にか知らされていた……そのことを聞いた清太は、たまらずに泣き出してしまうのです。(節子は涙を見せないにも関わらず)

清太が何よりも優先したのは、“節子に悲しい想いをさせないこと”だったのでしょう。言い換えれば、彼にできたのは「節子に母の死を知らせない」「海に遊びにいく」「2人だけで住んでみる」という、短期的に不幸にはならなくても、長期的に幸せにもなれない行動ばかりだったのです。

また、清太には艦隊で戦っているお父ちゃんが生きて戻って来る、という希望がありました。自身の行動がどうあっても、母が残してくれた貯金と、父がいればどうにかなる……そのことも、清太が節子と2人で壕に住むという選択をしてしまった理由だったのでしょう。

そんな清太を「勝手だ」「愚かだ」などと言い捨ててしまうのは簡単ですが、彼はまだ14歳です。現代に生きる私たちが彼を批判的に見てしまいがちなのは、太平洋戦争がいつ、どのように終結したのか、その結果を知っていることにもあるでしょう。

まだ“子ども”の清太が、先のことを“知り得ない”からこそ、何よりすべては節子という大切な妹のためにしたことである、というように考えが及べば……たとえ短絡的な行動であったとしても、彼のことを責められないのではないでしょうか。

 © 野坂昭如/新潮社,1988

–{清太は現代の青少年にそっくりだった?}–

2:清太は現代の青少年にそっくりだった? 

太平洋戦争時の日本では、お国のために一致団結すること、戦争に懐疑的な者を非国民として非難するなど、抑圧的な“全体主義”がまかり通っていました。

清太がお世話になるおばさんの「お国のために働いている人らの弁当と、1日中ブラブラしとるあんたらと、なんでおんなじや思うの」といった言動の数々は、まさに全体主義そのものです。それは正論でもありますし、当時ではなんら特別なことではなく、むしろ寛大なほうであったと言ってもいいのかもしれません。節子と2人だけで壕で暮らそうとする清太の行動は、その全体主義から反旗をひるがえすものとも言い換えられるでしょう。

高畑勲監督は、そんな清太を現代の青少年たちと似たところがあるとも考えていたようです。「現代ではデジタル機器が発達し、わずらわしい社会生活から離れ、ある程度は自分の世界にこもることも可能になった」「そのような時代であればこそ、清太の心情がわかりやすいのではないか」などと。たしかに、清太の行動は現代のひきこもりやニートの若者に通じるところもあるのかもしれませんね(完全に同列で語るべきではないでしょうが)。

思い返せば、清太の周りには優しい大人たちもいました。お向かいのお姉さんは「何かできることあったら言うてちょうだい」「うちら2階の教室やねん、みんな居てるから来えへん?」などと清太に話しかけていていましたし、ワラをくれたり、貴重な七輪を売ってくれるおじさん、盗みで突き出された清太の事情を顧みてくれる駐在さんもいました。しかし、清太はそのような大人たちを本気で頼ろうとはせず、“社会的なつながり”を自ら放棄しているようにさえ見えるのです。

現代では、子供が社会的なつながりを断っても何とか生きてはいける、そういう選択肢も取れるようになっています(そうではないケースももちろんありますが)。しかし、満足に栄養が取れず、情報も少なく、何よりも現代よりもはるかに強い全体主義がはびこっている戦時中では、そうもいきません。

まとめると、高畑監督は兄妹だけで小さな家族を作ろうとしている清太に、社会的なつながりをわずらわしく感じる現代の若者との類似性を見だしているということ。しかし、戦時中ではその社会的なつながりを廃して、兄妹だけで生きることは叶わなかった……それこそに悲劇があるとも言えるのです。

そう考えると、本作『火垂るの墓』で訴えられていることは、戦争という出来事そのものへの批判ではありません。全体主義および、その正反対の行動といった、一方的で極端な考え方こそが生きることを困難にしてしまうという、人間の社会に普遍的に存在する恐ろしさにあるのではないでしょうか。

 © 野坂昭如/新潮社,1988

3:ラストシーンの意味とは?

本作のラストシーンは、ビルが立ち並ぶ現代の神戸の街を、赤く染まった幽霊の清太と節子がただ眺めているというものです。このラストはどのような意味を持つのでしょうか。

それを読み解くために重要なのは、主人公の清太の死から始まり、時間が巻き戻り、節子とともに第三者のような目線で生前の自身たちの姿を見続けていくという特殊な構成です。つまり本作の物語は、死んだ清太と節子が幽霊になって時間が戻り、また死んで幽霊となって時間が戻る……という永遠のループに巻き込まれているのです。

その清太と節子がそのループを幾度となく繰り返した結果、何十年という時が経ち、神戸はビルが立ち並ぶ現代の街へと変わっていったのでしょう。しかし、同じ時間に居続ける清太と節子はその街を見ること“しか”できません。彼らは何も現代の神戸に影響を及ぼすことはなく、ただただ同じ時間の“煉獄”に閉じ込められている……なんという悲劇でしょうか。

物語の見方を変えれば、「たとえ刹那的でも、一緒に暮らすことができた清太と節子は幸せだった」とも捉えることができます。節子が死んだ後に、彼女が楽しそうに壕で遊ぶ姿を“幻”のように見せるシーンも、清太と節子の幸福であった時の記憶を切り取っていると言っていいでしょう(その時に「埴生の宿(原題:Home, Sweet Home)」が豪華な屋敷の蓄音機から流れるのが切ない……)。

しかし、『火垂るの墓』はその刹那的な幸せをも、死してからも同じ苦しい時間を味わい続けるしかない煉獄をもって、真っ向から否定します。事実、高畑勲監督は「死によって達成されるものはなにもない」という考えがあったそうで、苦しい体験を繰り返している2人の幽霊を指して「これを不幸といわずして、なにが不幸かということになる」とも語っています。

この高畑監督の物語への姿勢は、恐ろしく感じると同時に、誠実であるとも思います。誰かの死はただただ悲劇であり、それによって“救われる”ことをよしとはしない。つまり「死んでよかった」ということは何1つとしてない、としているのですから。

 © 野坂昭如/新潮社,1988

–{反戦映画とは呼べない、もう1つの理由}–

まとめ:反戦映画とは呼べない、もう1つの理由

この記事の最初に「清太の行動があまりに身勝手すぎる」「おばさんの嫌味ったらしい言動にイライラする」「悲しい物語そのものに拒否反応を覚える」という否定的な意見を掲げましたが、その感想はまったく間違っていません。むしろ、作り手があえて逃げずに描き上げた“不快さ”や“悲劇性”を真摯に受け止めた結果であるとも言えます。

しかしながら、これまで書いてきたように、まだ子供の清太が“幼い節子のために”起こした行動の数々、全体主義がまかり通っていた戦時中の悲劇であること、死んでもなおも不幸のままでいる清太と節子の姿を踏まえると、その不快さや悲劇性を超えた、高畑勲監督が伝えたかったメッセージを汲み取ることができると思うのです。

映画はさまざまな側面を持つ芸術であり、優れた作品は何度観ても新しい発見があるものです。『火垂るの墓』もまた、繰り返し観ることで、きっと新しい見識を得ることができるでしょう。だからでこそ、『火垂るの墓』が嫌いだったという方にこそ、もう一度観て欲しいのです。(もちろん、嫌いとう感情を改める必要は決してありませんが)

ちなみに、高畑監督自身「反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」「なぜなら為政者が次の戦争を始める時は“そういう目に遭わないために戦争をするのだ”と言うに決まっているからです」などと語っていたこともあります。戦争に巻き込まれた者の悲劇を描いたからといって、結局は為政者が始めてしまう戦争を止めることはできない(それどころか政治的に利用されてしまうかもしれない)と、高畑監督は客観的な目線で捉えているので、やはり『火垂るの墓』は究極的には反戦映画とは呼べないでしょう。

とはいえ、戦争を起こしてしまう為政者に働きかけることができなくても、『火垂るの墓』は現代の市井の人に訴えている強いメッセージがあります。反戦映画とは呼べなくても、これからも(悲劇性が強いからこその)名作として、語り継がれていくのでしょう。

おまけ:『この世界の片隅に』と『となりの山田くん』も観てほしい

2016年に公開され絶賛で迎えられた『この世界の片隅に』は、『火垂るの墓』と“太平洋戦争末期に生きる人々を描いたアニメ映画”という共通点があるものの、ある意味では正反対の内容とも言えます。

なぜなら、『この世界の片隅に』は「一番よい選択肢を選んでいこう」という希望を謳っている物語であるから。『火垂るの墓』の清太が、客観的に見れば間違った選択をし続けてしまっていることとは対照的です。

『この世界の片隅に』はクスクス笑えるシーンも満載で、前述した戦時中の全体主義などよりも、「今日の晩ご飯はどうしようかな」といった現代にも通ずる庶民的な考えで行動している人ばかり。とても親しみやすくて、かわいらしい作品なのです(そののほほんとした雰囲気に、戦争の残酷性が時折顔を出すのが恐ろしいのですが)。

また、『火垂るの墓』で徹底して「一方的で極端な考え方による生きることの困難さ」を描いた高畑勲監督ですが、後年には『ホーホケキョ となりの山田くん』という「適当に生きていてもどうにかなるさ」という、まさに正反対のメッセージを込めた映画を作り上げています。

※『となりの山田くん』については以下の記事もご参考に↓
高畑勲監督の最高傑作は『ホーホケキョ となりの山田くん』である! 厳選5作品からその作家性を語る

悲劇な物語であった『火垂るの墓』の後に『この世界の片隅に』を観れば、「こうして生きていった家族もいるんだな」と、ほんの少しだけ救われるのかも。『火垂るの墓』の後に『となりの山田くん』を観れば、戦争のない現代で、家族が平和に暮していることが、いかに幸せなのかを噛みしめることができますよ。

(文:ヒナタカ)