(C)2015 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
本日4月21日、実写映画版『シンデレラ』が地上波で放送されます。2015年に公開された本作は、大筋は“皆が知っているあのおとぎ話”でありながらも、“現代ならでは”のアレンジが多く加えられ、原作の童話にもない新たな感動も生まれた素晴らしい作品でした。以下より、その魅力をお伝えます。
しかも、素敵な王子様がいつか現れて結婚するという、“棚ぼた”な玉の輿に乗るだけの内容ではなく、現代ならではの価値観が与えられた物語に生まれ変わっているのです。
※以下、核心的なネタバレは避けてはいますが、少しだけ作中のセリフや設定に触れています。予備知識なく映画を観たい方はご注意ください。
1:ディズニーアニメ版のシンデレラは“戦争終結後”の女性の理想だった?
『シンデレラ』が世界中で親しまれている童話で、いくつものバリエーションがあるのはご存知の通り。中でも有名な1950年のディズニーアニメ版は、17世紀末にフランスで発表された“ペロー童話集”を下敷きに、ネズミたちを始めとしたかわいいキャラクターの活躍や、「夢はひそかに」や「ビビディ・バビディ・ブー」などの挿入歌といった新たな魅力を加え、長く愛される作品になりました。
このディズニーアニメ版が製作されたのは、第二次世界大戦が終結した5年後のことでした。戦時中のアメリカでは、女性は戦場に赴いた男性の労働力の不足を補うため、工場や病院で厳しい仕事に従事しなければならないことが多かったそうです。つまり、まま母や義理の姉妹に下働きを強要されるシンデレラの姿は、ある意味で当時の女性たちの境遇に似ているとも言えます。
ディズニーアニメ版でよく登場しているのは、「信じていれば夢は叶う」という尊いメッセージでした。辛く苦しい戦争の時代が終わり、これからより良い未来が待っている、という当時の世相からすれば、このシンデレラの想いに共感しやすかったことでしょう。
しかし、先行きの見えない現代の価値観からすれば、この「信じていればよい」というのは“根拠のない希望”にも思えるかもしれません。
ディズニー作品に限らず、映画がその時代の世相を反映して作られている(また偶然に一致する)、というのはよくあることです。そして、この2015年版の『シンデレラ』もまた、“現代ならでは”の価値観がしっかり表れた作品に仕上がっていました(次の項に記します)。
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–{より能動的に努力をするヒロインへと変化}–
2:王道的でありながら、現代の世相も反映した作品になった!
「信じていれば夢は叶う」であった1950年版のディズニーアニメ版に対し、この2015年版の実写映画でのシンデレラがどうなったかと言うと……「勇気と優しさを持つこと」を信条とする、より能動的に努力をするヒロインへと生まれ変わっていました。
たとえば、シンデレラは意地悪なまま母と義理の姉の仕打ちに耐え忍ぶことについて、「今まで幸せに暮らしていた家を守りたいから」と口にしていました。彼女はただ我慢しているだけ、お城の舞踏会を夢見るだけでなく、しっかりした目的意識を持っているのです。
シンデレラだけでなく、王子もまた将来のために頑張る魅力的なキャラクターに変わっています。
ディズニーアニメ版の王子はほとんど背景が見えないキャラだったのですが、2015年版の王子は“弱小国で利益を得るための政略結婚を迫られている”という設定が加えられており、彼はその“決まりごと”に抗がおうとしているのです。
さらに、意地悪なまま母は、完全な悪人として描かれていたディズニーアニメ版とは違い、“悪になってしまった理由”がほんの少しだけ示されていました。
まま母を演じたケイト・ブランシェットが「純粋に邪悪な人なんて誰ひとりいません、誰にでもそうなる動機や誘因があると思います」と語っているように、これも単純な善悪だけでキャラクターを表現しない、現代らしい改変と言えるでしょう。
こうした、“王子様を待っていればいい”という過去の受動的なプリンセス像に真っ向から立ち向かう作風は、昨今のディズニー映画の主流になっています。『プリンセスと魔法のキス』では王子様を待つのではなく“自分のお店を持つこと”が夢になっているヒロインが誕生し、『アナと雪の女王』では姉妹の愛情を主として描き、『マレフィセント』ではついに王子様があまりに役には立たなくなってしまうのですから。やはり、それは“夢見るばかりはいられない”、“女性が男性に頼らずに自立する”という現代の世相も影響しているのでしょう。
とはいえ、この2015年版の『シンデレラ』は、そこまで元のおとぎ話から“外れている”というほどでもありません。大筋はみんなが知っているお姫様の物語そのもの、テーマはとても道徳的で、勧善懲悪であり、夢のある魔法が登場し、ヒロインの心は美しく、王子様は中身も含めてイケメンです。極めて“王道的”に作られていると言っていいでしょう。
そんな王道的な物語でありつつも、昨今のディズニー映画と同様にプリンセスが能動的に努力をして、現代ならではの共感を呼ぶメッセージやキャラクターが新たに誕生する……これが2015年版の『シンデレラ』の最も大きな特徴であり、新たなディズニー映画の転換期となる作品である理由とも言えるのです。
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–{豪華絢爛なドレスが表しているもの}–
3:豪華絢爛なドレスは“キャラクターの個性”を表していた!
今回の実写化において何よりも賞賛すべきは、豪華絢爛な衣装の数々ではないでしょうか。
3度のアカデミー賞に輝く衣装デザイナーのサンディ・パウエルは、撮影が始まる2ヶ月も前から、各キャラクターの個性を伝えるドレスのコンセプト作りに取り掛っていたのだとか。
例えば、意地悪な義理の姉のドレスは、派手な色とけばけばしい装飾で作られており、彼女たちの俗悪な性格をそのまま表しているかのよう。
まま母の緑のゴージャスなドレスは、その洗練された大人の魅力だけでなく、彼女の“嫉妬心”そのものも表しているかのようでした。
対して、フェアリー・ゴッドマザーのドレスは星の刺繍やスパンコールがあしあわれてキラキラとしていて、彼女の純粋さそのままのようです。このドレスには何十個のもLED照明がつけられており、彼女が魔法を使うたびに光るようにもなっていました。
そして、メインとなるシンデレラのブルーの美しいドレスは、247メートル以上のシルクとポリエステル、玉虫色のナイロンを使い、幾重にも層になったスカートには1万個以上ものスワロフスキークリスタルが散りばめられたという、もはや豪華という言葉では言い表せないほどの、スタッフの技術と熱意が結集した芸術作品になっています。その製作時間は、16人もの人員を持ってしても550時間にものぼったのだとか。
そのようにこだわり抜いて製作されたドレスの数々が、一同に集う舞踏会のシーンのは本作の白眉。豪華絢爛なドレスの中でもひときわ目立つ、シンデレラのブルーのドレスの“唯一無二”な美しさを忘れることができません。夢で見たようなおとぎ話の光景が、これほどまでに見事な実写映像で観られるなんて!
なお、シンデレラの結婚式では、このブルーのドレスとはまったく違った、彼女の“謙虚さ”や“清らかさ”が際立つようなデザインのドレスが登場していました。こうした数々のドレスのデザインの違いだけでも、本作は“キャラクターの個性”を見ることができ、かつ“夢の世界に浸れる”魅力に満ち満ちているのです。
–{『アナ雪』と同じようで少し違ったテーマとは?}–
4:黒人のキャラが登場することも現代ならでは?
2015年版の『シンデレラ』が、現代の世相を踏まえていると思わせることは他にもあります。
その1つが、王国に仕える兵士に黒人の男性がいること(もちろんディズニーアニメ版には登場していません)。劇中の時代設定は明らかにされていませんが、衣装は19世紀から1940年代の服からインスピレーションを受けたとのことですので、19世紀後半と考えていいでしょう。当時はまだ黒人差別が残っていた時代であるので、黒人の彼が白人の王に仕え、大尉の地位に就いているというのはなかなか考えられることではありません。
これは、作品の中でみだりに人種差別をしないということ、多様性を訴える作品を世に出したいという、ディズニーからの想いの表れでしょう。この黒人の男性が「舞踏会で誰を呼んでも私はかまいません、楽しければいいです」と“人を選ばない”発言をしていたこと、クライマックスでとある重要なことを提言するのも大好きでした。
シンデレラが、当時の社交界で共通言語として使われていたフランス語を話せていたり、乗馬を難なくこなせていることも、文武両道な教養を身につけることが重要視されている現代ならではの改変と言えるかもしれませんね。
なお、本日4月21日より公開となった実写映画版『美女と野獣』では、ゲイのキャラクターが登場し、ディズニー映画として初の同性愛のシーンが含まれているのだそうです。これも、正しい価値観や多様性を訴える、現代ならではの設定と言えるでしょう。
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5:現代の結婚観や婚活にも通ずる痛烈なメッセージも?
本作で何よりも尊いのは、肩書や身分(社会的地位)ではなく、“ありのまま”のその人を見てあげよう、というメッセージがあることです。
王子は、初めて出会った時のシンデレラに自分の身分を教えず、あくまでキットという愛称で呼ばれる“見習い”として自分を見て欲しいと訴えているかのようでした。彼がそのようにシンデレラと接したのは、父である王が政略結婚に躍起になっていたり、今まで過剰なまでにちやほやされていたから。だからでこそ“ありのまま”の自分を見てくれる人を欲していたのでしょう。
シンデレラは、その王子が気にしていたような“見た目”や“お金”にはまったく興味がなく、目の前にいる人にとことん優しく、親切な女性でした。例えば、父が亡くなったという知らせの時でさえも、彼女は使いの者に「ありがとう。あなたも大変だったわね」とねぎらいの言葉をかけるのですから。
一方で、意地悪な義理の姉たちは、父が亡くなった時でさえも「お土産はないの?」と言っており、まま母も「それどころじゃないでしょ!これからどうやって生きていくのよ!」などと自分のことしか考えていなさそうでした。あまつさえ、義理の姉たちは舞踏会に行く前に「王子様と結婚できたらそれでいいの!考えが変わったらいやだから顔だって見ないわ!」などとも言っていました。
これらのキャラクターたちが明確に示している価値観は、現代の結婚観や婚活にも通ずる、痛烈なメッセージとも取れますよね。やれ年収、やれ学歴よりも、目の前の大切な人のことを見ておきたいものです。
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おまけ.『アナ雪』とはまた違った“ありのまま”の大切さを知る作品だった!
そういえば、天井から吊られたブランコのような物に乗りながら絵を描いている男性が、「もっと下だ!いや下げすぎだ!」などと、うるさく注文をするというシーンがありました。
この男性はブランコから降りると、結局「これでちょうどいい角度だ、もっと長い筆をくれ」と言っており、それは“今の環境に文句を言うよりも、少しの工夫でもっと良い選択ができる”という皮肉に思えます。
シンデレラへの嫉妬心を抑えきれず、彼女を閉じ込めることしかできなかったまま母も、そういった“良い選択”ができなかった女性なのでしょう。その良い選択とは、相手の肩書や身分にこだわるのではなく、(シンデレラと王子がそうしたように)“ありのまま”のその人を見てあげること、または自分も“ありのまま”の姿を見せることで、簡単に行えるのかもしれません(もちろん、勇気も必要ですが)
また、“ありのまま”という言葉で『アナと雪の女王』を連想する方は多いでしょう。しかしながら、あれほどまでにその言葉が目立っていた『アナ雪』の物語の本質は、“ありのままでいいわけではなく、自分をコントロールすることも大切”ということでした。
一方で、2015年版の『シンデレラ』は、肩書や身分によらない、本当に“ありのまま”の人の素晴らしさを訴える作品になっているのです。ある意味では『アナ雪』で提示された“ありのまま”という言葉(テーマ)に、1つのアンサーを投げかけた作品とも言えるかもしれませんね。
参考文献
The Disney BOOK 誕生から未来まで ディズニーのすべて 講談社
ディズニーアニメーション大全集 講談社
ディズニー・ミステリー・ツアー 有馬哲夫著 講談社
(文:ヒナタカ)