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二宮正明による同名コミックを原作としたドラマ『ガンニバル』がDisney+(ディズニープラス)で配信されている。2023年2月1日に最終話となる、第7話が配信された。
結論から申し上げれば、本作は面白い!面白すぎる!日本のドラマで「ここまで」のもの、世界に誇れるエンターテインメントが作られたことそのものに感動がある、素晴らしい作品だった。
ここでは、ネタバレなしで本作の見どころと魅力を記していこう。具体的なサプライズを避けつつも、大まかな印象は記しているという塩梅なので、完全に予備知識ゼロで観たい方は、先に本編をご覧になってほしい。
ホラーというよりもエンタメ特化のサスペンスドラマ
この『ガンニバル』でまず主張したいのは、直接的なグロさやエグさだけが取り上げられるような内容ではない、ということだ。印象としてはホラーというよりも、エンタメ特化のサスペンスドラマと言ったほうがいい。
あらすじを一行で表現するのであれば、「山間の村にやってきた警察官が、“村人が人を喰っている”という噂の真相を突き止めようと奔走する」というもの。村を舞台にした「探偵もの」の要素はドラマ『トリック』シリーズも連想させた。
その上で、主人公・阿川大悟は妻子持ちで、常識人かつ正義感も強い人物で、親しみやすい人物だ(しかし、後述するがそれだけではない危うさもある)。「家族を第一に考える」行動原理や「とある過去」の葛藤は感情移入しやすいものであるし、大悟がじわじわと村の秘密に迫っていく様はグイグイと興味を引く。ギリギリで危機を回避したり、はたまた絶体絶命のピンチに陥る様も含め、それら全てにハラハラドキドキする。
もちろん、カニバリズムを題材としている時点である程度は拒否反応を覚える人もいるだろうし、流血シーンやショッキングな表現、意図的に不快感を煽る演出もあるにはある。だが、目を背けてしまいそうなほどのグロはそれほど直接的には描かれない。性的な場面も1シーンだけある程度で、それもそれほど過激ではない。それよりも「次にどうなるんだ!?」という興味の方に目が向くため、多くの人は悪い意味での嫌悪感はそれほど持たずに観られるバランスになっているのではないか。
特に、第2話ラストの衝撃と、第3話クライマックスのアクションがとんでもない。どういうことが起こるかはネタバレになるので避けるが、この2つを観れば、誰もがこのドラマの虜になるのではないか。
ともかく、「エグそう」「グロそう」「怖そう」という理由だけでこの『ガンニバル』を観ないというのはあまりにもったいない、ということだけは断言する。観る前に過剰に露悪的な印象を持ってしまうのは致し方ないが、まずは何より「面白さ」に期待してほしいのだ。
良い意味で最悪な形で描かれる「オラこんな村イヤだ」
本作の面白さ……というよりも良い意味でイヤ〜な気分にさせてくれるのは、「村社会」の恐ろしさがこれでもかと描かれていること。「よそ者を受け入れるようで実は排他的」や「プライバシーは筒抜け」や「代々続く権力のある家系がある」といった、「オラこんな村イヤだ」を良い意味で最悪の形で抽出してくれるのだ。
「よそ者を受け入れるようで実は排他的」という要素は、「初めはけっこう気さくに受け入れられる(ように見える)」からこそ、その後の「この人たち、どこかおかしい」というギャップがより恐ろしく思えるようになっている。特に第1話の「クマに喰われたと思しき死体を見つけた後の対応」「招かれた飲み会での言動」に、心底ゾッとしてしまう方は多いだろう。
「プライバシーは筒抜け」というのも、その第1話の飲み会の時点から十二分に描かれていて、第4話でさらに「もう誰も信用できない」段階へとレベルアップする。それは「田舎の人間関係は信頼で成り立っているから」という建前の元で正当化される、他者からの必要以上の干渉、気味の悪い連帯感、いや同調圧力そのもの。デフォルメはされているとはいえ、「思い当たるところがある」人もきっといるだろう。
さらに、「代々続く権力のある家系がある」というのは、この『ガンニバル』では「その家系に他の村人は従うしかない」「人を喰っている噂も黙殺されてしまう」という最悪な事象をもって描かれる。つまり、主人公は閉鎖的な村社会で孤軍奮闘するしかない、四面楚歌な状況に置かれている。そんな彼と、同じ価値観を共有している村人たちの心理戦や物理的な攻防戦はサスペンスフルで、やはり「面白い」のだ。
–{柳楽優弥の正義感と暴力性が同居する役へのハマりぶり}–
柳楽優弥の正義感と暴力性が同居する役へのハマりぶり
本作の最大の魅力と言えるのは、主演を務めた柳楽優弥。主人公に彼をキャスティングしたことでもう「勝ち」とも言えるし、期待に最大限に応えた素晴らしい演技と存在感であり、もはや過去最高の柳楽優弥だと断言できるほどだった。
何しろ、主人公は初めこそ正義感と家族への愛情に溢れ、人付き合いもきちんとしているまともな人間……に思えるのだが、一方で時おり制御不能の暴力性を見せる場面もある。
村人たちへの言動も、警察官として真っ当な対応または正当防衛に思える時もあれば、「流石にやりすぎ」と言わざるを得ない箇所もあるし、後に明かされる「とある過去」でもやはり彼の暴力性があってこその悲劇が描かれている。
柳楽優弥は、その太い眉毛、鋭い眼差しが特徴的な方で、正直に申し上げれば「威圧感」「怖さ」を感じるところもある。もちろんその印象とギャップのある善良な役を演じる時もあるが、時には『ディストラクション・ベイビーズ』でいっさいの感情移入を阻むほどに暴力に取り憑かれた役に徹したこともあった。
そんな柳楽優弥が、この『ガンニバル』では、「人としてまっとうな正義感」と、「行き過ぎた暴力性」の間で揺れる役に扮しているというわけだ。観ている側からすれば、「そうだ!やってやれ!」と心から応援できる場面もある一方、「ちょっ……この人やりすぎだし、大丈夫か……?」と不安になってしまうシーンもある。その相対する印象を主人公に持つことも重要で、だからこそのハラハラドキドキもあったのだ。
なお、原作漫画を後追いで読んでみると、そちらの主人公は「ちょっと斜めに構えた、ひょうひょうとしているところもある、やさぐれた中年男性」という感じで、ドラマ版とは少し印象が違う。もちろんどちらの主人公も魅力的であるし、正義感や家族への愛情は共通しているのだが、ドラマ版で柳楽優弥が演じたことにより、おぞましい噂に挑む主人公の物語が、さらに多層的になっている印象もあった。漫画とドラマ版の主人公を見比べても、面白いだろう。
また、柳楽優弥以外のキャスティングも完璧という他ない。主人公を支えるも気の強さがある妻を演じた吉岡里帆、村を喰らう家系の1人で疑いのある青年役の笠松将、 見るからに優しそうで安心してしまう中村梅雀、はたまた高杉真宙や倍賞美津子も凄まじいインパクトを残してくれる。それぞれの俳優のファンにとっても必見作だ。
原作からのアレンジの見事さ
『ガンニバル』は漫画からドラマへのコンバートの仕方も、これ以上はないというほどに的確だった。筆者は後述する理由で、原作漫画を5巻までしか読んでいなくて申し訳ないのだが、それでも基本的には漫画を忠実に再現しながらも、ドラマ独自の細部のアレンジが非常に「効いていた」ことがよくわかった。
例えば、漫画版では「この村にもう慣れましたか?」と聞かれ「とってもいいところです」と答える場面が冒頭にあり、主人公は新参者であっても「少し慣れた」描写がされている。反面、ドラマ版では家族と共に村に越してきた場面、それこそ「初めはけっこう気さくに受け入れられる(ように見える)」ことから始まるからこそ、その後で「この人たち、どこかおかしい」と思えるギャップがよりダイレクトに感じられるようになっている。
それ以外は、後から漫画を読んでみると、なるほど大部分は忠実に再現している……と思いきや、度肝を抜かれた第3話クライマックスのアクションが、漫画では違う展開だったことに驚いた。ここはアクションそのものが、規模もカメラワークも見せ方も何から何まで、日本のドラマで「ここまで」できたことに感動があったのだが、漫画以上のインパクトを作り出していたことも賞賛するしかない。
そして、その第3話でここまでの事態が起こってしまうと、「それでも主人公が村に残り捜査を続けていく」説得力がなくなってしまいそうなところだが、これにもドラマ版は上手く理由づけをしているし、第4話はそこに主眼を置いた内容と言っても過言ではなかった。
そして、第6話で主人公が家族にあることを告げるまでの過程は、ドラマ版と漫画(第4巻)で大きく異なっている。ここは、前述してきた正義感と暴力性の間で揺れる、柳楽優弥が演じてこその主人公の「らしさ」も存分にある、見事なアレンジだった。
なお、このドラマ『ガンニバル』は、『岬の兄妹』や『さがす』の片山慎三監督(第4~6話は川井隼人監督が担当)と、『ドライブ・マイ・カー』で共同脚本を務めた大江崇允が送り出している。その時点で映画ファンにとっても見逃せないだろうし、その実力派タッグが組んでこその見事な原作の再現&アレンジ、何より作品としてのパワーが生まれたのも間違いない。
※これより最終話・第7話の筆者の視聴後の感想を記しています。具体的な展開のネタバレはありませんが、ご注意ください。
–{最終話・第7話を観終えて……}–
最終話・第7話を観終えて……
そして、配信されたばかりの最終話・第7話……そのボリュームはなんと過去最長の1時間9分……!そして観終えた印象は……うわぁぁああああああ!やっぱり超面白い!でも、ここで終わるのかよ!いや、ていうか、何も終わってないよ!
いや、でも内容は素晴らしい。創作物というものは、常に登場人物は知り得ないことを知ることができる、いわば「神」のような視点で物語を追えるのだが、そのことが見事なミスリーディングに生かされていた(これは原作とは違う)。
原作通りのとあるサプライズには、正直「その人には、もっと早くそのことを教えてやれよ!」とツッコミたくもなったが、ものすごくワクワクする展開だった。これまでの伏線が生かされ、さらなる「とある過去」が明らかになり、登場人物たちのパワーバランスがまたも急変していく様にもゾクゾクさせられた。
いや本当に面白い!面白いんだけど、終わるのか…!?いや、これは終わらないぞ!終わらないでしょ!お、お、終わる?わけないよね!ああ!さらにそんなことに!(エンドロールをスキップして)お、終わったー!いや、違うよ!終わってないよ!断じて終わってないよ!……となったのである。
ただ、この『ガンニバル』における大きな文句を挙げるとすれば、第7話が最終話と銘打っていたにもかかわらず終わらなかったこと、第2シーズンがいつ始まるかが現時点で発表されていないことだ。確かに、第6話の時点でSNSでは「これはあと1話では終わらないな」「第2シーズンがあるな」とささやかれてはいたが、ここで完結を望んでいた人からは、やはり少なからず落胆の声もあるというのが現状だ。
いや、もしかすると、第7話が最終話と銘打っている、公式からそれ以上の発表がないことを踏まえると、本当にこれが最終話なのかもしれない。そ、そんな……これはしんどいよ!良くも悪くも!
筆者はドラマを最終話まで観終えた後、原作漫画を5巻まで読み、おおむねそこまでの物語がドラマでも描かれたことも見届けた。しかし、6巻以降は申し訳ないが、漫画で先に読みたくない。
なぜなら、これほどまでに見事な映像化を成し遂げた、ドラマ『ガンニバル』でこそ、この物語の完結を最初に見届けたいからだ。第2シーズンを、本気で心待ちにしている。
(文:ヒナタカ)