イギリス出身の映画監督ジョン・ギラーミンが今年9月27日、心臓発作のために亡くなりました。89歳でした。
1970年代映画ファンにとって、決して忘れられないこの名前……。
《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街 vol.34》
当然ながら、追悼させていただきます。
『ブルー・マックス』と『レマゲン鉄橋』戦争映画の二大名作
ジョン・ギラーミンは1925年11月11日、イギリス、ロンドンの生まれ。
ケンブリッジ大学出身で、イギリス空軍に勤務した後、フランスでドキュメンタリー映画の現場に携わり、イギリスにもどって50年に『TORMENT』(未)で劇映画監督デビューを果たしました。
日本では『ターザンの決闘』(59)『ターザンと猛獣の怒り』(62)といったターザン映画あたりから紹介されるようになっていきますが、この時期のマッチョ的に映える資質は、その後のキャリアにもどことなく反映されているかのように思えます。
そんなギラーミン監督の名を一躍世に知らしめたのは、第1次世界大戦下のドイツ空軍を舞台に、名誉欲にとりつかれたパイロットの野心と非業の運命を描く戦争映画の名作『ブルー・マックス』(66)でした。
また、ここで主演を務めたジョージ・ペパードとは、その後も探偵ミステリ『野良犬の罠』(67)、カルト教団の魔手で殺人犯にでっちあげられた元ボクサーの闘いを描く『非情の切り札』(68)でもコンビを組み、多大な成果を上げています。
また第2次世界大戦末期、ライン河にかかる鉄橋を挟んでの連合軍とドイツ軍の攻防をダイナミックに描いた『レマゲン鉄橋』(68)における戦闘シーンの数々は、今も戦争映画ファンの語り草となっています。
その後西部劇『エル・コンドル』(70)、その名もずばりの航空パニック映画『ハイジャック』(72)、人気シリーズ第3作『黒いジャガー/アフリカ作戦』(73)を無難にまとめ上げた後、ギラーミンが取り組んだのが『タワーリング・インフェルノ』(74)でした。
–{大空と航空メカ、空撮へのこだわり}–
イギリス空軍出身キャリアがモノをいう大空と航空メカ、空撮へのこだわり
超高層ビル火災をオールスターキャストを駆使して壮大なスケールで描き上げ、70年代パニック映画の金字塔として揺るぎない地位を保ち続ける『タワーリング・インフェルノ』はギラーミン映画の粋が詰まっているといっても過言ではないほどで、特にステイーヴ・マックィーン、ポール・ニューマンをはじめとする時のオールスター・キャストの見せ場をそれぞれバランスよく配置しながら魅力的に捉えていく手腕は、スペクタクル大作演出の誉れといってもいいでしょう。
また『タワーリング・インフェルノ』で秀逸なのは、実はオープニング、ポール・ニューマンを乗せたヘリコプターが海面を這うように進み、やがて地獄の惨状と化すビルに到達するまでのメインタイトル・シーンの空撮にあります。
ここで作り手は、ジョン・ウィリアムスの爽快きわまる音楽に乗せて「さあ、火災地獄のエンタテインメントにようこそ!」といわんばかりのサービス精神をもって、オールスター・キャストともども、われわれ観客をゴージャスに包み込みながら超高層タワーへ案内してくれているのでした。
ギラーミン映画の空撮は『ブルー・マックス』の頃から顕著な傾向で、見ごたえのあるショットばかりではありますが、これにはやはりイギリス空軍出身というキャリアもモノを言っているような気もしてなりません。
特にヘリコプターということでは、続く超大作『キングコング』(76)のクライマックス、今はなき世界貿易センタービル(9・11以前の同ビルを見られる映像としても貴重)に上ったキングコングにヘリコプター部隊が機銃攻撃を仕掛けますが、そのシーン自体は秀逸なのに、公開当時のポスターはジェット戦闘機をつかむコングの雄叫ぶ姿になっていたもので、中身が違うと叩かれたり、おまけに後年『キング・コング』(06)を撮ったピーター・ジャクソン監督がこのギラーミン版を認めない発言をしたり、未だ正当な評価を得られていません。
確かに当時、鳴り物入りの誇大宣伝がなされた割には、実物大のロボット・コングが実際は撮影で使い物にならず、特殊メイクのリック・ベイカーが着ぐるみを着て演技していたとか、ヒロインに抜擢されたジェシカ・ラングはこの後コング女優と嘲笑され、しばらく仕事を失ったとか、正直喜ばしくないネタが多いのも事実です。
しかしオリジナル版『キング・コング』(33)やジャクソン版が「女性の美が野獣を殺した」と訴えている割に、そこまでのインパクトをもたらしていない憾みが残るのに対し、ギラーミン版『キングコング』(これのみ邦題に「・」がないのがミソですね)はジェシカ・ラングのエロティシズムを強調した演出がなされていることで、結果として本作独自の解釈による「文明がコングを殺した」といったメッセージに加えて原点たる「美がコングを殺した」とも捉えられる結末になっていることは賞賛すべき事象ではないでしょうか。
おそらくはギラーミンにとって『キングコング』とは、かつてのターザン映画と同等の位置づけの、時にエロティックな愛の活劇であり、その系統が後の女性版ターザン映画とも謳われる『シーナ』(84)にも受け継がれていったのだと思います。
–{『ナイル殺人事件』と『キングコング2』}–
『ナイル殺人事件』での面目躍如と遺作映画となった『キングコング2』
ギラーミンの面目躍如となったのは、次の『ナイル殺人事件』(78)でしょう。
アガサ・クリスティの『ナイルに死す』を原作に、ナイル川を下る豪華客船内で起きた殺人事件を名探偵エルキュール・ポアロが解決するという、これまたオールスター・キャストのミステリ大作です。
ここでのギラーミン演出は、故郷イギリスが生んだ大作家の原作を映画化するという名誉を胸に、映画監督としてのプライドをかけて撮りあげたかのごとき気迫がみなぎっています。
ジャック・カーディフ撮影監督による映像美や、ニーノ・ロータの荘厳豪華な音楽も忘れられません。
なお、クリスティ原作ものではこれ以前にシドニー・ルメット監督の『オリエント急行殺人事件』(74)が多大な評価を得ていましたが、このときのエルキュール・ポアロ役のアルバート・フィニーの凝ったメイクと芝居がファンの間で賛否真っ二つに分かれてしまったのに対し、ここでのポアロを演じた巨漢の名優ピーター・ユスティノフは、実はフィニーよりも原作と若干イメージが違うにも関わらず、映画版ポアロとして広く認知され、その後も『地中海殺人事件』(82)『死海殺人事件』(88)、さらにはTVムービーでも幾度かポアロを演じ、彼の当たり役としました。
もっとも86年、ギラーミンは(よせばいいのに⁉)『キングコング2』を撮ってしまいます。
世界貿易センタービルから落下して死んだはずのコングが実は人工心臓で生き長らえていて、やがてメスのコングと愛し合い、最後にはベビーが生まれるという、いやはやなんとものお話ではありましたが、クライマックスの山中での軍隊との攻防戦など、やはりギラーミン映画ならではのダイナミズムは健在で、巷の評価はかなり低いのですが、個人的にはB級怪獣映画的なノリで大いに楽しんだものでした。
ジョン・スコットの爽快な音楽も、前作の巨匠ジョン・バリーの楽曲より好みではあります。
しかし、何と、これを最後の劇映画演出として(この後87年にTVムービー西部劇『デッド・オア・アライブ』を演出)、彼はこの世を去ってしまったようです……。
–{忘れられた名作『かもめの城』}–
忘れられた名作『かもめの城』から紡がれるべきギラーミン映画の再評価
調べると、アメリカ建国200年記念映画『ミッドウェイ』(76/ジャック・スマイト監督)や、時の美少女ブルック・シールズ主演の砂漠アクション『サハラ』(83/アンドリュー・V・マクラグレン監督)も当初は彼が演出する予定だったようですが、戦記大作『ミッドウェイ』は彼だったらどう演出していただろうか? といったないものねだりの興味もわいてきます。
そういえば数年前、シネフィルの間でひそかにジョン・ギラーミンの名前が取り沙汰されていたことを思い出しました。
彼が65年に撮った『かもめの城』がDVD化されたからです。
『かもめの城』は、巌窟で敬虔なクリスチャンの元判事(メルヴィン・ダグラス)と、純粋すぎて情緒不安定な娘、そして家政婦が住むフランスの人里離れた海辺の崖の上に立つ館に、脱獄囚(ディーン・ストックウェル)が入りこんできたことから始まるファンタジックな情緒を伴うドラマです。
その脱獄囚は、娘が無害な友人でもある案山子に着せていた父の服を盗んで着ていました。
そのせいで娘は、彼を案山子だと思い込んでしまうのです……。
娘を演じているのは『シベールの日曜日』のパトリシア・ゴッジで、多感すぎて複雑な心理下にある少女をみずみずしく好演していることで、この作品を見事なまでの思春期の寓話たらしめています。
一見、これがあのギラーミン映画? と驚くほどの内容ですが、よくよく見ると、ここでもギラーミンは曇天の大海原や、空飛ぶかもめたち(ギラーミンの空と空飛ぶものへのこだわりは、ここで既にあった!)が崖のトーチカに集まる光景などをモノクロ映像でリリカルに捉えており、彼の大作群を愛してやまない者としては目から鱗が落ちるほどの衝撃をもたらしてくれるでしょう。
音楽がフランソワ・トリュフォー監督作品などで知られる名匠ジョルジュ・ドルリューというのも驚きですが、これまたこの作品になくてはならないほどの美しさで迫ってきます。
もともとギラーミンは映画監督としてキャリアを開始した50年代は、ファミリーものからミュージカルまで、さまざまなジャンルの作品を手掛けており、そこで得た手腕を開花させたのが『かもめの城』を撮った65年前後であった。そうみなすことも可能ではないでしょうか。
こんな哀愁に満ちたギラーミン映画もあったのかと驚きつつ、実はこの中に後のギラーミン映画のすべてが詰まっている原点として、強くお勧めしておきます。
いずれにしましても、ハリウッドに精通しつつもヨーロッパ映画人としての誇りを忘れなかった彼の死は、やはり一つの時代の終わりを告げているかのような、そんな気もしてなりません。
(文:増當竜也)