『美女と野獣』で同性愛はいかに描かれたか?ディズニーアニメ版から変わった10のこと

映画コラム

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大ヒットした『美女と野獣』は、全米でのオープニング興行成績は歴代6位、全世界興行収入はすでに1200億円を超え、実写のミュージカル映画史上最高の記録を樹立。日本でも『アナと雪の女王』を超えて初登場No.1になり、最終的に124億円を記録しています。

本作は1991年に製作された同名ディズニーアニメのリメイク作。あの数々の名シーンが豪華絢爛な美術で彩られた実写で観られる、というだけで感慨深いものがありますが、ただアニメを実写にトレースしただけではありません。ディズニーアニメ版の設定や細かいシーンにさらなる“改変”が加えられ、そのどれもがキャラクターや物語をさらに掘り下げていたのです。具体的にそれがどういうものであったかを、以下にご紹介します。

※以下、核心的なネタバレは避けてはいますが、少しだけ作中のセリフや設定、ディズニーアニメ版との違いに触れています。予備知識なく映画を観たい方はご注意ください。

1:家具の召使いに新キャラが登場!

『美女と野獣』の物語が最初に描かれたのは1940年のこと。バレエや舞台版も幾度となく公開されており、ジャン・コクトー監督(1946年製作)やクリストフ・ガンズ監督(2014年製作)などの実写映画もたびたび作られている、世界中で愛されている作品なのは周知のとおりです。

ディズニーアニメ版には、他の作品群にはない魅力がありました。その1つが、燭台や時計やポットなどの、“家具になってしまった召使い”たちが登場すること。それぞれが親しみやすい性格であり、野獣が本来持っている“優しさ”を際立たせるために重要な存在になっていました。

この家具たちの顔が表情豊かにコロコロと変わり、しゃべって歌って踊るなど、“アニメでなければ実現不可能”な表現にも思えるでしょう。しかし、今回の映画では彼らの実写化に見事に成功しています。家具たちはとにかくかわいらしく、豪華なお城の内装に合った見事な造形でもあり、数々のミュージカルシーンではその見事な歌声に酔いしれることができるのですから!

そして、今回の映画ではその家具たちに“マエストロ・カデンツァ”というハープシコード(チェンバロ)が新たに加わっています。彼は、“マダム・ド・ガルドローブ”という洋服ダンスの夫という設定でもありました。ディズニーアニメ版にいない彼がどういう活躍をするかは……これから観る方のために秘密にしておきます。

さらに、終盤にはディズニーアニメ版にはない、彼ら家具たちが、お互いにお互いを想っていたことが伝わるシーンが追加されています。これもまたネタバレになるので書けませんが、今回の映画で白眉と言える、彼らが大好きな人ほどに感動できる素晴らしい描写である、ということだけはお伝えしておきます。

2:お父さんがバラを盗んでしまった!

序盤にベルのお父さんであるモーリスが、ベルにいつもおみやげを頼まれていた一輪のバラを、野獣のお城から盗んでしまうシーンがあります。これは原作となる物語や、2014年のクリストフ・ガンズ監督の映画版にはあった描写なのですが、ディズニーアニメ版ではカットされていました。

今回の映画ではそのバラを盗むシーンが復活したため、モーリスが“囚人”としてお城に閉じ込められなければいけなかったこと、それを知ったベルが父の身代わりになる選択をしたことに、より説得力が増していました(ディズニーアニメ版ではモーリスはただ不法侵入をしたということで閉じ込められている)。

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3:バラバラだった季節にも納得?

ディズニーアニメ版には少し気になってしまう“ツッコミどころ”があります。例えば、物語の序盤には春のようなさわやかな陽気で、野獣のお城に行くと雨が降って、中盤のベルと野獣のデートでは雪がいつのまにか積もっており、クライマックスではまた雨が降っていると、季節がバラバラで統一感がないように見えるところもありました。

今回の映画では、ベルの父のモーリスが森の道中で「雪が降っている、6月だが」と唐突な雪の天気のことをつぶやくシーンがあります。このセリフで不可思議なことが起きていることが明確に示されたため、雪が降るのはお城にかかった魔法の力の一端ではないか、と一応は納得できるようになっているのです。

そのほか、“なぜベルはモーリスのいるお城にたどり着けたのか”という疑問も、“モーリスが落としてしまった商品をベルが見つけた”という形で、これもまた少し解消できるようになっています。こうしたディズニーアニメ版から足された細かい描写は、この他にもたくさん見つかるでしょう。

4:“腰巾着”なキャラクターがまったく違う!

横暴で自己中心的なガストンと、その相棒のル・フゥも、原作となる物語にはいないキャラクターです。今回の映画のガストンの性格はディズニーアニメ版とほとんど変わらず嫌?なやつでしたが、ル・フゥはかなり異なっていました。

ディズニーアニメ版のル・フゥはガストンの傍若無人なふるまいを全て肯定する、ただただ付いて来ているだけの“腰巾着”のような存在でした。ところが、今回の映画のル・フゥは度々ガストンの言動や行動に「それはよくないよ」と諫言をしているのです。このおかげで、ガストンの“愚かさ”がさらに際立っていると言っていいでしょう。彼はせっかく自身の行動を正してくれる親友がいたのにも関わらず、結局自分本位の行動ばかりをしてしまうのですから。

それでいて、ル・フゥがガストンに“強くは言えない”キャラであることも重要になっています。ル・フゥはガストンの行動をたしなめようとはするけど、なるべくならそうしたことは言いたくはない……その理由は“ル・フゥはガストンのことが好きだから”と、それとなく示しているように見えるのです。

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5:同性愛のシーンが含まれていた?

今回の映画では、ゲイのキャラクターが登場するという報道がされていたため、マレーシアでは公開が中止され、ロシアでは年齢制限付きで公開されるなど、波紋を呼んでいました。そのゲイのキャラに当たる1人が、前述したル・フゥなのです。

しかしながら、ル・フゥがはっきりとゲイであると示しているシーンは劇中には存在しません。前述したようなガストンへの態度で“ひょっとすると”と気づかせる程度のことなのです。マレーシア政府がカットを要求したシーンもほんの3秒ほどであったそうですし、最後まで同性愛の描写があったことに気づかなかった方も多いでしょう。

ただ、劇中ではゲイのカップルがハッピーエンドを迎えたことがわかる描写もあったりします。終盤に女性の格好をさせられたにも関わらずに喜んでいる人がいましたが、彼がその後にどうなったのかをよく見てみると……?

昨今のディズニー作品では、実写映画版『シンデレラ』では黒人の俳優をキャスティングし、『ズートピア』では多種多様な“人種”が共存している世界を表現し、『モアナと伝説の海』では元来のプリンセス像とは全く違うリーダーたる素質を持ったヒロインが誕生するなど、“多様性”の素晴らしさを訴えることが多くなっています。
今回の実写映画版『美女と野獣』では、はっきりとは言葉に出さなくても、ゲイであることを肯定すると“わかる人にはわかる”描写で示しています。LGBTへの理解が広まってきた現代だからでこそ、多くの人が観るディズニー映画でその価値観を提示してくれたことが、嬉しくてしかたがありません。

余談ですが、ガストンを演じていたルーク・エヴァンスはゲイをカミングアウトした俳優であったりもします。劇中では気持ちのいいほどのゲスっぷりを見せつけたルークでしたが、実生活ではル・フゥを演じたジョシュ・ギャッドの誕生日にケーキを持ってきて祝ってあげたこともあったそう。リアルではこの2人の仲が良くてよかった!
–{日本語吹替版だけの違いも!}–

6:村の保守的な価値観がより浮き彫りに?

ベルの父(モーリス)が発明家という設定も、ディズニーアニメ版のオリジナル要素です。今回の映画では父が適当な指示をしても、ベルが思い通りの部品を持ってきてくれるという描写も加わり、より父娘が深いつながりを持っていたことが示されていました。

今回の映画では、ベルが父のように“発明”をして洗濯をしていたものの、村人にタルをひっくり返されてしまったというシーンもあります。さらに、ベルは女の子に文字を教えようとしたものの、周りから疎ましく思われていたようでした。

これから見えるのは、村全体が女性の自立を反対するような、保守的な価値観で凝り固まっていることです。ディズニーアニメ版にもあった“女性への不理解”が、今回はさらに強調されていると言ってよいでしょう。そもそも、ベルが本の虫で、父が発明家というだけで変人扱いされていることも、あの村の見識の狭さを物語っていますしね。

これらの描写を踏まえ、物語は“内面の美しさ”という、男女を問わずもっとも大切にするべき価値観を訴えていきます。フェミニズムの精神に溢れていることはもちろん、今回は前述したような同性愛のシーンもあるため、さらに多角的な面でこのメッセージが説得力を持つようになっているのです。

余談ですが、村人の中には宣教師と思しき黒人の男性がいます。彼をよく見てみると、他の村人とまったく異なるリアクションをしているのが興味深いですよ。

7:図書室のシーンの“驚き”がまったく違う?

ベルが初めてお城の図書室を見るシーンも大きく異なっています。ディズニーアニメ版では野獣からの“サプライズ”として壁一面に本が並んでいる図書室がベルに紹介されたのですが、今回の映画で野獣はそのようなことをしていません。ベルは前触れ無く、あっさりと図書室に入ってしまうのです。

これはディズニーアニメ版のほうがよかった、と思う方も多いでしょう。しかし、個人的にはこの改変は肯定したいです。なぜなら、ディズニー映画版で本をまともに読めなかった野獣が、今回の映画では高度な教育を受けていたという設定に変更されていたからです。

幼い頃から父に厳格な指導を受けていた野獣は、本の面白さや素晴らしさに気づけず、本をただただ“勉強”のためのものとして認識していなかったのではないでしょうか。だからでこそ、ベルに図書館を“素晴らしい場所である”とサプライズで紹介できなかった(彼女が図書室を気に入ることがわからなかった)のではないか、と思えるのです。

この後に、野獣はベルと本について楽しく会話をすることができています。野獣は本の内容にやや偏向的な見方をしていましたが、ベルはその本の魅力をさらに拡大して教えてくれる、という2人のやり取りが大好きで仕方がありませんでした。
本を通じて2人の距離がもっともっと近づいていく恋の過程は、ディズニーアニメ版よりもさらにより深く、かわいらしく描かれているのは間違いないでしょう。

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8:パリのシーンが追加!劇中でフランス語が使われている意味は?

パリに移動するシーンもディズニーアニメ版にはない、今回の映画のオリジナルです。詳しくはネタバレになるので書きませんが、野獣とベルが似た境遇であることを示した重要なシーンになっていました。

なお、劇中ではフランス語がたびたび使われています(これはディズニーアニメ版でも共通)。冒頭のミュージカルシーンでは村のみんなが「ボンジュール」と挨拶をして、お城の家具になった家来たちもたびたびフランス語を会話に混ぜていました。これは当時のヨーロッパーの社交界で、フランス語が共通の言葉として流行していたためなのでしょう。

ちなみに、ルミエール(燭台)役のユアン・マクレガーは、もともとメキシコなまりにしか聞こえなかった英語を矯正し、フランスなまりの英語を猛特訓して習得したのだとか。その役者魂、恐れいります。

9:ミュージカルシーンの追加、そして新たな“日本語訳”も!

今回の映画は日本語吹替版も大々的に公開されています。筆者は字幕版の後に吹替版を観たのですが……その出来は控えめに言って100点満点で500億点!特にベル役の昆夏美さんの可憐さと、ルミエール役の成河(ソンハ)さんの軽妙さに感動!藤井隆さんのル・フゥもキャラのイメージにぴったりです!

ディズニーアニメ版にはない新たな楽曲も追加されただけでなく、メインテーマ「Beauty and the Beast」の日本語歌詞も新しいものに変わっていました。ディズニーアニメ版と、今回の映画のどちらの訳も“直訳”ではなく、それぞれに違った解釈が付け加えられている素晴らしいものになっています。この日本語の美しさを堪能するだけでも、ぜひ吹替版をご覧になって欲しいです。

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10:ディズニーアニメ版だけのミュージカルシーンもあった!

現在発売されているディズニーアニメ版のソフトには「スペシャル・リミテッド・エディション」が収録されています。これは2002年に再公開された時のバージョンで、1991年の初公開時にはなかった「Human Again」のミュージカルシーンが加わっています。

子どものころに『美女と野獣』のディズニーアニメ版を観た、という方もひょっとするとこの「Human Again」は聴いたことがないかもしれません。今回の映画版にもないミュージカルシーンでもあるので、「こんなに楽しい楽曲があったのか!」と嬉しい驚きでいっぱいになるかもしれませんよ!

以上に挙げた他にも、ディズニーアニメ版と今回の映画にはまだまだたくさんの違いがあるはず。観比べて確かめてみたり、それぞれの良さをぜひ味わってみてください!

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(文:ヒナタカ)