『秘密』の“わからない”は“おもしろい”!わからなかったことを教えます

映画コラム

(C)2016「秘密 THE TOP SECRET」製作委員会

現在、映画『秘密 THE TOP SECRET』が公開中です。自分は「さすがは『るろうに剣心』の大友啓史監督だ!」「この映画をいま観ることができてよかった!」「原作から設定を変えてくれてありがとう!」と強く思うことができる秀作でした。

ここでは、本作を楽しむためのポイントをご紹介します。

なお、大きなネタバレには触れていませんが、一部に劇中のセリフや設定を書いていますので、予備知識なく本作を鑑賞したい方はご注意ください。

1.原作マンガのふたつの事件を統合したため、“良い意味での疲労感”のある作品になった

本作『秘密 THE TOP SECRET』の原作は清水玲子さんによるマンガで、第15回文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞するほか、アニメ化もされた人気作です。

今回の映画では、原作の1、2巻(ともにAmazon電子書籍で、期間限定無料で読むことが可能)に収録されている、ふたつの事件の物語を統合して作られています。これにより映画のボリュームは大きくなり、上映時間は2時間29分になりました。

この上映時間を聞いて難色を示すことなかれ。このボリュームと、長めの上映時間も、とても重要な作品になっていると、自分は感じたのですから。

この映画では、登場人物たちが暴力や死、“見てはいけない”事実を次々に目の当たりにします。これらの凄惨な描写と、長めの上映時間が合わさるため、捜査員たちが二つの事件に(しかも同時期に)振り回されてしまうという“疲労の体感”ができるのです。

なお、原作者の清水玲子さんは、映画の脚本を渡されたときに「あまりに過激すぎないか」「情報を詰め込みすぎではないか、もっと削ったほうがよくないか」と忌憚のない意見を述べたものの、大友監督は「それではテレビの2時間ドラマになる」と譲らなかったそうです。結果的に清水さんは、映画のすごい映像を観て、「負けた気がした」と語っています。

その他、主人公のひとりを演じた生田斗真さんは、大変な現場での撮影を振り返りつつ「僕が感じた“心地よい疲れと頭の痛み”を感じてほしい」とメッセージを送っています。

原作の二つの事件を統合し、ボリュームの大きい映画にしたことには、ここに理由があるのではないでしょうか。劇場で2時間半という時間、どっしりと腰を据えて観ることで、登場人物の辛い気持ちに同調でき、結果として“良い意味での疲弊感”をもたらしてくれるのですから。

(C)2016「秘密 THE TOP SECRET」製作委員会

2.原作から設定が変更されたため、より“理不尽な暴力と死”の印象が強くなった

本作の脚本家の一人は、『ソラニン』や『凶悪』の高橋泉さん。前述のボリューム感、 原作よりもさらに“登場人物が犯人に翻弄され続ける”物語は『凶悪』に似ていると言っていいでしょう。

しかも、映画の設定のいくつかは、原作からかなりの変更がされています。

例えば、主人公の一人である青木一行(岡田将生)は、映画では父親以外の家族が殺されてしまい、意思の疎通ができなくなった父親の介護をしているという設定が付け加えられています。

その他、犯人の“絹子(織田梨沙)”は、原作ではあるおぞましくも切ない理由により殺人を犯していましたが、映画ではサイコパス(精神病質)であるという変更がされていました。

犯人の“貝沼(吉川晃司)”は、原作では親しみやすい笑顔を浮かべたりしていましたが、映画ではより異質で、見た目から恐ろしい存在として描かれています。乱暴に言えば、二つの事件の犯人は、原作よりもさらに“理解しがたい”に存在になっているのです。

この設定の変更により、“理不尽な暴力や死がこの世に存在すること”が強調されていると、自分は感じました。

世の中にはとてつもない悪意を持つ人間がいて、その人間を理解することはできない(してはいけない)ということ、それにより地獄にいるかのように苦しむ人たちがいるということを、教えてくれるのですから。

実際に起こる凄惨な事件も同様です。捜査員たちが感じる暴力や死は、この世に偏在しているものであり、決して映画の中の絵空事であるとも言えないでしょう。

なお、劇中には「善意と悪意の差は紙一重である」というセリフもあります。この“誰もが悪に染まる可能性”を突きつけることにも、『凶悪』と同じ精神性を感じることができました。

ちなみに、貝沼が少年たちにかけた催眠の“スイッチ”も映画と原作ではまったく異なっています(アニメ版でも異なっているそうです)。個人的には、もっとも不気味さがあり、より“めったに見ないもの”がスイッチになっている映画版が気に入りました。

(C)2016「秘密 THE TOP SECRET」製作委員会

3.映画オリジナルキャラクターにも、重要な意味があった

斎藤医師(リリー・フランキー)と眞鍋刑事(大森南朋)は原作には登場しない、映画オリジナルのキャラクターです。彼らも重要な意味を持っていると言えるでしょう。

斎藤医師は、映画『マルコヴィッチの穴』になぞらえて「誰もが自分自身を隠している」「オレたちは仮面を脱ぎあって歩くんだ」「生き残ろうとしている野生動物をどうして裁く必要があるんだ」と語っています。彼は、おぞましい犯人(絹子)を、“人を殺すこと”において肯定するという、歪んだ人物なのです。

眞鍋刑事は、序盤で殺人の疑いがある司法浪人生に侮蔑の言葉を浴びせたり、死んだ人間の遺留品(時計)を身につけたりするなど、こちらも歪んだ人間でした。

彼の行動原理は“決めつけ”です。単なる可能性にすぎないのに、絹子が貝沼に操られていると決めつけて彼女のいる場所に向かったり、終盤のある凶行に及んだりするのも、主観的に物事を考えすぎる彼の性格をよく表していると言えるでしょう。

この眞鍋刑事に相対する存在であるのが、主人公の一人である青木一行(岡田将生)です。彼は眞鍋刑事の一方的な決めつけをする取り調べを見て苦い顔を浮かべたほか、死者の脳を覗き見る“MRI捜査”に大きな可能性を見出し、これ以上の殺人が起こらないことを何よりも望んでいました。

青木は眞鍋刑事のような主観的な決めつけではなく、“(事件解決のための)根拠”を何よりも望んでいたと言ってもいいでしょう。しかし、MRI捜査は物的な証拠とは認められておらず、彼は確定的な事実を探すために奔走し、苦しむことになる……この対比構造がよく出ています。

なお、青木は原作では一生懸命かつ素直な青年でしたが、映画ではかなり直情的な面を見せ、被害者に同情するというよりも、悲劇を憎みすぎて犯人を憎んでいる節もあるというキャラクターに変更されていました。

それでも、青木はどこまでも自分の信念にまっすぐな男に見えますが……このキャラの変更により、前述の斎藤医師のセリフが彼にも当てはまるようにも思えてきます。

彼は、寝たきりの父にどこか後ろめたい想いを抱えてはいなかったでしょうか。また、犯人に憎むあまり“一線を越えてしまう”可能性もなかったでしょうか。斎藤医師の歪んだ言葉に、どこか真実味を感じてしまうのも、本作の(良い意味での)意地の悪さがあります。

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–{主題歌や“わからないこと”に感じた意味とは?}–

4.なぜ薪剛は“とっくり”みたいなシャツを着ているのか?

映画では説明されていないことに、薪剛(生田斗真)がシャツの下に、いつも“とっくり”のようなハイネックのシャツを着ていることがあります。

これは原作を読めばわかるのですが、MRI捜査では死者の脳が暴き見られてしまうため、薪は死んだと同時に脳も破壊されるよう、自身が脳を撃たなければ死なないように防弾チョッキを着こんでいます。つまり、ハイネックのシャツは、防弾チョッキをカモフラージュするための手段なのです(なお、貝沼の回想シーンでは、薪はハイネックのシャツを着ていなかったりします)。

そのほかでは、薪が急に倒れてしまうことについても説明がなかったですね。原作での薪は、盲目的に仕事をするあまり、自分を制御できずに倒れてしまうという描写があります。

5.絹子はなぜ遺骨をプールに撒いたのか?

劇中、犯人の絹子が父の遺骨を受け取ったものの、それをプールに撒いて、自身もプールに飛び込む、という描写があります。

これは原作にはないシーンなのですが、解釈しようとするのであれば、“絹子は(死んだ)父親と同一化したかった”ということなのでしょう。
この行動は、絹子の父からすれば“もっとも望んでいなかった”ことでしょう。このプールのシーンにより、ラストの展開に説得力を感じられるようになっています。

また、映画では絹子がなぜ全盲の少年を殺したのかという説明がありませんでした。これは、ぜひ原作を読んで確認してほしいので、秘密にしておきます。その“事実”に、きっと打ちのめされるでしょうから。

6. 橋本創さんによる美麗かつ、必然性のある美術も必見!

本作の美術担当は、『るろうに剣心』や『ライチ☆光クラブ』のほか、現在公開中の『HiGH&LOW THE MOVIE』も手がけた橋本創さん。その美術は単に美しいというだけなく、“この設定だからこうなった”という必然性にも満ちています。

例えば、捜査員たちがいる“第九”では、機械の多くが“配線むき出し”の状態になっています。この部署自体がまだ発足しても間もない、実験段階であることを表現したかったからでこそ、この配置になっているのだそうです。

また、死んだ人間の脳の記憶を映像化するMRIスキャナーは、原作ではビジュアルとしては登場していませんでした。映画の無機質で冷たいスキャナーの質感は、“凶悪犯の脳を覗き見た者は死んでしまう”という事実に説得力を持たせています。

その他、犯人の絹子の部屋には、蝶や昆虫の標本や、摘んだ花などを見ることができます。

この美術について橋本さんは「生と死を感じられる空間にしたかった」と語っています。標本や花は、絹子が“美しいものが朽ちていく(死んでいる)姿を眺めていた”という、生と死が隣合わせだった絹子の精神性を表しているのだそうです。

こうして美術だけでも、設定や人物像に奥行きがあることも魅力的なのです。ぜひ、こうした細かい小物なども、注意して見てみることをおすすめします。

7. 主題歌『Alive』の歌詞に見えるものとは

世界的大シンガー・Siaの『Alive』を主題歌に選んだことにも、確かな意義を感じられました(近年では『フィフス・ウェイブ』でも同じ主題歌が使われていました)。

その歌詞では「私は生きている(I’m alive)」と何度もくり返しており、どれだけ辛く苦しくとも“生きている”ことに意義を見出という、尊い精神性が大いに表れています。

本作で登場するMRI捜査は“死んだ人間の脳の記憶しか見られない”ため、生きている人間から得る情報が重要視されていない、とも取れます。

その一方で、生きている(生きていた)捜査員たちが理不尽な暴力や死に翻弄され、何よりも“生きること”が大切に描写されているという面もあります。
まさに、『Alive』の歌詞そのままのように……。

この歌詞は、作品全体を表現するだけでなく、薪剛や青木一行、恋人の鈴木(松坂桃李)を失った三好雪子(栗山千明)、はたまた犯人の絹子の気持ちを歌っているとも取れます。

更に、歌詞には“脳の奥深くで安らぎを見つけた”“他人の目で自分の人生を見ていた”という、MRI捜査で見つけた“結果”そのものを示しているかのようなフレーズもあります。これほどまで、作品にマッチした主題歌は、なかなか類を見ません。

8.“わからない”ことに意味がある作品である

本作は決して“わかりやすい”作品でありません。むしろ、二つの事件が統合された結果として情報量が膨大になったうえ、ある事実が“うやむや”になっているため、スッキリと納得できるミステリーにはなってはいない、“わかりにくい”作品なのです。

自分はこのことを肯定的に捉えています。

世にある凄惨な事件も、どれだけ分析や推理を重ねてもその全てを解き明かすことはできない、どこかに“わからないこと”が残っているものなのですから。

そして、登場人物たちが邪悪な犯人に翻弄され続け、疲弊していったからでこそ、ラストの感動があります。これも原作から少し変えたラストであり、自分はその作品の精神性に感動し、涙してしまいました。

大友監督は、映画『秘密 THE TOP SECRET』に説明が多くなく、役者の芝居や演出で語っていることについて、「映画は“わからないから面白い”という側面もあります。どこで何に気付いたかを、友人やいっしょに観た人たちとおしゃべりして楽しむ。僕は、そういう映画の楽しみ方をして育っています」と答えています。

まったくその通りで、本作は登場人物の行動や、事件の背景を考えると「あそこはこうだった」、「いや、こういう考え方もできる」と、いくらでも解釈が膨らむ、想像のおもしろさに満ちています。

ぜひ、わかりやすいテレビの2時間ドラマにはない、映画でしか体感することのできない“わからない”こその魅力を感じてください。そして、友人や家族と話し合ってほしいです。そのことで、映画から得ることは、きっとあるでしょうから。

なお、大友啓史監督は、小栗旬さん主演の『ミュージアム』が今秋、神木隆之介さん主演の2部作『3月のライオン』が2017年公開予定と、さらに人気マンガ原作の話題作が控えています。

『るろうに剣心』や本作で見せた原作へのリスペクト、そして再構築して映画として魅せる手腕を、今後も大いに期待しています!

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(文:ヒナタカ)