実は、神木隆之介くん版「テラ・フォーマーズ」だった、話題の映画「太陽」!人間にとっての真の幸福とは何か?

映画コラム

太陽 神木隆之介 門脇麦

(C)2015「太陽」製作委員会

映画「太陽」公開記念イベント取材レポート

映画「太陽」が初日を迎えた4月23日に新宿ロフト・プラスワンで開催された公開記念イベント、「祝公開初日!映画『太陽』を語ろうの会」に参加・取材して来ましたので、作品レビューの前に、まずはそちらのレポートからお伝えしたいと思います。

これは、「SRサイタマノラッパー」シリーズでお馴染みの入江悠監督とその仲間たちが送る、「映画でモテる!」をキーワードにしたメルマガ、「僕らのモテるための映画聖典」、略して「僕モテ」が定期的に開催している映画イベントです。

今までは大体50人規模の会場での開催だったのですが、今回はトークイベント界の甲子園こと、新宿ロフト・プラスワンでの開催が実現。集まった観客はなんと過去最大規模の150人!

さて気になるその内容ですが、まず第一部は普段放送しているポッドキャスト番組「僕モテPodcast」の公開収録。この日公開されたばかりの映画「太陽」を、メルマガ執筆陣がそれぞれ個性的な視点から3分間レビューしていくという内容でした。特にこの日の午前中から、イベント開始の午後7時までの間に、都内3か所の映画館を回って3回連続で「太陽」を観るという荒行、通称「伯周3」を見事に達成させた、ラッパーの上鈴木伯周さんの即興ラップによるレビューは、場内の観客の大喝采を浴びていました。

大盛況のうちに終了した第一部から、間に休憩を挟んで第二部がスタート。第二部は、映画「太陽」のスタッフを招いて送る、ここだけの裏話全開の「太陽」製作秘話トーク大会でした。

当日は映画太陽の製作スタッフより、遠藤日遠思プロデューサー、メイキング担当の配島徹也監督、助監督お二人をお招きして、撮影苦労話や意外な裏事情、更におそらくDVDの特典映像には収録されないであろう、レアなメイキング映像の上映もあり、最後は恒例の大プレゼント抽選会で大フィナーレ!まさにファンにはたまらない内容の連続だったと言えるでしょう。

イベント終了後、まだ興奮覚めやらぬ入江監督に、ちょっとだけ今の心境をお聞きしてみました。

──「入江監督お疲れ様でした!どうですか、今イベント終えられてご感想は?」
入江監督 「いやー、やって良かったですね。凄い大盛況で良かったです」

 

──「会場のお客さんも、皆今日は太陽を観てからイベントに参加されたようですが?」

入江監督 「あの、今日から公開始まったんですけど、ぜひ、ここから更に広まって行ければと思ってますので、よろしくお願いします」

 

──「今は撮影のために、ずっと京都におられるそうですが、そうすると次回のイベントは撮影が終わる夏ごろでしょうか?」

入江監督 「いや、まあ夏は出来ないと思うんで、秋冬ぐらいだと思うんですよね。そうですね、半年に一回か一年に一回か判らないですけど、まあ続けていきたいですね」

 

──「今年の映画ベストの発表の頃ですね」

入江監督 「はい、ぜひ、これからまた続けていきたいと思いますんで、応援のほど宜しくお願いします」

 

──「最後に、これから太陽を観ようと思っている人たちに、、何かメッセージをお願いします」

入江監督 「そうですね、でも、色々な発見が観た人によってあると思うんで、ぜひ自分で発見してもらって、それぞれの自分の問題意識の中で、映画の面白さを見つけてもらいたいと思ってます。」

 

──「2回3回と観た方が、より深く楽しめる映画だということですね」

入江監督 「そうですね、ぜひ何回か観て頂けると嬉しいです」

 

イベント後は、近くのダーツバーを借り切ってのメルマガ読者限定参加の2次会へと続き、こうして映画ファンたちの熱い交流は夜明けまで続いたのでした。残念ながらイベント中は撮影禁止でしたので、楽屋にお邪魔して撮影させて頂いた写真から、当日の雰囲気をお楽しみ頂ければ幸いです。

常に周りを巻き込んで、進化変革を遂げて行く入江悠監督作品の裏側を知りたい方は、ぜひ一度イベントの方にも参加されてはいかがでしょうか?

 

開演前、進行表チェックに集中する入江監督

写真1

同じく開演前の入江監督と、「太陽」ラインプロデューサーの佐藤圭一朗氏。

写真2

第二部の開始前、休憩時間中の入江監督、撮影中の京都からイベントに参加されたため、少しお疲れの様子

写真3

同じく休憩時間中の楽屋より、右から:入江監督、メイキング担当の配島徹也監督、カット職人こと林賢一氏、佐藤圭一朗ラインプロデューサー、名優駒木根隆介

写真4

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–{話題の映画「太陽」とは?}–

話題の映画「太陽」とは?

今や多くの映画ファンがその新作を待ち望んでいて、自身も観客との交流を積極的に行っている映画監督入江悠。

「今、会いに行ける映画監督」として、映画ファンの絶大な人気を誇る彼の待望の新作、それがこの「太陽」だ。

2011年に劇団イキウメによって上演された舞台劇「太陽」を原作とするこの映画は、見る人によって様々な解釈が出来る、まさに「万華鏡」のような作品だと言える。ウィルス感染により多くの人類が死滅した世界で、ウィルスに対する免疫を得た代わりに太陽の下では生きられなくなった新人類「ノックス」と、ウィルスに感染していない旧人類「キュリオ」。同じ人類でありながら昼と夜に分断されて生活することを余儀なくされた人々のドラマを通じて、我々観客は人間の真の幸福とは何かを考えさせられることになる。

舞台と違って、映像で見せなければいけない映画の場合、まずそのロケーション探しが重要なポイントとなるのだが、本作でも、10年間経済封鎖されていたという設定の村探しには、かなりの苦労があったとのこと。その甲斐あってか、まさにイメージ通りのロケーションの中で展開される濃密な人間ドラマは、観客に抜群のリアリティをもって迫ってくる。

そして本作の最大の魅力、それは演技力と存在感に溢れた若手俳優陣のキャスティングにあると言えるだろう。特にキュリオである主人公の鉄彦を演じる神木隆之介くんが、前述したイメージ通りの背景の中に立っているだけで、何かもう胸にこみあげるものがある。

その他にも、今注目の若手男優の古川雄輝が、ノックスでありながら主人公と友人となる森繁を見事に演じ、同じく若手女優の中でも演技派で知られる門脇麦が、キュリオからノックスへと生まれ変わるヒロインの結を演じている。

更に、古舘寛治や中村優子などの実力派俳優陣が脇を固めることで、よりこの作品に厚みを加えることに成功している。

太陽 神木隆之介 門脇麦

(C)2015「太陽」製作委員会

映画「太陽」と小説版「太陽」の違い

「太陽」は、言うならば「弱さ」についての映画だ。

ウィルスの抗体を得て超人化したノックスに対して、旧人類であるキュリオはあまりに弱い存在。そう、ノックスこそは、自身の肉体的・精神的弱さから完全に開放された人間の姿だと言える。この部分において小説版が素晴らしいのは、ノックスたちがキュリオの弱さを認め、密かに彼らに憧れを抱いている点が描かれていることだ。

ノックスたちは能力的に遥かに優れた存在でありながら、キュリオたちの持つ、既に自分達が失ってしまった人間的弱さに憧れ、また絶滅に向かうキュリオたちを保護しようともしている。そこが描かれているからこそ、森繁と鉄彦が友達になって二人で旅に出るという展開に特別な意味が生まれるのだ。特に小説版が描いたこの部分は、映画版に比べて遥かに前向きで明るい希望をもたらす事に成功している。

しかし、映画版においてはノックス側の生活はあまり描かれず、単に優れた支配層としての存在として描かれており、主にキュリオ側の生活と物語が中心に描かれている。

本編中に、ノックスのいない理想郷として語られていた四国が、実はキュリオ同士による争いや暴動で破綻しており、その様子をノックスたちが、生中継で日常的にテレビで観ているという映画独自の描写があるのだが、実はここが映画版においての大きな問題点だと言える。キュリオの暴力性・野蛮な行為を日常的に観ているノックスが、キュリオと友達になろうと考えるとは到底想像できないからだ。

こうした描写でノックスとキュリオとの深い溝が描かれてしまった映画版では、二人が友人になるためのハードルが格段に上がってしまっているのだが、残念ながらそのハードルを越えて観客を納得させるだけの、鉄彦と森繁の間に友情が生まれるまでの過程が、映画版には明らかに不足しているのだと言わざるをえない。そのため、本来二人の友情をためす「ある決断」シーンまでもが、非常に唐突で説得力の無いなものに感じられてしまったのは、個人的にかなり残念だった。

ここで小説と映画の明暗を分けたのが、初対面で鉄彦が森繁にプレゼントする品物の違いだ。

映画版では、太陽が苦手なノックス用に作った手作りのマスク(鉄仮面?)を、初対面の森繁にプレゼントする鉄彦。しかし、マスクの不完全さを指摘され、度々作り直す事になる。これでは、森繁の方が優位なままであり、この二人に対等な友情が芽生えるとはとても思えない。

残念ながら、この部分の処理は映画版よりも小説版の方が数段優れている。小説では鉄彦が森繁にプレゼントするのが、自分が栽培したオリジナルのブレンドの紅茶なのだ。

小説版では、ノックスが紅茶を好むとの設定がなされており、そのために経済封鎖された後でも、紅茶の取引などにより鉄彦たちの村の生活が成り立っていたと説明されている。

ここで重要なのは、鉄彦がノックスの好みを知っているという点。そう、小説版においては映画版よりもはるかに情報の共有によるコミュニケーションがなされているのだ。
更に、もらった紅茶を間違えた入れ方で飲んでしまった森繁に、鉄彦が正しい淹れ方を教えるという描写が続く。

ここにおいて本来劣っている存在であるキュリオ側が、優勢人類であるはずのノックスに知識を与えるという「逆転現象」が発生する。ここで、二人の立場は逆転・対等となるので、後に森繁が鉄彦を友人と認める展開に説得力が増すし、読者も納得できるのだ。

太陽 入江悠監督

(C)2015「太陽」製作委員会

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–{本作の重要な要素とは?}–

情報の遮断とコミュニケーションの不全

そう、思えば入江監督の作品において、「言葉へのこだわり、情報とコミュニケーションの遮断」は、毎回重要な要素となってきた。

本作での、ノックスが異様に形式・言葉使いにこだわる描写などは、まるで数学の数式にこだわるようであり、感情を失って理性=うわべに重点を置くノックスの特徴を良く表現した小説版では、単に取材陣の前で純子に謝罪の言葉を大きな声で言わせる事で、報道的に効果を狙ったとの描写がされているのだが、映画版ではしつこい程に何度も大きな声で繰り返させるし、後でもう一度この描写を登場させて、まるでノックスと化した副作用として「言葉使いに異様にこだわる」という現象が現れたかのように印象つけている。

天国と地獄、その寓話としての「太陽」

本作を鑑賞中、実はある昔話を思い出していた。天国と地獄にまつわる古い寓話だ。

ある男が神様に連れられて、天国と地獄を見学することになった。まず訪れたのは地獄の方。

そこでは意外にも、人々の周りにたくさんの美味しそうな食べ物が溢れんばかりに置いてある。しかし、地獄の住人は皆ガリガリにやせ細って、悲しそうに泣いていた。よく見ると、地獄の住人の腕は肘と手首が曲がらないようになっており、せっかくの美味しそうな食べ物も、自分では決して食べられないようになっていたのだった。

次に男が訪れたのは天国。そこも地獄と同様に、天国の住人の周りには美味しそうな食べ物が溢れていた。その上なんと、天国の住人の腕も地獄の住人と同じように、肘と手首が曲がらないようになっている。ところが意外にも、天国の住人は皆丸々と太っていて、幸せそうにニコニコと微笑んでいるではないか!

「これはいったい?」男が良く観察すると、その理由はすぐに判った。天国の住人は二人一組になって、互いに相手に食べ物を食べさせていたのだった。

眼の前にありながら、どうしても手に手に入れられない幸福。しかし、二人で互いに足らない点を補い合えば、幸福を得ることが出来る。

映画「太陽」のラストシーンを見ながら、この天国と地獄の話こそ、本作のテーマなのではないか?そう思えてならなかった。

実は、神木隆之介くん版「テラ・フォーマーズ」だった、話題の映画「太陽」

更にもう一つ。太陽を永久に失うことになったノックスの設定を鑑賞中に思い出していて、ふと気付いたことがあった。そう、試しに本作の基本設定を、もの凄く簡単にまとめてみると次の様になる。

暗闇で生息し、病原菌を持つ事で人に忌み嫌われる存在が、絶対数を獲得し優れた知能と身体能力を持って人類と拮抗する勢力となった未来。はい、これってGW最大の話題作「テラ・フォーマーズ」の設定そのものじゃないですか!(注:これはあくまでも個人の見解です)

幸いこの2作は同時期に劇場公開中なので、ここはぜひ、両者を見比べて観るのもまた面白いのではないだろうか。

太陽 神木隆之介 門脇麦

(C)2015「太陽」製作委員会

最後に

実は、同じ日に観た映画「スポットライト」の中に登場したセリフが、この作品の本質を表現していると思ったので、ぜひここで紹介させて頂きたいと思う。

「人生は、足元も見えない暗闇の中を歩いて行くようなもの。そこに光が射すことで、自分の進んでいる道が間違っている事に気付く」

自分達の生活から太陽が奪われたことで、ノックスはその判断を失ったのだろうか?あるいは、太陽の下にいながらその事に気付かず、利己的な争いを続けるキュリオたちにも、いつか光が射す日が訪れるのだろうか?

上映時間の関係上、映画は小説とは違って丹念な描写が出来ないのは理解出来る。そもそも映画は「省略の芸術」であるため、情報量の多い小説に対して、映画化には常に要素の取捨選択が行われることになるからだ。今回、映画の公開に合わせて発売された小説版「太陽」の完成度は極めて高く、実際鑑賞後のレビューには、映画の内容が良く判らなかったとの意見も多数見受けられる本作だけに、より深く理解して楽しむためにも、ぜひ鑑賞後に小説版を併せて読んで頂ければと思う。

それと併せてGW中の読み物としてぜひオススメしたいのが、3月に洋泉社から発売された本、シネマズ公式ライターでもある斉藤守彦さんが書かれた「映画を知るための教科書1912〜1979」だ。

映画を知るための教科書1912~1979

商品としての映画と、その流通経路である配給会社・宣伝会社、そして映画館の仕組みや歴史的背景が、この本には実に詳しく書かれており、例えば同じ「TOHOシネマズ」でも、映画館によって上映作品に違いがあるのは何故か?といった、普段誰もが抱く疑問に対しての答えを教えてくれる貴重な内容となっている。GW中の映画鑑賞のお供に、ぜひお読み頂ければ幸いです。

最後に、映画「太陽」鑑賞後に見ると、より楽しめる映画6本を紹介しておこう。
「ヤングゼネレーション」「ブルークリスマス」「地球最後の男・オメガマン」「第五惑星」「ゴキブリたちの黄昏」「猿の惑星・征服」だ。お時間がありましたら、ぜひ!

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(取材・文:滝口アキラ