市川海老蔵が成田市を変える!?市川海老蔵 成田市御案内人 任命式&囲み取材レポート

INTERVIEW

歌舞伎俳優 市川海老蔵さんが成田市御案内人に任命され、その任命式が2015年7月29日千葉県の成田市役所にて開催されました。

そもそも市川宗家と成田市とのご縁は、初代團十郎丈以来300余年にわたる深い信仰によって結ばれ、今日に至るまで連綿と継承されており、その縁の深さから市川海老蔵さんが、成田市の魅力を内外に発信する「成田市御案内人」に任命された経緯があります。

市川海老蔵

市川海老蔵

成田市役所の敷地内駐車場に設けられた特設ステージと花道。地元の学生のブラスバンドによる演奏、そして約1,000人もの観客の大きな拍手の中、颯爽と海老蔵さんが登場しました。

市川海老蔵

市川海老蔵

市川海老蔵

市川海老蔵 成田市御案内人 任命式でのご挨拶

市川海老蔵

任命式は成田市御案内人の市川海老蔵さん、そして成田市の小泉市長のご挨拶からはじまりました。

市川海老蔵

海老蔵さんは

「本日はお招きいただきましてありがとうございました。素晴らしい音楽で出迎えていただきさらに身の引き締まる思いです。これから市長様より任命ということなので、本日はどうぞお手柔らかによろしくお願いします。」

とコメント。

小泉市長

小泉市長は

「本日は11代目市川海老蔵丈、ようこそ成田市にお越しいただきました。そして、本日の任命式には北は青森、南は福岡からもお越しいただいて、こうして大勢の人の前で成田御案内人海老蔵丈任命式を執り行えること、なによりの喜びでございます。

私から言うまでもなく、成田山新勝寺と市川家は深い絆、ご縁で結ばれております。思い出すのは2008年の成田山開基1070年祭の時に、沿道は人、人、人でいっぱいでした。その時に、故市川團十郎さん、そして海老蔵丈、二人が威風堂々と参道を練り歩いていただいたこと、さらには親子の連獅子の奉納をしていただいたことを昨日のように思い出します。

また、2010年には井上真央さんとのご結婚報告にも成田にお越しいただき、成田祗園祭にも華を添えていただきました。

この今日の任命式を契機に、歌舞伎の街 成田市として、大いに成田市の魅力を内外に発信して、海老蔵丈にもご尽力いただくことを心からお願い申し上げます。」

と、お礼の言葉と意気込みを述べていました。

–{任命状、記念絵馬の授与}–

任命状、記念絵馬の授与

続いて式典では小泉市長から海老蔵さんへの任命状への授与、そして海老蔵さんから成田市への記念絵馬の授与が行われました。

任命状、記念絵馬の授与

任命状、記念絵馬の授与

任命状、記念絵馬の授与

まずは、小泉市長から海老蔵さんに任命証が授与されました。

任命状、記念絵馬の授与

任命状、記念絵馬の授与

お返しとして、海老蔵さん直筆の絵馬が小泉市長に渡されました。

任命状、記念絵馬の授与

これから3年間、海老蔵さんの成田市の御案内人としての活躍が期待されます。

成定歩美さんから海老蔵さんへの手紙の朗読

続いて、千葉県立船橋高校1年の成定歩美さんが登壇します。昨年、成田市立久住中学校の3年生だった成定さんは、久住中学生の誇りとなる何かを学校に残したいと考え、「隈取りを久住中学の宝物としてください!」という手紙を海老蔵さんに送ったそうです。

成定さんの手紙朗読

その手紙に共感した海老蔵さんが、隈取りを久住中学校に寄贈したことが、今回の登壇のきっかけになっています。なお、当時寄贈された隈取りが写真左の額内のものになります。

成定さんの手紙朗読

成定さんは

「海老蔵さんにお手紙を書いてから1年になります。あの頃の私は成田市立久住中学校の生徒会活動を通して、在校生や卒業生の誇りになるものをなにか残したいと考えていました。そんな時、テレビに出ている海老蔵さんを見ました。

私の住んでいる成田市久住は初代市川團十郎さんと深いご縁がある土地です。そして成田山新勝寺は成田屋、市川家と深い御縁があることを知っていた私は、いま思えば図々しいことですが、海老蔵さんの隈取りを私たちの学校の宝物としてくださいとお願いしたのです。

海老蔵さんからのお返事の早さは嬉しさを通り越し、驚きの方が強かったのを覚えています。私の図々しい願いを海老蔵さんは快く叶えていただきました。いま、私の母校に海老蔵さんの隈取りは大切に飾られています。その宝物は私たちが大人になっても、その先も久住中学校の生徒たちを見守ってくれると思います。

私たちの学校に、宝物を贈ってくださりありがとうございました。心から感謝申し上げます。」

と感謝の気持ちをしたためた手紙を朗読しました。

成定さんの手紙朗読

その手紙も海老蔵さんに手渡されました。

歌舞伎うなりくん

歌舞伎うなりくん

さらに成田市のマスコット「うなりくん」の隈取りバージョンもプレゼントされました。

市川海老蔵と歌舞伎うなりくん

気付いたらうなりくんにも隈取りが。しかも「成田」ではなく「うなり屋」になっています。このような朗らかな雰囲気で任命式はつつがなく終了しました。

–{任命式後の囲み取材での海老蔵さんコメント}–

任命式後の囲み取材での海老蔵さんコメント

成田市御案内人任命式の後には報道関係者向けへの囲み取材も執り行われました。その場での市川海老蔵さんのコメントを抜粋してお届けします。

市川海老蔵

成田市の印象、思い出は?

初代市川團十郎から成田屋という屋号を名乗り、成田山には子供の頃から父と一緒によくお参りに連れて来られていたので、(御案内人の任命は)非常に嬉しかったです。父との思い出や、修行の思い出など、いろいろと思い出が多い街なんですよね。

毎年、大晦日の寒い時に来ているんです。年明けを待っている時の父との会話、年越しする瞬間の父の横顔とかが思い出深いですね。例えば七代目市川團十郎が過ごした圓明院や、ご寄贈したものなどを、よく父と見ていました。祖父である11代目團十郎のご縁のある場所で家族で食事をしたり、父が亡くなったあとも倅と来たりと思い出がすごく多いんです。そのようなことが、今日、走馬灯のように思い出されました。

御案内人を任命した時も嬉しかったんですが、いざ任命式でこちらに来させていただいていろいろと眺めると景色が違っていたので、時の流れを感じました。

市川海老蔵

御案内人としてやりたいことは

成田山新勝寺さまとはご縁が深いので、何か形にしたいです。前回の開基1070年祭は僕が30歳の時で、本堂の前で連獅子を父と踊らせていただきました。10歳20歳30歳と私の節目と、新勝寺さまの開基の節目がぴったりなんです。三年後に40歳になりますが御案内人の任期も3年間なので、そこに向けて微力ながら自分の進められることをやって、成田の皆さんと一緒に3年間を歩んで、3年後に何かひとつ見えるものを作っていきたいです。

3年後の青写真はすでにできています。ゴールを作って、どういうふうに歩むのかが重要だと思っています。過程も大事ですけど、過程はその都度変わりますから、どれだけブレずにゴールを見ていられるかが大切です。作っていたら結果そうなったというのは、いい方向に向かっていたらいいんですが、そうでない場合もありますからね。

任命式での中学生の手紙

常々、ファンからたくさん手紙をもらいますが、大概は目を通しています。彼女の場合は、「自分は成田市の中学生で、学校のシンボルが欲しいんです」という内容の手紙でした。僕が読み終わった後、ちょっと置いておいたら妻が「もう一回読んでよ」と言ってきたんです。改めて手紙をもう一度読んで、「あぁ、そうかそうか。たまにはそういうこともやらないとな」と思ったんです。

成田山、成田市にはご縁があるなぁと感じました。当時は、こういうこと(御案内人)のことなんて全然考えてないですから。でも手紙から一途な思いが伝わったんですよね。今日、初めて彼女とお会いしたんですが、非常にきちんとした、真面目に学校のことを考えている想像した通りの方だと思いました。嬉しかったです。

最後に御案内人の意気込みを

3年後に成田山、成田市の人と力を合わせて、皆さまが再度いらっしゃった時にこんなことしたんだなと思っていただけること形作っていきます。だいたいこういうのってファーって始まってファーっと終わるじゃないですか。ファーっと終わらないで、シャキッとけじめをつけようと思っています。

(取材/染谷昌利)