北欧からやってきた西部劇『悪党に粛清を』

映画コラム

■「キネマニア共和国」

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デンマークで製作された西部劇『悪党に粛清を』が6月27日より関東地域などで公開され、8月からは全国に上映劇場が拡大されていく模様です。

本場アメリカではなく北欧生まれ、しかもラース・フォン・トリアーらが設立した北欧の斬新な映画運動ともいうべき“ドグマ95”に参加し、2000年の『キング・イズ・アライブ』で注目されたクリスチャン・レヴリング監督作品。主演は『007カジノ・ロワイヤル』のル・シッフルで注目され、TVシリーズ『ハンニバル』で主人公ハンニバルを演じて好評のマッツ・ミケルセンといった、いかにも通好みの作品ではありますが、西部劇に少しでも興味のある方ならば目を見開かせるシーン満載、さほど興味がなくてもシンプルなストーリー展開と研ぎ澄まされた演出の数々によって、エンタテインメントとして実に優れた快作たりえています。

西部劇が衰退していった理由

そもそも西部劇とはアメリカ映画の原点のようなもので、同時に活劇の原点でもあります。また、その中で常に描かれていたのがおおらかなフロンティア・スピリット=開拓精神。しかし、その開拓精神によって白人種が先住民族を駆逐しながら建国したのがアメリカであり、その姿勢は時に好戦的なものとしても映え、特にアメリカがヴェトナム戦争の泥沼にはまっていった1960年代、フロンティア・スピリットに対する懐疑の念が国の内外で反戦運動とともに巻き起こり、それは西部劇の衰退にもつながっていきました。

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同時期、イタリア&スペインで西部劇を作るという不思議な現象が起こり始めていきます。マカロニ・ウエスタン(欧米ではスパゲッティ・ウエスタンと呼びます)。これはアメリカの西部劇に憧れる異国の映画人からのオマージュであり、同時にスペインからアメリカ大陸に移民してきた人々を描く歴史劇という側面も備え、さらにはフランスのヌーヴェルヴァーグ、イギリスの“怒れる若者たち”、日本の“松竹ヌーヴェルヴァーグ”など、世界中に新しい映画の波を起こそうという機運が持ち上がっていた時期、イタリア発の映画運動でもあったと私は思っています。ただし、このマカロニ・ウエスタンが他国の映画運動と異なっていたのは、暴力と流血をエンタテインメントとして徹底して描いていたことで、それはひいては70年代以降のアクション&ホラー映画などに革命的といえるほどの影響を与えることになりました。

やがてアメリカ国内でも、従来のロマンティックなハリウッド・テイストとは一線を画した映画運動“アメリカン・ニュー・シネマ”の波が押し寄せますが、そういった波に西部劇は飲み込まれ、一気に衰退していきました。

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–{往年の西部劇=映画の原点を再確認したくなる衝動}–

21世紀の今、西部劇を作ることの意義

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最近またアメリカでも徐々に西部劇が作られるようになっていますが、やはり往年のおおらかで爽快な味わいは求めようもなく、息もできないような土煙の中、体臭のきつそうなヒゲヅラのガンマンたちによる情け容赦ない撃ち合い=殺戮が行われていきます。それがリアルというものではあるのでしょうが、やはりオールド・ファンからすると最近の西部劇は歴史劇にはなっているものの、フロンティアスピリットが良くも悪くもこめられない分、どうしても西部劇と呼んでしまうのをためらってしまうものがあるのも事実です。

『悪党に粛清を』は、こうした最近の西部劇事情をよくわきまえて製作されている節があります。つまり、この作品は西部劇を愛してやまない者たちが作っていることは一目瞭然なのですが、マニアがはしゃいで作った感は皆無で、むしろフロンティア・スピリットを訴えることの空しさを知る者たちが、では21世紀の今、いかに西部劇を成立させればよいのか腐心しているのが理解できるのです。

レヴリング監督は敬愛する監督として、ジョン・フォード、セルジオ・レオーネ、黒澤明の名を挙げています。ジョン・フォードは本場西部劇の大巨匠ですが、セルジオ・レオーネはマカロニ・ウエスタンの立役者、そして黒澤明が撮った時代劇『用心棒』を翻案したレオーネ監督のマカロニ・ウエスタン『荒野の用心棒』が世界的ヒットになったことで、マカロニ・ブームが到来し、本場西部劇は廃れていった。その映画史的事実を把握しているレヴリング監督は、自分もレオーネと同じ異国の西部劇ファンとして、今はかつてのような西部劇は撮り得ない無念さを認識しながら『悪党に粛清を』を完成させたように私には思われてなりません。

北欧からアメリカに夢を求めてやってきた主人公が、遅れて渡米してきた妻子を悪党に惨殺され、すぐさまその復讐を遂げるものの、今度は悪党の兄から追われる羽目になるストーリー展開は、往年の西部劇の裏テーマでもあった“復讐”の再現ではありますが、当時は復讐が肯定され、エンタメとして観客を喜ばせていました。しかし今、復讐の連鎖がさらなる不幸を招くことを私たちは知っています。その中であえて復讐をモチーフに西部劇を作ろうとするレヴリング監督の腹をくくったキャメラ・アイによって、復讐の空しさと西部劇特有の昂揚感が両立しているのは奇跡に思えるほどで、また過去の名作群に倣ったショットも出てきますが、それ以上に今まで見たことのない決闘シーンの描出にも舌を巻きます。

往年の西部劇=映画の原点を再確認したくなる衝動

私自身は本作を見た後、急に西部劇が見たくなり、ジョン・フォードの『捜索者』やセルジオ・レオーネのマカロニ大作『ウエスタン』などを久々に見直してしまいました。この作品にはそういった力があります。作品そのものの面白さはもとより、ではかつての西部劇はいかなるものだったのかと想いを馳せさせるものがあります。これまで西部劇にあまり興味のなかったかたにも、それは有効だと確信しています。

西部劇は映画の原点などとはよく言いますが、それが間違いではないことを、この作品をきっかけに知っていただけたら幸いです。

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(文:増當竜也)

「悪党に粛清を」
新宿武蔵野館ほか全国公開中
配給:クロックワークス/東北新社  Presented by スターチャンネル
© 2014 Zentropa Entertainments33 ApS, Denmark, Black Creek Films Limited, United Kingdom & Spier Productions (PTY), Limited, South Africa