『ズートピア』のおもしろさ、奥深さには、並々ならぬものがあるのはもうご存知かと思います。
今回は、ウサギのジュディの性格の描写がどれだけ優れていたか、またキツネのニックがいかにイケメンであったか、そして作中で示されていた“秘密”を解説します。
※本記事は『ズートピア』のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
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1.ジュディの“正しい”性格とは?
ウサギのジュディは“差別や偏見を許さない”性格であると描かれていました。例を挙げると以下のようなものです。
・ズートピアに旅立つ前
父親の「都会は怖いんだぞ!中でもキツネは最悪だ!」という忠告に対して、ジュディは「キツネ全部がイジワルじゃないわ。性格の悪いウサギだっているわよ」と返す。
・チーターのクロウハウザーと出会ったとき
ジュディは「あのね、ウサギは小さくてかわいいけど、だからって見た目で判断されるのは、あまり、その……」と言う(字幕版では「ウサギどうしでかわいいって呼ぶのはいいけど、ほかの動物に言われるのはちょっと……」になっている)。
・ゾウ用のアイスを買おうとしている詐欺師親子(ニックとその仲間のフィニック)に出会ったとき
アイス屋のゾウは「お前の街にはアイスはないってことか?字は読めないだろうがな!」と詐欺師親子に言っており、その言葉にジュディは耳をピクンとさせて反応。その後は親子を救うために行動する(これは識字率が低い地域への差別と偏見になっている)。
・スイギュウのボゴ署長に「カビの生えた玉ねぎを取り返したのは立派だが」と言われたとき
ジュディはその野菜が玉ねぎではないことを指摘し、正式な名前を言う。
どうでしょうか。ジュディは一見して、差別や偏見を許さない、“見た目や種族だけで判断するのを嫌う”という“正しい”性格をしているように思えるでしょう。しかし、そのほかのシーンでは……
※以降は『ズートピア』のネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
–{盲点2}–
2.ジュディは“見た目”で判断して、“中身”を知ろうとしなかった
一見“正しい”性格をしているようなジュディでしたが……じつは、ほんのすこしの差別(偏見)意識が作中でみえています。というよりも、彼女は「自分は見た目で判断されるのを嫌う」くせに「とても物事の見た目を気にしている」のです。
ジュディの“見た目を気にする”性格がもっとも表れていたのが、 レンジでチンした“おひとりさまにんじん”の中身を見たシーンでしょう。彼女はそのにんじんの小ささにがっかりして、食べようとはせず、そのままゴミ箱に捨ててしまうのです。
この“おひとりさまにんじん”の対比になっているシーンがあります。それは、後のMr.ビッグの娘の結婚パーティにて、ニックが“ネズミサイズのプリン”を食べたときのこと。彼はプリンが小さいからといってがっかりせずに、スプーンでていねいにすくって、味わいながら食べて笑顔になっていました。
このふたつのシーンで、ジュディはじつは物事の見た目を重視するあまり“中身を知ろうともしない”、ニックは物事の“中身をちゃんと知ろうとする”性格であることがわかるんです。
そのほかにも、ジュディは小さくてジメジメした住まい(うるさい隣人もいる)を「いいじゃない!」と肯定していたようでしたが、玄関前にはカラフルでかわいらしいマットを敷いていたりもしました(少しでも見栄えをよくしたかったのでしょうが、セメントまみれになった足で汚してしまうのが切ない……)。
さらに、ジュディはヌーディスト(はだかで暮らす人々)たちにも拒否反応を覚えていましたね。彼女はなんとか堂々とした態度でいようとするけど、やはりところどころで目を塞いでしまっていました。
さらにさらに、ギャングに捕らえられたとき、ジュディはつぎつぎに出てくるシロクマたちのことを「あれがMr.ビッグね!」などと、その名前から“決めつけ”をしていました(本当のMr.ビッグは、名前に反して小さなネズミだった)。
これはクスクス笑えるコメディーシーンというだけでなく、ジュディの性格をしっかり示していたんですね。
ジュディの“表面上だけをみている”ということは、中盤のあの悲劇にもつながってきます。
彼女は肉食動物だけが凶暴化するという事実を、“生物学的な共通性がある”という客観的な視点で答えていたようですが、それが“多くの肉食動物を傷つける”という重大なことに気づけなかったのです。
そして、一度は持って行こうとしなかったコンスプレー(キツネ撃退用のスプレー)を携帯していたこと、それをとっさに使おうとしていたことをニックに指摘され、ジュディの“(ニックの)表面上ばかりを捉えていたこと”は決定的となるのです。
3.ジュディは“職業差別”をしていた?
明確に差別意識と呼べるものではないですが、ジュディの以下の行動とセリフも、少し“引っかかる”ものがあります。
ジュディが初めて警察に来たとき
ジュディは新任で駐車違反の切符をきる仕事を申し付けられるが、「私は警察学校でトップの成績だったんですよ!」とボゴ署長に反論する。
ひどい1日が終わって両親にテレビ電話をしたとき
父親に「駐車違反の切符をきる仕事の制服だ!」と指摘されると「これは今日だけなの!」とごまかそうとする。
切符をきる仕事をして、市民から罵詈雑言を吐かれたとき
「私は本当の警官、私は本当の警官……」と頭を打ちつけながら自分に言い聞かせる
もちろん、これらは“自身の努力と能力に見合った仕事がしたい”というジュディの純粋な気持ちそのものであり、(いくら新任とはいえ)不当な仕事を押し付けられたことに対しては当然と言える反応です。しかしながら、彼女にはほんの少しだけ、職業差別的な意識も見えているようにも思えるのです。
彼女は努力して警官になったということもあり、“(自分が思う)立派な仕事”でないと、自己肯定ができないようになっていたのではないでしょうか?
振り返れば、ジュディの両親は「夢を諦めたからこの(農家の)仕事ができているんだ」「新しいことをすれば失敗もある」「にんじんはただ売るだけでいい、これも立派な仕事だ」などと幼いころのジュディに言っていました。(ジュディはそれらの両親の言葉に「私は、新しいことをするの好き!」と返したり、困惑した表情をしている)
初めてのウサギの警官を目指すほどに向上心が高いジュディにとって、“努力を伴わないような両親の仕事”は受け入れられないものだったのかもしれません。
4.ベルウェザー副市長にあらわれている自己顕示欲とは?
黒幕のベルウェザー副市長の“心の闇”は、作中で何度かあらわれています。
・ジュディがウサギ初の警察官となって写真を求められたとき
ベルウェザーはカメラの前に出て自分をアピールしようとする。
・ジュディとニックの捜査に協力したとき
「(副市長というのは)名前だけ、実際は秘書なの。選挙で羊の票を集めるためよ」と言っている。
・ジュディが肉食動物だけが凶暴化する事実を発表したとき
ベルウェザーは笑顔でジュディに「とてもよかったわよ」と言っている。
ベルウェザーは、“誰かに認められたい”という自己顕示欲が旺盛なばかりか、たとえ誰かを傷つけようとも、自分の地位を守ろうとしていた悪しき人物だったのですね。
これは、ジュディが出した結論とは対照的になっています。
5.ジュディは、自身にあった差別意識と、大切な仕事を知る
ジュディは、チーターのクロウハウザーが、せっかく受付の仕事を気に入っていたのに、肉食動物が凶暴化する報道のために異動を命じられたことを目の当たりにします。
ジュディは警官という“望んだ仕事”のために努力してきたのですから、それが奪われてしまうことを知ったときのショックは大きかったことでしょう。
そして、ボゴ署長に「こういうときこそ立派な警官が必要だ、お前のような」と言われようとも、ジュディはずっと憧れていたはずの警官のバッジを返します。
市民を守ることが自分の信じていた仕事であったはずなのに、思慮のない行動で、自分自身が多くの人の差別意識を産んだこと、そして肉食動物たちを傷つけてしまったことを知ったのですから。
そして、故郷に帰ったジュディが出会ったのは、立派にパンの販売の仕事をしていたキツネのギデオンでした。
ギデオンは子どものころに「ウサギが警官になれるわけがない」という理由でジュディをいじめていたことを「あのころは自分に自信がなかったんだ」と謝り、ジュディは「私も似たようなものだから」と答えました。
ここで、ジュディは“正しい”と思っていた自分にも、差別意識があったことを認め、はっきりと言葉に出しています。彼女が認めた差別意識とは、“見た目で判断する”ものだけなく、職業差別をも差していたのかもしれません。
幼いころに自分をいじめていたギデオンが、大切な仕事をしていたことを知ったのですから。これは、彼女が“表面上だけでない、物事の中身”を知った瞬間でもあるのかもしれませんね。
6.ニックは記憶力が抜群だった!
キツネのニックは、じつは記憶力がとてもよかったりします。
ジュディが“ジュディ・ホップス”というフルネームを告げたのは、免許センターのナマケモノのフラッシュと、豹変してしまったカワウソのオッタートンに名乗ったときのみで、ニック自身には“ジュディ”という下の名前を言っていなかったりするのです。
しかし、……ニックとジュディがともに川に落ちたとき、ニックは「にんじん、ホップス、ジュディ!」と、しっかり名前を告げています。
このシーンは、“にんじん”とばかりジュディを呼んでからかっているニックが、“大切なとき”にはちゃんと名前を呼んでいるということも示しています。
そのほかにも、ニックは一度しか言っていなかった捜査の残り時間を覚えていましたし、その記憶力のよさは交通カメラを使った捜査でも大いに役に立ちます。ジュディが警官としての才能を見抜くのも、当然ですね。
そういえば、ヒッピーっぽいヤクのヤックスが「ゾウは記憶力がいい」と言って、ヨガ教室を開いているゾウのナンギの所へ行くと、ナンギのほうは全然覚えていなくて、ヤックスのほうが記憶力が抜群だった、というシーンがありましたね。
これは「自分では記憶力がいいという長所に気づいていない」ということも示しており、それはニックにも当てはまっていたのですね。
また、ニックはもともとジュディと同じ努力家であったのに、幼いころにトラウマにより、自分を卑下してしまっていましたね。彼は記憶力がいいからこそ、そのような悪いこともなかなか忘れられなかったのかもしれません。
7.ニックとジュディは相性が抜群!
ニックは皮肉屋な性格で、マジメなジュディとは対照的なようでしたが……その相性が抜群であることがわかるようになっています。
たとえば、ジュディは終盤の列車でのアクションシーンで、とにかくスピードを上げることをニックに告げていましたが……彼女はスピードの上げすぎで線路を曲がりきれないこと、列車そのものが爆発して証拠がなくなることを見抜けませんでした。
だけど、ニックはそのことを見越して、列車内から証拠品のバッグを持ち出していた! これまでも捜査において連携プレーをみせていたふたりでしたが、ここにきてその関係性がより強固になったようですね。
そして、ラストシーンでは「皮肉を言い合いつつ、お互いが好き合っている」ことを示している会話までもがあるんですよね。なんていうか、もうこいつら結婚してしまえばいいと思います。
8.ニックのサングラスの意味とは?
大好きだったのが、ニックがサングラスをかけているシーンです。
彼は肉食動物たちが見つかったとき「俺は警官じゃないし、関係ないからね」と訴えているかのように、サングラスをかけて、ひょうひょうとしていました。
肉食動物が危険視されるようになったとき、詐欺仲間のフィニックは車にバットを持って隠れていましたが、ニックはサングラスをかけてドリンクをチューチュー吸ってくつろいでいました(笑)。
だけど、ニックはジュディがやってきたのを見て、すぐにサングラスを外していました(ここでのトンネルの“影”の表現も素晴らしすぎる!)。
このニックのサングラスは、彼自身の“皮肉屋な性格”そのもののようです。それが外されるということには、彼の“本質”があらわれる、ということを示しているのではないでしょうか。
この後にジュディは自分の過ちを認めて泣いてしまうのですが……ニックはやさしく抱き寄せてくれました。
この前にサングラスを外していたということは、もうすでにジュディはニックに許された、とも考えられるのです。
また、ニックが警察に就任したとき、ここでも彼はサングラスをしていましたが、ちょっとだけサングラスをずらして、壇上にいたジュディを見るというシーンもあったりします。
ニックは皮肉屋だけど、ちゃんとジュディのことを見てあげているのですね。
9.ふたりをつなげる“にんじん型のペン”
録音機能つきの“にんじん型のペン”が示しているものも、じつに奥深いですね。その使いかたが、どんどん変化していっているのですから。
- (1)ジュディがニックの脱税の証拠を録音して、捜査に無理やり協力させる
- (2)ジュディがツンドラタウンの私有地の柵の中にペンを投げて、それを取りに行ったニックについていくことで、“許可がなくても入れる状態”をつくってしまう
- (3)捜査を協力してくれたニックにペンを渡す。しかも警察の応募書類といっしょに!
- (4)ニックは、ジュディの“私は間抜けなウサギよ”というセリフを録音して、ジュディと同じように「ちゃんと消してやるよ、48時間後にな」と皮肉を言う
- (5)ニックとジュディはベルウェザーの思惑を録音して証拠にする!
(1)と(2)ではただの“捜査に協力するための道具”だったけど、(3)では信頼する友だちへの贈り物となり、(4)ではふたりの仲直りを示し、(5)では相性抜群の彼らが巨悪を倒すための道具へと変わる!
この脚本の素晴らしさは、もう「ブラボー!」と言うほかないです。
10.博物館には、“隠された歴史”があった。
終盤にジュディとニックが逃げていた博物館には、“大きな槍を持って佇むマンモスの銅像”がありました。
しかも、ジュディがベルウェザーに見つからないようにするための“身代わり”にしたのは、“槍を持った凶暴な顔をしたウサギの銅像”でした。
これは何を意味しているのか……といえば「たとえ草食動物であっても、武器(槍)を持てば凶暴となりうる」ということだと思います。
作中では、肉食動物には凶暴な野性が残っていること以外にも、ベルウェザーが肉食動物を凶暴化させる植物という“武器”を利用していたことも告げられています。
武器を持った草食動物が博物館に展示されていたということは、彼らが武器を持ったために進化をしたこと、もしくは過去のズートピアにも今回の事件と同じような、草食動物たちの攻撃(反乱)があった歴史を示していたのかもしれません。
これは、アメリカの銃社会をも暗に批判していたのかもしれませんね。人々の力はほぼ変わらないけれど、武器(銃)はその力関係を変えてしまうかもしれないのですから。
また、ニックとジュディがベルウェザーと対峙したときの大きな壁画には、木の上にいるサーベルタイガー(ライオン?)と、それを槍で狙う、おそらくは草食動物と思しき二足歩行の動物たちが描かれていました。
この壁画もまた、はるか昔に草食動物たちの攻撃(反乱)があった歴史を示しているのでしょう。
11.「トライ・エブリシング」も違った意味になる!
主題歌「トライ・エブリシング」が使われるのは、ジュディが初めてズートピアに訪れたときと、エンドロールの2回あります。
歌詞が同じだとしても、そのときに“作中で描かれたもの”に照らし合わせると、さらに奥深いものになっているのが素敵です。
ジュディは希望に胸がいっぱいのままズートピアに訪れるため「どんなことでもやってみよう」という歌詞が、彼女のチャレンジ精神と、期待を表しています。
そしてエンドロールのときは、作中で“チャレンジした結果による失敗”も描かれているため「いつだって新しいミスをしてしまう」「だけどまた挑戦する」という歌詞が、まさにテーマにぴったり合致していることがわかるのです。
12.何度観ても飽きない大傑作だ!
最後に、『ズートピア』をリピートする方への本作のおすすめポイントをひとつ。それは“ジュディの耳に注目する”ことです。
ジュディは警官をやめて故郷に帰ってきたとき、自身は「(調子は)いいわよ」と言っていましたが、母親から「耳が垂れているわよ」と元気がないことを見抜かれていましたね。
ジュディは何かを聞くときのほか、元気があるときに耳がピーン!となっていて、それがすごくカワイイのです。
たとえば、記者発表の前に緊張して耳が垂れ下がっているけど、ニックに「にんじん、そういうときだはなあ……」と言われたとき、ジュディの耳はピーン!と立っていました。ああもうカワイイ!たまらん!
自分は『ズートピア』を4回観たおかげでこれらのことに気づけましたが、まだまだ知らない魅力がたっぷりあるはず。ぜひ、新しい発見をしてみてください。
–{『ズートピア』トリビア}–
トリビア コンテンツ
さらなる『ズートピア』の魅力や、もっと楽しく観ることができるトリビアをまとめてみます!
おまけその1:“警察バッジのシール”の意味とは?
ジュディはアイス屋の外で、ニックの詐欺仲間のフィニック(見た目はゾウの着ぐるみを着ている子供)に警察バッジの形をしたシールをつけてあげていました。そのシールには「JUNIOR ZPD OFFICER(子供ズートピア警察官)」と書かれているのです。
その後、警察バッジのシールはフィニックから「脱税を指摘されて捜査に協力するしかなくなった」ニックに渡り、ニックはシールをつけたままジュディと行動を共にします。カワイくてしょうがないのが、ライオンハート市長を逮捕した時のこと。ニックは胸につけていたそのシールを「俺も警察官なんで」と言わんばかりに、軽く服を引っ張って見せつけていました。
思えば、ニックは幼い頃に意気揚々とジュニア・スカウトの一員になろうとしていたのに、他の草食動物の子供たちから無理やり口輪をつけられてしまうという、ひどい差別を受けていました。子供の頃の憧れを無残にも否定されていたニックにとって、“子供用”の警察バッジのシールは、その時の傷を癒してくれた、本当に嬉しいものだったのかもしれません。
しかし、肉食動物への迫害のきっかけとなってしまったジュディの会見の直後に、ニックはシールを地面に捨ててしまっていました。ニックはまたも差別意識によって、子供の時のように裏切られてしまったのですから、それも当然です。
そのニックは、過ちを認め謝ってくれたジュディを許します。そして、最後に子供用のシールではない、本物の警察官のバッジを手にれて、ジュディとまたコンビを組むことができるのです。バッジというアイテムでも、ニックにとってのハッピーエンドを表していたのですね。
ちなみに、この子供用の警察官バッジのシールは、Blu-rayに収録されている“未公開シーン”にも登場しています。そちらでは(本編ではわからなかった)“ジュディが警察官を目指すきっかけ”が語られていたりもするので、ぜひご覧になってみてください。
おまけその2:パロディがたっぷり! 最も似ているのはあの映画?
『ズートピア』には有名作品のパロディ、及びディズニー作品の小ネタが隠されています。
例えばMr.ビッグの外見や、「娘の結婚式の日に良くない話をしてしまう」こと、手の甲にキスをするシーン、結婚パーティの様子や写真撮影の時の画は『ゴッドファーザー』ほぼそのままだったりします。終盤で薬を生成する羊が黄色いつなぎを着ているのはドラマ『ブレイキング・バッド』のパロディですね。
ボゴ署長がジュディに「ありのままに(Let It Go)」と告げるのは、言うまでもなく『アナと雪の女王』イジり。その他の『アナ雪』のパロディや、『ベイマックス』や『塔の上のラプンツェル』のネタはBlu-rayの特典映像でも確認できますよ。
さらに、ジュディがズートピアにやって来た時に聴いていた曲のアーティスト名のリストも、イタチのウィーゼルトンが売っている海賊版のタイトルも実在するもののパロディになっています。一時停止をして確認すると、きっとニヤニヤできるでしょう。
他にも“レミング・ブラザーズ”という名前の銀行で働くレミングたちが、ニックが売っているアイスを盲目的なまでに次々と食べるというのは、現実に起こったリーマンショック(リーマン・ブラザーズ)のメタファーですね。
また、明確にパロディと呼ぶべきではないでしょうが、「凸凹コンビが初めはいがみ合っていたけど、捜査をしていくうちに次第に上手く連携していき、友情を育むようになる」というのは『48時間』をはじめとしたバディ・ムービーも彷彿とさせます。
そして、数ある映画の中でも『真夜中のカーボーイ』は、『ズートピア』の物語にかなり似ていると言えるのではないでしょうか。
『真夜中のカーボーイ』の、「若者が田舎から都会に出てきたものの、ちっとも上手くいかず、あまつさえ詐欺師に騙されてしまうが、その詐欺師とコンビを組むことになる」という序盤のあらすじは『ズートピア』とほぼ同じで、「ラジオを聴いて落ち込んでしまう」というシチュエーションもそっくりだったりします。
都会にやってきた若者(少女)が現実と理想とのギャップに苦しんでしまうという点では、『魔女の宅急便』を思い出す方も多いのかもしれませんね。
おまけその3:最大の魅力は“アニメでしかできない”ことだった?
『ズートピア』 が描いているのは、これまで書いてきた通り、普遍的に存在する差別や偏見の問題、そして多様性の素晴らしさです。そのことを、“アニメでしかできない”表現で、説教くさくならずに訴えられていること……これこそが、本作の最大の魅力であると言ってもいいでしょう。
具体的には、ジュディがズートピアにやってきた時のことです。砂漠の地域、雪の降る寒い地域、熱帯雨林の地域などを次々に見せることによって、かつて肉食動物と草食動物が二分していた頃とは違い、それぞれが過ごしやすい場所に“住み分け”がされていることがわかります。(しかもヤシの木や雨を降らせる装置などが人工的に作られていて、発達した技術でそれぞれの理想的な地域が創造されていることも伝わります)
さらにズートピアの駅では、泳いで通勤をしているカバたちのための空気で水を飛ばす装置、ネズミ(レミング)たちのためのパイプ、背の高いキリンが飲み物を手に取りやすくなっているお店と、それぞれの特徴に合わせた“バリアフリー”が行き届いています。
その後も、キリン用と思しき背の高いクルマがあったり、ネズミたちのミニチュアサイズの街でのアクションがあったり、ヌーディストの集まりの出口の扉が明らかに“小さい動物用”と“大きい動物用”それぞれが使いやすいようになっていたりと、やはりバリアフリーが行き届いている描写ばかりです。
それぞれの動物の特徴を“大きさ“まで再現したこと、その大きさに対応した社会は、まさにユートピア(理想郷)に思えます。こうした画の説得力だけで、多様性の素晴らしさをこれ以上なく表しているのです。同時に、それはアニメという表現方法、ファンタジーの世界観でしか成し得ないものなのは、言うまでもありません。
おまけその4:元々の物語はもっとネガティブなものだった?
実は、この『ズートピア』の物語はかなり難産で、初期のプロットから大きく変わっています。元々はジュディではなくニックを主人公にした物語で、ズートピアでは捕食者となる肉食獣に、強制的に興奮を抑制する首輪がつけられるという、とても理想郷が舞台とは言えなくなってしまう設定もあったのだそうです。
そのように過度にネガティブで、世界のシステムそのものの問題を描いていたプロットを完全に削除し、個人に根付く差別意識や偏見を描く方向に転換したというのも、完成した『ズートピア』の物語の鋭いところの1つと言えるでしょう。(ジュディが行なった会見のように)“正しい”と思っていたはずの個人の感情や発言も、新たな差別意識を呼ぶこともあると訴えられているのですから。
その5:近年のディズニー作品における多様性の描き方とは?
ディズニーは『プリンセスと魔法のキス』において、黒人の女性を主人公にして、その夢もお姫様ではないという“脱プリンセス”の物語を世に送り出しました。その精神性は『アナと雪の女王』や『マレフィセント』にも受け継がれており、今までとは違う、現代ならではの価値観を提供するという気概に溢れていました。
近年でも、『シンデレラ』では黒人俳優を配役したり、『美女と野獣』ではLGBTのキャラクターを登場させ、『ローグワン/スター・ウォーズ・ストーリー』や『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』ではアジア系の人物が大活躍するなど、ディズニー傘下の映画は積極的に多様性を訴えている作品づくりをしています。『ズートピア』の物語は、その精神性の源流を作ったと言っても過言ではないでしょう。
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「多様性は素晴らしいものであり、我々はそれが尊重される社会を目指していく必要がある。だけど、時には悪意なく差別意識や偏見を持って、誰かを傷つけてしまうこともある。その間違いを認めて、少しずつでも理想的な世界を目指そう」
……そのメッセージを掲げている『ズートピア』、それが作品づくりそのものに表れている、近年のディズニーが大好きで仕方がありません。
今後とも、『ズートピア』の精神を受け継ぐ、後世に語られる名作が生まれることを期待しています!
(文:ヒナタカ)
『ズートピア』関連記事
–{『ズートピア』作品情報}–
作品情報
スタッフ
監督:バイロン・ハワード、リッチ・ムーア
共同監督:ジャレッド・ブッシュ
製作:クラーク・スペンサー
製作総指揮:ジョン・ラセター
音楽:マイケル・ジアッキノ
主題歌:シャキーラ
日本版主題歌:Dream Ami
キャスト(声)
ジュディ・ホップス→ジニファー・グッドウィン/上戸彩
ニック・ワイルド→ジェイソン・ベイトマン/森川智之
ボゴ署長→イドリス・エルバ/三宅健太
ベルウェザー→ジェニー・スレイト/竹内順子
クロウハウザー→ネイト・トレンス/高橋茂雄(サバンナ)
ライオンハート市長→J・K・シモンズ/玄田哲章
ガゼル←シャキーラ/Dream Ami
フラッシュ→レイモンド・S・パーシ/村治学
マイケル・狸山(日本版オリジナルキャラクター)→芋洗坂係長
基本情報
制作国:アメリカ
制作年:2016年
上映時間:109分
原題:Zootopia
配給:ディズニー
公式サイト:https://www.disney.co.jp/movie/zootopia.html