(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation
2月16日から日本で公開が始まった『グレイテスト・ショーマン』の話題が尽きない。いや、正確に言えば予告編公開時から評判を呼んでいた本作は、アメリカで公開された当初は“不入り”が嘆かれていた。ところが、批評家の評価とは裏腹に観客の口コミで驚異の粘り腰の興行を見せてヒット作へと成長。興行収入も2月中旬の集計で1億5,000万ドル超えの記録を打ち立てている。日本公開後もミュージカルシーンに絶賛評が集まり、公開3日間で5億円を稼ぎ出し初登場1位を飾った。
なぜ『グレイテスト・ショーマン』は、ここまで観客から愛される作品となったのか。今回の「映画音楽の世界」では、そんな本作の魅力を“聴きどころ”である音楽とともに紐解いていきたい。
※記事内のYouTubeはAtlantic RecordsのオフィシャルYouTubeチャンネルによるオフィシャル音源です。
意表を突く音楽スタイル
19世紀のアメリカに実在した興行師P・T・バーナムの半生をミュージカル仕立てで描いた本作。長年『X-MEN』シリーズでウルヴァリン役を務めていたヒュー・ジャックマンがバーナムを演じ、バーナムからビジネスパートナーになるよう誘われるフィリップ・カーライルにはザック・エフロンが扮している。先に記しておくと本作は全編の大半がミュージカルシーンで構成されているが、そんな生粋のミュージカル映画にジャックマンとエフロンをキャスティングした時点で本作は成功したと言っても過言ではない。ジャックマンはご存知の通り『レ・ミゼラブル』でも歌声を披露しているほかブロードウェイなど舞台経験も豊富。一方のエフロンもディズニーチャンネル『ハイスクール・ミュージカル』でブレイクした人気俳優で、そんな2人がミュージカルで“競演”すると聞いただけでもまずは「観たい」と思えてくる。
本作はオープニングからいきなり「THE GREATESTSHOW」という楽曲からスタートする。
ジャックマンをメインボーカルにした同曲は予告編でも印象的に登場しているので既に耳にも馴染んでいるところだが、ボーカルパフォーマンスにはエフロン、キアラ・セトル、ゼンデイヤ、そしてザ・グレイテスト・ショーマン・アンサンブルとして共演者も参加。本作全体のイメージ・トーンを観客に与えるべく、いきなり圧巻の歌唱が披露される。
面白いのはこの楽曲から現代のポップス性を取り込んでいることで、じっくり聴いていると19世紀という設定にもかかわらず電子楽器やシンセプログラミングが随所に展開されていることが分かる。本来ならば時代設定(或いは相応のビジュアル)に合わせた音楽を当てそうなところだが、本作では敢えてその手法をオープニングから避けたことで「当時の時代をただ観客に追体験させるものではない」という“目的”をはっきりと浮かび上がらせている。実は現代ミュージックの導入は大半の曲で行われているので、それを踏まえた上で解説していきたい。
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本作のミュージカルソングを手がけているのはベンジ・パセック&ジャスティン・ポールのコンビ。2人は『ラ・ラ・ランド』のナンバーでもタッグを組んでおり、見事アカデミー賞主題歌賞に輝いている。監督を務めたマイケル・グレイシーは本作が長編映画デビュー作となるが、パセックとポールがオスカーに輝く前、それどころか無名時代に楽曲制作を依頼していたというのだからその慧眼には驚かされる。
そんな制作チームが目指した音楽は「ひとつひとつの楽曲が印象に残る、耳に馴染むもの」。その目標のお陰で、さっそく1曲目から「OH! THIS IS THE GREATEST SHOW!(ああ! こんなすごいショーは観たことがない!)」という明確なフレーズとともにキャッチーなメロディが響き渡る。
耳に馴染むキャッチーなメロディ
その“耳に馴染みやすい音楽性”は、続くミュージカルナンバー「A MILLION DREAMS」やバーナムの2人の娘が歌う「A MILLION DREAMS[REPRISE]」でも遺憾無く発揮されている。
タイトルの通りバーナムとチャリティが「夢」を語り合うナンバーで、一方の映像面でも時代背景を物語に投影しつつ、少年期から成人期にかけて2人のパフォーマンスが1カットで流れるように場面転換。ミュージカル映画の醍醐味と言わんばかりに幻想的で情熱的な構図と、いかにも現代的な編集効果が多用されている。
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さらに、バーナムが“ODDITIES=ユニークな人”を自身の興業で表舞台へと立たせるミュージカルナンバー「COME ALIVE」に突入すると、いよいよ軽快なポップスサウンドが前面に打ち出されて映画のテーマカラーがさらにはっきりと提示されていく。
先述のように、観客に「19世紀当時の世界を見せる」のではなく、時代背景を借りつつ「現代人の目線に合わせる」という制作側の主眼にここで気づかされることになる。この下地を作っておくことで、“バーナムは野心のためにパフォーマーを集めている”という視点から、たとえ自分に自信が持てなくても光さす場所へ出ることで「何かが変わる」というメッセンジャー的な役割を担っているのではと思い至る。もちろんバーナムにとっての野心を歌詞の端々に感じることもあるが、同曲の中で“髭面の歌姫”・レティが歌う「影に隠れて生きるのはここまで」という歌詞が、まさにその返答になっているような気がしてならない。
「THE OTHER SIDE」では、いよいよジャックマンとエフロンによる“タイマン”が繰り広げられる。
“策士”であるバーナムと“ストーリーテラー”のフィリップの対決は、まさに丁々発止のリリック・バトル。押しつつ引きつつ互いの心理の読み合い・駆け引きは本作の名場面の1つで、このシーンばかりは2人のイケメン俳優の軽妙洒脱なパフォーマンスにしばし見惚れてしまう時間でもある。
エドガー・ライト監督の『ベイビー・ドライバー』で音楽のリズムが演者の動作とリンクする場面が印象的だったが、同曲でも同様にテーブルを指で弾く音やグラスを置く音など、映像と音楽のリズムが見事に一体化。観客の高揚感を煽る演出としても効果的で、2人の演者の“些細な動作”すら音楽の一部にしてしまうという手法が、やがて手を取り合うことになるバーナムとフィリップの関係性を暗示しているように思えるのも心憎い。そんな2人の橋渡し的な存在感を放つバーテンダーも実に見事なパフォーマンスを見せてくれるので注目してほしい。
–{バーナムの“サーカス”に役者が揃ったところで、次の展開に}–
歌姫がもたらすバーナムと周囲の心情の変化
バーナムの“サーカス”に役者が揃ったところで、本作は次の展開に踏み込むことになる。イギリスで出会った歌姫ジェニー・リンドの登場は本作の転換点であり、彼女が歌う(演じているのはレベッカ・ファーガソンだが歌唱はローレン・オールレッドによる吹き替え)壮大なバラード「NEVER ENOUGH」は本作で観るものの感情を揺さぶる一曲になっている。同曲はこれまでの曲調から一転して、美しいオーケストラの旋律が寄り添う。
ここで主旋律を先導するのはもちろんオールレッドの力強いボーカルだが、同時に楽器隊で唯一ステージ上での演奏となったピアノも独自に旋律を引っ張っている。主旋律はもちろんリンドの感情の高鳴りを表しているが、それに寄り添いつつも同時に別のメロディが顔を覗かせるのは深読みするとバーナムの存在を表しているようにも思える。リンドのソロ曲でありながら、歌詞は「I(わたし)」が「YOU(あなた)」に「NEVER ENOUGH(足りないわ)」と語りかける内容になっており、リンドが舞台袖のバーナムを見つめることからも同曲がバーナムに宛てたメッセージとして受け取れる。
劇中バーナムはリンドに帯同することになり、彼女を舞台袖から見守るカットが幾度となく映し出されるが、もしも「あなた」がリンドが「手に入れたい」と願うバーナムのことを指し、同曲の2つのメロディがリンドとバーナムを表しているのなら本当に手の込んだ楽曲だと言える。なぜなら、本編を既にご覧になっていると分かりやすいが、物語が進行して同曲が最後に歌われる場面(サウンドトラック版だと10曲目の「NEVER ENOUGH」[REPRISE])では、歌詞から「あなた」が消えるだけでなく、リンドの歌唱中ステージにピアノは配置されておらずほとんどメロディを奏でていないのだ。これが計算づくだったとしたら、同曲は音楽だけでリンドとバーナムの間で起きた感情・関係性の変化を表したことになる。
曲順が前後したが、バーナムがリンドに傾倒しサーカスの面々を蔑ろにしてしまったために、改めて現実を突きつけられたレティたちメンバーが奮起。その心情をパフォーマンスに込めたのが本作の主題歌にもなっている「THIS IS ME」だ。
憂いを帯びたピアノ(この音色にもどこかバーナムの存在を感じるところがある)をバックに、レティを演じるキアラ・セトルが静かにしかし力強く歌い始める冒頭から、スネアドラムがレティを鼓舞するようにビートを刻みアンサンブルメンバーがコーラスに加わってくる構成の巧さ。それはやがて圧巻のダンスパフォーマンスへと昇華されていく。
「THIS IS ME=これが私」という自己肯定と、仲間という家族とサーカスという自分の居場所を見つけたレティの魂のシャウトは、セトル本人の感情も交じり合いながら神懸かったパワーから導き出されたもの。ゴールデン・グローブ賞主題歌賞を獲得するといった評価も頷ける名曲中の名曲ではないだろうか。製作のゴーサインが出ていないワークショップの段階で、セトルが自分の殻を破りながら熱唱するようすも公開されているので、そちらも合わせて観るとセトルや制作チームがどれだけ「THIS IS ME」にその思いを託してきたのかが一層理解できるはず。つまりこの場面こそ現代に向けた作品の「メッセージ性」が際立つところで、バーナムがショービジネスに先見の目を向けていたように、「今の自分の、さらにその先にあるもの」へと踏み出す背中を押してくれるような力強さが、本作から、そして同曲から漲ってきているのではないだろうか。
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揺れる思い
そして本作の中で最もポップス性を意識して作られた楽曲が、エフロンとゼンデイヤが歌う「REWRITE THE STARS」ではないだろうか。
フィリップとゼンデイヤが演じるパフォーマー・アンの人種の壁を越えた求愛を綴った同曲は、同時にアンが受ける差別への苦悩も浮き彫りにされている。何より、その差別がフィリップに最も近い人間から放たれていることを考えると、アンの苦しみは計り知れない。苦難の道を受け入れて進もうとするフィリップと、その気持ちに本当は応えたいアンの心情が乗せられたデュエットソングはまさに星空のような輝きを放っているが、アンが立ち止まってしまう姿も「IT FEELS IMPOSSIBLE(無理だと思うわ)」といいった歌詞に反映されている。
若き男女を投影したかのような先鋭的なサウンドに乗せたフィリップとアンのテーマソングは、2人の華麗なロープパフォーマンスもあって一際美しさが目立つ。だからこそアンが立ち止まってしまう姿が、「差別」という拭い去れない理不尽さを改めて観客の胸に問いかけることになる。「THIS IS ME」と同じ“決意の歌”でありながら、立ち上がった者と立ち止まってしまった者の、対になった関係性をこの2曲は示す形になった。
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そしてアンと同じように、ひとり苦悩を抱えるのがバーナムの妻・チャリティだ。バーナムが成功と名声を手に入れれば入れていくほど夫を遠くに感じてしまう妻の悲哀を、演じるミシェル・ウィリアムズが「TIGHTROPE」という楽曲で切々と歌い上げた。
純粋に「幸せであること」を望み続けたチャリティにとって、夫が徐々に遠い存在になってしまう寂しさを表現した同曲は「NEVER ENOUGH」や「THIS IS ME」、「REWRITE THE STARS」とはまた別の趣がある。それはチャリティの、夫を愛しながら不安でたまらない心の叫びがあえて明朗なメロディとテンポで紡がれていく。
ウィリアムズが落ち着いた雰囲気を出せば出すほど、その歌声はチャリティの苦悩を内包した響きを丁寧に表現。手にいっぱいの幸せを手にしながらも、指の隙間からこぼれる砂のようにその幸せが抜け落ちていく焦りがしっかりと歌詞にも現れている。同曲は序盤の「A MILLION DREAMS」と対にして捉えると、尚のことバーナムの人間性と彼を支えるチャリティの胸の内が垣間見えるかもしれない。
–{ある意味で俳優ヒュー・ジャックマンの真骨頂となる「FROM NOW ON」}–
ヒュー・ジャックマン、圧巻のパフォーマンス
終盤で流れるナンバー「FROM NOW ON」は、ある意味では俳優ヒュー・ジャックマンの真骨頂となる楽曲。
物語の最後の転換点となるミュージカルナンバーなのでストーリー上の言及は避けるが、バーナムのソロパートから始まる同曲は一曲の中で感情の流れが一気に昂ぶっていくのが特徴的。ジャックマンは完璧なまでにその流れをミュージカルという名の演技で乗り切っており、なおかつ伸びと張りのある圧倒的な歌唱力を披露している。
「THIS IS ME」がセトルの存在なくして成り立たなかったように、ジャックマンのボーカルだからこそ実現した力強いナンバーであり、アンサンブルメンバーのサポートとパフォーマンスにも感情を揺さぶられる。この場面に関しては一部が予告編でも使用されているが、ラストシーンに向かって重要な位置を占めており、ミュージカルパフォーマンス以上の感情を観客の胸に与えているので細部に渡るまでじっくりとパフォーマンスを堪能してほしい。
最後に、どうしても本作はパセック&ポールによるミュージカルナンバーに目と耳が向きがちだが、ミュージカルナンバーの曲間を繋ぐBGM(スコア)も丁寧な働きを見せているので注目してほしい。スコアは実写版「ジャングル・ブック」のジョン・デブニーと「オブリビオン」のジョセフ・トラパニーズの共作体制で作曲されている。ミュージカルナンバー以外でも、じっくりと耳を傾けると2人の楽曲が歌詞すら持たない“スコアだけ”でキャラクターの感情や状況を語っていることにも気づくはずだ。
まとめ
本作は手放しに絶賛されているわけではない。本国では批評家から批判され、スタートダッシュを決めた日本ですらバーナムのキャラクター性やストーリーの構成に対する否定派の意見も多い(確かに上映時間が105分しかなく、「もっと語るべき部分があっても良かったのでは」と思えるシーンの欠如感は否定できない)。しかし、そんな“賛否両論ながら大ヒット”という構図は劇中のバーナムのサーカスに対する民衆の声とも似てはいないだろうか。
本作は現代の人々へのメッセージ性も込めつつ、やはりミュージカル映画という名の1つのエンターテインメントショーでもある。圧倒的なパワーを感じさせるミュージカルナンバーから圧巻のパフォーマンスまで、本作そのものがバーナムの目指したショウビジネスの答えになっているのかもしれない。批判の声があるということも踏まえつつ、これほど感情を昂らせてくれるエンターテインメントを見逃す手はない。
ビッグスクリーンで、最高の音響でバーナムたちが繰り出すパフォーマンスをたっぷりと堪能して笑顔になってほしい。
(文:葦見川和哉)