『雪女』監督&主演・杉野希妃インタビュー、どんなキラキラ映画よりもキラキラと、美しくも哀しく輝く雪女の愛と絆

映画コラム

■「キネマニア共和国」

雪女 ポスター

(C)Snow Woman Film Partners

怪談でおなじみ雪女の物語を知らない人は昔も今もほとんどいないだろうとは思われますが、その雪女を、これまでどの映画やドラマ、アニメなどでもお目にかかったことのない、斬新かつクラシカル、そして21世紀ならではの解釈で描いた、単にダーク・ファンタジーの一言ではすまされない映画愛を湛えた秀作『雪女』が、3月4日(土)からヒューマントラストシネマ有楽町、シネマ・ジャック&ベティほか全国で順次公開されます。

監督&主演を務めたのは杉野希妃さん。2005年に韓国映画『まぶしい一日』で映画女優としてデビューして以降、一貫して国境を越えた活動を果敢に行い、現在も日仏合作『海の底からモナムール』(ロナン・ジル監督)、ブルガリア映画『ユキとの写真(仮)』(ラチェザー・アブラモフ監督)が公開待機中。

本作でも、彼女でなくては醸し出せない雪女の美しくも哀しいサガを見事に体現しています。

一方で『歓待』(10)『おだやかな日常』(12)などプロデュース業に進出し、2014年には『マンガ肉と僕』で監督デビュー。本作は『欲動』(14)に続く監督第3作となりますが、その不可思議かつ幻惑的な映画の世界観や魅力などを少しでもお伝えしたいがため……。

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街vol.210》

杉野希妃さんに取材してきました!

ワールドワイドな要素を持つ小泉八雲の世界

──杉野希妃監督の最新作『雪女』非常に面白く拝見させていただきました。原作の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が記した「怪談」に出てくる雪女は、これまで小林正樹監督の『怪談』(64)でアーティスティックに、田中徳三監督の『怪談雪女郎』(68)では哀しき怪談映画風に描かれていましたが、今回はどちらにも属さない杉野監督ならではの不可思議な世界観が確立されていました。

杉野 ありがとうございます。

── 実は杉野監督が小泉八雲の原作を基に『雪女』を映画化すると聞いたとき、ピンとくるものがあったのです。

杉野 それはどういったところからですか?

── 芸術家の岡本太郎が1950年代にヨーロッパに留学しているとき、フランスで小泉八雲が大流行していたのだそうです。そういった下地があってこそ、『怪談』はカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。つまり、小泉八雲の世界は非常にワールドワイドなものであり、その意味でも国際的映画活動を意欲的に続けてらっしゃる杉野さんが監督するのにふさわしい題材ではないかと。

杉野 ああ、そういっていただけるとすごく嬉しいです。

── ただ雪女の物語自体は非常にシンプルなものですから、それをどう解釈しながら長編映画にするのか、非常に興味があったのですが、作品を拝見してものすごく合点がいきました。

杉野 実は今回の映画、見る方によって全然感想が異なるとでも言いますか、「結構原作に忠実でしたね」という方もいらっしゃれば「すごく新しい映画でした!」とおっしゃる方もいて、もう全然違うんです。 原作の解釈からして千差万別ですから、ご感想を聞くことで、その人自身が透けて見えてくるなぁとも思います。

── おそらく日本人がみな慣れ親しんできたお話ですから、それぞれ雪女に対して持つ確固としたイメージがあるのでしょうね。その意味では海外での評価も俄然楽しみになってきます。

杉野 もともとニューヨークへ行ったとき、現地在住のプロデューサーの方が小泉八雲のエッセイ・フィルムを撮られるということで、そこで彼の素晴らしさを教えていただいているうちに「希妃さん、雪女やってみたら?」と(笑)。そのとき私は小泉八雲という名前は知っているし、「怪談」も子どもの頃に読んだことはあるけど、大人になってからちゃんと読み返したことはないなと思って、それで帰国後さっそく読んでみたところ、改めてすごいなと思ったんです。今から100年以上も前にギリシャ出身の方が日本にやってきて、日本の心みたいなものを的確に描いていらっしゃる。それこそ現代人が忘れているものがたくさん詰まっていて、これは今やってみる意味があると思って、映画化を進めていくことになりました。

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–{雪女と人間の間に生まれた娘は果たして雪女なのか?}–

雪女と人間の間に生まれた娘は果たして雪女なのか?

―― 私自身は今回、母娘の関係性にこだわって描いているのが非常に興味深かったです。つまり、雪女の娘は雪女なのか?

杉野 実は原作を読み返したとき、一番気になったのがそこだったんですよ。

── 今回の映画がどうなっているかはネタバレになるので申しませんけど、やはり母と娘の絆にはこだわりたかったのかなと。

杉野 そうですね。雪女が人間化していく過程も含めて、今回は雪女=ゆきとその夫・巳之吉、ふたりの娘ウメの3人にフォーカスを絞って作っています。

──時代設定がパラレルワールドとでも言いますか、最初は原作通りの時代劇かと思いきや、やがて戦後昭和っぽい照明器具の工場も出てくるし、かと思うと着物を着ているキャラクターも多いので原作が書かれた明治か大正時代かなと思っていると、学校の校庭で少女たちがちょうちんブルマをはいて踊っていたりする(笑)。

杉野 ちょうちんブルマはお気に入りです(笑)。衣裳さんが持ってきてくださったとき、もう叫んで喜びましたね。「これを求めてました!」と(笑)。あのシーンは村に代々伝わる舞踊といった設定で、オリジナルの踊りを振り付け師の方に作っていただきました 。

──その伝で申しますと、この映画の端々から「儀式」という要素がすごく意識させられますね。それは日本独自の“美”でもありますが、同時に“恐怖”というか畏怖の念をも呼び起こしてくれています。

杉野 儀式も含めた古来の伝統的なものに対するシンパシーとアンチテーゼの両方が、上手く出せたらいいなと思いました。

── ラブシーンにしましても、この映画で特に見せなくても成立はするのに、あえてゆきと巳之吉の温泉での絡みを描いています。あれもひとつの契りとしての美しい儀式と捉えてよいのかなと。

杉野 そうですね。あそこは絶対にやりたくてこだわったシーンでもあります。

── ただ、雪女も風呂に入れるんですね(笑)。

杉野 入れるんです(笑)。真面目にお答えしますと、ゆきは体温が低いがために一度流産してしまっているので、身を削ってでも温泉で体を温めて、今度こそ愛する人の子を産むのだという、彼女の決意を表しているんです。

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哀しみと優しさを醸し出す杉野監督独自のストイシズム

──こういった美しくも不可思議な画の連なりが導く世界観は非常にあやふやなもので、しかもアートにもファンタジーにも偏ることもなく中庸を保ちながら、あたかも人の世と魔物の世の狭間に位置する「逢魔ケ時」とでも言いますか、もはや言葉ではうまく表現できない世界が全体的に描出できているように思えました。

杉野 私としましては、この映画をご覧になってくださる方々をずっと幻惑させたかった。そんな想いが作っている間ずっとありましたね。

── 今回出演もされている、“逢魔ケ時”が大好きな佐野史郎さんも、きっと好みの画であろうと思います。

杉野 佐野さんは小泉八雲ゆかりの島根県松江のご出身で、八雲の朗読活動をライフワークにもされていますので。

── そこでお聞きしたかったのは、杉野さんはこれまでの監督作品は毎回キャメラマンを変えてらっしゃいますよね。割と新人若手監督の場合、同じスタッフ編成になることが多い傾向がある中、これは面白いなと。もっとも今回のキャメラマン上野彰吾さんは、杉野さんが主演とエグゼクティブ・プロデューサーを兼任された『3泊4日、5時の鐘』(14)の撮影を担当されています。

杉野 いろいろな方とお仕事してみたいというのが、私の中にあるんです。おそらく私自身が監督としてのテイストを模索中だと思うんですよ。もちろん確固としてこういうものを伝えたいとか、こういうものが好きだというのはあるんですけど、監督としての画作り等に関しては、いろいろな方々と組みながら、自分の個性みたいなものを見出していきたい。それで毎回その作品のテイストに応じながら、一緒にやってみたい方々にお声がけしているというのはありますね。ですから今はまだ発展途上ですけど、みなさんから刺激を受け、揉まれながら、いずれは「これは杉野希妃の画だ」と見る方に思っていただけるようなものを確立させていきたいと思っています。

── でも今回はかなり杉野監督ならではの画というか、色が出ているように思えました。ある種のストイシズムとでも言いますか、もちろんクリエイターとして妥協しないといった部分もありますが、それ以上に自分を厳しく律している感覚は、監督デビュー作の『マンガ肉と僕』(14)も2作目の『欲動』(14)も一貫していますし、今回もそのストイシズムゆえに“雪女”というシンプルな物語を過剰に肉付けすることなく、巧みにバランスを取りながら、全体の世界観から醸し出される人の営みの厳しさと哀しさ、そして優しさを見る者に訴えかけている。

杉野 ストイシズムって、生まれて初めて言われました(笑)。でも、何だかしっくりくる気はします。作品を作る上で自分に負荷をかけたいという想いは、実は毎回あるんですよ。

── 台詞を極力排し、画そのものでドラマを語ろうという姿勢も、まるでTVドラマのようなわかりやすさのみを押し付けがちな最近の日本映画界と相対するものではないかと。

杉野 実は脚本だともう少し台詞があったんですけど、編集していくうちに饒舌だなと思えてきたんです。「この映画に饒舌さはいらない」、そう思ってどんどん削ぎ落としていきました。

── 説明がなくても、銀幕の大画面で見ればちゃんと伝わるようになっている。その意味では巷で流行のキラキラ思春期映画などよりも、本作のほうがよほどキラキラしています。

杉野 キラキラ映画、私も作ってみたい(笑)。

── 『雪女』こそ今の説明台詞まみれの映画やドラマに慣れ切った、特に若い世代の観客にも感覚的に十分受け入れられるキラキラ映画だと確信しています。何よりも画の美しさ、加えて各キャラクターの美しさ、すべてが輝いています。

杉野 その意味では、私も観客の方々を信じていますね。きちんと描けば、必ず理解してくれるはずだと。それと私は、映画ってご覧になられる方々それぞれの解釈に間違いはない。そう思っているんです。ですから、よく「こういう風に思ったんだけど、合ってる?」って聞かれると、すべて「合ってます」と答えるようにしています。というか、そう答えるしかないと(笑)。

── 100人が見れば100の誤解が生じるのが映画の醍醐味でもありますし。

杉野 またそれで映画そのものが膨らんでいくと言うか、豊かになっていくとも思います。

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–{本当に自分が大好きな俳優だけをキャステイング}–

本当に自分が大好きな俳優だけをキャステイング

── その伝で、あえて誤解させていただくと、本作の水野久美さんも、またある種の“物の怪”だったのではないかと思える瞬間がありました。

杉野「合ってます」(笑)。でも水野さんが演じてくださった“ばあば”の、どこか超越した特異な存在感は本当に素晴らしかったですね。

── ただし水野さんと言いますと、我々東宝特撮映画世代にとって『マタンゴ』をはじめとしてハイカラかつ妖艶な美女というイメージがずっと固定化されていましたので、今回はその点でも驚きでした。

杉野 実はそこを意識していたのですが、またそれ以上にご本人も「メイクなんかしなくていいわよ。ばあばって、もっとこうなんだから」っておっしゃってくださって、すごく意欲的に、それこそあの役に身を捧げてくださったんです。お母さん役の宮崎美子さんも同じですね。そう、今回は本当に私自身が大好きな俳優さんたちを、贅沢にキャスティングさせていただきました。

──巳之吉役の青木崇高さんも悪人をやらせると本当に憎々しく、善人をやらせると本当に友達になりたくなるような役者力を持った俳優ですが、今回は後者の魅力が素朴に醸し出されていましたね。

杉野 ホント、青木さんはすごく素敵で、人間的にも熱い方なんですよ!

──そもそも雪女はなぜあの吹雪の夜に彼を殺さなかったのか? そしてしばらくして彼のもとに現れたのか? 原作だとまったくその理由は描かれていないわけですが、こうして画にするとすべてが理解できる。また彼自身が孤独なキャラクターでもあるので、お互い惹かれあっていく過程にも違和感がない。

杉野 青木さんみたいな“動”が似合う役者さんが得体のしれないものに翻弄されていくとき、どういう風な葛藤を示すかにすごく興味があったんです。

──“動”が似合う人って“静”も似合うんですよね。

杉野 そうなんですよ。危険だとわかっていながらも突き詰めてしまう人間のサガみたいなものを、現代に想いを馳せながら巳之吉に託したところも多分にあります。

──娘ウメ役の山口まゆさんも非常に印象に残りますね。

杉野 私もまゆちゃんで本当に良かったと思っています。 子供でもない大人でもないアンバランスな色気が、人間と雪女の混血の存在を際立たせていました。

── 現在公開中の『相棒 劇場版Ⅳ』でも彼女は好演していましたが、それ以前にこの作品の撮影で“映画”の洗礼を受けていたからこそだなと。

杉野 校庭のちょうちんブルマ姿もそうですが(笑)、川での成人の儀式のシーンの彼女もすごく映えていました。

── 美術もいいですね。特に雪女に襲われるときの古びた山小屋は、その後も幾度か登場して、この映画のひとつの大きな象徴にもなり得ています。

杉野 美術は種田陽平さんのお弟子さんの田中真紗美さんにお願いしたのですが、本当に頑張ってくださいました。 山小屋のセットも一から作ってくださって。期待以上の世界観に仕上げてくださいましたね。

──音楽のsow jowさんは、これまでの杉野作品の音楽を担当し、本作では脚本にも参加している富森星元さん。今回は“音楽”という要素もさながら“音響”という感覚も濃厚で、やはりストイックに仕上がっているなと感じました。

杉野 そうですね。今回は音楽的ではなく“音”としての響きを大事にしながらやっていただきました。 クラシックとモダンの融合を音でも表現できたと思います。

全編を故郷・広島で撮影そして先達へのリスペクト

── ところで、今回は全編を広島で撮影しているとお聞きしました。劇中の台詞も広島弁で統一されています。正直、あんなに雪深いところが広島にあるとは驚きでした。

杉野 実は広島と島根の県境手前にある庄原という地域は、 豪雪地帯と言われるくらい雪が積もることで有名で、日本最南端のスキー場もあるんですよ。ですので今回そこを活かして撮影したいと。また運命的だったのが、ちょうど尾道から松江に向けて尾松道という道ができたばかりで、今回はその道に沿いながらロケしていくことができたんです。渡り舟のシーンは三次(みよし)市で、その上の上下町(じょうげちょう)で町並みを撮ったりしながら北上し、 庄原にたどり着く形で撮影していきました。私が広島の出身なものですから、いつか地元で映画を作るというのが夢だったんですね。そして雪女の映画を撮るにあたって、台詞を標準語にしたくなかったんです。方言のほうが、村の閉鎖感が出ると思いまして。ならば、どこの方言がいいかというところから連想していくうち、「広島なら雪も降るし、いいじゃん!」と(笑)。

── そういった作り手の想いも反映されているのでしょうか。この映画、見る側を幻惑的にさせると同時に、文字通り凍りつくような雪女の所業や人の業などを描きつつ、良い意味で画が冷たくない。むしろ温かいのです。でも、だからこそ後々のドラマの悲劇性も高まっていく。

杉野 それも自分ではまったく意識していなかったので、今言われて驚きましたが、 雪女の自我の形成や人間化していく過程も描いているのでそう思われたのかもしれません。また、小津安二郎監督や吉村公三郎監督の映画のような雰囲気を出したくて、カラコレで画を調整したことで、そういう雰囲気になったのかなという気もします。 撮影の上野さんやカラリストの廣瀬さんともご相談して、色使いは小津監督が多用されたドイツのアグファ・カラーを参考にしました。

──ご自身のこだわる画や空気感といったものが、巧まずして自然に出てしまうのが、創作者というものなのでしょうね。何よりも、杉野作品における厳しくも温かい視線は、こちらは常に感じておりますので。

杉野 映画って見終わってみんなで議論することもまた楽しみのひとつだと思いますし、この作品もどんどんみなさんに語っていただきたいです。

──溝口健二監督作品がお好きだというのは『マンガ肉と僕』でも如実に顕われていますが、増村保造監督作品も大好きだと最近お聞きして、それも面白いなと思いました。増村監督は過剰なまでの説明台詞をある種の凄みに変えながら、もはや言葉では説明のつかない独自のストイシズムを醸し出していった天才だと思っています。そう考えますと、杉野監督も今回とは真逆の台詞まみれの映画を作ってみたらどうなるのか? そんな興味もわいてきました。

杉野 それも面白そうですね(笑)。実際、これまで監督した3作品ともすべて傾向が違いますし、今は何でもやってみたいと思っています。ウディ・アレンみたいな都会派の映画もやってみたいし、後はもう10年くらい前からずっとミュージカル映画を作りたいと思っていたところに『ラ・ラ・ランド』が出てきて、まだ見てないんですけど、先にやられてしまったなぁとちょっとだけ悔しくもあります (笑)。今回みたいな寓話的なものもいっぱいやっていきたい。ただ、どんなジャンルのものであっても、私自身は“豊かな映画”を作り続けていきたいですね。これだけは変わることはないです。

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(取材・文:増當竜也)