エジプト出身で20世紀を代表する映画スターのひとり、オマー・シャリフが先日亡くなり、日本でもTVや新聞、ネットなどでニュースとして採り上げられましたが、どれも同じ内容のものばかりで、要は『アラビアのロレンス』(62)『ドクトル・ジバゴ』(65)の名優が亡くなりましたといった、判を押したようなものばかり。きっとどこぞの通信社の記事をそのままアップさせて用を済ませようとしているかのような、どうにも愛のない扱いに、どこかがっかりさせられるものがありました。特に今、多くの映画サイトがあふれている中、もっと独自の色を出した記事があってもいいのになと思わないでもありません。
オマー・シャリフが出演した日本映画
オマー・シャリフ死去の諸記事に関してさらに残念に思うのが、彼が日本映画『天国の大罪』(92)に出演していたことを、どこも告げていないことです。日本の映画マスコミとして、せめてそれくらいは記しておきましょうよ。特に彼は晩年の傑作『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』(03)のプロモで来日した際、どの取材にも「僕は世界中の映画に出演してきたことが誇りである。もちろん君たちの国の映画にもね」と、『天国の大罪』の撮影や共演の吉永小百合の思い出などを話していたと聞きました。現に当時取材した映画ライターの人たち個人のツイッターやブログなどでは、取材時の思い出を語りながらその死を悼むものがいくつか見受けられました。
『天国の大罪』そのものは、残念ながら決して彼の代表作と呼べるほどの評価は得られていませんが、今見直すと当時における海外、特にアジア系マフィアの東京進出などが大胆に描かれるとともに(一応、近未来の東京という設定でしたが、「こんな絵空事などありえない」といった、現実を知らない映画マスコミの酷評も多かった)、数々の日活アクション映画を手がけたベテラン舛田利雄監督が久々に吉永小百合と組んで、実は舛田監督がもっとも愛してやまないというメロドラマ的な要素も大いに導入しながら、濃い目のラブ・サスペンス大作には仕上がっています。
オマー・シャリフにはデヴィッド・リーン監督の大作2本以外にも『ゲバラ!』(69)『ホースメン』(71)など、エジプト系俳優ならではの個性を活かした代表作が多数ありますが、『ファニーガール』(68)『うたかたの恋』(69)といったロマンティックな路線も意外に多く、実生活でもかなりのプレイボーイであった彼の一面を思い知らされます。
などなど思いをめぐらせているうちに、やはり最近の日本の映画マスコミは、自国の映画の歴史などに無頓着すぎるのではないかという疑念を抱かずにはいられません。海外スターの日本映画出演というお題目ひとつとっても、たとえば最近では戦争映画『太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男』(11)に『ヴァンパイア/最期の聖戦』(98)のダニエル・ボールドウィンや『1941』(79)『プリンス・オブ・シティ』(81)などのトリート・ウィリアムスが出演していたことに仰天したものですが、公開時は彼らの出演を伝えるようなプロモも記事もほとんど見受けられませんでした。『日輪の遺産』(12)のジョン・サヴェージも同様でしたが、彼にしても『エリックの青春』(75)や『ディア・ハンター』(78)など、70年代映画ファンにとっては忘れられない存在でもあるのです。
–{ジョージ・ケネディとの思い出}–
ジョージ・ケネディとの思い出
私自身は東映ビデオのオリジナルビデオ路線の中でワールドワイドな方針を打ち出したVアメリカ(今にして思うとすごいネーミングですが……)第1弾『復讐は俺がやる』(92/村川透監督・菅原文太主演)に出演したジョージ・ケネディがプロモで来日した際、取材させていただいたことがありました。
その日は9媒体取材のビリッケツ。控え室で時間待ちしていたところ、宣伝と通訳の人が現われて、ジョージ・ケネディが非常に不機嫌になっているから、質問は気をつけてほしいとの要請。聞くと、どの媒体のインタビュアーも彼がアカデミー賞助演男優賞を受賞した『暴力脱獄』(67)の質問しかしてこないことにうんざりし、腹を立てているのだと。
確かに私もその質問はしたいところでしたが、彼には『大空港』(70)に始まるエアポート・シリーズもあれば、『狼たちの影』(75)『ゴースト 血のシャワー』(80)などの主演映画もありますし、『サンダーボルト』(74)『アイガー・サンクション』(75)といったクリント・イーストウッドとの仕事もあります。そして何よりも、彼は『人間の証明』(77)『復活の日』(80)と、日本映画にも出演しているのです。これを聞かない手はないでしょう。
取材が始まり、『復讐は俺がやる』の話をひととおりうかがった後、「あなたはこれまで2本の日本映画に出演していますね」と聞いたら、それまで仏頂面だった彼の表情ががらりと変わり、「そうなんだ!僕は君たちの国の映画に何度も出ているんだよ!」と身を乗り出し、『人間の証明』英語タイトル“PROOF OF THE MAN”、『復活の日』の英語タイトル“VIRUS”の名を何度も口に出しながら、当時の思い出を楽しそうに語ってくれました。「ジュンヤ・サトー(『人間の証明』の佐藤純彌監督)、キンジ・フカサーク(『復活の日』の深作欣二監督)は元気にしているか?」と逆にこちらが質問されるほどで、やはり彼らはちゃんと覚えていてくれているのだと感激してしまいました。
取材後、通訳の人からこれまでの8件の取材と何ひとつ質問がかぶっていなくて、ケネディ氏もすごくご機嫌だったと伝えられ、それはそれで嬉しかったのですが、逆に考えると、その8媒体のインタビュアーは彼が日本映画に出演していた事実を知らなかったのか、それとも興味すらなかったのか、いずれにしても愕然とさせられるものがありました。おそらくジョージ・ケネディは、久々に日本へ行くのだから、自分が出演した日本映画のことくらいはきちんと話せるようにしておこうと備えていたのかも知れません(また、それがプロというものでしょう)。ならばこちらもきちんとキャリアをチェックしておくべきで、またそういった姿勢こそが映画ファンに伝わり、彼らを再評価する糸口にもなると信じたいものです。
–{日本映画への出演からも広がる道}–
日本映画への出演からも広がる道
東京裁判と東条英機を描いた衝撃作『プライド 運命の瞬間(とき)』(98)に出演したロニー・コックスは『脱出』(72)『タップス』(81)『ビバリーヒルズ・コップ』(84)『トータル・リコール』(90)などに出演した名優ですが、彼はオファーがあった際、監督にみならず撮影監督の仕事をビデオでチェックした上で出演を決めたと、私に語ってくれました。なるほど、彼にとって未知数でもあった日本映画に出演するにあたり、撮影監督の画そのもので判断するという意見には感服させられます。また彼はアメリカ人ですが、オーストラリア人の裁判長を演じるにあたり、ごく自然にオーストラリア訛りの英語でしゃべっていたことに感心したと、映画を見た外国人記者から聞かされたものでした。
また日本人戦犯を追い詰めるキーナン検事を演じたのは、ロバート・アルドリッチ監督の名作『傷だらけの挽歌』(71)に主演したスコット・ウィルソンですが、彼はこのときの仕事が縁となったのか、その後『パール・ハーバー』(01)や『ラストサムライ』(03)、韓国映画『グエムル 漢口の怪物』(06)などアジアを舞台にした作品にやたら出演するようになったのも面白い事象です。
最近は中国や韓国などアジアの俳優が日本映画に出演したり、逆に日本人俳優も多くアジア進出を果たすようになってきています。こういった交流こそが映画そのものを豊かにするとともに、各国の政治的対立などを文化の力で凌駕させる糸口にもつながっていくのではないでしょうか。
海外スターに注目しながら日本映画を鑑賞する。これもまた楽しい見方のひとつです。予算その他の関係で、往年のスターや渋めの存在が多いのも事実ではありますが、こういった名優たちにも注目することで、映画は俄然面白くなっていく。そのことを大スター、オマー・シャリフの死から改めて教えてもらえた気がしています。
(文:増當竜也)