東京・京橋のフィルムセンターの上映企画「自選シリーズ 現代日本の映画監督」は、1980年代以降の日本映画を牽引してきた映画監督に、自作の中から上映作品を選定してもらい、そのデビューから現在までの足跡をたどることによって、現代日本映画の原点を探る試みとして毎回好評を博している企画ですが……
3月15日から27日まで開催されるシリーズ第4回企画は、根岸吉太郎監督の特集です!
女と男の関係性を見据え続ける根岸監督のプロフィール
まず、根岸吉太郎監督のプロフィールをざっとおさらいしておきますと、1950年8月24日、東京都の生まれ。1974年に日活に入社し、藤田敏八、曽根中生監督作品などに助監督として就き、78年に『オリオンの殺意より 情事の方程式』で監督デビュー。『女教師 汚れた放課後』(81)『狂った果実』(81)『キャバレー日記』(82)など、女と男の関係性をクールに見据えた日活ロマンポルノの秀作を多数、世に送り出していきます。
81年、フリーとなってATGで撮った初の一般映画『遠雷』がキネマ旬報第2位となり、ブルーリボン監督賞やヨコハマ映画祭監督賞を受賞するなど高く評価され、薬師丸ひろ子の女優復帰作として大ヒットを記録した角川映画『探偵物語』(83)や、時任三郎&宮崎美子コンビによるコミカルな青春ミステリ『俺っちのウェディング』(83)、渡邊淳一原作による大人のラブストーリー『ひとひらの雪』(85)等の話題作で、映画ファンの熱い支持を得るようになっていきます。
その後も『ウホッホ探検隊』(86)で横浜映画祭作品賞、ブルーリボン作品賞、キネマ旬報ベスト・テン第3位、報知映画賞監督賞などを受賞。『永遠の1/2』(87)がキネマ旬報ベスト・テン第4位。『絆-きずな-』(98)が日本映画批評家大賞作品賞、キネマ旬報ベスト・テン第10位。『透光の樹』(04)がキネマ旬報ベスト・テン第10位。『雪に願うこと』(06)がキネマ旬報ベスト・テン第3位および日本映画監督賞、芸術選奨文部科学大臣賞など。『サイドカーに犬』(07)がキネマ旬報ベスト・テン第6位、日本映画批評家大賞監督賞。『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』(09)がモントリオール世界映画祭最優秀監督賞およびキネマ旬報ベスト・テン第2位など、受賞歴も多数。2010年には紫綬褒章を受章。
1990年代は中島みゆき『夜会』の映像作品や彼女のPVの演出も担当しています。
今回は根岸監督の多彩なフィルモグラフィの中から16作品を上映。その中には三島由紀夫生誕90年を記念して制作された『近代能楽集 葵上』(13)『近代能楽集 卒塔婆小町』(13)も含まれています。
『近代能楽集 葵上』
どのように映画と向かい合ってきたか振り返る良い機会
まず今回の特集上映開催について、根岸監督ご自身はどのような感慨を持たれているでしょうか?
「何だか生前葬みたいですよね(笑)。でもフィルムセンターは学生の頃からずっと通って映画を見たり勉強したりしていましたし、それこそ当時は巨匠たちの映画ばかり上映されてましたから、そういった場所で自分の作品がかかるというのは思ってもみなかったことですから、大変光栄です」
私のようにリアルタイムでずっと根岸作品を見続けてきた側としても、もう特集上映が組まれる時代になったのかと感慨深く思ったりもします。
「今回は自作を選ぶ作業から始まったわけですが、実はなかなか振り返る機会がないというか、まず自分の作った作品は見ない(笑)。見ると、あれもしたかった、これもしたかったという後悔の念ばかりですし、いただいた自作のビデオテープも未だにシュリンクがかかったままですよ(笑)。ただ、今回は自分がどのように映画と向かい合ってきたのかを振り返るのに良い機会だなとは思いますね」
根岸作品は女と男の関係性を描くという点で一貫していますが、一方でミステリアスな叙情が常に漂っているようにも思えます。もっとも、それはミステリ映画として機能することよりも、人生そのものがミステリアスであるといった日常的な視線を感じることのほうが圧倒的に多く感じてなりません。
「映画の要素として、ミステリはものすごく大きなものだと思うんです。ですからストーリー自体がミステリでなくても、どういう風に映画的な秘密があるのかを、映画の時間軸の中で常に観客と向かい合わせたい。あと、僕にはミステリをきちっと撮る技術があまりないみたいで(笑)、たとえば処女作の『情事の方程式』も『絆』もミステリ小説が原作ですが、ミステリ映画として上手くいっているとは言い難いかなと自分では思っています。ただし、そのことを無理やり隠すのではなく、むしろ表に出して、ミステリそのものに引きずられることなく見せてもいいかなとも思っているんです」
思えば赤川次郎原作の『探偵物語』や、結婚式で新婦が刺されるところから始まる『俺っちのウェディング』も、当時はミステリ映画かと思って見に行ったら、ちょっと違うものを見せられた感があったものですが、今振り返ると、その“ちょっと違った”感が根岸映画の醍醐味のように思えます。『永遠の1/2』も、自分そっくりの男の存在によって運命を翻弄されていく若者が主人公の映画でした。
『探偵物語』
僕の映画の主人公は駄目な男ばかりだから燃え上がらない
根岸監督のロマンポルノ作品のSEXシーンなどを見ましても、官能世界を煽ることより、人生の中での日常の行いといった印象が際立つものが多く感じられます。対象と一定の距離を保ったクールな姿勢で、しかしながら決して冷たくはなく、逆にほのかに温かいのです。
「僕の映画は駄目な男が主人公になることが多いもので、要は燃え上がらないんですよ(笑)。どこかで駄目だから、肉体的にすごく頑張っちゃうといったこともないし、ほどほどに、ただ単にいやらしい(笑)。でも、それが自分や周りにいる人間にとってホントという感じがしますし、そのホントな感じがするものを描いていきたいと常に思いながらやってきています。『キャバレー日記』みたいなものも、風俗をいやらしいと思うかどうか、というのが僕の中にはありますね」
最近では『ヴィヨンの妻』の太宰治、『近代能楽集』の三島由紀夫と、耽美的作家の小説を続けて原作にしていますが、根岸監督の場合、耽美の方向におもねない強固な意思みたいなものも感じさせられます。
「ふたつとも描いている時代が戦後という点で、日本がこれからどっちへ向いていくかといったことを、庶民や風俗や景色といった興味の許で描いてみたいと思ったんです。ビジュアルとしても面白いですし。ただ、もともと耽美と思ってやってはいなかったですね。三島さんにはそういう面もあるのかもしれないけど」
ディレクターズ・カンパニーの挫折を経て……
振り返っていきますと、根岸監督のキャリアの中で、何回かの転換期があったように思われます。監督デビューからの日活ロマンポルノ時代と、『遠雷』から『永遠の1/2』までの80年代。その後90年代はブランクがあり、21世紀に入って復活といった大まかな流れの中、やはり80年代初頭に若手映画監督たちで立ち上げつつも最終的に解体せざるを得なかった制作会社ディレクターズ・カンパニーの存在が、90年代のブランクとも大きく繫がっているのではないかと……。
「本当に、あれは挫折でしたよ(苦笑)。ATGの1千万映画のように、監督が作りたいものを発表する場は昔からありました。ただ、もっとメジャーに打ち出していく体制ができないものかというのが一番大きな考え方だったと思うのですが、現実はそんな甘いものではなかった。
監督が観客に見せたいものが、観客が本当に見たいものなのかという誤差みたいなものにも、常にぶつかっていました。その誤差を埋めるためには多分いろんな立場の人が干渉していく必要もあったのでしょうけど、それもないまま突っ走ってしまった。
あとはバジェットのコントロール。武士が商売するようなもので、監督はお金の計算はできないし、僕も池田敏春監督の『人魚伝説』(84)でプロデューサーをやりましたが、同じ監督として池田がやりたいことをやらせてあげたいという気持ちと、プロデューサーとして予算を守らないといけないという使命とが全く相反するわけで、そのジレンマはものすごいものがありましたね。やはり監督が監督を押さえることは不可能ですよ。
ただし、日本映画が硬直していた80年代のあの時期に、若い監督たちが何か先を見ようとしたことは大きな出来事だったと思っています。『人魚伝説』も作品としては傑作ですよ」
実際、ディレクターズ・カンパニー作品をはじめ、当時根岸監督たちが作ってきた意欲作群は、今の若い映画ファンにも衝撃をもって受け入れられています。
「ある意味ワン・ジェネレーションを超えて古典になったというか、今の若い世代がそれまで見たことのない種類のものを目の当たりにしたことで、その映画たちをネオ・クラシックみたいなところへたどり着かせたのかもしれませんね」
–{今もフィルムに優位性があるのか調べ直してみたい}–
今もフィルムに優位性があるのか調べ直してみたい
根岸監督は現在、東北芸術工科大学の学長として学生たちを指導されていますが、今の若者や世相などを見て、何か思われることは?
「僕は撮影所で助監督から監督になった最後の世代ですけど、今はいきなりカメラを持って作品を作れれますから、それこそ小学生でも監督になれちゃう時代ですよ。もちろん僕らの時代も8ミリ小僧はいましたけど、今はもっとカメラと一体になれた人たちが、これからの映画を作っていくのでしょう。
デジタルの時代になり、映画の作り方は今後まるっきり変わると思います。ごくごく少数スタッフで作られるものと、ある種のしっかりしたバジェットの許で作られるものにはっきり二分化していくでしょうし、これからはその両方を操れる人が監督として生き残っていくのではないでしょうか。
でも、考えてみると映画の歴史はまだ120年くらいですから、今後もいろいろな変遷を経ていくことと思われますし、新しい映画の作り方を提示していく人たちも今後どんどん出てくることでしょうね。監督という呼び方も変わってくるかもしれない」
根岸監督自身、『ヴィヨンの妻』まではすべてフィルムによる映画を撮ってきましたが、デジタル時代の今、今後はどういう方向性をもってやっていかれるのでしょう。
「『近代能楽集』2作はデジタルで撮りましたが、あれらは“映画”とは少し異なるものとしてやってましたので、まだデジタルで映画そのものは撮ってないんです。実際、今もフィルムに優位性があるのかどうか? デジタルとの差はほとんどわからないくらいになってきていますが、撮影監督は絶対フィルムがいいと訴えるし、フィルムにこだわり続ける巨匠もいらっしゃる。そんな中で自分もフィルムというものをもう一度きちっと調べ直してみたいと思いますね。もっとも今は、フィルムで撮ってもフィルムで上映できるわけでもないですけど」
『近代能楽集 卒塔婆小町』
次のステップへ向かう転換としての今回の特集上映
「フィルムって長さが決まってまして、1000フィートでせいぜい10分くらい。たとえば長廻しの撮影でNGが出たりすると、フィルムの場合、カメラに詰め替えるのに5分くらい間が空いちゃうんです。でも、デジタルだとすぐに撮影再開できるわけで、そうなると現場のテンションが切れることが果たして良いのか悪いのか。もう1回テンションを上げてやるのは俳優さんもこちらも大変ですけど、その5分の間にみんな冷静になれることもあるわけで、もうすべてがアナログなわけですけど、実はそのことが映画の現場には合っているような気はしています」
根岸監督作品は長回しが多いのも特徴です。
「フィルムってかなり高額ですから、それを1本廻して無駄にするなんて、とんでもないことというか、ガラガラ回っている間に万札が飛んでいくわけですから(笑)、その緊張感たるやね。僕なんか多いときに10万フィートくらい廻したことがありますけど、『東京物語』なんて4万フィートくらいですんでいるそうです。また名カメラマンの宮川一夫さんの日記等を読むと1万9千フィートなんて書かれてあって、つまりほとんどNGなんか出していないというか、失敗が許されない時代だったわけですよ。それがアナログであり、そういった物理的体感による緊張が数々の名作を世に出していったのだとも思います。
一方デジタル時代の今は、失敗してもすぐにやり直せるし、お金もかからない。ちょっとした問題もデジタル処理で消したり直したりできるわけだから、つまりは自分たちを許してしまっているとも言えますね。その意味でもフィルムを使う意義は、実は十分にあるかもしれない」
さて、長きにわたる映画人生の中、相米慎二、池田敏春、森田芳光といった、同世代の良きライバルたちが次々と逝ってしまったことに関しては……。
「何でこんなに死ぬんでしょうね……。才能がある人がどんどんいなくなっていく。本来なら、僕より前に彼らの特集上映がなされてしかるべきですよ。たまたま僕は生きているから今回やってもらったわけでね。でも、先ほどの質問にもあったいくつかの転換期ということで、『近代能楽集』2作は次に向かうタイミングになっているかなとも思いますし、それらを上映できるということも含めて、今回の特集上映はお葬式を済ませて一度死んだつもりで(笑)、これから新しいものを作っていきたいですね」
※5日間にわたり、根岸監督とキャスト、スタッフとのトークショーも開催されます[3月15日(火)ゲスト:荒井晴彦、19日(土)ゲスト:伊勢谷友介、20日(日)ゲスト:柄本佑、24日(木)ゲスト:松本花奈、26日(土)ゲスト:岡田裕、白鳥あかね]。上映スケジュールの詳細などと併せて、フィルムセンターのホームページをご参照ください。
http://www.momat.go.jp/
(取材・文:増當竜也)