編集部公式ライターの大場ミミコです。
つい先日のこと。我が家には8歳の息子がいるのですが、色々と訳あって2時間、土地勘のない街をひとり彷徨い歩いたというのです。
やがて交番を見つけ、親の携帯番号をお巡りさんに伝えたそうなのですが、いきなり警察からの電話を受けた親は、心臓が飛び出るほどビックリしました。事情も掴めぬまま急いで交番に行くと、婦警さんとイチャイチャしていた息子が「お!早かったねぇ」とこちらにチョッと手を挙げてみせました。
いや〜、久しぶりに腰から砕け落ちました。まず「無事で良かった」という安堵が溢れましたが、次に湧いてきたのは、息子の「生き延びる力」への賞賛でした。
交番の場所も、親の電話番号も教えた覚えはないのに、よくも涙ひとつこぼさず冷静に対処したなーと、心から感心しました。親が何を施さずとも、いざとなったら子供は、自分の頭と身体を使って生き抜く力を潜在的に備えているのだと思い知らされる一件でした。
ママに会いたい…ベルリンの街をサバイブする兄弟の原動力
その事件の2日後、『ぼくらの家路』というドイツ映画を試写会で拝見しました。
10歳の兄と6歳の弟が、母親を探し歩く3日間の出来事を時にスリリングに、時に切なく描いた秀作です。ここで簡単に、『ぼくらの家路』のあらすじを紹介したいと思います。
主人公のジャックは、不在がちな若い母に代わって、家事や育児をこなす日々を送っています。しかしある日、不注意で弟・マヌエルにやけどを負わせてしまったジャックは施設に収容されてしまいます。夏休みに家族と会えることだけを希望に、ジャックは施設での過酷な生活に耐え続けますが、母と連絡が取れなくなってしまいます。母の事が大好きなジャックは、弟と共に母を捜しに出かけることにしました。
お金もない、食べ物もない、手がかりもない。あるのは「ママに会いたい」という気持ちだけ・・・。こうして始まった母親探しの旅ですが、旅と呼ぶには壮絶すぎる、まるで戦場のようなサバイバルをジャック達は経験することになります。
コーヒーショップに置かれたミルクやシュガーを鷲掴みで盗んで空腹をしのいだり、駐車場に置かれた廃車をねぐらにしたり、時には大人にぶっ飛ばされたり・・・。
わが息子の迷走を、主人公に重ねて見ていた事が恥ずかしくなるくらい過酷な試練が「これでもか」と幼き兄弟に降りかかっていきます。
そのたびにジャックは弟を連れて走ったり隠れたりと、必死で危機を逃れようとするのですが、とにかく懸命でひたむきな姿がもう、観てられないというか、逆に目が離せないというか、ブレーキとアクセルを同時に踏んだような不思議な感覚に襲われました。
それと同時に、どんなに危険で辛い目にあってでも母を恋しがるジャックの小さな背中を見るにつけ、母というのは子供にとって、これほどまでに絶対的な存在なのかと思うとハートの奥がキュッと締めつけられました。
ジャックの母は、母親業よりも恋や遊びを優先させるダメな母親かもしれません。家事や弟の世話をジャックに押し付け、たまに帰ってきては子供たちに愛想を振りまくズルい女かもしれません。けれど、どんなクズ親・毒親であっても、子供は母を無条件に愛しているのです。それほどまでに、子供にとって母親は大切な存在なのだと思います。
–{ママが人生のすべて!“つ”時代に築いた母子関係が土台となる}–
ママが人生のすべて!“つ”時代に築いた母子関係が土台となる
しかしそれは、「つ」の付く年齢までだと、何かの本で読んだことがあります。1つ、2つなど「つ」の付くうちは、たとえ親から辛い仕打ちを受けても、子供の潜在意識下には「ママ大好き!」という源流が息づいているのですが、年齢に「つ」が付くのって“9つ”までなんですよね・・・。
そして、この映画の主人公・ジャックは10歳・・・つまり、「つ」の付く年齢を1歳オーバーした設定です。この年頃になると、子供ながらに知識や経験が増えていきます。すると、大人の身勝手さや理不尽さなどが見えてくるので、今までデフォルトだった「ママ大好き!」の牙城も、存続が危うくなってくるわけです。(とは言いつつ、完全でない親を批判・否定する言動も、元を辿れば「愛」に行き着くのですが…)
また、大人になるにあたって「自立」することは不可欠な要素ですから、いつまでも母の愛を求めてばかりもいられません。自分もやがては親になり、子に愛を与えたり求められたりする立場になるべく、心身ともに成長しなければならないのですから・・・。
きっと、その現象を一手に引き受けるのが「思春期」という時期なのでしょう。そこで子供はこじらせたり反抗したりしながら、絶対愛であった『母』の存在を昇華し、自立へと向かっていくのかな〜なんて、あと2年で「つ」の付く年齢が終わってしまう息子を持つ筆者は自分に言い聞かせたりしている今日このごろです。
ちょうどジャックはその入口の年頃でしたが、幼少期からこなしてきた家事・育児の影響か、同じ年齢の子よりも早く自立心が育まれた感は否めません。そこに来てトドメとなったのは、3日間の母捜しサバイバルです。まだ靴紐も結べぬ弟を抱えて、何度も命の危険に晒されながら、それでも母の温もりを求めて街を彷徨い続けたのです。
しかし、やっと出会えた母は、拍子抜けするほど呑気でポップで、命がけで冒険をしてきたジャックとしては受け入れがたいものだったのかもしれません。終始セリフも少なく、感情を露わにすることのなかったジャックが、母との再会でどんどん表情が変わっていったのが本当に印象的でした。
意外すぎるラストを、あなたはどう感じましたか?
そして物語のラストは、胸の内に思いを秘めがちだったジャックが、想定外の行動に出ることとなります。「そう来たか!」と指を鳴らす人もいれば、「ウソでしょ?!」と首をかしげる人もいると思います。そのくらい衝撃的かつ、受け手によって解釈が異なるラストが用意されています。
きっとその感想は、観た者の性別や現状、生きた時代や環境によっても違ってくることでしょう。特に母親との関係性は、観終わった後の印象や賛否を分ける基準となるかもしれません。同じく試写を観たという知人は、言いようのない怒りやもどかしさを覚えたと言いますし、また別の知人は「読後感が清々しい小説を読んだようだ」とジャックの成長と美しい映像の織りなす世界観を絶賛していました。
これほどまでに、受け手よってテイストが違う映画というのは、本当に珍しいケースだと思います。しかしそのくらい「幼少期の母子関係」というのは人間にとって、後々の人生や心の土台に影響するのだな〜と、改めて身につまされました。
今日は息子を抱きしめまくろう
そんな筆者が『ぼくらの家路』を見終えた後、まず頭に浮かんだのは「その選択をしたジャックの源流は、一体“どっち”だったんだろう?」というものでした。
それは、無条件にママを愛している「“つ”時代」の流れを汲んだものなのか?
それとも、最近色濃くなってきた自我から出て来た判断だったのか・・・。
もし、ジャックの結論が「“つ”時代」のマインドを基にしたものだったら、彼はものすごい利他心の持ち主だと思いました。
「ママが笑顔でいてくれたらそれでいい。それが僕の幸せなんだ」
そんなジャックの愛から“あの決断”をしたとしたら、なんかもう崇高すぎて、筆者は泣く事しか出来ないと思いました。
反対に、自立や自我から湧いた気持ちに従ったジャッジだとしたら、残酷な選択にもかかわらず、安堵を覚える自分がいるから不思議です。
しかし、子を持つ母としては少し悲しい気もします。もし、その仕打ちをウチの息子にされたら・・・ああ、考えただけで胃が痛くなります(苦笑)。
“ハート”を開く映画『ぼくらの家路』は本日より公開!!
ネタバレになるので結末は伏せておきまが、多くのママ達にこの映画を観てもらいたいなーというのが筆者の感想でした。そして出来れば、鑑賞後にどのような思いを持たれたのかを、お友達やご主人と話し合ったり、なぜそう思ったのかを内観していただけたら最高だと思っています。自分が持つ「心の土台」がどんなものか、少しでも知ることができたら、この世はもっと平和になると筆者は信じています。
心の土台は、親との関係性です。それは「人生の種」となって、何度も何度も同じ花(現象)を咲かせます。人生で同じパターンを繰り返している人は、心の土台を探ってみてはいかがでしょうか。どんな種が植えてあるのか、その傾向に触れるだけでも十分です。そのきっかけとして『ぼくらの家路』を観ることを強くオススメします。きっと、見える世界が変わりますよ!
ママ必見の映画『ぼくらの家路』は、本日9月19日からヒューマントラストシネマ有楽町など、全国の映画館で順次公開となります。ハイセンスなカメラワークと美しいベルリンの街をスクリーンで愛でながら、ハートの声に耳を傾けてみてくださいね。
(文:大場ミミコ)