編集部公式ライターの大場ミミコです。
2015年6月6日公開の映画『トイレのピエタ』、皆さんはもうご覧になりましたか?
すっかりこの映画に魅せられてしまった筆者は、今まで『トイレのピエタ』に関する記事を3つも書かせていただきました。
・感想をシェアして完結する映画…『トイレのピエタ』の感想を松永監督に伝えてみた
・RAD 野田洋次郎がすべて英語で!『トイレのピエタ』記者会見レポート
・読み物としてもアートとしても最高!パンフレット版『トイレのピエタ』の歩き方
これらの記事すべてに登場するのが、死に直面した主人公・宏が、生まれ故郷の森をバックに『威風堂々(エルガー作曲の行進曲)』を鼻歌で奏でるというシーンです。
一粒、また一粒と宏の目から溢れる涙は、命の終焉に絶望した無力の涙のようにも見えますし、有無も言わさず死を言い渡された悔恨の涙のようにも見えますし、神に命乞いする気迫の涙のようにも見えます。
3つの記事すべてに登場させた事からも、このシーンに対する筆者の偏愛ぶりが伺い知れますが、その行き過ぎた愛に心を動かされた人物がいました。
…そう。そのシーンを作った張本人・松永大司監督です。そして何と、例のシーンの誕生秘話や、森へのこだわりについてお話して下さることになりました。
キャー!何なのでしょう、この神展開は!
ということで6月某日、待ち合わせのカフェにいそいそと足を運びました。
–{えっ!例のシーンは元々CGだった?!}–
例のシーンは元々CGだった?!
「いや〜、森のシーンに興味を持っていただけて光栄です。何でも聞いて下さい!」
ニコニコと笑みを湛えながら、大ヒット映画の監督とは思えないほど気さくに握手の手を差し伸べてくださった松永監督。その謙虚なお人柄に感激しつつ、まずは一番気になっていた点を質問させていただきました。
―— 野田さんが森をバックに歌うシーンは、実はクランクアップ時には無かったという噂を聞きましたが、本当でしょうか?
松永監督「いや、シナリオにも最初からありました。あのシーンは物語において大切なシーンですし、脚本を書いてる頃から凄くこだわりを持っていました。なのでずっと、頭の中には『こういう感じの森をバックに宏を撮りたい』というものがありました。でも、撮影が始まっても、イメージに合う場所が見つからなかったんです。」
―— そういう場合はどうなるんですか?
松永監督「撮影日数の都合で森に行く時間が取れないので、プロデューサーと話して『そのシーンはグリーンバック(人物などを緑色の布をバックに撮影し、背景などをCGで合成する技術)で撮ろう』ということになりました。」
―— でも、やっぱりあのシーンは本物の自然じゃないと成り立たないように思えますが…。
松永監督「もちろんそう思います。宏を演じた(野田)洋次郎も『このシーンは特別だから、何とか森をバックに歌いたい』と言っていました。なので、撮影中も制作部の人にイメージ通りのロケ地を探し続けていただいたんですが、最終日になっても良い場所が見つかりませんでした。」
―— 結局、自然の中で撮影出来たんですか?
松永監督「ええ。色々ありましたが、撮影が全部終わった日に僕と助監督の1人と一緒に寝ないでロケハン行き、イメージ通りの場所を見つけてきました。」
―— まさに執念ですね(笑)。
松永監督「すごく思い入れのある場面だったから、自分で見つけに行っちゃいました。洋次郎も『自分は役者じゃないから、無機質なグリーンバックでは宏になり切れない。本物の自然があってこそ、自分は宏になれるんだ』って、プロデューサーに直接言ってくれたんですよ。それも、理想のロケーションを探す原動力になりました。」
―— 自然の中で撮影出来て、本当に良かったですね。
松永監督「ですね〜。僕にとってめちゃくちゃ大事なシーンだったし、映画のキモになる部分でもあったから、本当に良かったです。」
–{映画そのものが意志を持ったように感じたんです}–
生まれるべくして生まれた映画
―— そう考えると、全てが最高のタイミングで最善に起こったというか、この世に生まれるべくして生まれた映画のように思えますね。
松永監督「そうなんです。森のシーンはもちろん、この作品に着手してから『映画自身が意志を持ってるんじゃないか?』と思う瞬間が何度もありました。もちろん、映画を撮りたいと思って始めたのは僕なんですけど、そこに色んな方との関わりがあって、その方々の想いが乗っかった時に、映画そのものが意志を持ったように感じたんです。映画自体が最終的な目的地を知ってるみたいな。」
―— この作品に登場するピエタは、ミケランジェロが彫った『サン・ピエトロのピエタ』ですよね。ミケランジェロと言えば「作品とは、元々石の中に内包されているもので、彫刻家はそれを取り出すだけの媒介だ」という名言が有名ですが、映画『トイレのピエタ』も、生まれるべくして生まれた作品のように思えました。
松永監督「僕もそういう感覚はありました。自分の頭で考えて、自分の手でノミを振るってるんだけど、いくら『こうしよう』『このスケジュールで行こう』と決めても、思ったように進まない。映画自体が力を持っている感じがしました。」
―— なるほど。『トイレのピエタ』は、それほどの強さを持った内包物なのですね。
松永監督「映画の持つ引力に吸い寄せられるように、色んな人が最善のタイミングで集まってきました。そんな方々の想いの強さが、映画の具現化をさらに後押しするパワーになったんじゃないかと思っています。」
―— あのシーンでは、野田洋次郎さんの演技も神がかっていましたよね。頬を涙がツーって伝って、ポタっと落ちるんです。宏の心境を寸分違わず表現した、天文学的な涙のピッチに魂が震えました。
松永監督「僕も大好きなんですよ、あの洋次郎というか宏がね。ロケハンも含めて、本当に色んな思いやエピソードが詰まったシーンということもあり、作品の中でも一つのピークだと思います。」
–{親子の壁が崩壊する時}–
親子の壁が崩壊する時
―— あとですね、個人的に好きなシーンがもう1つあるんです。宏が療養のために実家に帰ってからは、涙腺が崩壊しっぱなしだったのですが…。
松永監督「宏が子供の頃の絵が飾ってあって、賞状が飾って、みたいな」
―— そうそう!もう自分と被りまくりで(笑)。最初の方のやりとりで、宏とご両親の間には壁があるように感じたんです。でも、実家には息子を案ずる気持ちや愛おしさが溢れていたんですよね。極めつけは、お父さんが宏の絵を買うシーンですよ!
松永監督「ああ、あそこね〜!」
―— 宏の余命を知ってこそかも知れませんが、親元を離れて都会に出てきた人間には、たまらない破壊力があると思うんです。もう、思い出しただけで涙ぐんじゃうんですけど、そういった過去が監督にもあるんじゃないかと思いました。
松永監督「『トイレのピエタ』という作品は、僕の投影ですからね。“宏の父親=僕の父親”という側面もあります。僕が映画を撮り始めた時、それを知った父から『そんな絵空事』とか『一攫千金狙い』などと言われました。でも一攫千金を狙うなら、映画なんてわざわざ撮らないです…。」
―— 確かに。もっと儲かる仕事は他にありますから(笑)。
松永監督「でも、そんな父が、僕のデビュー作品であるドキュメンタリー映画『ピュ~ぴる』が公開された時、必死に宣伝してくれたんですよ。本当に。」
―— なんだかんだ言っても、お父様は我が子を応援してくれてたんですね。
松永監督「そうなんです。僕が載ったメディアの記事を取っておいてくれたりとか、そういうのを見ちゃって…。」
―— そうそう、大好きなシーンの話に戻りますが、岩松了さんが演じる宏の父親が、宏の絵を買うところ…あれ、すごいシーンですよね!壁を感じていた父親が、1人の人間として、自分の絵をお金を払って買うという…。
松永監督「不器用な親父さんが、どうやって死期の迫った愛する息子に接するかなあ、と。」
―— ポケットからクシャっとお札を取り出して「絵、売ってくれないか」って照れくさそうに言った岩松了さんのあの感じは、まさに“不器用な親父”でしたね。
松永監督「あれが、宏のお父さんの精一杯の言葉というか、努力なんだと思います。そういう姿に心を動かされる宏を描きたかった。本当の気持ちって、自分も他人もなかなか解らないものだと思うんです。でも、取り返しがつかないトコまで来ちゃった時、人間ってそういうことに気付いたりするんですよね。もっと早く気付けば良かった、行動しとけば良かったって。」
―— 頭でいくら想像しても、いざその境地に立ってみないと解らないものですね。
松永監督「良く『死ぬ気になれば…』って言うけど、本当に死ぬって言われないと死ぬ気になれないですよね。『後悔先に立たず』とは良く言ったもので、そういう事をあのシーンでは描きたかったんです。」
―— 息子がこの世を去ると理解したからこそ、自然と湧いて出た言動ということですね。
松永監督「そうそう。そこで初めて、宏は『父はいつも自分を想ってくれた』という感じる。そして『俺は何も分かっていなかった。分かろうともしていなかった』という自己嫌悪や恥ずかしさが湧いてきます。だけど宏は『別に大したこと無い』って平静を装うんですが、やっぱり自分には嘘をつき切れない。そんなやり切れない気持ちを『威風堂々』を鼻歌で奏でながら涙を流すことで表現しました。」
–{手放すこと、受け入れること、向き合うこと}–
手放すこと、受け入れること、向き合うこと
―— 主人公の宏は絵を、松永監督は映画を、野田さんは楽曲を作られています。3人とも無からモノを生み出す表現者ですし、全員男性でもあります。ということで、ご両親との関係や創作への思いや不安、人生観などは、きっと同じようなものが流れているんじゃないかと思うのですが…。
松永監督「そうかもしれないですね」
―— 同じような母数を持った3人が集まり、それぞれが持つ全てのものがワッと出て、それがカチッと嵌まり、狙いを超えた想定外の化学変化を起こした…。あのシーンはそんな瞬間だったように思うんです。
松永監督「後戻りできないところまで来ちゃってますからね、宏は。死ぬ事が解ってるから悔しいし、苦しいんです。」
―— 人間の意志では抗えない運命を前に降参した…みたいな?
松永監督「降参というより、運命を受け入れたという感じかな。今の状況を受け入れたってことは、宏の成長でもある。それまではダメだった自分と向き合わずに、そっぽ向いてましたからね、宏は。」
―— その通りですね。体重計に乗りたくないのは、太ったという事実を見たくないからですものね。いざ体重の数値を見てしまったら、受け入れるしかないですものね。
松永監督「受け入れてしまうと、自分の弱さも全部分かってしまいますから。」
大切な人を失って得た感覚
―— 個人的な話なのですが、昨年母が亡くなったんです。母はある瞬間から自分の死期を察したようでした。その頃の母は、そこそこ会話もできていたし、虫の息ってわけでもなかったんです。でも彼女は「あと僅かだ」って確信したんでしょうね。『ありがとう』なんて言わない人だったんですが、突然感謝を伝え始め、その数日後に息を引き取りました。
松永監督「そうだったんですか…だから森のシーンが特別に感じたのですかね。」
―— 変な話、人間には死期を察する力があるように感じます。母と私が最後に会ったのは病院のロビーだったのですが、不思議な事に「これが最後」とお互いに解りました。じゃあねと明るく別れましたが、こっそり立ち戻って母の姿を今一度目に焼き付け、ひとり隠れて泣きました。
松永監督「そういう(察する)能力を、人間は潜在的に持ってると僕も思っています。」
―— 宏と母がシンクロしちゃって…。だから、宏が実家に帰ってから『威風堂々』を歌うまでのシーンに、めちゃめちゃ魅せられてしまったんですよね。
松永監督「分かります。映画って、その人の経験によって、その人の感じ方になるのが面白い。最愛の人との別れを経験をした人だからこそ解ることや、ものすごい後悔をしたことがある人だからこそ解ることってあると思うんです。自分でもあのシーンは、誰かの心を強く揺さぶるシーンの1つだと思います。」
(次回『真衣(杉咲花さん)編』に続く)
…いかがでしたか? 森のシーンへの思い入れや撮影秘話はもちろん、お互いの親子話まで飛び出すほど濃厚で楽しい時間を過ごすことが出来ました。松永監督の誠実で親しみやすいお人柄と、ウィットに富んだ会話の様子が伝わったら嬉しいです。
後編は、杉咲花さん演じるもう一人の主人公・真衣のフェイバリットシーンや書き下ろし小説について伺ったお話をまとめました。宏編に引き続き、ぜひぜひご期待下さいね!!
(取材・文・イラスト/大場ミミコ)
(C) 2015「トイレのピエタ」製作委員会
関連リンク
野田「それだけで救いになる…」映画『トイレのピエタ』仙台舞台挨拶
「人魚になりたかった」、「この身体すべてを燃やし尽くしたい」トイレのピエタ完成初日舞台挨拶書き起こし!
松永監督“杉咲花の一番いい瞬間を撮れた”『トイレのピエタ』公開前夜祭トークショー
読み物としてもアートとしても最高!パンフレット版『トイレのピエタ』の歩き方
RADWIMPS 野田洋次郎がすべて英語で!『トイレのピエタ』日本外国特派員協会での記者会見レポート
「感想をシェアして完結する映画」…笑って泣ける感動作『トイレのピエタ』を観た感想を松永監督に伝えてみた