今年上半期の超話題作「バットマンvsスーパーマン」が公開されて、もう1ヶ月。
さまざまな評論やレビューも出尽くして、絶賛の人も残念ながら映画に乗りきれなかった人の意見も、両方出揃った感がある。マーベルと違って、映画版を観ていれば大体理解可能、とは行かないDCコミックの世界だけに、馴染みの無いキャラの登場や、突然の展開に着いていけない観客も多かったようだ。
ところが、絶賛派も否定派も、不思議と一致しているのが、「ワンダーウーマン最高!」あるいは、「ワンダーウーマン登場シーンが、カッコいい!」との意見。
(C)2015 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC., RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC AND RATPAC ENTERTAINMENT, LLC
アメコミリテラシーの高いファンも、アメコミ知識に疎い一般観客も、同じくハマッたのが、意外にも本来認知度が低いはずの「ワンダーウーマン」その人だったとは!
でも、それはいったい何故なのだろうか?映画自体の出来には否定的な人でも、何故ワンダーウーマンの登場には、燃えることが出来たのだろうか?
大傑作「バットマンVSスーパーマン」を改めて振り返る
前作「マン・オブ・スティール」で、個人の自由な選択の大切さと、それに伴う責任と苦悩を見事に描いた、脚本のデビッド・S・ゴイヤーが、本作でも脚本に加えて製作総指揮を担当。そのため、前作以上に彼の考えが反映された作品となった大傑作、それがこの「バットマンvsスーパーマン」だ。
しかしその反面、ただでさえアメコミ知識格差の激しい日本の観客には、相当ハードルの高い映画になってしまったとも言える。思えば過去のスーパーマン映画は、原作の基本設定に忠実でありながら、かなり万人向けに作られていたため、日本の観客にも比較的受け入れられやすかった。
そのリチャード・ドナー監督版にもリスペクトを捧げていた、前作「マン・オブ・スティール」だったが、続編である本作では、バットマンもスーパーマンも過去の映画版のキャラとは別物の存在として新たに描かれている。実際、過去の映画で知っているから大丈夫、そう思って劇場に来てみたら、「え、何これ、いつものバットマンやスーパーマンと全然違うじゃない」、そう思った観客も多かったようだ。
アメリカでは、原作のコミックは当然子供の頃から読まれているため、ワンダーウーマンの様に近年映像化されていない作品でも、その基本設定の部分はすでに共有知識としてあるので、本作のように大幅な省略をしても観客には理解出来る。ところが日本の観客にとっては、昔リンダ・カーター主演のTV版を毎週観ていた世代は別にして、「え、この人誰?」感を抱くことになってしまう。
そんな点も、今回非常に賛否が分かれた原因となっているのではないだろうか。
本作での重要な点。それは、前作「マン・オブ・スティール」では説明されなかった、「スーパーマン」が地球の人々を守り戦うべき理由、それが明らかにされる点だ。劇中、狂気に走るバットマンが、あるきっかけで正気に戻り冷静さを取り戻すのだが、ここは名シーンであると共に、バットマンがスーパーマンを理解するという重要なシーンとなっている。
思えば前作で、亡き父の遺志で行動を開始したスーパーマンだったが、本作では本格的に現実との壁にぶつかり迷い悩み、その上で自身の意思により真の意味でスーパーマンとなる道を選ぶ。両親の死によって守るべき存在を失ったバットマンと、育ての母親というまだ守るべき存在があるスーパーマン。陰と陽、光と影の2大ヒーローの対立を救い、争いを止めたもの。それが愛する存在・守るべき存在である母親の名前だったというこの事実に、我々観客は心を動かされたのだった。
そして迎える最終決戦。実はレックス・ルーサーによって敵対させられていた二大ヒーローがここに協力、最後の強敵に立ち向かうのだが、実は意外とこの部分が燃えて来ないのだ。
なぜなら、何のために二人が闘うのか?その理由が観客に見えてこないからだ。すでにスーパーマンの母親の救出というミッションが達成されているので、ラスボスを倒すという本来一番盛り上がるシーンの前で既に話が終わった気になってしまうのは、確かに問題のような気がした。しかし、そこに登場するワンダーウーマン、彼女の登場で全てが再び輝きだすことに!
この様に、本作において確かにワンダーウーマンの果たす役割は大きいのだが、それでは、本来一番認知度が低いはずの彼女の姿に、なぜ日本の観客が燃えたのだろうか?
(C)2015 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC., RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC AND RATPAC ENTERTAINMENT, LLC
–{ワンダーウーマン、その魅力を考える}–
ワンダーウーマン、その魅力を考える
まず、大前提として「強い女性は男の憧れ、それだけでカッコイイ」、という要素が大きい。
とにかく彼女は強い!実は今回登場する三人のヒーローの中で、唯一敵にダメージを与えているのが、ワンダーウーマンその人だ。
エネルギーを吸収して更にパワーアップする敵に対して、スーパーマンは直接打撃とヒートビジョンで対抗するも、熱線は敵に吸収されて逆効果。
生身の人間であるバットマンは、戦略には優れているが防戦一方。そこに登場して敵と互角に戦い、剣で切り付ける事で唯一敵に効果的なダメージを与えられるのが、ワンダーウーマン!
しかも男二人でも敵わない敵に一人で立ち向かう勇気と、戦いを楽しんでいるかの様に見える、余裕の表情!自分の正体の露見を恐れて、あくまでも個人の目的のために行動し、メトロポリスを去ろうとしていた彼女が、街の危機的惨状を観て飛行機を無言で降りてからの、いきなりの登場。そのままメトロポリスを離れてしまえば自分は安全なのに、あえて自ら死地に赴くという行為、これこそが日本人の大好物である要素、「NANIWABUSHI」、そう、「浪花節」だ!
本編のセリフに置き換えるなら、「それでも成すべき善がある」ということになる。
ここで断言したいのは、洋画でありながら「浪花節」要素が感じられる映画は面白いし、観客が感情移入しやすいのでヒットするという点。なにより人間の本能に直接働きかけてくるので、言葉や文化が違っても間違いなく伝わる。(最近では、「ジュラシックワールド」がそうだった)
日本の古典である「忠臣蔵」はもちろんのこと、東映のヤクザ映画で主人公である高倉健の殴りこみに同行する池辺良!などに代表されるように、自分の利益を度外視して「成すべき善」のために行動する人間の姿。そこに我々は「人の善き部分」を見て感動し、「ああ、自分もそうでありたい!」そう感情移入してしまうのだ。
これは、もはや日本人が持つ本能的なもの、そう無条件で「カッコイイ!」と感じる要素だと言える。だからこそ、アメコミ知識の有無に関係なく、ワンダーウーマンの登場に皆が喰いついたのではないだろうか?
まとめ
本作と同傾向の、マーベルの集団ヒーロー映画「アベンジャーズ」で唯一不満だった点、それは大量の敵に対する「数」のヒーローチームという構図。つまり質ではなく、敵の数が多いからヒーロー側も数を多くするという結果、何か知らないがスクリーンのあちこちでゴチャゴチャと戦ってる、という印象が強くなってしまったことだ。(実は、スターウォーズのプリクウェルでも、これは感じられた要素だった)
例えば、日本のヒーローの代表「仮面ライダー」で考えてみよう。
大量の怪人&戦闘員とバラバラに戦っている歴代ライダーたち。あっちこっちで、大量に押し寄せる無個性の敵を、ただただ倒すだけ。果たして、そんなものを観て心がワクワクするだろうか?
それよりも、物凄く強大な一人の敵に、力を合わせて総力戦を挑む歴代ライダー!はい、こっちの方が絶対に燃えるし、観たいと思わないだろうか!個々の力では決して敵わない強大な一人の敵に、力を合わせて知恵と作戦で勝つ、我々観客が見たかったのは実はこういいう展開ではなかったか?
そう、単独で十分強いヒーローたちが、束になっても勝てない強大な敵の存在。これこそが過去の集団アメコミヒーロー映画に欠けていた要素だと言えるだろう。その点でも、「バットマンVSスーパーマン」は「アベンジャーズ」とは全く逆のアプローチを取っており、単なる「お祭りムービー」的に普段は見れない顔合わせが見れるのが目的の映画には終わっていない。
–{AKB総選挙的な視点で楽しむべき理由とは?}–
最後に
幸い、既にチームが結集していた「アベンジャーズ」と違い、本作ではJLAにこれから加入するメンバーの紹介=オーディションの段階なので、まずは皆が「不動のセンター」と認めたワンダーウーマンから興味を持って頂いて、本作をAKB総選挙的な視点で楽しんでみるのはいかがだろう?
マーベルとは違って、まずJLAという集団ヒーロー映画を公開してから、それぞれ各ヒーロー単体の映画が公開されるという、まるでアイドルユニットからソロデビューするという様な方式を取るDCコミックスの映画化。
前述した様に、JLAの結成=デビュー前からメンバー各人の成長を見守れるという点で、突然現れた驚異の新人&不動のセンターであるワンダーウーマンと、これから加入するJLAメンバーのオーディションとして観れば、アメコミ知識がさほど無い日本の観客でも、きっと十分楽しめるのではないだろうか。(注:あくまでも、個人の見解です)
「アメコミの映画版は、アメコミに詳しい人じゃないと楽しめない」、どうかそう決め付けないで、観客が積極的にそれぞれの「押しメン」を見つけて応援するのが、今後の「DCコミックス・ユニバース」を面白く観るコツなのかも知れない。是非試しに、そうした自由な視点から本作を楽しんで頂ければと思う。
(文:滝口アキラ)