美しくも勇気ある映画『草原の実験』は 見逃し厳禁たる今年の大収穫!

映画コラム

■「キネマニア共和国」

昨年度の東京国際映画祭に、ある衝撃が走りました。

もはや映像美などという言葉すら空々しく思えるほど神秘的に美しいその映画は、クライマックスで究極とも言える美を描出します。

少なくともこの世で生きている間、決して見たくはない美を……。

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街 vol.30》

ロシア映画『草原の実験』は、映画ファンならば今年絶対に見ていただきたい傑作……いや、そういった美辞麗句もどこか不似合なほどに繊細で美しい作品です。

草原の実験

台詞を一切排し、画で雄弁に語る壮大な実験作

およそ96分のこの映画には、台詞が一切ありません。

もっともサイレント映画というわけではなく、風や雨など自然の物音や、もちろん音楽もあります。登場人物の泣き声や笑い声なども聞くことはできます。

ただし、言葉による説明はまったくありません。

これはいまどきの映画として、非常に勇気ある行為でもあります。

草原の実験

ストーリーそのものはシンプルです。

おそらくはカザフスタンを想定しているのであろう(撮影そのものはウクライナのクリミア半島フェオドシア)、広大な草原の中で、1本の樹に見守られるかのように小さな家で父と娘がひっそりと生活しています。

娘の名はジーマ(台詞がないので、そう名乗ることも名乗られることもないのですが、宣材にはそう記されています)。

年頃のジーマに、地元の朴訥な青年と、ロシアから来たと思しき金髪の青年が言い寄ってきたことから、ちょっとした三角関係が始まります。

やがてその確執は徐々に激しさの度を増していきますが、大自然はそういった彼らの衝動などもすべて覆い尽くすかのように見守るのみです。

ここまで記すと、邦題はありきたりながらも『草原の少女』とでも命名するのがふさわしいのかもしれません。

しかし、大草原の静けさの中、次第に不穏な事態が彼女たちの前に押し迫ってきます。

邦題が示す“実験”とは何か?

あえて記しませんが、大方の想像はつくはずです。
(そもそも、この作品自体が壮大な実験作であるともいえます)

■「キネマニア共和国」の連載をもっと読みたい方は、こちら

–{美少女の域すら超えたヒロインの存在感}–

美少女の域すら超えたヒロインの存在感

シネマスコープの構図をさりげなくも巧みに活かした映像は、草原の大自然を見事に捉えつつ、古びたトラックやサイドカー、翼のないプロペラ機、ラジオなどの“文明の利器”をどこか神秘的なアイテムとしながら、人間のちっぽけさと、それゆえの愛しさを描出していきます。

また、アップとロングを交錯させた編集の妙もあって、台詞がなくても退屈させることはなく、とにかく終始画面に引き込まれ続けていくのみです。

草原の実験

ロシアの現代音楽家アレクセイ・アイギによる音楽も効果的で、時にメロディアスに、時にノイジーに、画と音との融合を果たしています。

そして何よりも素晴らしいのが、ジーナを演じるエレーナ・アンの類い稀なる美しさそのもので、韓国人の父とロシア人の母の間に生まれたという彼女は、もはや天使すぎる美少女の域すら越えて、この映画のための申し子としか言いようのないほどの存在感をもって、映画全体の世界観まで決定づけているといっても過言ではないものがあります。

こういった映像そのものの詩的な美、大自然の美、淡いラブ・ストーリーとしての美、音楽や音響がもたらす美、そして少女の美……こういったさまざまな美が、クライマックスでおぞましくも美しい究極の美として集約され、炸裂します。

そして、その後に訪れるラストの太陽にも注目してください。
(これ以上はネタばれになるので、もう何も言いません)

■「キネマニア共和国」の連載をもっと読みたい方は、こちら

–{「日本よ、これが映画だ」}–

ロシア映画伝統の韻を踏んだSFファンタジー

ロシア映画にはハリウッドなどと一味違うペシミスティックなSF&ファンタジー映画の系譜があり、それはときとしてアンドレイ・タルコフスキー監督の遺作『サクリファイス』(86)のごとき悲痛なメッセージを伴うこともありますが、本作もそれと同系統のものとして捉えると実にわかりやすくなることでしょう。

また、台詞がない分、どうしてもドラマとしてわかりにくい箇所も多少出てきたりもしますが、あまり理屈で考えず、映像に身を委ねることで、むしろ感覚的に理解できるのではないかとも思います。

草原の実験

徹頭徹尾、静謐に沈黙を保ち続ける映像は、北野武監督作品の静寂さをも彷彿させるものがありますが、本作のアレクサンドル・コット監督は「沈黙は台詞よりも多くのことを語る」とみなしながら、ひたすら画の力で雄弁なる世界を体現させています。

台詞を排した勇気、臆することなく現代社会に訴えておくべきメッセージを訴え得た勇気、世界観の要を一人の少女に託し得た勇気……などなど、この作品は昨今の映画にはない数々の勇気をもって、見る者を感動させ、衝撃を与えるとともに、深く熟考させてくれます。

淡々とした画と音の連なりの中から、映画の持つ可能性をさらに力強く押し広げてくれる作品としても、他に例がないほどです。

繰り返しますが、映画ファンを自認するかたは今年絶対見ておくべき作品です。

いつぞやの「日本よ、これが映画だ」とは、本来こういった作品の宣伝文句として使われるべきものでしょう。

公開に際して、エレーナ・アンも来日して舞台挨拶を行う予定とも聞いております。

後々後悔しないためにも、すぐさまチケットを買いに行ったほうが賢明でしょう。

■「キネマニア共和国」の連載をもっと読みたい方は、こちら

(文:増當竜也)