2015年10月27日(火)、東京国際映画祭のプログラムのひとつとして映画『野火 Fires on the Plain』の上映と塚本晋也監督によるトークイベントが開催されました。
今作は、フィリピンでの戦争体験を元に作家・大岡昇平が書いた同名小説を原作に、第二次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島で結核を患い、部隊も野戦病院も追い出されて原野をさまようことになった田村一等兵(塚本晋也)を通して、彼の見た戦場の悲惨さを描いた作品。
美しい原野と人間の対比
「上映が終わったばかりで、また顔を見たくないですよね〜」と冗談まじりに登場した、今作の主演も務める塚本監督。
今作は実制作ということで、苦労したところを尋ねられると、「苦労していない箇所が実はないんですよね(笑)。どこと言われると全部(笑)」と答え、「高校生くらいの時に原作を読んで、いつかやりたいと30歳を過ぎたあたりから、企画書も書いて本格的に準備したんですけど、どうしてもお金がかかってしまうので。僕としては日本版の『地獄の黙示録』を作るくらいの心構えだったものですから」とやはり金銭面での苦労があったことを明かします。
しかしながら、反戦映画を作ることが不謹慎というような今の風潮を感じて、先延ばしにしているといずれ作れなくなるのでは、そして、観てくれる人がいなくなってしまうのでは、という危機感から3年前に制作を開始したとのこと。
MCは「『JAPAN NOW』という部門でも、観てほしいではなく観るべき1本だと思って選ばせていただきました」と話します。
多くの協力者からの異常ともいえるパワーで作られた映画ということですが、そのなかで妥協せずに完成させるには相当な苦労もあったそうで、塚本監督はフィリピンの美しい原野が必要だというこだわりのために、「お金がないから日本で撮ればいいとは思わなかった。どこのシーンを撮ればそう見えるのか、コンテを細かく書いて準備をしていた」といいます。
MCも「肉体が吹き飛んでそこらへんに散っているような凄惨な人間の姿と、真っ青な空、浮かぶ雲、青い海。人間がつまらないことをやっているということと相変わらずの美しい景色の対比が素晴らしかった」と話し、1959年に市川崑監督が作った同名の作品を挙げ、モノクロだった当時の作品とは決定的に違う色彩について強調して、塚本監督が描きたかったという映像を絶賛。
それを受けて塚本監督は「南国の美しい自然の原色はきっちり出したいと思ったんですね。それと真っ黒になった人間のコントラストというのは最初からやりたかったことです。なんでこんなきれいな場所で人間はこんなことをしているんだろう、という、そもそもおかしくないでしょうか。と思っていただければと思います」と、この映画のメッセージを伝えていました。
『野火』を作りたいという渇望にも似た思い
また、MCは塚本監督の映画から受ける印象として「ギリギリの所にきたときに、肉体も意識もある種変容していくというようなテーマを『鉄男』とか、そういう作品も通じて語られているような気がしたんですが、そういう部分での共通性ってあるんですか?」と質問します。
塚本監督は「まだ自分の中ではっきりと答えが出ていないところ」だと前置きしつつ、これまでの作品は、周りにあるコンクリートやテクノロジーに合わせて自分の肉体が変容したり、同化したりするような話だったといい、その話と別のところに「コンクリートのさらに外側の自然にたどりつきたいという思いがいつもあった」と話します。
続けて、「それが『野火』を作りたいという渇望にも似た思いだったんですけれども、やっと今そこに行き着くことができたんですね。だから、やっとコンクリートの外に出て、「さぁ、どうする」となったところに、本来いい部分もある人間なのに、ちょっとした力のおかげでむちゃくちゃになってしまうことが現にある、ということが浮上してきたりして、そんなことを感じながら作っていました」と、自然を前にしても、まだそれと同化できない人間の姿に直面しながら映画を作っていた思いを語ります。
また、オリジナルかと思うほど、塚本監督が伝えようとしていることが伝わってきたとMCが伝えると、「高校生の時に読んだときから、1シーン1シーンが全部はっきりと映像として見えて、絵が浮かびすぎちゃうので、確かに自分のものとなっちゃうくらいに目の前にありありとあったものですから、それらのものをある程度の水位まであげて作品として出さないと、どうしても納得のいかないものとしてあったんですね」と塚本監督。
フィリピンでの撮影以外にも、爆発もミニチュアではなく本物を使うというこだわりもあったそうで「本当に必要なものだけで固めたエッセンスで、余分無しの本当にやりたいことだけで固まってる映画ですね」と話していました。
–{『野火』につながる過去作品}–
ひとつの真実を描いた映画
「最後のシーンはいろんな受け取り方があると思うんですけど、意識の方の変容のかたちとして、儀式的に神にも似た何かに彼の意識が変容していくという受け取り方をしたんですが、何か付け加えることはありますか?」
トークセッションの最後に、塚本監督は「最後は何してたんですか?とよく聞かれるんです。頭をぶつけてるんですか?とか、自分を刺してるんですか?とか」と自身に寄せられる疑問について、「原作ではごはんを見ると、異様なお辞儀をする、と書いてあったんですね。異様なお辞儀というのはどういうものだろう、と自分でも考えて。すごい映像は浮かぶんですけれども、所詮自分の身体で、当日現場でその動きをしなかったので、これはいかんと思いまして。ただあることを考えながら、一生懸命お辞儀をしたんです」と現場での様子を交えながら回答していました。
また、「ごはんというものが映画全編を貫くテーマ」と提示し、塚本監督が10年前に戦争を体験した方へのインタビューをした経験などから「自分の口では肉を食べたとは言いませんけど、何があったかわかるギリギリの話まで聞いて。上映先でも、すぐに映画の感想を言えない代わりに身内の経験や聞いた話をしてくれて、それを積み重ねていくうちに劇中で描かれたような世界があったことがはっきりと浮かび上がってくるんです」と話し、「戦争をこれから語り継ぐことは大事なんですけれども、語り部の方は減っていて、特に加害者側の方というのはなかなかいない。「語るものではない」と、お墓まで持っていこうと口を閉ざしたまま亡くなられてしまっているわけです。これだけ恐ろしいことがあったのが、まるでなかったかのように葬り去られるのをいいことに、戦争の方向へ動いているように思えてならないんですね。だから、それをなかったことにさせない、という映画です。口を無理矢理開けさせて話させるというのもよくないことだと思うので、ドキュメンタリーではないけれど、まぎれもなくあったことをひとつの真実の形として作って、それを観ていただくということは必要だと思います」と、今作を作った意義を伝えていました。
『野火』につながる過去作品についての質問も
イベントの後半には客席からのQ&Aも行われ、今作をより深く知ることのできる機会として、さまざまな質問が飛び出しました。
質問「敵が誰か見えてこないところや主人公の精神世界が錯乱している感じが、クリント・イーストウッドの『アメリカン・スナイパー』に似てるところがある気がして、敵の描写についてはどのような意図があったのでしょうか?」
塚本監督「もし潤沢な予算があったとしても、最初からこの撮り方をするべきだと思っていて。向こうの兵隊さんが敵というわけではなくて、それはどこか上の方から戦争をさせてる人なんですね。闇の中から突然弾が飛んでくるという表現にしたのは、戦争をさせている人間から飛んできているというシンボルにしたかったのが一番。あとは戦争の現場にいる主観で戦争の怖さを映したかったから、相手はとにかく映さないようにしました。『アメリカン・スナイパー』は僕も観たんですが、やっぱりクリント・イーストウッドはすごいと思いましたね。いろんな捉え方がある映画ですけど、主人公の家族に「ちゃんと撮りますから」とご挨拶をしながらも、ヒーローを描いているフリをして、破綻するひとりの人間を描いているので、すごい監督だなと思いました」
質問「市川崑監督の『野火』も観たと思いますが、それはどう思いましたか?」
塚本監督「僕は高校生の時に観たんですけど、本当に堪能して。そもそも大好きな監督で、当時8ミリ映画を作ってたんですけど、露骨に影響を受けたような映画を作ったんですね。山上たつひこさんの『光る風』という劇画をモノクロで撮ったんですけど、これがものすごく影響を受けたような作品で(笑)。『野火』に関していうと、僕は自然の風景と人間の対比を描きたかったんですけど、市川監督の『野火』はあくまでも人間のありようについてカメラが接近している映画なので、かつてこんなにすばらしい名作があっても、作るのをやめようという気にならなかったですね」
質問「塚本監督の『バレット・バレエ』には都市と銃と生と死といった部分のテーマがあって、『野火』はフィリピンの風景などまったく真逆のシチュエーションでありながら、やはり生と死を描いていたり、銃撃シーンなどかなり共通点が見られたんですが、意識されていたのでしょうか?」
塚本監督「『バレット・バレエ』を撮ったのは今からもう17、18年前なんですけど、僕はあの頃から日本の風潮が少しきな臭いと思い始めていて。元々アンテナを立てていないので感じにくい方だと思うんですけど、それでも「ん〜?」と思い始めたのがその頃で、戦争というのを映画の中に感じ始めた時期の作品ですね。あれは戦争ということをまったく知らない僕ら世代と戦争をSFにしか感じない若い世代が、本当の痛みを知らないもの同士で抗争をしていて。最後に井川比佐志さんという戦争体験者が「君たち、何遊んでるの?本当の暴力はこれだ」と来るんですけど、彼が来たときに戦争の影が来る、という風にしたかったんです。今回は、痛みを感じることができなかった都市の生活にいた人たちがモロに原野の中に投げ込まれたっていう話にしたかったので、自分の中ではつながっているところがありました。そこで中村達也さんに出てもらったり、『バレット・バレエ』に出てもらった若者ふたりが戦争にいく形で『野火』に出てるんですけど、都市の閉塞感の中で現実を現実として捉えられなかった人たちに対して、「本当の暴力はこういうことなんだ、分かったか!」という意味合いのつながりを考えながら作りました」
(当日会場に訪れていた、キャストの森優作さんもフォトセッションに参加)
塚本監督が今作にかけた思いや、過去作品との関連性も明らかになるなど、興味深いトークイベントとなっていました。
映画『野火 Fires on the Plain』は下高井戸シネマ、ポレポレ東中野ほか公開中です。
(文・取材:大谷和美)