2022年4月11日より放映スタートしたNHK朝ドラ「ちむどんどん」。
沖縄の本土復帰50年に合わせて放映される本作は、復帰前の沖縄を舞台に、沖縄料理に夢をかける主人公と支え合う兄妹たちの絆を描くストーリー。「やんばる地域」で生まれ育ち、ふるさとの「食」に自分らしい生き方を見出していくヒロイン・比嘉暢子を黒島結菜が演じる。
cinemas PLUSでは毎話公式ライターが感想を記しているが、本記事では暢子が引き続き東京で奮闘する51回~75回の記事を集約。1記事で感想を読むことができる。
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- もくじ
- 第51回:暢子、シェフ代行に選ばれる
- 第52回:労働者諸君!
- 第53回:ニーニーがやって来た
- 第54回:暢子のいいところは……
- 第55回:謝罪、お礼、自己批判
- 第56回:「未来って、日本の? それとも沖縄の?」
- 第57回:このままでいいのかいけないのか
- 第58回:「僕はこのまま結婚していいのかな」
- 第59回はいろんなことが起こりました
- 第60回:古酒が暢子の恋を目覚めさせる
- 第61回:愛の気持ちを尊重するという和彦のずるさ
- 第62回:いろいろトラブルがあって
- 第63回のレビュー
- 第64回:「もうこんな時間だから」って何時なんだ
- 第65回レビュー
- 第66回:人を好きになる気持ちは誰にも止められない
- 第67回:暢子は自分の店を持つことを考えはじめる
- 第68回レビュー
- 第69回:決勝は智対ニーニー
- 第70回:劇伴のチョイスが謎
- 第71回:「いまは人生のエアポケットなわけ」
- 第72回:和彦、記者歴何年めなんだ?
- 第73回:それぞれの戦争の時代にさかのぼってゆく
- 第74回:ウークイの送り火の粉が空に舞う
- 第75回:僕はこの手を絶対に離したくない
- 「ちむどんどん」作品情報
もくじ
第51回:暢子、シェフ代行に選ばれる
第11週「ポークとたまごと男と女」(演出:田中陽児)は暢子(黒島結菜)が東京に来て6年。比嘉家のそれぞれの現在地が描かれます。このドラマ、週ごとに1年ずつ過ぎていく感じなのでしょうか。
紆余曲折のすえ、二ツ橋(高嶋政伸/たかはしごだか)はシェフに戻り何事もなくフォンターナの日々が過ぎているようでしたが、あるとき、二ツ橋が入院してシェフ代行を立てなくてはならなくなりました。
矢作は自分が選ばれると思っていましたが、選ばれたのは暢子。ここのところ、矢作にはいいところがありません。第51回でも、テンパって、仲間の足を引っ張るようなことをしても、反省の色がありませんでした。
思えば最初からとくにいいところがあったことがないような気がします。常に暢子を軽視し先輩風を吹かせていました。ただ、暢子の作った料理はつねに「うまい」と感嘆していて、美味しいものには正直であることがわかります。
ただ、暢子もさほど優秀には見えないのです。シェフ不在で矢作や暢子たちだけで頑張っている場面で、
矢作が焦ってミスして暢子が機転を効かせてフォローするみたいな流れがあったら彼女が選ばれることに
なっとくもするのですが……。
暢子は邪気はなく料理の腕がいいから選ばれるのでしょうけれど。
暢子がシェフ代行に選ばれたら、矢作はちょっとむっとしながら、作った料理は「うまい」と言い続けるのでしょうか。
長女・良子(川口春奈)はまた深刻な顔で離婚届を見ています。あんなに大騒動して結婚したにもかかわらず、なんだかずっと悩んでいるみたいで、恋愛と結婚は別物だなあと思わされます。
三女・歌子(上白石萌歌)は家事手伝いをしています。
母・優子(仲間由紀恵)は善一(山路和弘)と新展開の予感……。いままで苦労ばかりしてきたから優子にも第二の人生があってもいいですよね。
娘は離婚、母は再婚だったりして……。
長男・賢秀(竜星涼)は養豚所で働きながら、パチンコや競馬に明け暮れ、いつかビッグ・ビジネスをはじめると相変わらず、根拠なき自信に満ちあふれています。
ただ、養豚所の娘・清恵(佐津川愛美)とは喧嘩するほど仲がいい感じです。これまで彼を叱りつける人はいませんでしたが彼女だけがはっきり言うので、賢秀には必要な存在といえるでしょう。
暢子に何年も片思いし続けている忍耐力のあるというか気が長いというかな智(前田公輝)は独立して自分の店をもったら結婚して子供を5人作ると随分しっかりしたライフプランを立てています。が、肝心の暢子がまったくそういう意識がありません。
ここで気になるのは、今頃、智の暢子への気持ちに気づいた和彦(宮沢氷魚)の驚き。この反応は単なる
知らなかった驚きか、それとも……。
和彦のなかでは智や暢子との関係がやんばるの子供時代で止まっているような気がします。自分は大人になって恋人もいるけれど、暢子や智といると恋愛とか結婚とか考えられないのではないでしょうか。でも、子供の時代はとっくに終わって、暢子も智も大人です。
屈託ない子供時代が終わったことをはっきり悟るときが来るのでしょう。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第52回のレビュー}–
第52回:労働者諸君!
暢子(黒島結菜)が土日の2日のみシェフ代行に選ばれはりきるも、同僚たちからは矢作(井之脇海)のみならず、全員、身内びいきと否定的に捉えられてしまいます。
孤立する暢子をカメラがどんどん引いていくことで表現。これはよくある手法ですがうまく使っていますね。
暢子、さてどうする? と思ったところーー話は一旦、沖縄の良子(川口春奈)のターンへ。良いか悪いかは別として斬新な構成だなと感じます。暢子がどうなるか早く続きが見たいのに、違う人の話しがはじまってしまうのですから……。流行りの早送りを無意識にやってしまった?と思うほどであります。
その良子ですが、博夫(山田裕貴)が迎えに来て、うちは封建的な家で長男でと同じことを繰り返し、でも腹をくくって説得すると言いますが、良子は信用していません。
「理想主義者って案外芯が弱いんだよね」(良子)
あー、これは確かにそのとおりかもしれません。この当時、社会運動をやっていた人は単に流行に乗っていただけで、時代が変わったらすっかり思想も変わってしまっている人はたくさんいます。
理想とはそれを真実にすることに意義があるものですが、声高に語るだけのものになってしまいがち。
これを「ちむどんどん」に結びつけて考えると、比嘉家は理想(自分のほんとうにやりたいこと)を実現することを模索しています。
目下、暢子だけはお父さんにもそのままでいいと言われているので、思い通りに生きていますが、良子や歌子はそれができずに迷っています。良子の場合、夫・博夫が壁になっています。賢秀(竜星涼)も自分の好きにやっていますがうまくはいっていません。ただ、意に沿わないことはやってないので、あとはそれがうまくいくだけです。
自分の理想を貫けるか問題は和彦(宮沢氷魚)にも及びます。
暢子がシェフ代行をやっている店に和彦が愛(飯豊まりえ)と田良島(山中崇)と編集局長・笹森哲也(阪田マサノブ)の4人で訪れますが、編集局長と揉めてしまいます。新聞広告が批判されたので、それに対する意見の記事を書こうとして叱られるのです。
「議論することを止めたら新聞は」(和彦)
「俺はサラリーマンである前にひとりの人間だ」(和彦)
和彦は若き日の博夫的な理想を語ります。和彦は博夫とは違う、言うだけではなく行動が伴うでしょうか。暢子のターンに良子のターンがさし挟まった構成の意味は、博夫と和彦の対比のためでしょう。
問題になった「おいしいごはんをつくるのはお母さんの仕事」という広告は、2021年にあった、ファミマの「お母さん食堂」のネーミングにジェンダーバイアスが助長されると高校生が抗議した問題を思い出させます。ちょっと時代を先取りし過ぎ……な気もしませんが、70年代は女性問題が盛んに語られていた時代なので、こういう意見が出たこともあったかもしれません。
ここで興味深いのは、料理は女性だけが作るわけじゃないことに関して議論しているときに、暢子がシェフ代行で「この店の責任者です」と言って出てくると局長が「生意気な」と言うのです。家庭ではお母さんが料理するものと思い込んでいるけれど、社会というレストランでは男性が料理の中心になっています。矛盾ですよねえ。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第53回のレビュー}–
第53回:ニーニーがやって来た
シェフ代行という重責を任された暢子(黒島結菜)は矢作(井之脇海)をはじめとした同僚に冷たくされています。房子(原田美枝子)の親戚贔屓と思われているからです。
悩む暢子の元に賢秀(竜星涼)がやって来て(養豚所を辞めたため住む場所がなくなったのでしょう)、
アドバイスしたことは「暢子はなめられている」「謝ったら負け」という「喧嘩上等」の精神でした。
さっそく暢子は謝らずお礼も言わずすべて「これはシェフ代行の命令です」と強気に出て、現場の空気を悪くしてしまいます。
同僚たちは、オーナーの身内であることにも不満があるうえ、暢子が女であることが不満なのです。でも暢子は厨房では男のつもりと主張しますが……。
ちょうどその頃、和彦(宮沢氷魚)は「おかあさんの味」を売りにした広告を批判する記事を上司に止められ苛立っていました。
あまゆで、暢子、和彦、智(前田公輝)、愛(飯豊まりえ)が男女の理想のあり方について語り合います。
食べる量は男女で関係ない、暢子は人一倍食べると息巻きます。
その主張を聞いた三郎(片岡鶴太郎)はポークと卵をたとえに、美味しいものはオスかメスかなんて関係ないとわかるようなわからないような持論を説きます。
第53回はツッコミエンタメ形式でした。登場人物が反面教師となり視聴者がおかしいところを指摘して楽しむ形式です。
何があっても謝らないしお礼も言わないという提案を成人し社会人になった暢子が鵜呑みにしてしまう謎の世界。
「こんな●●はいやだ」という遊びがありますが、「こんな朝ドラはいやだ」→社会人6年めの主人公が謝らず礼を言わない。……そんな感じです。
なめられたら謝らず強気でいくことも必要ですが、ときと場合に寄ります。賢秀の場合、それを言った理由は養豚所の清恵(佐津川愛美)の存在によるものです。彼女が賢秀にそうしているからで、彼女の強さを知らず知らずに好ましく思っているからでしょう。また、同じことをして対抗し合うことを内心楽しく思っているのです。だから暢子に勧める。まったくばかですねえ。賢秀に関してはばかだなあで笑って済ませることができますが、暢子は……。
朝ドラでは時々、謝らない、礼を言わない問題がSNSを賑わせます。なぜか、ヒロインが謝らない、礼を言わない人が多いのです。視聴者の多くは礼儀正しい登場人物が大好き。礼儀を知らない登場人物にいらいらするのですが、しょっちゅうこの反応があるのにドラマでは修正しないのは、理由があるのでしょう。
不倫なんかはご意見を元にあまり描かなくなっていますし、喫煙シーンもありません。世間の反応を気にして書かないことがあるなかで、謝らない、礼を言わない人物を書き続けるのはなぜか。
簡単に謝らないのは自分の意見を通す強さを、礼を言わないのは、当たり前のことに礼を言う必要のない心の大きさを伝えたいという理由ではないかと筆者は思っています。
謝り過ぎは卑屈だし、お礼を言い過ぎても善行の価値が下がります。和彦の言う「男も女もそれぞれあるがまま。尊重されて大切にされる世の中」のように、みんな自分を大事に堂々と生きるべきということなのではないでしょうか。
それにしても、余計なお世話ですが、このエピソードは暢子がフォンターナに入ってすぐのほうが良かったのではないでしょうか。1年目ではシェフ代行に抜擢は無理だから6年経過させたと思いますが、6年経って、職場で信頼関係を築ける人がオーナーとシェフしかいないというのはちょっとさみしい気がします。
オーナーとシェフに守られていたせいでチームワークの大切さに気づけなかった暢子の反省とこれからに期待したいと思います。矢作以外、全員モブでしかないのは、暢子が彼らとコミュニケーションをとっていないという現れですよね。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第54回のレビュー}–
第54回:暢子のいいところは……
シェフ代行がうまくいかなくて悩む暢子(黒島結菜)は寝坊して遅刻までしてもう取り返しがつかない……と思ったら、夢でした。昨日のレビューで暢子の遅刻を責めなくて安堵。これも朝ドラあるあるで、引っかけ問題が時々あります。
過去の朝ドラレビューで何度か指摘してきましたが、引っかけはドラマを活性化する役割もしますが、タイミングが大事で、うまくやらないと視聴者の反感を買うので要注意です。
第11週で重要なのはそこではありません。もう少し様子を見ていきましょう。
お店が休みの日。暢子は二ツ橋(高嶋政宏 たかはハシゴダカ)に相談にいっても答えはみつかりません。
うち、頭が悪いから(暢子)
悩む暢子。このセリフは謙遜ではなく暢子の知性のなさを物語っています。正確にいえば頭は悪くないでしょう。感性は鋭敏ですが知識が不足しているのです。フォンターナに入ったときに新聞社バイトや淀川先生などとの出会いで知識を得るチャンスはたくさんあったのにもったいないですけど、6年間は料理の腕をあげるために必死で勉強できなかったとしましょう。
この知識のなさは比嘉家全体の問題です。いいところを探すよりも問題点に気づき解消していったほうがいい気が余計なお世話ですがします。
賢秀(竜星涼)は間違った提案をしたすえ、俺では悔しいけど頼りにならないようだ と音を上げます(あくまで明るく)。それでも「家族の誰かを頼れ」とだけは信念をもって言います。
沖縄では優子(仲間由紀恵)が長いこと離婚したいと迷って実行できないけれど、ノースリーブで腕むきだしで強気に見える良子(川口春奈)をただただ肯定し守ろうとします(ノースリーブは良子のおしゃれ好きの名残でしょう)。「たくさんの人に助けられていろいろ教えてもらって良子たちを育てることができた」と言います。
誰がなんと言おうと世界中の人が敵になってもうちは良子の味方(優子)
やりたいことがあれば思いきりやればいいと励まし続ける優子。その気持はすごく大切だとは思いますが、あと一歩進んでほしいと観ていて思います。優子に苛立つ視聴者がいる理由のひとつはそこでしょう。晴海が将来、働きたくても働けないような世の中にしないようにしないとね、と言いながらそのために何をすべきか考えないからです。
ただ、そういう人も世の中にはいて、優子は学ぶことのできない環境にあり、それ以上を求めなくても仕方ない。賢秀も学べない人物です。一方、良子は最も学ぶ機会を得ていて、暢子も東京に出て一流のレストランで学ぶ機会を得ています。だから、良子がやがて立ち上がり、暢子もこれから学んでよりよい世の中を拓いていくはずです。
歩みはゆっくりでいいと思いつつも、そろそろどうしたらより良くなれるか登場人物に学びはじめてほしい。
学んだ末の資本主義や科学技術がはたして人類を良き道に導いたのかといえばそうでもないのはわかります。では、いま再び、自然のなかのコミュティーで助け合えば幸福なのでしょうか。
珍しくあまゆにたくさんのお客さん(労働者たち)があふれている夜、暢子は迷って優子に電話して、いいところを教えてと訊ねます。
ありがとうとごめんなさいを大きな声でいうところと言われ、はっとなる暢子。結局賢秀は真逆のことを教えていたのです。
電話が切れそうなところを、三郎(片岡鶴太郎)が客から10円を100円で買い取ると言って集め、暢子に託します。これぞ、助け合い。
ありがとうとごめんなさいさえちゃんと言えば、誰かが助けてくれる。それはすごくすてきです。とはいえ、助け合いばかりでも進歩はないし、学ぶばかりでも人間関係を損なうことがあるし、助け合いながら学んでいく、この両輪が大事ではないでしょうか。
そろそろ本題に入ってほしい(本題があると信じています)。
70年代の若者はいまよりみんなもっと大人びていた印象で(昔の映像とか写真とか見ると驚きます)、でも暢子はいつまでも子供(プリキュアの主人公くらいの年齢 中学生くらい)に見えます。二十代には見えない。黒島さんはこれまで少女なのに頭が良すぎて大人びて見える役が巧かったのですが(「SICK’S」のニノマエイトや「12人の死にたい子どもたち」のメイコなど)、今回は大人なのに子供みたいな役に挑んでいます。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第55回のレビュー}–
第55回:謝罪、お礼、自己批判
故郷へ電話して気づきを得た暢子(黒島結菜)が同僚たちに「ごめんなさい」と謝りました。
「男とか女とか関係なくお客様の笑顔のためにできることを精一杯やります」とサービス業の原点に立ち返る。それは大変良いことです。ただ、なめられないように謝らない、礼を言わなかったのは賢秀(竜星涼)の助言のせいであって、彼の言うことを聞かなければこんなことにならなかったのだからなんだか釈然としませんが……。
突然の大役に本来の暢子の良さを見失うほどテンパっていたため魔が差した(信頼のおけない兄の意見を聞いてしまった)ということも長い人生にはないこともありませんが……。わじわじするーー。
暢子の問題はやや子ども向けという印象もありますが、大人でも謝らない、礼を言わない人はいますから、これを観て反省してもらいたいですね。
反省したのか、なんと賢秀が「この間はごめん 言い過ぎた」と養豚所の清恵(佐津川愛美)に謝りました。ついに学習したようです。と思ったら、また養豚所で働かせてもらいたいための方便のような気もしないでなく、ただ悪知恵が働くようになったのだとしたら、我那覇みたいになりそうで心配です。
未熟な暢子と賢秀が都会の片隅で補い合って成長していくという流れはいいですね。
ごめんなさいとありがとうじゃ子供向けの話だよーと思った視聴者のためには、和彦(宮沢氷魚)が大人の視点を担います。新聞広告に対する自己批判の大切さを身を徹して訴えた末、房子(原田美枝子)や田良島(山中崇)の協力を得て、自分の主張を通すことができました。
謝罪、お礼、自己批判
この3つが人生に大事です。つねにものごとを相対的にとらえ、謝ったりお礼を言ったりしながら周囲のひとたちと協力して生きていきたいと思わされました。
こうして暢子は料理人として階段をあがり、次週はいよいよ恋のターン。
暢子をずっと想い続けてきた智(前田公輝)は暢子のために夜行で岡山まで行ってズッキーニを仕入れてくるという献身を見せましたが、暢子に通じるときは来るでしょうか。
賢秀と清恵の関係にも何かありそうな……。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第56回のレビュー}–
第56回:「未来って、日本の? それとも沖縄の?」
第12週「古酒(くーす)交差点」(演出:松園武大)は1978年4月、暢子(黒島結菜)が沖縄の実家に出した手紙からはじまりました。フォンターナに入って6年、雑誌の取材を受けるまでになった暢子。
いつもはなんでもかんでも電話をかけまくってるのに急に手紙を書く心境とは……ですが、きっとこの掲載誌を送ったに違いありません。
取材記者が「暢子さん」と呼ぶのもよくわからない感覚ですが、暢子が「暢子と呼んでください」と言ったのかもしれません。苗字で呼ぶ習慣が地元でなかったという話しは以前していましたから、ブレていないといえるでしょう。
誌面でも「暢子さん」と書いてありました。どういう層を対象にした雑誌なのでしょう。恋人の有無や結婚願望を聞くし……。
下の名前で呼ぶことを「ちむどんどん」の世界的に考察すると、”個”を大事にしているということなのかなと思います。
「比嘉さん」だと、優子も賢秀も良子も歌子もみんな「比嘉さん」で”家”になりますが、下の名前はオリジナル。自分らしさがあります。沖縄は同じ苗字が多いから下の名前で区別していたと聞きますが、それも結果的に、”個”を重視する精神性につながるのではないでしょうか。
さて。暢子は「いつも自由になにものにも縛られず感じるままに生きている」と愛(飯豊まりえ)に羨ましがられます。暢子は東京に出てきて料理人としては成長しても人間性は変わらないのです。
そんな暢子にも変化が? 第12週は恋のお話になりそうです。
独立することになった智(前田公輝)が暢子と未来の話をするためのデートに誘いたいと和彦(宮沢氷魚)と愛に相談しますが、暢子が相変わらず、料理のことしか考えていなくて、智の気持ちを理解しません。愛は協力的ですが、和彦は「未来って、日本の? それとも沖縄の?」なんてとぼけた反応をします。
和彦も暢子と同じく恋には疎く(じゃあなんで愛とつきあっているのか)、暢子が食べたりしゃべったりしているところをニコニコ見ています。そのときの表情が少年時代に戻ったみたいに見えます。智が暢子をいつもロックオンしている考えていることがダダ漏れの目つきとは全然違います。暢子と和彦は子供、智は大人。
そんな和彦に、愛の父母が結婚を迫ります。ジューンブライドが流行っているから6月はどうだと畳み掛けられます。あと2ヶ月です。
それを聞いてしまった暢子はなにやら急に感情が揺さぶられて……。矢作(井之脇海)に何歳で結婚したか訊ねます。なんと19歳。
「結婚は勢い。逆に勢いがなきゃ一生できない」とぶっきらぼうに言う矢作にびっくりした視聴者も少なくないのではないでしょうか。まあ別に結婚していてもいいのですが、唐突だったので……。なんとなく、まだ料理人としてこれからという感じなので独身かなと思うではないですか。独立してから暢子との真面目な未来を考えている智と対照的です。人ってわからないものです。
暢子は24歳くらいですよね。19歳で結婚している人がいると思えば結婚を考えてもおかしくない年頃でした。
愛も、もともとは結婚する気はなく、仕事に打ち込みたかったのですが、両親の期待に応えて結婚するのだろうと思い始めていました。和彦がいますからねえ。結婚相手としては申し分なさそうですからねえ。
「変化は突然やってくる」と言う愛。矢作の「結婚は勢い」と同じ。料理一筋だった暢子にも変化が起こりそう。相手は智か、和彦か……。
その頃、賢秀(竜星涼)は、石鹸のセールスに来た女性に、養豚場で働いた給料を全部渡してしまいます。「宵越しの銭は持たない」という言葉(その日得た収入はその日のうちに使う)は江戸っ子気質と言われていますが、沖縄もそうなのでしょうか。
宵越しの銭は持たない人は実際にいるようですが、目の前で、せっかくの給料をそんなに使わない石鹸にポン!と使ってしまう賢秀を見ていると、胸に泥を詰められた気持ちになります。誰にも何も咎められず、にこにことお金を手放してしまう。賢秀は生きる辛さそのものです。沖縄の、日本の、未来が心配になります。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第57回レビュー}–
第57回:このままでいいのかいけないのか
「まるで『この完璧な結婚話に対する僕の漠然とした焦燥感の根拠を言い当ててほしい』とでも言いたげだな」(田良島)
すごいです。第12週・恋愛編のすべてを田良島(山中崇)のこのセリフがまとめています。
交際6年ほど、完璧な恋人・愛(飯豊まりえ)との結婚話が和彦(宮沢氷魚)を悩ませます。でも彼は「問題のないことが問題」と悩んでいます。なんじゃそりゃ。
マリッジブルーーーこのままでいいのかいけないのか結婚前に悩むのはフィクションでは女性が多かったですが、男性のマリッジブルーは珍しいです。
このままなんの障害もない人生はつまらない。燃える障害がほしくて、突然、暢子(黒島結菜)を意識しはじめてしまうということなのでしょうか。
突然ではなくもともと子どもの頃、淡い恋心未満のようなものを和彦は暢子に感じていたことは確かです。
優等生だった和彦が人生の泥水を飲むを体験する。それが暢子との恋?ってことになりそうです。なにしろ『ちむどんどん』は”自分らしく生きる”がテーマのようなので、
和彦が30歳を前に、ほんとうの自分に向き合おうとしているわけですね。そのために、愛との穏やかな交際から結婚をぶっ壊す流れになりそうで、物語とはいえ、暢子的に言えば「わじわじ」します。
ただ、愛も、ほんとうは結婚よりも仕事がしたい、やりたい仕事があることを第56回で暢子に漏らしていました。予想としては、和彦も愛も、自分の進む道にこれでいいのかと問いかけて、ほんとうの自分に出会うことになるのでしょう。
田良島は、ラーメンを食べながら、和彦の悩みを無理やり聞き出し、「ちゃんと悶え苦しめ」「青春しちゃえよ」と焚き付けます。
田良島はいつもかっこいいですが、ラーメンを潔くすすらないで弄ぶように箸をつけるだけのことが残念。撮影のつながりがあるから食べられないのでしょうかね。美味しそうに食べるカットがあるドラマが好きです。
暢子は、沖縄の同級生の早苗(高田夏帆)まで結婚(しかも同郷)すると知って、びっくり。その早苗から智(前田公輝)の暢子への恋ごころを聞いてさらにびっくり。
ついに智を意識しはじめます。
智の誘いで、おやすみの日、フォンターナでランチすることになった暢子。智はスーツ、暢子はワンピース。たまにはお客さん目線で店の味を食べたいという理由で知ってる人たちに見守られてのデート。こういうときは「ありえん」を使えばいいでしょうか。
そこへ和彦と愛までランチを食べに来てーー。ふたりの視線を感じながら、智にプロポーズされそうになり「まずい!」と叫んでしまいます。
喜劇の舞台にフォンターナが必須。でも、フォンターナが銀座の高級レストランとは思えない、気軽に立ち寄れるバールみたいな扱いに見えるんですよね。東洋新聞社の人たちがしょっちゅう来ているし。文化人の集まる洒落た社交場という意味合いもあるのかなあとも思いますが、東洋新聞の一部の人しか来ないから、東洋新聞御用達の店という感じでしょうか。
平日も休みもフォンターナ、接待もフォンターナ。他にセットが作れない制作事情はわかります。だからたいてい朝ドラのたまり場は無難な喫茶店なんですよね。今回は、
高級レストランという設定なのが、いろいろ不自然さを醸してしまいます。
暢子と和彦の関係も”自分らしさ”のためという感じで、作り手がやりたいことを貫こうとするあまり、無理にやりたいことに話を寄せていっているように感じてわじわじします(わじわじ感じ過ぎ、もっとちむどんどんしたーい)。
強引ではなく、周囲にも配慮した上で、自分らしさを貫きたいものです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第58回レビュー}–
第58回:「僕はこのまま結婚していいのかな」
房子(原田美枝子)から預かった手土産の最中をさきにふたりで食べてしまう和彦(宮沢氷魚)と暢子(黒島結菜)。
最中といえば、和彦が沖縄の比嘉家にはじめて来たときの手土産です。菊の御紋みたいな最中を和彦のお父さん(戸次重幸)が持ってきて、暢子が目を輝かせましたよね。
第57回で「最中だ!」と和彦が嬉しそうに食べようと暢子に言ったのは、あの頃を思い出したのではないでしょうか。
暢子と和彦が再会したのは10年ぶりでそれから6年、下宿が一緒で友情を育んできました。そして今、急速に子供の頃に深く結びついた思いが再燃してきているところです。
でも、和彦には愛(飯豊まりえ)という婚約者が。暢子には彼女と結婚する気満々の智(前田公輝)が。
暢子は恋とか結婚とか頭にないがなぜか和彦が気になります。和彦のほうはかなり暢子が気になっています。愛がいるのになぜ! という疑問は、亡くなったと思った夫が帰ってきたときにすでに再婚していたという朝ドラで言えば「澪つくし」のような悲劇です。
そういうことはあると思うけれど、和彦の場合、とくに深い事情もなく文通を途切れさせていたわけで。
再会して新たなに暢子が気になりはじめたとしたら、その描写がこれまで全くなくて、下宿で会うのもあまゆの店内のみ。下宿の生活圏内での接触が全くありません。朝ドラでいえば「ひよっこ」は下宿生活(共同キッチン)や中庭などふれあいの場がありました。「ちむどんどん」にはそれがありません。
ふたりの関係を必然にするには、シロート目線だと、折につけ、あの別れのバスのシーンをフラッシュバックさせとけばいいと思うのですが、それは後々にとってあるんでしょうか。
とはいえ、和彦と暢子はじわじわ(わじわじではない)と通わせていきます。
「僕はこのまま結婚していいのかな」とか「デートしてたじゃないか」とか「ドキッとした」とか急に甘えたような口調の和彦は、少年時代の和彦を思わせます。宮沢氷魚さんは巧く子役の演技をなぞっている気がします。
和彦の未熟さは少年性の名残と解釈して観ていられるのですが、智はすっかりへんなテンションで、観ていて辛くなってきました。
すっかり暢子と結婚する気になっていて、休みの日に、差し入れ持って事務所に遊びに来いとか言うのです。「来い」って言い方、すごく気になりました。沖縄の親に挨拶というプランまで勝手に進めようとして……。
暢子は暢子で、はっきり断らず、差し入れ(サータアンダギー)を持って行きます。そこで智は結婚すると誰かに電話で話しているのを聞いてしまいます。このとき、困惑して隠れてしまう暢子の表情。怯えているようにも見えます。ともすれば智は勘違いのストーカー的な人になりかねないですよ。
80年代のドラマで山田太一先生の「想い出づくり。」というのがありまして、なんとなく結婚してしまったら夫が亭主関白過ぎて耐えられなくなるというものなのですが、黒島結菜さんがそのドラマの夫に抑圧される妻みたいに見えて来ました。
6年、暢子の料理研究のためのお店まわりにつきあったことが智の中ではデート=つきあう=結婚みたいになってしまっているのでしょう。この短絡的で世界が自分しかないような感覚は賢秀(竜星涼)と大差なくなってきていませんか。
良子(川口春奈)の夫・博夫(山田裕貴)は石川家の男たちに男尊女卑の極みを突きつけられて追い詰められています。
こんな面倒な一族だったら、結婚する前もひと悶着ありそうですよね。それこそ、ほかの人と結婚話が進んでいた人物を嫁に迎えるなんてといろいろあったでしょう。そういう山も乗り越えてきたと思うと博夫は良子しかいないんだなあと思います。それは麗しいことなのか哀れなことなのか。たぶん両方混ざっていますね。
泣いて電話してくる博夫にほだされてる良子。腐れ縁のような、理屈じゃないところで離れられないふたり。結婚前はあんなに理屈で語り合っていたのに、人間って面白いものですよね。
博夫が祖父・小太郎(小林勝也)に責められていたときチャラララ〜と「渡る世間は鬼ばかり」の劇伴のような曲が流れました。狙っているんじゃないでしょうか。
この曲のおかげで、いまやってるのは昭和のドラマの表面的なパロディであって、あまり深く考えないほうがいいと冷静になれました。ありがとう劇伴。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第59回のレビュー}–
第59回はいろんなことが起こりました
暢子(黒島結菜)が事務所を訊ねると智(前田公輝)がぶっ倒れていました。頑張り過ぎてしまったようです。
独立したばかりで社長兼従業員なものだからピンチ。そんなとき三郎(片岡鶴太郎)が県人会パワーで助けてくれました。なぜか和彦(宮沢氷魚)まで……。新聞社がおやすみの日なんですね。
「こっちに身寄りがいないんでしょ」と房子(原田美枝子)が気を利かせて暢子に店を休んで看病するように言います。暢子はお休みの日ではなかったんですね。
もう指摘するだけ虚しいのですが、6年も東京にいて、身寄りのなさをここで認識するのもなあという気もします。
沖縄から東京に来て、肩寄せあってあまゆを唯一の拠り所にしていたらいろいろありそうですよね。最初の1、2年はとくに。暢子だって早苗以外女友だちがいないようですし。
都会の孤独と、なにくそという野心と、同郷の仲間意識と……いろいろな感情が渦巻いていたであろうと思うのですけれど……。6年、時間を飛ばす必然性ってなんだったのだろう。暢子の修業時代が長いと早送りされそうと思ったのでしょうか。
看病している暢子のところに和彦が来て、
「彼女(愛)に対する不信感とか愛情の薄れではなく、おそらく……」などと言い出します。
その日、愛があまゆにやって来て、見送りの途中、愛にハグをせがまれその流れでキスしようとしたら暢子が通りかかってと矢継ぎ早に進行します。
「隠れたらいいのに」と「あさイチ」で博多華丸さん。最適解です。第58回では智が電話しているときには機敏に隠れたのに。なぜ、ここでは棒立ち? それほど動揺したのでしょう。あるいは、本能的に、あえて気づかせるようにしたのか。無頼派な匂いのする比嘉家であれば、後者も考えられます。
「彼女(愛)に対する不信感とか愛情の薄れではなく」という和彦。だとしたら、
もう余計な感情をハンパに振りまかず、愛と結婚して。キスしようとして目をつむってじっとしている愛が可哀相になりました。朝ドラでいつも気になるいかにもセットでのラブシーンは全然、ムードがなくて、滑稽に見えて切ないです。
しかも、愛は自分があまゆに来ることを和彦に忘れられていたことを薄々気づいています。
賢秀(竜星涼)は石鹸のセールスに来た多田直美(安野澄)にすっかり夢中。自分は社長だといい顔をして、フォンターナのランチに誘いますが、彼女の会社の社長・樋口(塙宣之)もやってきて、さらに社員が5人ついてきます。そのひとりずつに一本ボトルを頼んでしまうというわかってなさもやっぱり切ないし、そもそもそのお金はどこから……。
お金を大事にしない描写は本当にこの不況の時代、きついです。会社でいやな目に遭う描写よりしんどい。
勝手に直美とうまくいっていると勘違いして調子に乗るのは智と同じで、じつは直美が社長と婚約していて肩透かしを食らうのは歌子(上白石萌音)と同じです。兄妹+智そろって同じこういうことを繰り返すことにいったいどんな狙いが隠させれているのか、今後が楽しみです。
比嘉家は世間知らずで思い込みの激しい家族です。念願の教師に戻った良子(川口春奈)は生徒に厳しく当たって問題視されてしまいます。
生徒の教育に一生懸命で、実の娘・晴海は歌子に任せっきりの良子。子を持つ者の教師という仕事はなかなか矛盾をはらんでいます。料理人が家では料理しないのとはわけが違う気がします。
問題山積み。明日はすっきり解決するでしょうか。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第60回のレビュー}–
第60回:古酒が暢子の恋を目覚めさせる
やんばるにて。歌子(上白石萌歌)が優子(仲間由紀恵)に賢三(大森南朋)との馴れ初めを訊くも、優子は良子(川口春奈)に話題を振ってはぐらかします。
質問に答えられないとき逆質問するのはよくある手です。優子がこれまで一度も子どもたちに賢三との馴れ初めを語ることがなかったのは、言いたくない何かがあるのでしょう。それはのちのち、物語に関わってくるのかもしれませんね。
優子が良子に話を振ったことで、良子は博夫(山田裕貴)と結婚を考えたときのことを思い出します。共に沖縄の未来を考え、良い教師になろうとした。そんな純粋で勤勉な初心があったのです。あの熱心で誠実な金吾(渡辺大知)にはなかったもの。それは理想とか思想とか。良子と博夫は沖縄の未来のために立ち上がるときは来るのでしょうか。
暢子(黒島結菜)は、和彦(宮沢氷魚)と愛(飯豊まりえ)がキスしようとしているところを目撃し、動揺します。
そこへ、房子(原田美枝子)に呼び出され、フォンターナに行くと、賢秀(竜星涼)が房子の秘蔵のワインを飲んで酔いつぶれていました。
暢子の異変に気づいている房子は古酒をすすめます。お酒の勢いを借りて、自分ではわからない胸のうちを口にしはじめます。お酒は本能を表出させる魔法の液体であります。
奥手でいつまでも少女みたいな暢子ですが、智(前田公輝)が結婚、結婚と迫って来て、和彦と愛も結婚するという話になって、しかも彼らのハグ&キス(直前)を間近で見てしまう。恋とか結婚とかいう概念が急に暢子の未開の心と脳に入ってきて、彼女のなかに眠っていた恋する気持ちを揺さぶり始めました。
もしも、優子が賢三との馴れ初めを子どもたちに語っていたら、もっと早くに「恋」して「結婚」するという進路を暢子も知っておくことができたのに、語っていないものだから、暢子には身近な例を知らないまま身体だけ大人になってしまったのでしょう。
優子がそういう情操教育をしてない分、房子が気を利かせて暢子に酒をすすめることで「恋」のレッスン・基礎の基礎を施しました。ニーチェの言葉まで引用して。
恋とは変わること。大人の階段を登ること。暢子はいつまでもこのままでいたかったけれど、人は変わっていくもの。でも「お母ちゃん会いたい お父ちゃん会いたい」と酔ってつぶやく暢子はまだ子どもの感じです。
朝まで飲んだ暢子は「恋人がいるのに好きなんて言えないじゃないですか」ととうとう自分の本心に気づいてしまいます。でもタイミング悪く、和彦には愛がいます。愛は暢子にとっていい人ですから、よけいに辛いことでしょう。
一方、あまゆでは、三郎(片岡鶴太郎)が迷う和彦に(多分)泡盛を飲みながら助言していました。
暢子はともかくとして、和彦はなんで子どもの頃、文通を途切れさせてしまったのでしょうかね。暢子との交流を続けていればこんな面倒くさいことにならなかったのではないかと思いますし、途切れさせたなんらかの理由を描写していれば、ワンクッション入ることで、ふたりの関係性の唐突感も薄れた気がしないではありません。
ともあれ第13週のサブタイトルは「黒砂糖のキッス」。誰と誰がキスするのか、気になります!
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第61回のレビュー}–
第61回:愛の気持ちを尊重するという和彦のずるさ
第13週「黒砂糖のキッス」(演出:中野亮平)は恋愛ばなしが本格化しそうな気配。サブタイトルの「キス」ではなく「キッス」に力みを感じます。
和彦(宮沢氷魚)への恋を認識した暢子(黒島結菜)はすっかり仕事に身が入らなくなってしまいました。
智(前田公輝)は「つきっきりで看病してくれた」とますますやんばる行き(親に結婚報告)を進めようとします。
「つきっきり」は智の思い込みです。それほど「つきっきり」ではなく、暢子は夜、房子(原田美枝子)に呼び出されて朝まで古酒を飲んでいたわけです。しかもそこで和彦への恋を意識したことを知るよしもない智がお気の毒です。
困る暢子を見かねた二ツ橋(高嶋政伸 たかははしごだか)は”先輩”の例をあげ悶絶するような恋の悩みは仕事の原動力にするといいとアドバイスします。この”先輩”は二ツ橋自身のことであることを暢子は気づいています。
二ツ橋さんのこのわかりやすい例え話は2度目ですが、おもしろいので、コーナー化されてもいいように思うのは、高嶋さんの演技の賜物でありましょう。高嶋さんはエキセントリックな役もお似合いですが、素朴で非力な、でも懸命に生きている庶民の哀愁を演じさせたら抜群です。
二ツ橋のコントのような場面に、なぜかトランペットの音色が晴れ晴れとしているようでどこか切ない劇伴がかかるんですよね。どういう意図なのか。
もうひとり、ドラマをもり立てているのが、田良島役の山中崇さん。愛(飯豊まりえ)の悩みに助言します。田良島は混沌としたこの世界で珍しい正論を言う人物です。正論過ぎることを言って「恥ずかしい」と去っていくところまでメリハリをつけて演じています。
愛も真っ当な人物です。順調に交際していた和彦が結婚話を前に突如、様子がおかしくなったとき、あくまで冷静に話し合いをしようとします。愛の気持ちを尊重するという和彦に、自分で決めずに逃げているという彼女の主張と自身の自己矛盾への悩みはいたって当然のものです。
6年つきあって結婚をまったく考えていなかった愛と和彦。フランス好きな愛ですから、いっそ、ふたりをサルトルとボーヴォワールのような自由恋愛カップルに描いたほうが結婚を考えずに長くつきあっていることも不自然に見えずに済んだように思います。
朝ドラでそれをメインに描くのは難しいでしょうけれど、ルールに縛られない自由に着目するのなら自由恋愛もあっていいのではないか。ちょっと飛躍し過ぎでしょうか。この時代、そういう先鋭的な生き方も認めると考えるインテリカップルではあったと想像します。
飛躍過ぎといえば、フォンターナの従業員が突如3人、辞めてしまいました。
矢作(井之脇海)、桃木(池田航)、玉島(櫻井圭佑)の3人。桃木と玉島。やっと名前を認識できました。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第62回のレビュー}–
第62回:いろいろトラブルがあって
矢作(井之脇海)をはじめとして3人も急に辞めてしまったフォンターナ。房子(原田美枝子)が厨房に入り、きびきびと料理をして事なきを得ました。
房子の貫禄。黙々と手を動かします。お客様の前ではにこやか。厨房に入った途端、きりっと顔つきが変わります。いろんなことに目が向いていて、料理の手際に無駄がない。
日常だと言葉数が少なくてやや冷たい印象を感じる話し方も厨房で手短に指示を出すというときには生きています。ああ、彼女の言葉は彼女の生き方そのものなのだなと感じます。
長く続けてきた作業には余分な間がない。そこを原田美枝子さんは的確に理解して演じていらっしゃいます。
原田さんは結婚して子育ても経験していらっしゃるので(石橋静河さんが娘さん)一定の家事は当たり前にできるのでしょう。基礎があるうえ、プロの調理人らしいフライパンを返す筋力の重量感とかちょっとしたコツのようなものなど、抑えておくと場が引き締まるところを鮮やかに演じていらっしゃいました。
伝説の料理人の圧倒的なプロ感に感動を覚える暢子(黒島結菜)。初めての恋で
もやもやしていた気持ちが吹っ切れました。
やっぱり料理が好き、と思ったようで、その夜、仕込みをたったひとりでやっているところ(二ツ橋は足が吊ったから仕込みできない設定)に思いつめた顔で訊ねて来た愛(飯豊まりえ)に、和彦が好きだけど諦めると伝えます。
暢子はじつに正々堂々としています。以前も、料理対決で、ライバルの料理をまず食べて美味しいと認め、助言までしていました。そういうところは気持ちいいです。
仕込みしているのが何時だかわかりませんが、愛はなぜここに訊ねて来るのか。いるかなあと思って来てみたらいたという感じでしょうか。なりゆきで仕込みを手伝うのもなんとなく引っかかりを感じますし、ふたりがじつにのんびりと玉ねぎをむいていることも気になります。
ここで最も優先することはなに? 玉ねぎをむくことです。でもふたりはおしゃべりを優先します。「もっと料理に集中したい。今日改めてそう思った」と言っているにもかかわらず集中してない。
このへんは朝ドラクオリティなので目をつぶりましょう。
朝ドラ絶対王者「おしん」の田中裕子さんは家事をきびきび演じながらセリフを言えたし、いま再放送中の「芋たこなんきん」の藤山直美さんもそうです。
いつの頃からか、作業しながらしゃべることがヒロイン役の俳優はできなくなりました。「ひよっこ」なんかもそれが気になってレビューに書いたことがあります。「スカーレット」は幾分ちゃんとしていた気がします。時代を映す鏡なのだと感じますが、セリフを言いながら作業もできることはぜったい武器になるから、若い俳優は身につけたほうがいいと思います。
ただ、暢子はこれから房子のようになっていくのでしょうから、小出しにしているのかもしれません。
当たり前にできることをあえてできないようにするのはなかなか難しいです。例えば映画「はい、泳げません」の長谷川博己さんは泳ぎが得意にもかかわらず水がこわくて泳げない役を演じていてなかなか見事でした。
さて。暢子と話して、仕事と恋とどちらが大事と考えたとき、「ちむどんどん」することが大事と気づく愛。田良島(山中崇)が第61回で助言していたことと同じです。
さてその頃、やんばるでは、良子(川口春奈)が生徒に手を焼いていました。袋小路に迷い込んでいる感じの良子。彼女がちむどんどんできるのはいつの日か……。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第63回のレビュー}–
第63回のレビュー
第63回は、良子(川口春奈)の反省からはじまりました。「誰よりエゴイスト」と
自覚した良子。
こんな自分が教師でいられるのかと弱気になった良子は博夫(山田裕貴)に会いに行き、彼から助言をもらいます。
家庭のことになるとからきしの博夫ですが、教職の話になると実にまともなことを語ります。良子が博夫に惹かれるのは、彼のこの理想を論理的に話すことなのでしょう。頭がすっきり整理されるのだと思います。だからこそ、なぜか散らかりっぱなしの家庭の問題には苛立ってしまう。
良子は悪い人ではないけれど、正義感が強く、自分の理想を曲げられない人。今回の生徒との問題を経て、柔軟性を獲得できるようになるといいですね。生徒ともようやく近づけました。ただ、別居解消は未だしません。やっぱり曲げられない人のようです。
その頃、沖縄のお盆の季節が近づいていて、鶴見でもエイサーの練習が行われています。
和彦(宮沢氷魚)は沖縄戦で亡くなった方々の遺骨収集に関して取材を進めていました。
エイサーを沖縄で観たい和彦。「一緒に行ってみる?」と暢子に聞きます。暢子は愛さんと行けばいいとはぐらかしますが、鍋では豚肉がグツグツ煮込まれています。これは暗喩? では、良子と博夫の煮こぼれたラーメンも暗喩?
和彦は思わせぶりなことを言ったもののすぐ切り替えて、自分の夢を語りだします。沖縄に対して強い興味をもって取材を深めていきたいという和彦を見つめる暢子の瞳は恋する瞳です。黒島さん、純粋な感情を真っ直ぐ出すと魅力的。一途さが伝わってきます。
奥手の暢子が和彦を意識するのは、和彦の熱い沖縄トークを聞いて……のほうが良かったのではないでしょうか。でも和彦の沖縄トークで暢子の忘れたい恋心が募ってしまいます。
引っ越す前にみんなで海に行こうと暢子が必死で和彦の想いを振り切ろうとしますが、和彦は「2人でもいいけど」などと言い出します。
暢子はびっくりして包丁で指を切ってしまいます。
近づいて傷を見る和彦、ふたりの顔が接近して……。
ベタな展開です。これ、夜放送のドラマだったらキュンとなるのかもしれないですが、朝だから覚めた目で観てしまうような気がします。
「一緒に行ってみる?」「2人でもいいけど」と畳み掛けてくる和彦。完全に愛(飯豊まりえ)よりもいまは暢子に惹かれているとしか思えません。そうでなく結婚前にもうすこし恋しておきたいというような気持ちだったらいや過ぎます。
一視聴者の勝手な妄想ですが、和彦は子どものとき、暢子を守ると決意して手を握ったときからずっと暢子を想っていたのでしょう。沖縄と東京と離れ離れになってもつねに暢子のことが心の片隅にあって(手紙は出さなくなったけど)、いつか沖縄に行こうと思っていて。彼にとって沖縄=暢子なのでしょう。沖縄の魅力を教えてくれたのが暢子だったから。
たまたま東京で再会してびっくりして、そのときは恋人・愛がいたけれど、暢子は特別なので、気持ちがどんどん大きくなってしまった。
思うようにいかないのが人生とはいえ、愛がお気の毒です。
暢子は愛に和彦のことを好きだけれど諦めると宣言しています。SNSではわざわざ言うことだろうかと疑問を呈する声も上がっていました。
ライバル宣言ならともかく諦め宣言は確かに言わなくてもいい気もします。
そもそも和彦と暢子はひとつ屋根の下で暮らしていて、今回のように下宿で心を通わせてしまうのです。愛にしてみれば気が気でない状況です。愛はそういうことを想像して嫉妬に燃えることはなく、あくまで穏やか。だからこそ、愛の株が上がり、和彦と暢子の株が下がってしまうのですが。
主人公だから愛(飯豊さんのことではありません、概念のほうです)は正義ではなく、主人公が人としてどうかと思うような罪深い愛(概念のほう)に走りそうであるところに、「ちむどんどん」の面白さがあります。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第64回のレビュー}–
第64回:「もうこんな時間だから」って何時なんだ
暢子(黒島結菜)と和彦(宮沢氷魚)が急接近! ……と思ったら三郎(片岡鶴太郎)が帰って来ました。
慌てて外に出て、エイサーの練習帰りのあまゆ夫婦(志ぃさー、しるさ)たちがなかに入るのを留めます。時間を稼ぎ、再び中に入ると、暢子と和彦がわざとらしく離れて立っていました。
ベタなのはいいとして、なんと愛(飯豊まりえ)がお店の奥で待っていたことが発覚。早く着いたから寝てしまったと言いますが、もしかして、和彦たちの話を聞いていたのではないでしょうか。ドキドキ。
和彦に企画の相談をするためあまゆで待ち合わせをしていた愛ですが、もう遅いからと帰っていきます。
「もうこんな時間だから」って何時なんでしょう。今回に限らず愛はいつも仕事終わりに鶴見までよく来ていますが、新聞社のある銀座方面から鶴見にしょっちゅう来るのは非効率な感じがします。来るとしたら週末でしょう。
つねに和彦の部屋にお泊りしているならともかく、そのへんはけじめがありそうですし、本来、都内のどこかにふたりの行きつけの店があって然るべし。
あまゆをたまり場に設定しないと話が成立しないから仕方なしですが、女性がいつも仕事終わりの夜遅くに男性の住居のすぐそばのたまり場に来て帰っていくのってなんだか違和感。それとも愛の家は横浜あたりなんでしょうか。
大田区か品川か、結婚したら住むマンションが白金だから、そのあたりかと想像しますが、もしも多摩川を超えて帰るような交際を6年も続けていたら疲れてしまいそう。とはいえ、実際の地理とは微妙に違うのが朝ドラあるある。前作「カムカムエヴリバディ」でも北野天満宮と賀茂川がかなり近くに設定されていました。
後日、智(前田公輝)が沖縄から帰って来て、和彦、愛、暢子と4人であまゆで飲食しているとき、智は「和彦と愛ちゃんやっぱりお似合いやっさー」と言いますが「ほんとにお似合いなのは 中にいるふたりだと思わない?」と愛は答えます。なんも気づかない鈍感過ぎる智。気づいてしまった愛。どちらも切ないです。
中のふたりーー和彦と暢子はすっかり意識し合っています。こういうとき「ちむどんどんするー」なんでしょうか「わじわじするー」なんでしょうか。
智はやんばるで、優子(仲間由紀恵)に暢子と結婚したいと報告します。聞いてしまった歌子(上白石萌歌)はショック。何かと鈍感な優子ですがこの件に関しては
感じるところがあるようです。もしかして優子はいつも気づかないふりをしているだけなのかも?という気もしました。
共同売店で智の話を聞いているときの歌子の背後からシャボン玉が飛んでいてアイドルのよう。まもるちゃん(松原正隆)と晴海が吹いています。
何かを失えば何かを得る。歌子がついにやりたいことを発見します。ふいに訊ねて来た上原照賢(大工哲弘)から賢三(大森南朋)が民謡歌手になりたかったのだと聞いたのと照賢の歌を聞いたことが重なって、民謡歌手になりたいと決意します。
大工哲弘さんは八重山民謡の歌い手です。やはりプロの歌と演奏は違う。悠久の時間を感じさせてもらいました。歌子の心を強く動かすに足る歌でした。
家の庭の花に「いいねえ あんたはそこで咲けるから」と語りかけていた歌子。彼女もそこで咲く道をみつけたようです。
ようやく動き出した歌子、がんばってほしいです。そして畑の道を歩く智と歌子、お似合いに見えました。
それにしても賢三、三線演奏が好きそうではありましたが民謡歌手を目指していたとはびっくり。調理人やったり歌手目指したり家を建てたり、多才ですね。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第65回のレビュー}–
第65回レビュー
愛(飯豊まりえ)の反撃。ラスト数分は渾身で、夏のロマンチックホラーとでも言いたい出来でした。
愛の新聞記事の企画書づくりに和彦(宮沢氷魚)、暢子(黒島結菜)、智(前田公輝)も加わり、4人で企画書を朝までかけて作り上げます。
企画書の作り方が脚本の作り方の一種であるカードに要素を書き出して組み合わせていくやり方で、まさか『ちむどんどん』はこうやって作っているのかなと思ったことはさておき。
4人はファッションの歴史をたどり、女性がパンツを履くことも禁じられていた時代があることを噛み締めます。愛は会社にパンツを履いていけないが暢子はいつだってパンツを履くと言う。
朝、愛は海に行こうと提案、4人は海でひとしきりはしゃぎます。ザ青春!
でもその後がゾクゾクしました。
海に行きたいなんて愛らしくない提案だと不思議がる和彦。ここで、まさかやーとドキドキすると、案の定、海に行きたいって言ってたよねと愛が言うのだ。やっぱり聞いていたのです!
愛が上手なのは、そこで怒りも悲しみもしないこと。そのままキスします。
それを暢子が目撃するところまで計算済みだったのでしょうか。だとしたらおそろしい!
知的な女の面目躍如です。
対する暢子も目撃したときの表情が良かったです。感傷的な甘さがなくなんとも苦い顔をするんですよね。きっとこれがパンツを履く女なんだなと思いました。
どっちも悪くない、どっちも魅力的に描いた作り手とかっこよく演じ切った黒島さんと飯豊さんに拍手したいです。
愛が海に誘ったのは暢子みたいに自由な女になりたかったのでしょうね。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第66回のレビュー}–
第66回:人を好きになる気持ちは誰にも止められない
第14週「渚の、魚てんぷら」(演出:木村隆文)のはじまり。いつの間にか実家に電話をかけなくなり代わりに手紙を書くようになった暢子(黒島結菜)。
手紙で近況を綴ります。
4人で海に行き、愛(飯豊まりえ)が和彦(宮沢氷魚)にキスして、結局、ふたりの結婚話は進行していきます。
あんな湿った苦い状況のまま、結婚話が進行するっていたたまれないですね。まるで海で濡れた服や靴が乾かないような感じです。
ところが、また、あまゆで4人で結婚と恋愛の話をしていると、やっぱり吹っ切れてない様子。海から海藻引きずってきちゃったように見えます。
感情を顕にしない暢子、相変わらず、暢子を意識し合図を送り続ける智(前田公輝)、微妙な和彦、彼の「恋愛は理性だけではどうにもならないしね。人を好きになる気持ちは誰にも止められないし 無理やり止めてしまえば心の傷になってずっと後悔するかも」という言葉が気になる愛。
暢子の恋もこのままでは心に傷を残すかもしれませんよね。
もうすぐ和彦は鶴見を出ていきます。その前に、鶴見の相撲(角力)大会に参加しようと考える和彦。
和彦が鶴見に来て6、7年。1回も大会に参加したことがなかったようです。新聞社の仕事が忙しいのかもしれないですが、和彦は沖縄の文化を研究しているのだから、鶴見に来たら真っ先にこの手の行事に参加してみるものだと思いますがね。と「ますがね」なんて言葉遣いでしてしまうほど気になります。
暢子も暢子で、アッラ・フォンターナに勤務して7年にもなるにもかかわらず、5年前から年に一度来る西郷久雄(高木渉)と西郷めぐみ(新井美羽)父子のための特別メニューを知らないという謎の展開。これは従業員全員、共有する話なのでは。
「思い出の場所、思い出の味を提供する店でありたい」という重要な話を、シェフ代行までやった暢子が知らないなんて……。
描かれるエピソードの数々が、暢子が上京して1年の間に体験しそうなことばかりで、6,7年の時間というものがまったく感じられません。「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」のように同じことを延々繰り返している世界ならいいけれど、主人公の成長の物語で50年間を描くドラマと謳っていることと乖離しているから違和感を覚えます。
視聴者として重箱の隅をつついてばかりいたいわけではないのです。そんなの神経疲れちゃいますから。それなりの手順を踏んで提示してくれれば郷に入っては郷に従うのですが、そうじゃないから戸惑うのです。
例えば、とある場所に訪れた者がその地域の暗黙のルールを察知し学ぶのがルールだとして、迎え入れる人たちも、ここではこういう決まりになっているんですよと多少開示するのも優しさではないでしょうか。
異質なものが出会ったとき、お見合い状態にならず、どちらもがそれぞれ開き合うことが肝要だと思うんですけど、どうでしょうか。それとも、ここはこだわり職人のおまかせコースしかない店なんでしょうか。それならそれで仕方ないですが……。
なんてことを考えていたら、賢秀(竜星涼)がまた現れて、水国和歌子(駒井蓮)という女性にメロメロ風……。
今日は、西郷めぐみ役の新井美羽さんは「おんな城主直虎」のヒロインの子供時代を演じてたな〜。「わろてんか」のヒロインの子供時代もやっていたっけと振り返って楽しむのが最適解ですかね。あと高木渉さんも大河や朝ドラの常連化してきたなあとか。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第67回のレビュー}–
第67回:暢子は自分の店を持つことを考えはじめる
再婚? うちが? 誰と?
賢吉(石丸謙二郎)に善一(山路和弘)との「再婚」を勧められて訝しげな顔をする優子(仲間由紀恵)を見て、暢子(黒島結菜)のお母さんだなあと痛感。
共同売店で一緒に働いていて、好意をさりげに示され続けていて、周囲からもからかわれているにもかかわらず、他人事みたいに状況を理解していない優子は暢子とそっくりです。
ふたりは鈍いというよりは、興味のないことにはいっさい興味を示さないタイプなんではないかと思います。その代わり、好きなことには猛進する。優子と暢子に限ったことではなく比嘉家の人たちは、ほぼみんなそういうタイプのような気がします。
善一は、智(前田公輝)ほど好意をあからさまに見せてはいません。好意にためらいが滲みます。それは年の功でしょう。役としてもそうだし、俳優としても。
「あさイチ」では、善一と優子は近すぎると大吉さんが心配していました。例えがおかしくて。大吉さんのお母さんと華丸さんのお父さんが再婚するみたいだから「ちむわじわじするなあ」と言う。
大吉さんは以前にも、対外的な関係性を配慮する発言をしたことがありました。たしか「カムカムエヴリバディ」で、撮影所の社員が女優を好きになることに対してそれは踏みとどまる必要があるというような事を言ってました。しきたりを守る、気遣いのかたなのだなと感じます。というか、芸能界では基本、年功序列をはじめ関係性を重んじますよね。実際守られているかは別として職場恋愛禁止とかもよく聞きます。
どんなに好きでも環境上、気を配るべきときがあるということの最たるものが、石川家です。博夫(山田裕貴)が厳格な祖父・小太郎(小林勝也)から良子(川口春奈)と離婚して再婚することを勧められます。そりゃあ、嫁が実家に帰ってしまったままということをお固い家だったら恥と考えるでしょう。
昔からの決まりや他人の目を気にすることはほんとうは必要のないことで、本来はやりたいことをやるべきということを「ちむどんどん」では暢子や賢秀(竜星涼)や良子が体現している途中であります。はたして、暢子たちは最後まで自分の思いを貫くことができるでしょうか。
アッラ・フォンターナでは、特別なお客様・西郷久雄(高木渉)と西郷めぐみ(新井美羽)・父娘の間にも再婚問題が。めぐみは再婚なんて認めないと一度は反抗したものの、再婚相手と亡き母の思い出のポルチーニのリゾットを食べて考え直します。
いきなりリゾットがどんっと出てきて、コースではなく単品メニューなのか?とか、デリケートな話をするときもお店のど真ん中で落ち着かなそうだなあとか、いろいろ気にかかることはあります。毎日、細かいことをチェックすることが気分転換になれば良いのですが、不満は人の心をじょじょに病ませます。
自分の人生の貴重な時間、暢子たちのように謳歌したいし、華丸大吉さんのように
笑いに転化したいですよね。
愛(飯豊まりえ)の渾身の記事「ズボンをはいた女の子」が社内的には評判がいまひとつでしたが、読者からの熱烈な反響があったことがわかります。読者からの手紙を読んで、じんわりしている愛の表情がとても良かったです。
飯豊まりえさんは、NHKのドラマ「岸辺露伴は動かない」で演じた漫画編集者役がキュートで魅力的で、代表作になったと感じていました。あっけらかんとしたキャラが似合うと思っていましたが、愛が見せた苦労人の表情も良かったです。向田邦子ドラマのような心の内に隠した鈍器のようなものを見せてくれています。飯豊さんのポテンシャルを感じることができてよかった。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第68回のレビュー}–
第68回レビュー
燃える夏。燃える恋。
賢秀(竜星涼)は偶然助けた青森出身の女性・水国和歌子(駒井蓮)に夢中で、角力大会にも出場するぞと張り切ります。久しぶりに、例のバンドを頭に装着しました。まだ持っていたんですね。
智(前田公輝)は優勝したら、今度こそ暢子(黒島結菜)にプロポーズすると決めました。三郎(片岡鶴太郎)と順次(志ぃさー)にだけこっそり伝えて、サプライズを狙います。
いや、もう、サプライズとか考えずに、さっさと暢子に伝えて玉砕してほしい。暢子は明らかに智に幼馴染以上の好意を持っていなくて、何度も何度もプロポーズしかけてはぐらかされているのは辛すぎます。「ひとり相撲」という言葉がこれほどぴったりな状況もなかなかないでしょう。
1978年8月13日。海辺の相撲大会は快晴で大盛況。鶴見の人たちが大勢集まってにぎやかです。
智がプロポーズを考えていることを「口の堅い約束の守れる男」(by三郎)順次によって知った和彦(宮沢氷魚)は俄然、相撲大会に力を入れ始めます。穏やかで柔和な雰囲気の和彦ですが、心の中は暢子への恋心で激しく渦巻いている様子。愛(飯豊まりえ)にキスされて、首根っこ掴まれて観念したのではないのでしょうか。
暢子の手製のお弁当(ゴーヤーと魚の天ぷら弁当)を食べて「やっぱりうまいよ暢子の料理」「いままで食べた天ぷらのなかで一番おいしい」とものすごく熱っぽく語ります。
愛はそれを見て、自分の決意を和彦に話そうとしますが(相撲大会に来たのは何か言おうと思ってのことのようです)、「ちむどんどん」でよくある、人の話を遮って自分の話をはじめてしまう失礼な態度を和彦がとります。
「やっとわかった 聞いてほしい 僕たちの結婚のことだけど 僕はやっぱり……」
愛の話がなんなのかまだわかりませんけれど、勝手に想像すると、仕事が楽しくなったから結婚をやめたいと言うのかなと思いますよね。和彦は、愛に花を持たせてやってほしいですよ。せめて、彼女から振る形にしてあげてほしい。
この日の愛はおしゃれなパンツルックで、何か吹っ切ろうとしている印象です。
配慮なく自分の思ったように振る舞う和彦。それだけ恋に夢中で理性が吹っ飛んでいる若気の至りでしょうけれど、視聴者はちむわじわじです。
悪気がないほうが悪い感じがします。
そして、智との試合がはじまりました。「なんでそんな頑張るわけ?」と智を圧倒させるほどの頑張りを見せる和彦。どう考えても智のほうが身体能力高いと思うのですが……。
このエピソードに「なつぞら」第35回のスキー大会を思い出しました。なつ(広瀬すず)に密かに思いを寄せる照男(清原翔)と天陽(吉沢亮)がスキーバトルを繰り広げました。でもこのときはちょっと捻っていて、照男が勝ったら天陽がなつに告白。天陽が勝ったらなつを諦める。という屈折したもの。彼らは自分のためでなくお互いのために必死で勝とうとするのです。エモい話でした。
「なつぞら」第35回は担当されていませんが、チーフ演出は「ちむどん」と同じ木村隆文さんです。
恋愛とスポーツ大会を通して、「なつぞら」の大森寿美男さんはかっこつけたい男のロマンを描き、「ちむどん」の羽原大介さんは男のどうしようもないかっこ悪さを描いているようです。
どちらが好みか人それぞれです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第69回のレビュー}–
第69回:決勝は智対ニーニー
優勝してプロポーズと逸る智(前田公輝)とそれを阻止したいらしい和彦(宮沢氷魚)が対戦。結果は引き分けで、取り直しに。
あまりにもムキになって対抗する和彦の気持ちに気づいているのは愛(飯豊まりえ)だけです。愛の気持ちを思うとかなり切ない場面でした。
結局、和彦は負けて、頑張り過ぎたようで倒れてしまい、病院に運ばれます。
智はその後、順調に勝ち進みますが、途中で足をいためます。智の気持ちには鈍感な暢子(黒島結菜)ですが身体の不調には敏感で心配します。身体の心配以外はそんなに黒砂糖(優勝賞品)が欲しいのか、とか鈍感にもほどがあるのですが……。
決勝戦は賢秀(竜星涼)との勝負。暢子はどちらを応援しようか迷いますが、愛から智がプロポーズするつもりと聞いて動揺。「ニーニー」と応援します。なんて正直な暢子。
愛もいい人のようで、「おあいこ」キスといい、ちょいちょい毒を出してきます。もちろん、彼女はそういうことをして当然な状況なので彼女を悪く思う視聴者は少ないと思いますが。むしろもっとガツンとやってやれという気さえしますが。和彦と暢子のしていることは他者を傷つけているのだと誰かがはっきり指摘してほしいものです。でも愛は決してはっきり言いません。そのせいで我々視聴者がわじわじするのですが……。
暢子がニーニーを応援しはじめた時点ですでに智が可哀相過ぎるわけですが、何も知らない彼は痛む足に耐えて全力を出そうとしたところ、賢秀が和歌子に失恋して脱力していたため、不戦勝ではないけどほぼ不戦勝のように、あっけなく勝ってしまいました。
この後、突然、智と暢子は夕日のきれいな場所にふたりきりに。智に誘われたのでしょうけれど、言われるままにこんなロマンチックな場所についていかないでーという感じです。
結果的に、暢子はそこでプロポーズされると、恋ではなく友情だと智の気持ちを勝手に解釈して押し付けます。
この場面、「若草物語」のジョーとローリーのエピソードをなぞっています。「若草〜」のふたりはとても気の合う友だちでしたが、ローリーがジョーに恋ごころを抱くと、ジョーは理性的に、自分たちの関係は恋愛になったらうまくいかないだろうと線を引くのです。
筆者は子供の頃、ジョーとローリーのコンビ推しで「若草〜」を読み進めていったのでこのくだりがショックで長いこと引きずりました。そのあと、ジョーとローリーが別の人と結婚するのがすごくいやだったのですが、大人になってからそういうこともあるのだと理解できるようになりました。
どんなに仲良くても結婚に向く相性とそうでない相性があるという教えがあります。
大人の経験をもとにしたであろう機微のある物語「若草〜」と違い、「ちむどん」の場合、暢子が和彦を好きというエピソードを入れてしまったがために、暢子と智の友情も、暢子と和彦の恋も、どっちも丁寧に描かれてなくて、暢子が智を拒否する流れがただただ残念な感じに見えます。本来、こっちのほうが現実的なのかもしれませんが。「結婚しよう」と暢子にいきなり迫る智は勘違いのやばい人のようだし、暢子じゃなきゃダメなんだと浜辺を走り去る智が、ねるとんみたいだったし、せめてエモくしてあげてほしいです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第70回のレビュー}–
第70回:劇伴のチョイスが謎
角力大会は智(前田公輝)の優勝で終了。暢子(黒島結菜)と智は気まずい雰囲気。
日射病で病院に運ばれていた和彦(宮沢氷魚)は智の優勝を聞いて落胆するも、翌朝、新聞社で愛(飯豊まりえ)の話をまた遮り、結婚できないととうとう言います。こういうとき、いい感じに新聞社(学芸部)に誰もいません。
愛はいつだって自分の話を聞いてもらえないものだから、手紙を書いていました。
記者らしく要点をまとめてみました
話を聞いてもらえないことへの嫌味ですよね。
あなたが想像もできないくらい私はあなたが好きでした
手紙のなかのこの一文は渾身の愛情であり、嫌味でもあるように思えます。でも愛は最後まで相手を思いやり平和的な解決をする理性にあふれています。
優しいあなたは随分悩んだことでしょう。自分を責めないでください。
和彦の優柔不断かつ不誠実な態度を「優しさ」とするのです。そういうことが可能であったのは、仕事がうまくいって、パリに転勤できることになったからです。もし仕事がうまくいかなかったら和彦にもっと惨めったらしくすがっていたのではないでしょうか。仕事があってほんとうに良かった。
会社にはパンツを履いていけないと言っていた愛がついにパンツスタイルで出社したわけですが、ジャケットとパンツではなく、おそろいのベストとパンツ。ベストの裾のAラインが女性的でやわらかさがあって、ファッションに興味ある者として、女性として差別化してみたセンスが感じられました。
こうして解放された和彦は暢子がプロポーズされたと思っていてうじうじしていましたが、暢子が断ったと聞いて急に鶴見から引っ越さないと言い出します。
引っ越そうとしていたのは「智と結婚するのを見たくなかったから」とまた少年時代ふうな口ぶりをするのです。
なんだかんだで暢子と和彦が結ばれる流れになってきたとき、暢子が「タイム」と言い出して……。「タイム」って……。よくいえば天真爛漫、悪くいえば幼稚。
このときの劇伴が、よくかかる、グングン何かスケールの大きなものが近づいてくるような予感を抱かせる勢いのいいものでした。ですが、ここではなんとなくから騒ぎ感がありました。
第70回は朝ドラ名物「立ち聞き」尽くしであったことも特筆すべき点ですが、劇伴のチョイスが遊んでいる感じにも注目したいです。
まず、賢秀(竜星涼)が養豚所の清美(佐津川愛美)に「好きやんど〜」と酔った勢いで抱きつく場面。やたら場違いな清らかなヴォーカル曲がかかりました。
ふざけて見えても賢秀と清美の関係が運命であるということでしょうか。でも、途中でブツッと切れてしまうのですが……。
次は、愛が和彦に手紙を渡して颯爽と新聞社を出て歩いていく場面。出社したのにどこに行くのか。取材に行くのでしょうか。そこにかかるのは「翼をください」。愛が翼を獲得して羽ばたいたという意味で、美しいチョイスです。
お次はやんばる。優子(仲間由紀恵)と善一(山路和弘)が再婚の話をするも
なんだかお互いの認識がズレている場面。ここでは、賢秀が勝手に熱く燃えあがるようなときにかかるちょっと勇ましい劇伴。善一が本気で優子を想っていることの現れでしょうか。
「ちむどんどん」の劇伴はやたらと大仰なのですが、それが大いなる勘違いの喜劇のように作用しています。それはそれで楽しいんですけどね。
劇伴ではなくSE ですが、暢子と智が気まずいやりとりをした後に鳴る鐘の音のチョイスにも注目です。ウエディングの鐘ではないことに物悲しさが漂いました。「のど自慢」で言ったら高らかに鳴る鐘ではなく、2つ3つ鳴る不合格の鐘のようにも聞こえます。
いろんな工夫のあった第70回。第15週はシリアスになりそうですよ。しんみりできそうですね。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第71回のレビュー}–
第71回:「いまは人生のエアポケットなわけ」
賢秀(竜星涼)の名言出たーー。
第15週「ウークイの夜」(演出:木村隆文)は沖縄編。お盆に暢子(黒島結菜)は賢秀の飛行機代を出してふたりで沖縄に帰って来ました。目的はお盆ということもありますが、優子(仲間由紀恵)の再婚話を確かめるためでもあります。沖縄までの交通費も高額でしょうから用事はいろいろまとめられると便利ですよね。
飛行機代は倍にして返すと賢秀は相変わらずうそぶいています。
家族のなかで唯一、賢秀に厳しい良子(川口春奈)に「いいかげん地道に働かないと人生終わってしまうよ」と諭されると「いまは人生のエアポケットなわけよ」と体験したての「エアポケット」という言葉を使って反論。賢秀もただのお馬鹿さんではなくそういう言葉のチョイスのセンスもあるのですがいかんせんうまく生かせてないのが惜しい。
良子、暢子、歌子(上白石萌歌)、比嘉3姉妹が7、8年ぶりに再会。海辺で近況を語り合います。
離婚を考えてる良子、結婚と仕事に揺れる暢子、民謡歌手になりたい歌子。それぞれが自分のほんとうにやりたいことを見つめようとしています。
海ロケってほんとうにいいものですね。風に髪やスカートがなびくだけで120%画のレベルがアップします。
歌子の話を聞く暢子はお姉さんの顔です。黒島さんってほんとはこっちの落ち着いた理知的な感じなのではないかなあと思って見てしまいました。
落ち着いた感じもいいですが智(前田公輝)のプロポーズを断ったあとに今度は和彦(宮沢氷魚)からという大変な状況を良子も歌子も冷静に聞いているのが謎。恋と無縁だった暢子にいきなり恋の嵐なのですからここはきゃっきゃと大騒ぎするところではないのでしょうか。
歌子ももっと動揺を見せてもいいのでは(上白石さんは若干、控えめながら微妙な表情をしていました)。
噂の和彦ですが、運命は彼を沖縄へと向かわせます。着目していた遺骨収集をやっている人物・嘉手刈源次(津嘉山正種)に会えるチャンスが。全部、田良島(山中崇)がお膳立てしてくれます。
朝ドラヒロインは苦労知らずでトントン拍子があるあるですが、相手役までトントン拍子。
全部、他人任せの和彦。そのうえ、うじうじと「まだ気持ちの整理がつかなくて」と恋愛問題によって仕事にやる気が出ないと田良島に甘えるのは言語道断。
男とか女とか関係ないですが、ここはあえて旧来の言葉遣い「男らしくない」「女々しい」を使いたい気分です。つまり和彦は従来の「男らしさ」とは別の属性として描かれているのでしょう。
男らしくなくてもいいとはいえ、それと仕事は別。いったいなんと心得ているのでしょうか。そんな視聴者の苛立ちは田良島が代弁してくれました。
ちょっと大仰な物言いで「おまえの犯した罪と罰」を端的に解説し「穴があったら入りたいくらいみっともない」とあざ笑います。この「みっともない」に胸がすく思いだった視聴者も少なくないでしょう。
このくだりで作り手は確信犯的に和彦をみっともなく描いているのがわかりますね。
作為ありありなのは、嘉手刈とつないでくれたのが房子(原田美枝子)であること。困ったときはいつも房子。しかも旅費のカンパまで!
そして都合よく和彦はやんばるへーー。そこで出会ったのはーー。
運命がみんなを結びつけているという素敵ストーリーはみんな大好きでしょうと思っての展開でしょうか。ここも田良島に痛快に解説してほしいところです。
ところで、優子と再婚する話が持ち上がった善一(山路和弘)は問い詰めに来た比嘉4兄妹に「おれの勝手な思いで優子さんを苦しめたり、この村にいづらなったりすることがあってはならんさー」と気づかいを見せます。
自分のことばっかり考えている比嘉兄妹や和彦と比べて善一は「善」と名がついているだけあって他人想いです。比嘉兄妹や和彦にもそういう気持ちがちょっとでもあるといいですよねと思わせるのも作り手は織り込み済みなのでしょう。ここも田良島に批評してほしい。中間管理職ってものごとを客観的に見る役割なんですね。
厳しく批評しながら応援する、人生の中間管理職ってすてきな職業です。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第72回のレビュー}–
第72回:和彦、記者歴何年めなんだ?
急に違うドラマがはじまったかと思ったと感じるのは朝ドラあるある。
第72回も急にムードが変わって敬虔な空気が漂います。ある意味これも日常の合間の特別なエアポケットのような時間でしょうか。
ウークイと呼ばれるお盆の送り火を行う日、亡くなった方を送る行事で、御三味という料理を作るのがならわしのようです。
比嘉家でも、鶴見のあまゆでも、遺骨収集をしている嘉手刈(津嘉山正種)の家でも。
嘉手刈を取材に来た和彦(宮沢氷魚)は最初はあしらわれます。
必ず聞き出しますよ、とやる気の和彦に田良島(山中崇)は「おまえ何様だ?」と叱る。当たり前ー。視聴者のほうがわかってる。
最初はこーゆーわきまえないことをしてしまうこともあるとはいえ、和彦、何年記者やってるのか。最初にイタリア人シェフにやらかしたときから成長していない。
今日は特別な回だから小姑トークしたくないのだが、特別なことを描くためにも手順があるでしょう。
せっかく、沖縄の歴史を語り継ぐ必要性を説くエピソードなのだから、そこに至るまでを丁寧に繊細に描いてほしかったなーと惜しい気持ちになりました。
ただ現実は和彦のように考えなしにずけずけ踏み込んでしまう人が少なくないのでしょう。彼は若気の至りの代表格で、こんなふうになんにもわかっていない人が徐々に歴史に理解を深めて行く。その大事さを描きたいのだろうと想像もします。
6年記者やって、わりと真面目な勉強家なのにこんな基本的な礼儀を知らないように描かれてる和彦がかわいそうですが。
そして結局、房子(原田美枝子)が活動に寄付をしていたことで取材もできるようになります。
取材にはコネや運も大事とはいえ、ライターをやってる身からしたら、こんなに容易に相手の懐に入れて良いですね〜とうらやましくなりました。ドラマだからそんなものですけど。
田良島も沖縄の取材をしていたことが判明。すべての縁が沖縄につながっています。
一見ご都合主義的ですが、房子が「あの子(暢子)がこの店に来てからいろんなことが動きだした気がする」と言うことで魔法の世界になり、なんでもありです。
優子(仲間由紀恵)が家族に内緒で遺骨収集をしていたことも、前からなにか秘密の行動をしていたと4兄妹が認識していた後出しで辻褄合わせになりました。
いよいよ4兄妹が母の秘密を知る時が来ました。
巫女の家系だというファンタジーになっても驚きません。
でもきっと、沖縄のことをものすごく真摯に考えて作っているのだと思います。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第73回のレビュー}–
第73回:それぞれの戦争の時代にさかのぼってゆく
第73回の謎は3つ。ひとつはこれまでいつでも話せたであろう優子の過去ーー戦争体験をこの時期ーー暢子(黒島結菜)が家を出て6年ほど経過、24歳くらいになったときに語り始めたのか。
もうひとつは、比嘉家のみならず、賢三(大森南朋)の叔母・房子(原田美枝子)の過去と、鶴見の沖縄県人会の会長・三郎(片岡鶴太郎)の過去の話をわずか15分のなかにぎゅぎゅっと盛り込んでいるのか。
3つ目は、ぎゅぎゅっと詰め込むために、重い話を回想で一気に語ってしまうわけ。
これらのタイミングにはウークイという死者を送る年に一度の行事の日だからみんなが思い返すという理由はつきます。
年に一回あるなかで”今”であった必然性といえば、子供たちが大人の階段をのぼりはじめたからでしょう。
恋に疎かった暢子が結婚を意識しはじめ、体の弱かった歌子(上白石萌歌)が民謡歌手になる決意をしたり……。子供たちが、賢三が作り、亡き後、絶対に売らずに優子が守り抜いた家を巣立っていく。そのタイミングだったのではないでしょうか。
もうなかなか家族全員が顔を揃えることもないと感じた優子が、全員そろったこのタイミング、いまこそ話そうと思ってもおかしくはありません。
戦争については嘉手刈(津嘉山正種)も言っていたように、語りたくない人もいいます。戦争に限ったことではなく、一般論としても、あるとき、ふと、昔の話を祖父が孫に、父母が子供にすることはあるものです。何かの記念日や、区切りのとききっかけもあるだろうし、ほんとうにたまたまということもあります。
なかには、話を聞かないままになってしまうことだってあります。筆者も祖父母の話を聞かなかったことを後悔しましたが、いまさら祖父の残した回想録を読んでいます。
房子が二ツ橋(高嶋政伸 たかはふたごだか)に、三郎は田良島(山中崇)に話はじめます。房子と賢三の関係はすでに語られてはいたものの、田良島の兄が沖縄戦で亡くなっていて、だからこそ「鉄の暴風」(沖縄戦時、沖縄が米軍から約3ヶ月に渡って激しく攻撃されたこと)のことを記事にしたかったことを語りだし、三郎は戦後シベリアに収容されていた壮絶な体験を語ります。
運命的なもので、暢子がたまたまアッラ・フォンターナに来たことですべての縁が繋がったという、因縁話的なこと。でも、これにも理屈をつけることは可能です。
戦争と戦争で亡くなった人たちの記憶を抱えている人たちは比嘉一家だけではありません。無数の人たちがそれぞれの記憶を持っています。シベリアから帰れない人たちのこともそのひとつ。ひとつではなくいくつもの経験を描きたかったのではないでしょうか。
3つ目の、回想形式にしたこと。この時代の物語を作っても見応えがありそうなところそうしないのは、「ちむどんどん」が当時を知る者目線の物語ではなく、知らない若い世代の目線の物語だからです。
これまた嘉手刈が言っていたことで、過去を知る者がいなくなっていきます。これからどうやって伝えていくかと考えたとき、物語として過去の体験を描くのではなく、物語ではない実話なのだと若い世代が”聞いて、識る”ことを描くことが重要になっていきます。
「ちむどんどん」は「識る」ことを自分事にする物語なのです。
「平家物語」に代表される「語りもの」(口伝)というジャンルはあって、誰かが物語化して多くの人に伝えてきたことが、長く残っています。暢子や和彦(宮沢氷魚)が大人たちから語り聞いて、それをまた伝えていかなくてはならない。それが暢子たちの運命なのでしょう。
壮絶な体験を語る優子を演じる仲間由紀恵さんは、沖縄生まれで、沖縄の前身・琉球の物語の主人公も演じたことがあり、沖縄の文化・琉球舞踊も習っていたかただから、抑制された口調に様々な感情がぎゅっと詰まっているようで説得力がありました。
そして、賢三が子供たちに自分が正しいと信じたことを貫くように語ったことには深い意味があるようです。
ちなみに津嘉山正種さんも沖縄出身、「津嘉山正種ひとり語り『沖縄の魂~瀬長亀次郎物語』」や「津嘉山正種ひとり語り『戦世(いくさゆう)を語る』」などを上演し歴史を語り継いでいます。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第74回のレビュー}–
第74回:ウークイの送り火の粉が空に舞う
いつかこの記憶を子供たちにも話そうと思いながら、話したら泣けてくるから沈黙を貫いていた優子(仲間由紀恵)がついに戦争の記憶を暢子(黒島結菜)たちに語ります。
戦争で家族を全員亡くし、収容所で孤独だった優子(若い頃:優希美青)は、実家の食堂で働いていた賢三(大森南朋/若い頃:桜田通)と偶然再会し、共に生活するようになりました。
泣くことも笑うこともできなくなっていた優子に「家族の分まで幸せになれ」と励ます。当の賢三も戦争のあと東京の房子(原田美枝子/若い頃:桜井ユキ)のところに身を寄せたときは笑顔が消えていました。感情がなくなって虚ろになるほどの壮絶な体験をしたのでしょう。
最初は兄妹のように暮らしていたふたりは結婚して4人の子供に恵まれたのです。
賢秀は死んだ弟・秀夫にそっくりと思ったと語る優子。賢秀の「秀」は弟の名前からとったものだったのでしょうね。賢秀が何をやっても叱らず、自由にさせてきた理由は、長男だからというだけではないことがここでようやくわかります。
秀夫がこの手のなかで死んで後悔ばかりの優子は、生まれ変わりのような賢秀にはやりたいように生きてほしいという一心で溺愛になってしまったのでしょう。
賢秀に限らず、優子が常に子供たちの自主性に任せ、何をしても黙って肯定、できるだけ協力しようとしてきたのはひとり生き残った彼女ができることがそれしかないと思っているからなんでしょうね。
「亡くなった人の分まで あなたたちには幸せになってほしい」
自分の家だって裕福ではないにもかかわらず、智(前田公輝)一家にごちそうをまるごと譲ってしまうのも、弟が亡くなったとき、自分の食べる分も弟にあげたらよかったという後悔がそうさせるのだと思います。
それは引いては、誰もが平等に生きる自由があるという世の真理でもあります。
さらに言えば、どんなに自由気ままに振る舞える環境にあっても、志半ばで亡くなっていった先人たちがいて今があることに思いを致しながら生きなくてはいけない。
比嘉兄妹が奔放でわりと他人を気にしないで自分勝手に振る舞っているのは、この真理や教えを際立たせるものなのでしょう。彼らがどんなに共感できないキャラでも生きる自由がある。だから誰も彼らをとがめる権利はないのです。ただ、彼らもまた周囲に配慮して生きることを覚える必要があるのです。そんなメッセージを感じるドラマにもかかわらず、主要人物たちが許容できないという視聴者の声が多いというパラドキシカルなドラマです。この身を引き裂かれるように痛い気持ちが、多様性や共生がいかに困難なことかと伝えてくるようです。
この難しいことを実践することも、伝えることもほんとうに難しいと感じます。どうしたら実践できるか、伝わるのか工夫しながら続けるしかないのでしょう。
生き残った優子は家族と隣人に無償の愛情を注ぐ一方で、遺骨収集活動にも参加していました。そのきっかけになったのが、田良島(山中崇)の書いた嘉手刈(津嘉山正種)たちの活動の記事。それを読んで賢三と共に手伝いに行っていました。
田良島の記事が、優子たちを突き動かし、20年もして和彦(宮沢氷魚)をも突き動かしたということです。房子も記事を読んで寄付するようになったのかもしれません。優子は東京に来てそれを初めて知ったのでしょうか(前から知ってたら暢子が房子の店で働いていることを知らなかったことと辻褄が合わないですものね)。
田良島自身、沖縄戦で兄を亡くし「いまでも沖縄のどこか山のなかにいるんです」と心に引っかかりを持ったまま生きています。
「終わっていないわけ うちの戦争は。いつまでたっても……」
当事者の代で解決できないことは代々引き継いでいく必要があります。ジャーナリストの記事が多くの人の心を動かし、活動の一助になったことを書いたことは光です。
また、これは沖縄の話だけれど、沖縄に限ったことではない気がします。いろんな局面で亡くなった人がいて、その亡骸を残された者たちが葬ることができない状態で、長い時間、探し続けている人達が世界にはたくさんいるのです。
優子の話が終わると、送り火を焚きます。長男の賢秀がウチカビという紙幣を燃やします。これはあの世にもっていくお金だそうです。「あさイチ」で博多華丸さんが説明してくれました。六文銭のようなものですね。地域が違っても死者にお金をもたせる習わしがあると思うと興味深いです。
歌子がおなじみの「てぃんさぐの花」を歌います。
天上に群れる星は数えられるが親の言うことは数えきれないという親の言うことがことのほか大切であることを歌った歌が、これまで以上に胸に響きます。
「また来年ね」と遠い空に向かって語りかける優子の声も染みました。
無数の小さな灰と火の粉がゆらゆらと空に上がっていきます。
「あさイチ」で博多大吉さんも言っていたけれど、これをきっかけに賢秀は考え直してほしいですね。「グレート」とか言っていないで真面目に働いて。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第75回のレビュー}–
第75回:僕はこの手を絶対に離したくない
ウークイの夜を終えて、朝。
朝日に祈る賢秀(竜星涼)。無性に働きたくなって朝早くから旅立っていきました。これはいい傾向です。
賢秀だけではありません。上白石萌歌さんの歌う「芭蕉布」の歌をバックに、比嘉家、それぞれの再出発です。
優子(仲間由紀恵)は善一(山路和弘)に再婚はできないと断りを入れます。
良子(川口春奈)は博夫(山田裕貴)のことを「絶対に諦めない」と決意します。必ず3人で暮らせるようにすると。
歌子(上白石萌歌)は民謡教室に通いはじめました。はにかみ屋な彼女が思いきり高く明るい声で挨拶したとき、ちむどんどんしました。
そして暢子、房子(原田美枝子)に電話して「(仕事も結婚も)両方つかみなさい」と発破をかけられます。
どうしようかな〜みたいな感じで浜辺でぼんやりしていると、和彦(宮沢氷魚)が現れます。嘉手刈(津嘉山正種)が遺骨収集をはじめた理由を暢子に話す和彦。
敵軍の攻撃から逃げる途中、女の子の手をつないで一緒に逃げたものの、あまりの激しさに手を離してしまった。それで、
「ずっとあの子を探しているだけなんです」
その切実な言葉を聞いた和彦は、感極まって暢子の手を握ります。
「僕はこの手を絶対に離したくない、嘉手刈さんの分まで。絶対に 絶対に離したくないんだ。暢子」
戦争に関するひとり語りを行っている津嘉山さんの語りの力。ほんとうに経験したことのように語ります。沖縄の言葉も出身者だから自然です。
言葉の力、語りの力が強く、あまりにも迫真で、言葉ひとつひとつが胸に響きます。知らなかった過酷な戦争、知らなかった父母の馴れ初め……それらを聞いた暢子や和彦の心は平常よりも鼓動が早まったことでしょう。体温もあがり、呼吸も速くなり、得体のしれないざわつきが心身を襲ったことでしょう。その現象はいわゆる「吊り橋効果」のように、暢子と和彦を急速に結びつけます。
幸せになりたくて、なりたくてちむどんどんしている
房子の「つかみたくてもつかめなかった人たちの分まであなたは全部両方つかみなさい」というセリフにもあるように幸せの途中で亡くなった方々のためにも、残された者が幸せにならないといけないという考え方に基づいたのでしょうか、暢子と和彦は、たくさんの命が眠っている海の前で結婚を誓います。
「うちと結婚してください」と暢子は、先日の和彦の告白の回答をします。タイム終了です。
口づけを交わすふたりを見て、残された者が幸せになって、誰もが幸せになれる世の中を作っていくのだという教訓を感じることは可能です。命は循環します。結婚とは命をつないでいくための行為です。
単純に、おめでとう〜!と嬉しくなる視聴者もいるでしょう。一方、この人達はいつだって他者の話を自分の話にすり替えてしまうのだなあと、やれやれ……という気持ちになる視聴者もいることでしょう。それと、思ったことをすぐに行動に出すのだなあとも(和彦が海に急に現れるのは、智が暢子の気持ちを考えずにどんどん行動するのと似ています。このドラマ、複数の登場人物の行動や考え方がいっしょなんですよね)。
気になっていた、房子が遺骨収集に寄付をはじめたきっかけは、暢子の養子話のときに、優子から手紙で聞いたそうで。これもまた、暢子を養子に出すと言ってドタキャンのお詫びの手紙に、私は遺骨収集をしていますという余談(この件は大事ですが、お詫びが主題の場合は余談でしょう)を書いたのか首をかしげます。房子にとってはいい情報だったから結果オーライですが。
「つかみたくてもつかめなかった人たちの分まであなたは全部両方つかみなさい」はそのとおりなのですが、愛(飯豊まりえ)と別れて数日、戦争の知らなかった側面を知って翌日、自分たちは幸せになる! というのはあまりに早くないでしょうか。幸運には前髪しかないから思い立ったが吉日なのでしょうか。沖縄戦の話→プロポーズ が映像を飛ばし見しちゃったかと思うほど速かったです。
戦争で離してしまった手とさほど苦労していない自分たちの手を一緒にしてしまうのはあまりに乱暴ではないでしょうか。理屈じゃないんだ、考えるな感じろであって、詰まるところ同じだとしても、その結論にたどりつくにはもっとゆっくり時間をかける。それが多くの人に届ける物語ではないでしょうか。なにしろこれは125回もあるドラマなのです。
あらゆることを”自分事”にして考える というのははたしてこういうことなのでしょうか。今日もまた課題をもらいました。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{「ちむどんどん」作品情報}–
「ちむどんどん」作品情報
大好きな人と、おいしいものを食べると、誰でも笑顔になる―――
ふるさと沖縄の料理に夢をかけたヒロインと、支えあう兄妹たち。
“朝ドラ”第106作は個性豊かな沖縄四兄妹の、本土復帰からの歩みを描く
笑って泣ける朗らかな、50年の物語。
放送予定
2022年4月11日(月)~
<総合テレビ>
月曜~土曜: 午前8時~8時15分 午後0時45分~1時(再放送)
※土曜は一週間を振り返ります。
日曜: 午前11時~11時15分(再放送)翌・月曜: 午前4時45分~5時(再放送)
※日曜、翌・月曜は、土曜版の再放送です。
<BSプレミアム・BS4K>
月曜~金曜: 午前7時30分~7時45分
土曜: 午前9時45分~11時(再放送)※月曜~金曜分を一挙放送。
出演
黒島結菜
仲間由紀恵
大森南朋
竜星涼
川口春奈
上白石萌歌
宮沢氷魚
山田裕貴
前田公輝
山路和弘
片桐はいり
石丸謙二郎
渡辺大知
きゃんひとみ
あめくみちこ
川田広樹
戸次重幸
原田美枝子
高嶋政伸
井之脇海
飯豊まりえ
山中崇
中原丈雄
佐津川愛美
片岡鶴太郎
長野里美
藤木勇人
作:
羽原大介
語り:
ジョン・カビラ
音楽:
岡部啓一 (MONACA)
高田龍一 (MONACA)
帆足圭吾 (MONACA)
主題歌:
三浦大知「「燦燦」
沖縄ことば指導:
藤木勇人
フードコーディネート:
吉岡秀治 吉岡知子
制作統括:
小林大児 藤並英樹
プロデューサー:
松田恭典
展開プロデューサー:
川口俊介
演出:
木村隆 松園武大 中野亮平 ほか