晩秋にふさわしい日本映画④ 『さようなら』

映画コラム

■「キネマニア共和国」

ふけゆく秋、じっくり見たい日本映画をいくつかご紹介。最後にご紹介したいのは……。

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街 vol.66》

本物のアンドロイドと人間の共演が話題の、深田晃司監督の『さようなら』です。

さようなら

現代日本が置かれた様々な問題をSFの衣を借りて見事に表現

平田オリザの同名戯曲を原作とする『さようなら』は、ざっくりジャンル分けしてしまうと近未来SF映画です。

以前ご紹介した『FOUJITA』同様、本年度の東京国際映画祭コンペティション部門に出品されたりと、芸術的香りの高い作品がお好きな方はそれでよしとして、そういうのが苦手な方にもぜひ見ていただきたい作品です。

さようなら

ストーリーは、原発事故によって日本の大半が放射能に汚染され、もはや国外退去するしか生きる術をなくした、日本に住む人々。

つまり、日本人はこれから難民になっていくのです。

ちなみにこの世界、既にマイ・ナンバー制度も導入されており、番号が近い者たちは同じ国や地域に避難できる確率が高くなるということで、恋人たちは急いで結婚したりしているようです。

避難する人々には優先順位があります。

外国人難民や罪人などは、どうも下位のようです。

本作のヒロインとなる病弱なターニャ(ブライアリー・ロング)も、なかなか順位が回ってきません。

ターニャには恋人(新井浩文)がいますが、ではふたりは結婚するのか?

さようなら

ここで、差別と逆差別の問題が生じてきます。

それが何かは見ての楽しみとして、最終的に彼女はどうなるのか?

その顛末を、幼い頃より彼女をサポートし続けてきたアンドロイドのレオナが見守ることになっていきます……。

さようなら

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–{人間とアンドロイドの生と死の関係性を描出}–

濃密な映像表現で、人間とアンドロイドの生と死の関係性を描出

本作は現代日本が置かれた様々な問題と真摯に対峙しながら、SFの衣を借りて見事なまでのドラマを形成しています。

また、ここでは大阪大学で開発された本物のアンドロイドを製作し(TVバラエティ番組『マツコとマツコ』に登場したマツコ・デラックスのアンドロイド”マツコロイド”と同じジェミノイドF)、人間と機械の生と死を問うていきます。

さようなら

それはどことなく手塚治虫の世界を彷彿させるような、日本人にとってなじみやすい世界観でもあり、一方では現実を描いたリアルなドラマよりも、はるかに社会問題をエンタテインメントとして取り込みやすいSFならではの長所を最大限に活かしているといっても過言ではない。

ここまで来たら、特にSF映画ファンは見ない手はないでしょう。

正直、特撮を駆使したような派手なシーンこそありませんし、テイストとしては『惑星ソラリス』(72)や、最近では『草原の実験』(14)といったものに近い、じっくり撮り上げていく映像表現の美学を前面に打ち出したものではありますが、ならばその美学をとくと堪能していただきたい。

さようなら

深田監督作品は『歓待』(10)『ほとりの朔子』(13)など、常にさりげなくも濃密な人間描写に秀でていますが、個人的には縦横無尽なキャメラワークで絵を撮りながら、実写ともアニメーションとも異なる斬新な表現を成し得た実験的中編“画ニメ”作品『ざくろ屋敷』(06)に目を見開かせて以来、ずっと気になる存在の監督です。

今回も世界の終わりを画の歪みで表現するなど、意欲的な試みがなされていますし、クライマックスに至っては、よくぞまあ回したり(演じる側も大変だったことでしょう)、驚異的な長回しシーンによる時間の経過がもたらす哀しみの効果など、実に味わい深いものがあります。

さようなら

原作舞台のほうは未見ですが、映画化されたこちらは、世界そのものが朽ちていく過程が秋枯れの風景などによって巧みに描出され、またその中で静かに苦悩し続けるする人間のはかなさや切なさなども醸し出されています。
日本も人も朽ちていくのに対し、アンドロイドは一体どうなるのか?

ラスト、本当に永遠なものとは何かが示唆されます。

それが何か、これもまた見てのお楽しみということで。

最後に、一瞬ですが、『ふたりのベロニカ』(91)や『エレニの帰郷』(14)の名優イレーヌ・ジャコブの特別出演にも嬉しくなりました。
(それだけでも、映画ファンとしては見ないわけにはいかないでしょう!)

さようなら

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(文:増當竜也)

公式サイト http://sayonara-movie.com/