2023年6月9日より実写映画『リトル・マーメイド』が公開されている。結論から申し上げれば、映画本編は素晴らしい出来栄えであり、後述する配役の論争の「答え」を出していたとも言える内容になっていた。その理由を解説していこう。
アリエルの人種にまつわる論争
実写映画『リトル・マーメイド』が公開前から批判を浴びた理由は、1989年公開のアニメ映画版で白人系の見た目であった主人公のアリエルを、アフリカ系アメリカ人のハリー・ベイリーが演じていたこと。キャスティングの発表時から批判的な声が多く上がり、続いて予告編が公開された時も大きな論争を呼んでいた。
批判的な声の中には「実写リメイクではなくオリジナル作品での配役だったら良かったのに」など納得はできるものはある。実写映画『シンデレラ』や『美女と野獣』や『アラジン』では、アニメ版と見た目も人種も一致していたのに、なぜ『リトル・マーメイド』では変えてしまったのかと思う方もいるだろう。
筆者個人としても、例えば『ムーラン』や『ポカホンタス』など、演じる役の人種がはっきりとしている作品の実写化で、それ以外の人種のキャスティングをすることは筋違いになると思う。だが、『リトル・マーメイド』はカリブ海の音楽を奏でている人魚たちの物語であり、近くの陸地に住む人間たちのように多様な人種の人魚がそこにいると仮定すれば、アフリカ系の俳優がアリエルを演じても良いのではないか、と思える根拠はあるのだ。
何より、ロブ・マーシャル監督は「私たちは単にこの役にベストな人材を探していただけで、そこに意図は全くない」「“誰よりも美しい歌声”を持つ人魚姫を体現できるのは、最後までハリー・ベイリーまでしかいなかった」などとも答えている。多様な人種を対象にオーディションを行っていたのは事実ではあるが、白人系に思えたキャラにあえてアフリカ系の俳優を選ぶといった“逆張り”ではなく、「ただただ、ハリー・ベイリーが素晴らしかった」からこそのキャスティングであることを、まずは知ってほしいのだ。
ハリー・ベイリー本人はもちろん、衣装や美術の力も大きい
そして、本編におけるハリー・ベイリーは、完璧としか言いようがない。伸びやかで力強く美しい歌声、父親から抑圧される哀しさをこれ以上なく示した演技力、人間の世界に渡ってからのひとつひとつの文化に目を輝かせる愛らしさなど、あらゆる場面でハリー・ベイリーがこの役に選ばれた理由がわかったのだから。
ハリー・ベイリーは、アニメ映画版のアリエルの魅力を確かに受け継ぎつつ、実写映画ならではの新たなアリエル像を打ち出している、という言い方もできるだろう。そう思えた理由は、ハリー・ベイリー本人の表現力はもちろん、人魚の時の美しい姿、陸にあがり人間になった時の衣装など、彼女を魅力的に見せる美術や衣装やVFXなどのスタッフの尽力も大きい。
同様に、Disney+(ディズニープラス)にて配信中の実写映画『ピーター・パン&ウェンディ』でティンカー・ベル役にアフリカ、イラン、インディアンのルーツを持つ俳優ヤラ・シャヒディを配役したことに批判的な声もあったが、こちらも本人の表現力および、衣装や髪型の再現のおかげもあって、しっかり好きになれるティンカー・ベルになっていた。キャスト本人だけでなくスタッフたちの総力があってこその「納得させる力がある」ことも、近年のディズニー実写映画の「らしさ」だろう。
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なお、この実写映画『リトル・マーメイド』は最低点を数の力で投稿し続けるレビューサイトへの“荒らし”も発生してしまっている。米批評サービスのIMDbやRotten Tomatoesでは荒らしへの対策ができていたため正当な高スコアとなっているが、それ以外の各国の多くのレビューサイトやサービスの評価が不当なものになっているのは、あまりに悲しい。ハリー・ベイリーに批判的だった人が、本編を観て彼女を受け入れられるかどうかは、百聞は一見にしかず。実際に観てみるしかないだろう。
–{実写化、そしてリメイクの意義}–
実写になったことによる美麗な世界の表現
実写映画ならではの、美しく色鮮やかな海の中の光景も掛け値なしに素晴らしい。現実的にはもう少し暗かったり無機質にも思えてしまいそうなところを、カラフルで煌びやかな海の世界へと作り変えるかのようなセンス・オブ・ワンダーから思い出したのは、宇宙での戦いをポップな画で魅せた『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズだった。
その世界最高峰のスタッフが作り込んだ美しい映像と共に、『リトル・マーメイド』の代表的な楽曲「アンダー・ザ・シー」が歌われれば、もうたまらない。本当の海の中に近い光景なのに、現実ではあり得ないことなのに、こんなにも楽しいミュージカルが観られるということそのものに「幸せ!」にならざるを得ないのだ。
そのように明るく楽しく美しい海の光景の一方、「怖い」表現にも妥協がない。序盤も序盤からハラハドキドキのスピーディーなアクションシーンが展開し、さらには悪役であるアースラの住処は暗く恐ろしく、その中で紫のネオンが輝くような毒々しさに満ちていた。ゾッとするほどの狂気を感じさせる、しかし楽しそうに悪役を演じているメリッサ・マッカーシーの表現力も文句のつけようがなかった。
対して、VFXが多分に使われているからこそのファンタジックな海の光景に対し、実際に「もの」を映してこその、陸に上がった時の人間の世界のビジュアルもまた作り込まれている。アリエルが人間の市場に訪れる場面は特に素晴らしく、多様な文化がそこに「ある」ことが、後述する多様性のメッセージにつながっていたことにも大きな感動があった。
現代(今)だからこその多様性を示したリメイク
この実写映画『リトル・マーメイド』はコロナ禍を経て、ロシアのウクライナ侵攻が未だ続く今、語り直す意義もとても大きい。なぜなら、現実にもある「異なる文化の分断の哀しさ」を描いてこその、「多様性の素晴らしさ」も高らかに謳われているのだから。
例えば、劇中では海の世界では陸の人間が危険だ、陸では海の人魚が危険だという風説が当たり前になっており、それぞれの保守的な為政者はその認識を変えようともしない。さらに、今回の実写映画では自由を求めるエリック王子の描写が強化されており、アリエルが父親に抑圧されていたように、彼もまた旧世代の画一的な価値観にがんじがらめになっていることがわかる。
そのように、親から子への価値観の押し付け、違う文化への排他的な慣習は、どうすれば変えられるのか? 本作は大げさではなく、世界平和にもつながるその疑問への答えを、まさに「みんなちがって、それでいい」という、てらいのない多様性の肯定をもって提示してみせる。『プリンセスと魔法のキス』や『ズートピア』など多様性を作品内で訴え続けた昨今のディズニー映画が、まさに多様性が尊ばれる今に相応しく、それでいて押し付けがましくなく、かつストレートな「ここ」に行き着いたことにも、清々しさと感動があったのだ。
ともすれば、本作における配役の論争へも、本編の多様性のメッセージをもって回答しているとも取れる。「アリエル役にアフリカ系の俳優をキャスティングしたことを不満に思う人はいるかもしれない」「だけど、どんな人にも、自分に合った可能性や未来はある、なりたい自分になれるし、それを追い続けることは間違ってはいない」というメッセージを、ハリー・ベイリーが演じた魅力的なアリエルと、そして多様性を真正面から訴えた物語及びビジュアルから、全力投球でぶつけられたように思えたのだから。
だからこそ、論争や批判意見に不安を覚えていた方にこそ、この実写映画版『リトル・マーメイド』を観てほしいと、心から願う。事前のネガティブな印象を覆す何かは、絶対にあると断言しよう。
(文:ヒナタカ)
–{『リトル・マーメイド』作品情報}–
『リトル・マーメイド』作品情報
【あらすじ】
海の王国を司るトリトン王(ハビエル・バルデム)の末娘であり、世界で最も美しい声を持つアリエル(ハリー・ベイリー)は、好奇心に溢れ、まだ見ぬ人間の世界に憧れていた。そんなある日、嵐に巻き込まれ溺れかけていた人間のエリック王子(ジョナ・ハウアー=キング)を救うため、陸へ上がったアリエル。長らく憧れを抱いていた世界に足を踏み入れることとなった彼女は、その世界への思いを抑えきれなくなり、海の魔女アースラ(メリッサ・マッカーシー)からの提案で、ある取引を交わす。それは、3日間だけ人間の姿になれる代わりに、持ち前の美しい声をアースラに差し出すというものだった……。
【基本情報】
出演:ハリー・ベイリー/ジョナ・ハウアー=キング/メリッサ・マッカーシー/ハビエル・バルデム/ジェイコブ・トレンブレイ/オークワフィナ/ダヴィード・ディグス ほか
日本語吹き替え:豊原江理佳/木村昴/海宝直人/野地祐翔/浦嶋りんこ/高乃麗/大塚明夫/王林/ますみ(天才ピアニスト) ほか
監督:ロブ・マーシャル
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
ジャンル:ファンタジー/ミュージカル
製作国:アメリカ