2022年4月11日より放映スタートしたNHK朝ドラ「ちむどんどん」。
沖縄の本土復帰50年に合わせて放映される本作は、復帰前の沖縄を舞台に、沖縄料理に夢をかける主人公と支え合う兄妹たちの絆を描くストーリー。「やんばる地域」で生まれ育ち、ふるさとの「食」に自分らしい生き方を見出していくヒロイン・比嘉暢子を黒島結菜が演じる。
cinemas PLUSでは毎話公式ライターが感想を記しているが、本記事では<沖縄編>の記事を集約。1記事で第1回~25回までの感想を読むことができる。
- もくじ
- 第1回レビュー
- 第2回レビュー
- 第3回レビュー
- 第4回レビュー
- 第5回:賢三の歌が沁みる
- 第6回:やりきれないお父さんの突然死
- 第7回:黒島結菜さんにも走ってほしい
- 第8回レビュー
- 第9回:青柳史彦が故郷と思い出の大切さを語る
- 第10回レビュー
- 第11回:黒島結菜の走りにちむどんどんする!
- 第12回のレビュー
- 第13回レビュー
- 第14回レビュー
- 第15回:暢子、就職内定を蹴る
- 第16回:3人姉妹のなかで暢子が主役である理由
- 第17回レビュー
- 第18回:比嘉きょうだいの魂を燃やすもの
- 第19回:暢子に邪気がこれっぽちもなくて清々しい
- 第20回:北部産業まつりに主要登場人物たちが集う
- 第21回:第5週は”大きな禍”からはじまった!
- 第22回:いじわる叔父さんのほうが正論?
- 第23回:優子、どれだけ働くんだ
- 第24回:ふーちゃんぷるーは冷めたけど
- 第25回:お父さんの包丁をもらう暢子 涙の旅立ち
- 「ちむどんどん」作品情報
もくじ
第1回レビュー
今日4月11日からはじまった”朝ドラ”こと連続テレビ小説「ちむどんどん」に”ちむどん”どんする!
「ちむどんどん」とは心がドキドキすること。「じぇじぇじぇ」(「あまちゃん」)「びっくりぽん」(あさが来た」)などのようについ使ってしまいそうないい響きです。
沖縄本島・やんばるを舞台にした、食べることが大好きな主人公・比嘉暢子(黒島結菜)と家族の物語。
第1回は徹底して暢子の”食欲”にフォーカスしていました。
シークワーサーにはじまって、ゴーヤチャンプルー、サーターアンダギー(「ちゅらさん」でもおなじみのスイーツ)と美味しいものが出てきます。暢子の食欲はとどまるところを知らず、東京からやって来た(「やまとんちゅ」と呼ばれる。沖縄のひとは「うちなーんちゅ」)、靴下はいてる都会的な少年・青柳和彦(田中奏生)に素っ気なくされても気にしないで「東京の美味しいもの食べたーい! 食べたーい」と海に向かって叫ぶのです。食べ物のことしか考えていません。なんてのーてんきな暢子。「おいしいものノート」も熱心につけています。実際に書籍化されると予想したら「レシピブック」の発売が早くも予定されているようです。
明るく元気なヒロイン、沖縄の大自然(4Kで観ると良さそう)、美味しいものいっぱい。キツツキ、豚、ヤギ、猫! 動物いっぱい、仲良さそうな家族……と王道・朝ドラの要素が詰まっています。ここまで王道の朝ドラは久しぶりではないでしょうか。この原点回帰にいろんな意味で”ちむどんどん”してきます。そんななかで、朝ドラレビューを毎日休まず書いて8年めに突入する筆者的に注目したのは、本ヒロインと子役の切り替えです。
朝ドラではまず、主人公の子供時代が描かれますが、事前に番宣で周知している本ヒロイン(「ちむどんどん」では黒島結菜)が出てこないと本番感が薄れるのですが、今回はまず1971年(昭和46年)の暢子(黒島)が出てきてシークワーサーをもいで香りをかぎ、かじり笑顔になり、もう一個もごうとした手から時間が遡って1964年(昭和39年)に、子役・稲垣来泉へと変化しました。
似たような服を着て髪型も近く、本ヒロインから子役になめらかな変化で良かったです。しかも、黒島さんと稲垣さんの腕の華奢さが似ていました。今度は子役から黒島さんに再び戻る回がどうなるか気になります。
稲垣さんは「スカーレット」で福田麻由子さんが演じたヒロイン喜美子(戸田恵梨香)の妹・百合子の幼少時を演じていました。ヒロインのきょうだいの子役からヒロインの子役へステップアップしました。
朝ドラも大河ドラマも前述したような理由(やはり本主役を期待する)で子役時代は短めな昨今ですが、逆に子役時代がすごくいいと好評なこともあって(「なつぞら」や「おちょやん」など)子役が注目されることもしばしば。稲垣さんも利発そうで元気そうで彼女が演じる暢子の少女時代をしばし楽しみたいです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第2回レビュー}–
第2回レビュー
「ちむどんどん」第1週「シークワーサーの少女」は先週までやっていた朝ドラ「カムカムエヴリバディ」と少しだけ重なっています。
「豆腐」と「お菓子(あんこ)」です。
毎朝、比嘉暢子(稲垣来泉)は近所に「豆腐」を買いに行きます。豆腐を売ってるのは同級生の砂川智(宮下柚百)。「カムカム」でも主人公・安子(上白石萌音)の幼馴染・きぬ(小野花梨)の家が豆腐店を営んでいました。
そして、お菓子(あんこ)。
暢子は美味しいものに目がなくて、東京からの転校生・青柳和彦(田中奏生)に東京の食べ物の話を聞こうとつきまといます。
ある夜、和彦が父・青柳史彦(戸次重幸)について訪ねて来ます。
史彦がもってきた手土産のお菓子に暢子は「ちむどんどんする」と大喜び。
そのお菓子は最中です。「カムカム」の回転焼きとあんこが決め手である点では仲間です。
1964年、これがきっと史彦なりの上等なお土産なのでしょう。
菊の花びらのような最中を東京土産として持ってきた史彦と、暢子の母・賢三(大森南朋)と優子(仲間由紀恵)は戦争の経験を語り合います。
東京のあんこをさらさらして美味しいと無邪気に味わっていた暢子ですが、夜遅く、優子が泣いている姿を見てしまい……。
「ちむどんどん」がただただ明るくさわやかで美味しいものいっぱいのドラマではなく、その奥に何かを秘めていることがわかります。
史彦は民俗学者で、沖縄の歴史や文化を調べ語り継ごうとしていますが、気になった点がひとつ。
夜、比嘉家に挨拶に来て、いきなり「三線ですか」「糸作りですか」「写真を撮っても……」とぐいぐい取材者目線を注ぐのです。
取材のアポをとって訪ねたわけではなくて、あくまで引っ越しの挨拶に来て、この前のめり感はいかがなものかと、取材を仕事をしている身としてはすこし気になりました。話題が重くなってしまったからとはいえ、せっかく出してもらった酒のつまみに手もつけずに帰ってしまうし……。
沖縄に限ったことではないですが、地域を舞台にしたドラマを描くとき、観光客視点ではなくて、
地域の生活に根付いたものにすることが大事。あえて観光視点の人物を置いて、そのぶしつけさを反面教師のように描くこともあるでしょう。史彦はそういう設定のキャラではなく、地域に暮らしながら、本質を知っていくタイプの人物と思うのですが……。
それはともかく、暢子のお母さんで、とても慈悲深い優子を演じている仲間由紀恵さんのたたずまいが沖縄の生活に馴染んでいるように感じて見入ってしまいます。
仲間さんは沖縄出身。筆者はいまから20年前の2002年、仲間さんの代表作で沖縄(宮古島)ロケもあった「TRICK」を演出した堤幸彦さんの本「堤っ」のなかの堤さんが沖縄(宮古島)で仲間さんを撮影する企画に同行したことがあります。そのときの対談で仲間さんは、沖縄といっても海をはじめとして自然いっぱいなところばかりではなく、仲間さん自身が育った浦添市は自然が多い地域ではないのだと語っていました。
返還前の沖縄を舞台にした「ちむどんどん」の世界が、沖縄出身だからといって仲間さんにお似合いだとひとくくりにしてしまうのはそれこそ観光目線だと思いながらも、それでもなぜかものすごくハマって見えます。
本の取材のときに訪ねた宮古島は仲間さんが子供ときによく行っていた場所だそうで、そこの民家やそこに住んでいる方々から流れる空気が「ちむどんどん」の居間の空気(時代も環境も違いますが)になんとなく似ていたような気がして……。
仲間由紀恵さんがいることで「ちむどんどん」に安心感が生まれているように感じます。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第3回レビュー}–
第3回レビュー
”暢子のお父さん賢三さん”
暢子(稲垣来泉)のお父さん・賢三(大森南朋)は第1回からメッセージ性のあるセリフが多く、朝ドラの中では”いいお父さん”です。
第1回は「自分の信じた道を行け」「正しいと信じた筋を通せば答えは必ずみつかるからよ」と暢子に語り、第2回は 毎朝、お願いしたいことと謝らないといけないことをお祈りしていました。
第3回でも暢子にメッセージを語りかけました(後述します)。
朝ドラでは”いいお父さん”と”困ったお父さん”がいまして、「ちむどんどん」は”いいお父さん”。直近のお父さんを振り返ると「カムカムエヴリバディ」の錠一郎(オダギリジョー)は家計を担ってはいないものの、家族想いで芸術を愛するいいお父さんでした。
「おかえりモネ」の耕治(内野聖陽)は家族想いのいいお父さん。
稀代の困ったお父さんといえば、「おちょやん」のテルヲ(トータス松本)で、娘を身売りしたうえ、さらに彼女の給金を当てにして、稀代の毒父と不評を買いました。
このテルヲをピークに、ハラスメントが問われる最近、ドラマにもいいお父さんが増えているように感じます。
目下、賢三は申し分ないいいお父さん。
家族をあたたかく深いまなざしで見つめる賢三役の大森南朋さんは2020年に大ヒットした連ドラ「私の家政夫ナギサさん」(TBS)で料理上手な癒やしの家政夫キャラを演じて人気を博しました。
「ちむどんどん」第3回では、暢子に沖縄そばづくりを教える賢三の様子にナギサさんが蘇りました。「私のお父さん賢三さん」!
料理番組のような軽快な劇伴が流れるなか、暢子とお父さんのそばづくりは心が踊りだすようでした。暢子がそばを踏みながら踊るように回っている姿はとても楽しそう。
暢子の美味しいもの好きはどうやらお父さん譲り。お父さんはお世話になった人からもらった名前の彫られたマイ包丁をもっていて、過去、料理人をやっていたのではないかと想像させます。
賢三は暢子に「自分を信じて作りなさい」と料理の心を教えます。
なんてあたたかいドラマでしょう。
沖縄そばをはじめとして心をこめてごちそうを作り、東京から来た青柳父子(戸次重幸、田中奏生)をもてなそうとする比嘉家。
とそこへ、第1回に登場した豚のアババがいないと長男の賢秀(浅川大治)が血相を変えて……
そのとき食卓には油の乗った美味しそうな豚肉料理が……。
誰が見てもわかるこの悲劇的な状況を、賢三がメッセージ性のあるセリフで子どもたちに説明してくれるに違いありません。
さて。青柳父子をもてなす理由は、和彦が暢子を助けたお礼。とはいえ、ほんとうは和彦を暢子が助けようとして逆にケガしてという回り回ってのことです。
東京が恋しい和彦は、暢子に誘われて森に行ったり、賢秀に沖縄角力(ずもう)を教えられたりと、じょじょに沖縄の魅力を知っていきます。第2回で前のめりに足早に距離を縮めようとしていた沖縄リスペクトの民俗学者のお父さんよりも、和彦のほうが期せずして体験から沖縄を知っていくという理想の学びをしているように思えます。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第4回レビュー}–
第4回レビュー
予想どおり、青柳父子(戸次重幸、田中奏生)のもてなしに豚のアババが
使用されていました。
真相を知ったとき、アババの小屋に表札を凝って作るほどかわいがって飼育していた賢秀(浅川大治)がもっと泣いて両親(大森南朋、仲間由紀恵)を責めるかと思ったら「アキサミヨー!」(「嗚呼!」みたいなものでしょうか)と叫び、一瞬「おれのアババを食べないでくれ」と止めるものの、すぐに気持ちを収め、おいしく頂きます。
期待どおり、お父さん・賢三がメッセージ性のあることを語りました。
「生きているものはほかの生き物 植物や動物を食べないと生きていけない。人間も同じさぁな。『頂きます』とは命を頂くこと。だからきちんと感謝しながらきれいに食べてあげる。それが人の道。筋を通すということさ」
「命を頂くこと」という言い回しはよく聞きますが、ここで注目したいのは、それが「筋を通す」ということであるという考えです。
「筋を通す」によってよけいに食べる行為に重みが増すような気がします。
ラフティーに沖縄そばの出汁にと、アババは大活躍。
アババへのリスペクトを感じながらもりもり食べているときに流れる劇伴がバンドネオンの音色がなんとも切なくて、こんなにも生きるかなしみに溢れ、でも明るく力強い食卓はいままで見たことありません。
朝からすごいヘヴィなものを観せられてちょっと参ったなと思ったら、末っ子の歌子(布施愛織)がケロッとしたオチがつけて助かりました。
バンドネオンから賢三が奏でる三線に音色は代わり、暢子たち(稲垣来泉)たちは踊ります。和彦も見様見真似で踊ります。
両腕をあげてゆらゆらと動かすこれは「カチャーシー」という沖縄の人々の生活に根付いた踊りで、「かき混ぜる」という意味があり、みんなで自由に即興的に踊るものです。
賢三は、自分たち沖縄の人たちの生き方を「行き当たりばったりの人生」だと語ります。
「大和世(やまとゆー)」「戦世(いくさゆー)」「アメリカ世(あめりかゆー)」とそのときの状況に合わせていく。そうやって生き抜いてきた……。
「筋を通す」生き方を語ったそばから「行き当たりばったりの人生」を語る賢三。
大人は矛盾を抱えていますが、子どもたちはいたって無邪気です。
東京から沖縄に来て、つまらなそうにしていた和彦が沖縄そばをいままで食べたなかで一番おいしい」と心から笑顔になり、ようやく暢子と打ち解けていきます。
そして、比嘉家の4兄妹たちと文通することに。
暢子の最初の手紙は「なに食べた?」
「きのう何食べた?」みたいです。
海、川、サトウキビ畑……ではしゃぐ子どもたち。
みんなの笑顔に流れる女性ボーカル曲は美しくももの悲しく……。
生きるかなしみが染みる第4回は第1週のピークだと思います。
おそらくこれが「ちむどんどん」の主音でしょう。
「あさイチ」で博多華丸さんも注目していた仲間由紀恵さんの腕の動きの繊細さもそれを象徴しているような気がしました。
でも早くも和彦とのお別れが近づいてきているようで……。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第5回レビュー}–
第5回:賢三の歌が沁みる
豚のアババを犠牲にしてまで青柳父子(戸次重幸、田中奏生)をご馳走でもてなした比嘉家。
今度は、青柳家がお返しに那覇のレストランでごちそうします。8人分とは史彦(戸次)かなりの出費だと思うけれど、賢秀(浅川大治)のかわいがっていた豚一頭つぶしてもらったことには代えられないでしょう。
靴をはいている青柳家に対して全員ビーサンの比嘉家は、洋食のテーブルマナーも知りません。
でも青柳父子に教わって、滞りなく楽しく食事ができます。
こういう場合、ビーサンやテーブルマナーを知らないことから比嘉家が悲しい目に遭うエピソードを描くドラマもあるでしょう。でも「ちむどんどん」にはそれはなく、暢子たちは、あさりのスープ、海の幸のサラダ、ハンバーグ……に舌鼓を打ち、デザートのプリンにまでたどりつきました。
暢子(稲垣来泉)は「おいしいものノート」に記しながら食事し、料理長をかっこいいと憧れの目で見ます。
優子(仲間由紀恵)はじつは食堂の娘だったと意外な話を明かします。
おいしいものを食べると、人にいろんな感情が湧き上がらせるものなんですね。
帰宅後、家で食べる沖縄料理も「みんなで食べるからおいしいわけよ」と、じつに素敵な心がけの暢子。
あれがほしいこれがほしいと、時々はわがままも出ますが、基本的に比嘉家は貧しいながらしつけができていて、とても仲のいい、幸せな家族です。
この幸せがいつまでも続きますように。
島豆腐を売っている砂川智(宮下柚百)のお母さん・玉代(藤田美歌子)はしばらく病気で休んでいましたが元気になって仕事に復帰。
暢子はついにジャンプして、木になっているシークワーサーの実をとることができました。
いいことが続くかと思ったら、にわかに風向きが怪しくなってきて……。
第1回ではとれなかったシークワーサー、父・賢三(大森南朋)にとってもらった実を、第5回で暢子がひとりでとれたのは、成長の暗示であると同時に、父を乗り越えよという暗示でもあったのでしょうか。
ある日、学校の校庭にいた比嘉きょうだいは急遽、家に呼び戻され……。
第1回、きょうだいで楽しく転がるように走った道を、第5回では不安な気持でひた走ります。
第1回ではうしろから、父母に見守られていましたが、第5回はきょうだいだけ……。
賢三、倒れる。
借金を抱え、けっこう無理していたようで。でも全然そんなふうに見えなかったのに。
フラグがあったとすれば、初回からメッセージ性が強すぎたということでしょうか。これほど、賢三が毎回メッセージを語るのは、子どもたちにいま、伝えておかないといけないことがあったのかなあと思ってしまいます。
第5回は「おいしいものを大好きな人と食べると誰でも笑顔になるからなあ」と言ったり、
「子供は不思議だな。なんでもしてやりたいのに。肝心なことは何もしてやれない」とつぶやいたり、「親からの教えは心に染めて歩め」「親からの教えは数えることができない」と三線を弾いて歌ったりしていた賢三はどうなるのか(空の星は数えることができるが「親からの教えは数えることができない」という言葉は親の教えの大切さを痛感する言葉ですね)。
「ちむどんどん」放送後、「あさイチ」にゲスト出演した大森南朋さんは、この心配な展開をぼかしていました。
さて。最近の朝ドラは土曜日の振り返り回に次週予告がありましたが、「ちむどんどん」は金曜日に次週予告がつきました。これはいい変更だと思います。
まだしばし、子どもたちを観ていたいけれど、第2週には本役の黒島結菜さんが登場するようです。
ちむどんどんする〜〜。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第6回レビュー}–
第6回:やりきれないお父さんの突然死
先週土曜日に放送された第1週の振り返りでは暢子(稲垣来泉)がいままでとれなかったシークワーサーの実を自力でもぎとることができたとき、お父さん賢三(大森南朋)がさとうきび畑で倒れるように編集がされていました。それによってまるで小さくて丸く瑞々しいシークワーサーの実がお父さんの命のように見えました。
第1週第4回で「命を頂きます」の話を賢三がしていたように、父の命が子どもに引き継がれたかのようです。
第2週「別れの沖縄そば」第6回の冒頭で賢三は心臓発作で亡くなります。
学校から猛スピードで帰宅した4人の子どもたちひとりひとりに賢三は苦しい息の下で語りかけます。でもなぜか暢子にだけは無言で微笑むのみ。えええ〜 あとでその理由が明かされるとしても暢子がお気の毒になりました。
どうしようもなく哀しい父との別れ。長患いしていたわけではなくなんの予兆もなく急なのですからもっと混乱するのではないかと思うのですが、子どもたちはすっかり父の死を覚悟しているようでした。観ているこちらのほうが気持ちのもっていきようがなくなってざわざわが止まらなかったです。嗚呼お父さん!
子どもたちは物分りがじつによく、お父さん亡きあと、めそめそすることなく、働きはじめたお母さん優子(仲間由紀恵)に代わって家の仕事などをします。
海で、ニライカナイに行ったお父さんに向かって叫ぶ4人(ニライカナイの歌が物哀しい)。このとき、暢子が自分にだけ何も言ってくれなかったとしょげると(そりゃそうです、ともすればトラウマになりますよ)、きょうだいが、「暢子は暢子のままでいい」と思ったからだと慰めます。
「自分の信じた道を行け」と父が言ってくれていたことを思い出す暢子。じつのところ、ドラマ上では第1週でじゅうぶん過ぎるほどお父さんは暢子に遺言のようなメッセージを語っていました。沖縄そばの作り方まで伝授しているのですが、亡くなるとき無言はなあ……。それでなっとくした暢子は強い。
稲垣来泉さんの大人びた表情が印象的です。「おいしいもの食べたーい」と海に向かって叫んでいたときとはまるで違う。父の死を乗り越えてすこし成長したことを感じます。
第1話では海も長く伸びる道も、じつに清々しいものに見えましたが、お父さんが亡くなったあとは違って見えます。第1回で家族で楽しく走った道、おいしいもの食べたいと叫んだ海が、父を想って走るときは陰影を帯びて見える。でもそれは観るほうの気持ちの変化であって、自然は変わらずそこに悠々と存在しているだけ。
一見、シンプルなホームドラマの哀しい別れの場面が、俯瞰で観るととても哲学的だと感じました。
さて。海で亡くなった肉親を偲ぶ場面には、「エール」を思い出しました。「エール」もヒロイン音(二階堂ふみ)のお父さんが早くに亡くなり、海に散骨しました。ほかに主人公のお父さんが早く亡くなるのは「とと姉ちゃん」もそうでした。朝ドラでは、家長である父の死、あるいは父が父らしい責務を果たさないことを、主人公が自立する契機にするのです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第7回レビュー}–
第7回:黒島結菜さんにも走ってほしい
生前、賢三(大森南朋)が借金をして家とさとうきび畑を手に入れたため、亡くなった後、返済が困難になり、優子(仲間由紀恵)が働きに出ています。
工事現場のまかないでは収入が少なく、現場に出て働き出します。
それを目撃する暢子(稲垣来泉)……。
優子が体に鞭打って頑張る理由は、子どもたちの運動会が近づいていて、新しい運動靴と体操着が必要だから。学校で「ぼろぼろきょうだい」といじめられているのです。
現場の親方(肥後克広)の情けによって多めに給金をもらえたおかげで購入できた体操着と運動靴。まっさらのきれいなそれらを賢秀(浅川大治)がアベベの豚小屋の柵に置きっぱなしにしてしまいます。
どうなるかは目に見えるよう……案の定、翌朝、ボロボロにされてしまいました。
こんなときこそ「アキサミヨー」でしょう。でも今週の賢秀は「ガチョーン」ばかり使っています。
前の古いもののほうがマシに見えるくらいに、見るも無残な姿になった体操着と運動靴。
優子は懸命に洗いますが、良子(土屋希乃)は運動会には出ないとすねてしまいます。
優子の徒労感はどれほどか……。それでもキレない優子は立派です。
運動会当日、暢子はシークワーサーをかじって、ものすごい勢いで先頭を走りますが運動靴が破れてーー。
このあと暢子がどうするか目に見えるようですが、それは明日のつづきです。
「おかえりモネ」「カムカムエヴリバディ」とひねった朝ドラが続いたため、これほど、わかりやすい貧乏や徒労描写や、先が見える展開にやや物足りなさやストレスを感じます。
そこへ「あさイチ」で悪いことばかり続くのは「アババの呪い」と博多華丸さんが朝ドラ受けして、それが一番おもしろくてホッとしました。
朝ドラと朝ドラ受けがセットで完結するときは、それはそれで面白いのですが、ドラマの内容が弱いともいえるときなので要注意です。
アババの呪い。あるいは残ったアベベが復讐で体操着と運動靴をぼろぼろにしたのかもしれません。華丸さんはペットは洗ったばかりの衣類をぐちゃぐちゃにしがちというようなことも言ってましたが。
アババを食べてしまってから比嘉家にはいいことがない。
はたしてそうでしょうか。
確かに、家は貧しくなり、苦労が絶えません。学校ではイジワルな子がいます。
でも、親方も、雑貨屋の前田善一(山路和弘)も、砂川智(宮下柚百)、青柳和彦(田中奏生)も、みんな比嘉家に親切です。智が歌子(布施愛織)にやさしいところはとても良かったし、善一に体操服をプレゼントと言われて泣いて受け取らない良子の矜持も好ましかった。
昔のドラマだとただただ哀しい出来事が続くこともありましたが、「ちむどんどん」ではいやなことといいことがバランスよく起こっています。
ところで。暢子が走るシーンを見て、本役の黒島結菜さんが「アシガール」でぐんぐん走る姿を思い出しました。大河ドラマ「いだてん」でも走っていました。しゅっと細くのびた手足の彼女の走りは爽快、痛快でした。黒島さんになっても走るシーンがあるといいなあ。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第8回レビュー}–
第8回レビュー
裸足のアベベの勝利もつかの間
運動会、暢子(稲垣来泉)は徒競走で1位確実でしたが、途中で運動靴が破れて走れなくなってしまいます。
次に、良子(土屋希乃)が登場。新品の体操着をアベベにぼろぼろにされて運動会を休むとすねていましたが、優子(仲間由紀恵)が懸命に洗った体操着を着て参加しました。が、あいにく2位。でも、泣きながら優子に抱きつきました。母の愛に感謝。
さて、いよいよ、賢秀(浅川大治)の番です。
1960年、ローマオリンピックで靴が壊れて裸足で走った選手アベベになぞらえて、暢子が裸足で走って逆転するかと想像していましたが、短距離走ではちょっと間に合わないようで、代わりに、賢秀が裸足で走ってぶっちぎりの1位になりました。
「俺はアベベだ!」と運動靴を脱いで投げ、指笛を吹きながら周囲を煽るシーンは決まりました。
貧乏をからからわれた比嘉きょうだいが、長男の「宇宙パワー」で華麗な大逆転。大人も子どもも、みんな、踊りだします。
賢秀が走る前に靴を脱いだとき、砂川智(宮下柚百)と青柳和彦(田中奏生)も靴を脱ぐ友情を見せます。智はありそうですが、和彦まで……ということに胸が熱くなりました。それも最初は靴下で、やがて靴下も脱ぐのです。
これまで頼りない印象しかなかった賢秀がかっこよく見えるターンであると同時に、和彦が東京から来た象徴のような靴下を脱ぐことで沖縄に馴染んだことを感じさせるターンでもありました。沖縄の子たちと比べてまだまだ白い足ですが、後に、いじめっ子たちに向かっていく勇気も見せます。
早くも亡くなったお父さん(大森南朋)や、賢秀や和彦のいろいろな悔しさを跳ね返していく反骨精神みたいなところがさりげなく手厚く描かれているのは、脚本家・羽原大介が以前描いた朝ドラ「マッサン」でも感じたことでした。主人公は女性なのですが、その夫や恩人などの男性たちが生き生きと描かれていました。
「エール」のように男性主役の朝ドラもあるので、それはそれで良いのですが、まだ第2週なので、ここは主人公・暢子、あるいは母・優子を中心に絞って、彼女たちの悔しさとそれを跳ね返す爽快な見せ場を作ってほしいなと余計なお世話ですが感じます。
ただし、いじめっこにお母さんが工事現場で肉体労働をしていることをからかわれたときに怒って立ち向かっていくときの稲垣来泉さんの凛々しさには見入りました。
暢子や優子はまだまだ苦労が続きます。優子は夫亡きあと、泣き言ひとつ言わず、懸命に肉体労働して、でも借金は返せず、PTA会費や給食費も払えません。さらに過労で倒れてしまい……。
運動会で踊ってなかったのは疲労が蓄積していたのでしょうか。
比嘉家の運気、悪過ぎます。見ていてつらい。なんとか上向いてほしいです。それにしても、暢子に料理の仕方を伝授すると倒れてしまう。父も、母も……。おそろしい伝承の法則です。
ごまかさない仲間由紀恵の凄み
工事現場で泥だらけになって重労働していたり、歌子(布施愛織)を背負って歩いたり、ごまかしのきかないことをちゃんとやっています。
ごまかしがきかないといえば、調理シーンです。フーチーバーを切りながらセリフをしゃべっています。そこが自然でした。料理しながらセリフを言うのは難しく、たいていどちらかがおろそかになるものです。家事の手をとめてしゃべる俳優もいるなかで、仲間さんは自然に包丁を動かしながらしゃべっていました。着々と俳優としての実力を伸ばしているのを感じます。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第9回レビュー}–
第9回:青柳史彦が故郷と思い出の大切さを語る
働きすぎて優子(仲間由紀恵)が貧血で倒れてしまいます。
このままでは借金も返せないし、日々の生活も立ち生きません。
そこに、東京から手紙が。賢三(大森南朋)の叔母が子どもをひとり、引き取ってもいいという
申し出で、子どもたちは誰が東京に行くか考え始めます。
東京にはファッションがある
東京には歌手がいる
東京には美味しいものがある
東京では漫画読み放題
4きょうだい、それぞれがモチベーションを高めますが、優子は子どもを預けたくなくて、また無理して工事現場に復帰します。
優子に給金を多めにくれた現場の親方(肥後克広)も、自分も子どものとき出稼ぎに行かされたし、そういうことはよくあることだと今度ばかりはあまり同情してくれません。
朝ドラでは、貧しさゆえ、子どもが家庭を離れるエピソードが定番のようにあります。
絶対王者「おしん」ではおしんが、直近では「おちょやん」で千代が奉公に出され、別れの場面は涙、涙の名シーンとなっています。
「ちむどんどん」も涙の別れが近づいていますが、最初は先を争うように東京に行こうとしていた子どもたちですが、いざとなるとなんだかんだと理由をつけて尻込みをはじめます。
そのなかで、前から東京の食に強い憧れを持っていた暢子が、意を決して名乗りをあげました。
暢子は涙を滲ませていましたが、過去の朝ドラ出稼ぎエピソードと比べると、家を出されることがそれほど絶望的に見えないのは、昨今はしんどい描写が敬遠されるゆえの配慮でしょうか。
深堀りすれば、どれほど大変なことかは想像できますし、辛さの度合いも視聴者が自由に決められるように描写が淡くしてあるのかもしれません。七味やタバスコやコチュジャンをお好みでということでしょうか。
例えば、東京に行きたい行きたいと無邪気に行っていた暢子が、実際に東京に行くことになったものの、思いがけない家庭の哀しい事情によるものだったという巡り合わせの切なさを勝手に膨らませて考えることも可能です。あるいは当時の沖縄のことを調べて考えを巡らせることも可能でしょう。
戦前、貧富の差がかなりあり、「口減らし」が当たり前のように行われていた時代の物語だった「おしん」や「おちょやん」と比べマイルドな出稼ぎエピソードといえば……ありました、「ひよっこ」です。高度成長期のお話で、出稼ぎに出たお父さんが行方不明になったため、主人公が東京に働きに出ました。が、それは寂しいとはいえ、時々、実家に戻ってほっこりすることができるもので、不幸感はあまりなかったです。むしろ里帰りして田植えするエピソードが好評でした。
「ちむどんどん」の不幸感の少なさは故郷が善きものとして描かれていることです。「おしん」や「おちょやん」は故郷にいやな思い出があり、それを捨て去り、刷新したい気持ちが主人公を駆動します。
「ちむどんどん」は故郷を大切なものとする「ひよっこ」パターンのようです。
東京から沖縄に民俗学の研究に来た青柳史彦が暢子の学校でこの村のすばらしさと、思い出の大切さを語ります。
「民俗学とはみんなの思い出なんだと思います」と史彦。
辛いときや哀しいときに楽しかったことを思い出して、という言葉はよくありますが、史彦の
言葉で印象的なのは「間違った道に進みそうになったとき」です。
故郷の思い出はその人の原点であり、行動や考えの軸になるものなのです。
その思い出の大切さは沖縄に限ったことではなく、世界中の「どこの村でも どこの街でも 同じなんです」という史彦。
「そして思い出は必ずそれぞれに違います。その違いを知って互いに尊重してください。その先にだけ 幸せな未来が待ってると私はそう思っています」
賢三に続いて、父親がメッセージ性の高いせりふを言うドラマです。
この言葉から深堀りしてみると、「ちむどんどん」に見た人の思い出を重ねて、それぞれの味わいにして観てくださいねというところでしょうか。
激辛に感じるひともいれば、辛さ控えめに感じる人も、やや物足りない人もいていい。どれも観た人の思い出や経験に根付いた、その人だけの大切な感覚なのでしょう。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第10回レビュー}–
第10回レビュー
「だったら俺が守ってやる」
家計の負担を減らすため、東京に行くことになった暢子(稲垣来泉)。
あんなに東京で美味しいものを食べたいと言っていた暢子でしたが、家族と離れてひとりで行くとなると不安です。しかも簡単には戻ってこれない片道の旅です。
沖縄から東京に行くのにパスポートが必要な時代なんですよね。はじめて見ました、当時のパスポート。
黄色く色づいたシークワーサーの木の下で弱気になっている暢子に「だったら俺が守ってやる」と和彦(田中奏生)は励ますものの、暢子に手をつなごうと言われるとと恥ずかしくて拒んでしまいます。
和彦の初々しさにちむどんどんします。
出発の日の前日、サブタイトルにある”別れの沖縄そば”を家族で食べます。
そこで、暢子は優子(仲間由紀恵)に「今日まで育ててくれてありがとう」「いっぱいわがまま言ってごめんなさい」と礼儀正しく頭を下げます。
まるで、お嫁に行くみたいなシチュエーションです。
「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えるのが暢子のいいところだと優子に褒められます。
家族はその晩、歌子(布施愛織)の弾く三線で「やしの実」を合唱します。その歌はやがて、上白石萌歌(歌子の本役)のヴォーカルに変わります。歌手になりたい歌子ですから、この歌声はやがて歌手になる伏線なのでしょうか。
朝、暢子はゆし豆腐を買いにいきます。いつもの日課だったこれも最後です。
智(宮下柚百)は「ゆし豆腐 もっとうまく作るから東京とか行くな」と思わず本音を吐露しますが、冗談と引っ込めて、見送りには行かないよと宣言します。ものすごく寂しいからこそ行かない。智の気持ちがひしひしと伝わってきました。
ついにバス停での見送り。暢子は家族と別れ、バスに乗り込みます。後部座席から家族を見つめる暢子の手を和彦が握ります。
「大丈夫、僕がついてる」
ちむどんどんする!
主題歌「燦燦」には〈大丈夫 ほら見ていて〉という歌詞があり、呼応しているように感じます。
暢子は単に無邪気な親しみを和彦に感じているだけでしょうけれど、和彦のなかではほのかに暢子への甘酸っぱい感情が育っていて、最初に手をつながれたときに芽生え、バスのなかでぐんと伸びたに違いありません。
和彦のせいいっぱいの気持ちも暢子は振りほどいて、バスを下り、家族のもとに戻るのです。
家族は幸せ。でも思いきった和彦の気持ちは……。もちろん和彦は、暢子たち家族の幸せを第一に考えているはず。とはいえそれとこれは別。バスに残った暢子の荷物を運び出しながら、ほどかれた手に残るかすかなぬくもりに心が疼いたことでしょう。
「ちむどんどん」は和彦、賢秀(浅川大治)、智と男の子たちが屈折してる分、エモいんですよね。
暢子はまっすぐ過ぎて情緒少なめ。稲垣来泉さんはすごく凛々しくて魅力的です。主人公として物語の進行を担う役割を立派にやりきったと思います。おつかれさまです。
いよいよ黒島結菜さんにバトンが渡されます。
あっという間に7年経過して、1971年。
あれだけ貧しくて困窮していた比嘉家がどうやって暮らせたのかわかりませんが、4きょうだい、すくすく成長したようです。
和彦と手紙のやりとりしていたポストが小鳥の巣箱になっていました。風化してないだけマシですが、時の流れを感じてこれもまたちょっと切ない。
黒島さんがシークワーサーをかじったとき、柑橘の酸味が口いっぱいに広がるように感じました。
黒島さんは全身に感情が溢れていて、そのエネルギーが画面を震わす(それがエモ)俳優。つまり”ちむどんどん”を生む俳優なのです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第11回レビュー}–
第11回:黒島結菜の走りにちむどんどんする!
「ちむどんどん」第3週「悩めるサーターアンダギー」は沖縄の日本返還を1年後に控えた1971年(昭和46年)、高校3年生になった比嘉暢子(黒島結菜)の走りからはじまりました。
男の子を負かしてしまうほどの健脚ぶりを発揮する黒島結菜さんは主演ドラマ「アシガール」(17年)で陸上部のエース設定で、戦国時代にタイプスリップしてその俊足を生かして足軽となって大好きな殿のために活躍する役を演じたことがあります。そのときも泥だらけになりながら野を走る姿が生き生きしていて眩しかったこと、目に焼き付いています。
黒島さんは、例えば腹筋50回するとしたら、ちょっとがんばって10回プラスするように、自分のベストタイムを1秒縮めようとするように、力を絞り出すような演技をする俳優で、その頑張った分が観る者の心を強く揺さぶります。
朝ドラの基本方法論は、演出に凝らずに俳優からにじみ出るものを第一にすることなので(演出スタッフに聞くとたいていそういう言葉が返ってきます)、黒島さんのようにエネルギーを振り絞る俳優は、そこに涙や汗を感じるので、最適なのではないでしょうか。
けんかっぱやくて、怠け癖のある、おにいちゃん役・賢秀役の竜星涼さんも、自分に負荷をかけて芝居するタイプの俳優です。お調子者キャラを、どこか清潔感を残して演じることのできるのは、汗をかくほど全力で演技しているからと感じます。そうでないと「マグネット・オーロラ スーパーバンド 一番星」を大人になってからも装着し続けてなんとか見られるようにはできないでしょう。成立させているのがすごい。亡きお父さん賢三(大森南朋)に買ってもらった形見と思ってずっと付け続けているのではないかという素敵な物語を想像できるのは竜星さんの力だと思います。
賢秀は仕事をしても長続きせず、家でだらだらして、時々警察のお世話になっています。けんかをするのは持ち前の正義感からなので憎めない彼を家族は懐深く受け止めていましたが、あるとき、彼のしたことが暢子の大事な就職に悪い影響を及ぼしてしまい……。
朝ドラ名物、困った身内。お調子者だけど、その後ろに涙や汗を感じる賢秀に期待です。
優子は川口春奈さん、歌子は上白石萌歌さんになり、比嘉4兄妹は華やかです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第12回レビュー}–
第12回のレビュー
新たな登場人物が続々登場してちむどんどんする
舞台が1971年になって、新たな人物が続々登場します。
良子(川口春奈)が第11回で手紙を出していた大学生の石川博夫役は山田裕貴さん。朝ドラ「なつぞら」(19年)でヒロインの幼馴染を演じて注目されました。良子とは哲学について語り合うようなまじめな関係です。
石川に惹かれているように見える良子に、その気持ちを知らずぐいぐい迫る御曹司・貴納金吾役は渡辺大和さん。朝ドラ「まれ」(15年)で主人公の幼馴染を演じて彼もまた注目されました。いまは俳優を主にしているようですが、当時はバンドのボーカルをやっていてドラマのなかでも歌う場面もありました。
歌子(上白石萌歌)は学校でピアノに興味を持ちます。そこに現れたのは下地響子。「音楽は魂の叫び」と歌子にぐいっと近づき怯えさせます。演じるのは片桐はいりさん。朝ドラ「とと姉ちゃん」(16年)で主人公の恩師を演じていました。
片桐はいりさんは強烈な個性がありながら、共演者を盛り上げることにも長けた俳優です。はにかむようにピアノを見つめる上白石萌歌の表情の儚さと、ぐいぐい来る片桐はいりの迫力の対比が良かったです。
片桐さんの力で上白石さんのピュアさがより生きるのです。「音楽は魂の叫び」と形骸化したようなセリフを存在感もって語れるのは片桐はいりさんだからでしょう。
ほかに豆腐店を営んでいる幼馴染の砂川智は前田公輝さんに。良子が勉強会の集まりに参加したレストランのマスターは川田広樹さん。
華やかさと技巧を兼ね備えた俳優たちがずらりそろって、画面が沸き立ってきました。
生きづらさのなかにいる子どもたち
賢秀(竜星涼)がけんかをした相手が、暢子(黒島結菜)の就職先の社長だったため、せっかく決まっていた就職が危うくなります。ここで大騒ぎになるかと思ったら、わりと落ち着いた展開で、暢子がサーターアンダギーをもって就職先に謝罪に行きます。
バス停でバスを待つ、暢子と優子(仲間由紀恵)が絵になっていました。背景の緑が鮮やか。
名護の街にある眞境名商事では、賢秀が来ないのかと咎められますが、暢子はけろっとしたもので、就職する気満々で、ちむどんどんしながら、自分はどんな仕事をするのか質問。暢子のしょげない前向きさ、見倣いたいものです。
だが仕事は「お茶くみ」でがっかり。70年代初頭、本土ではウーマンリブ運動が盛り上がっていて返還になればその流れは沖縄にも来るだろうと会社の人たちは予測していましたが、それはまだ先のお話。
この時代の女性の仕事は「お茶くみ」。ときには上司の話し相手や肩もみなどをすると言われて、唖然となる暢子。「君の代わりはいくらでもいる」と暢子の名前も覚えてももらえません。「第2章がはじまると思ってちむどんどんしてたのに」と暗澹たる気持ちになります。
絵に描いたような女性軽視描写です。
「給湯室の清潔を保ち 美味しいお茶を入れ 笑顔でお出しする だから より女性らしい人が好ましい」だなんて、令和4年で言ったらコンプライアンス的に問題発言です。
一方、賢秀。男性がしっかり働き、家を守るとまだ思われている時代に「俺はまだ本気出してないだけ」とばかりに人生のウォーミングアップをしている気分で自分の進路を見いだせない賢秀。彼は彼で、男性が男性らしさに縛られる生きづらさを体現しているようです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第13回レビュー}–
第13回レビュー
歌子(上白石萌歌)が清らかな声で歌う「翼をください」の歌詞が染みます。
悲しみのない大空に飛び立ちたいという切実な想いを込めた70年代のフォークソングです。
そこまではっきり描かれていませんが比嘉家は切迫しているのでしょう。働き手である父が亡くなって7年。優子(仲間由紀恵)は朝、昼、晩と働いています。さとうきび畑は売ってお金に替えたようで今では小さな畑しかありません。それでも優子ひとりでやるのは大変だと思います。
長男にもかかわらず賢秀(竜星涼)は働かずにフラフラしているだけ。風呂に入って呑気に歌ってる兄を暢子(黒島結菜)は咎めます。第12回で職場に兄の代わりに謝りに行ったときは、朗らかに振る舞っていましたが、内心、釈然としない思いを抱えていたようです。怒りは風呂の火を熱くすることで発散します。
貧しさの極地は、良子(川口春奈)の服。第12回で、友達から指摘されるほど服がぼろぼろ。穴が空いたシャツを繕って着ています。良子が堂々と美しいのと、シャツが真っ白で美しいのと繕い方も上手なので、気になりにくいですが、おしゃれしたい年頃に、新しい服が買えないのは辛いでしょう。時代は昭和。今よりは服を繕って着ている人もまだ存在していたのではないかと推測しますが……。
それにしても、小学校の頃からなぜ良子だけが体操服や私服が繕われているのだろうかと疑問に思ったとき、気づきました。本来、主人公ひとりが引き受ける不運を4人のきょうだいに分散しているのではないでしょうか。
賢秀と暢子はやりがい探し、良子は貧しさ、そして歌子は片思い。こうして悩みを分散することで、ひとりが受けるストレスを減らし、視聴者のストレスも軽くしようという工夫なのかなあと思いました。
歌子はとうふ店の砂川智(前田公輝)に小学生の頃からほのかな想いを抱きながら、彼が暢子を好きなことを感じています。
熱を出して寝ていても、ちょっと身支度して智の前に現れる歌子の乙女ごころが切ない。
歌子が熱を出したとき優子が「(医者は)日曜でも来てくれるよね」とべろんべろんに酔って帰って来た賢秀に訊ねます。子どものときから病弱なのだから、日曜日に医者が来てくれるかどうか今更心配するのもおかしな感じです。もしや、じょじょに話題になってきている、時々出てくるセリフのない、オーバーオールの人物は何者なのか? というような視聴者のツッコミどころとして作られたセリフなのでしょうか。あるいは、賢秀にも簡単に答えられるような質問を、優子が気を使ってしているのかもしれません。
ほんとうは比嘉家は和やかそうに見えて、いつ家庭崩壊してもおかしくない切羽詰まった状況なのでしょう。
畑で芋をもって立ち尽くす暢子が絵になっていました。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第14回レビュー}–
第14回レビュー
「貧しさを恥じた自分が恥ずかしい」
良子(川口春奈)がお給料でワンピースと靴を買ってフォークダンスに参加したものの、母・優子(仲間由紀恵)に勉強会と嘘をついたことに耐えられず、ほんとのことを言って謝ります。お母さんが内職しながら待っていてくれているのを見て罪の意識を感じてしまったのでしょう。でも優子が良子が楽しかったらいいのだと温かい言葉をかけました。
「人間はこんなものより弱くない こんなものに負けたらいけない」
良子はお財布に入っていたお金を取り出し、こう言います。ストレートなセリフだけれど、下地響子(片桐はいり)の言うところの「魂の叫び」を感じました。
良子は先生なので資本主義についても勉強しているのでしょう。
人間はお金に支配され隷属しているということを改めて認識させられてハッとしました。とはいえ、良子のワンピース姿、かわいくて、おしゃれに罪はないと思います。
良子はふだん質素にしていますが、ほんとうはカラフルで大胆なファッションが好きなんですね。
さて。「魂の叫び」の下地響子先生。
「下地響子は手強いよ」
と言われるスパルタ先生らしく、歌子(上白石萌歌)に目をつけます。
「魂の叫び!ほとばしる情熱」「モアパッション! モアエモーション!」
単語の羅列でしかないのに、片桐はいりさんが言うとおもしろい。言葉が生き生きします。
巧いな〜と思うのは、とうふ屋の智を演じている前田公輝。セリフのテンポが早く、でも聞きやすい。
第13 回は家のなか、第14回は店のなかで話しているからか、声のトーンが抑えめにもかかわらず、セリフが粒立っています。主役を立てて、へんに溜めずにさくさくしゃべるところもわきまえていて好印象。
智が良子と暢子のシーンにいることで締まります。
で、暢子(黒島結菜)。暢子も継ぎ接ぎを着ていました。第13回で、良子ばかりが継ぎ接ぎ着ていると指摘したのですが、彼女だけではありませんでした。
継ぎ接ぎを、就職先の眞境名商事の不良御曹司にからかわれ、彼の会社に就職する女性は玉の輿狙いだと蔑まれす。
思わず立ち向かおうとするところを、智が止めます。智のさりげない気遣いがすばらしいです。よくできた青年です。
貧しさと戦う良子、病と戦う歌子と比べ、暢子の心情に動きがないなあとこれまで思っていましたが、ようやく暢子の心が動き出します。
自分らしさとは何か。食いしん坊なことも走るのが速いことも社会に出たら何も役に立たないと気づく暢子。戦う武器は何かと考えはじめます。
暢子が御曹司に食ってかかったのは、息子に腹がたったのはもちろんでしょうけれど、自分が何も考えていなかったことへの悔しさが発火したように感じます。
これぞ、ほとばしる情熱 モアパッション! モアエモーション!
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第15回レビュー}–
第15回:暢子、就職内定を蹴る
暢子(黒島結菜)が就職先の社長の息子に馬鹿にされて辛抱たまらず手を出したことが、賢秀(竜星涼)のときと同じく問題になってしまいます。
今度は優子(仲間由紀恵)も一緒に謝罪に行きます。
会社の人に、女性は「自己主張せず一歩引いて男を立てる」ものだと言われた暢子はカッとなって自ら、この会社で働くことを拒否します。
「暢子、よくやった!」と言う賢秀のように、観ながら、胸がすきっとなりました。ところが、暢子は帰りに優子に悩みを吐露しています。
「この村も沖縄も自分が女だということも全部大嫌い」
なかなかのヘヴィーワードが飛び出しました。なぜ、ここまで暢子が自分と故郷を責めるかと言うと、これまで走りでは誰にも負けなかった彼女が、ついに負けてしまったのです。
自分のわずかながらの取り柄・走ることすら失われてしまったことで、暢子には拠り所がありません。
でもなんだかここが惜しいなあと感じました。走りで男の子に勝って来た暢子が男の子に負けてしまったあと、会社で女は「「自己主張せず一歩引いて男を立てる」ものと言われて、”女”というものに絶望するという流れになっています。ここで女の身体が不利であることをもう少しデリケートに描いてほしかったと感じました。
比べてはいけないですが、黒島さんや歌子役の上白石萌歌さんも出ていた大河ドラマ「いだてん」は女性のスポーツ選手がいかに身体的なハンデと戦ってきたか描かれていましたので、女性を主人公にした朝ドラでそこが描かれないことが惜しいです。
もうひとつ惜しかったのが、優子の告白。
すぐにカッとなってしまうことを反省する暢子に優子が、自分も昔はすぐにカッとなっていたと驚くべきことを言うのです。そこは「若草物語」の一場面を思い出させます。
「ちむどんどん」が四姉妹を描いた名作児童書「若草物語」をリスペクトしていることは公式で語られています。「若草物語」にも穏やかな母がかつては癇癪持ちだったことを癇癪に悩む次女・ジョーに明かす場面があります。母が癇癪をどう抑えることができるようになったかが丁寧に書いてあり、筆者は子ども心に記憶に鮮明に残っていました。母親がどうやって変化してきたか、そこが大事なのですが、「ちむどんどん」ではそこはありません。のちにまた語られるときが来るのかもしれませんが。
全部じゃなくていいからちょっとだけ描写してくれると、優子のキャラクターがもっと彩られたような気がしますが、自分語りしないで暢子が腹を立てた理由を聞く優子も素敵でした。彼女がそこまで懐深くなった理由をいつか描いてほしいです。
「若草物語」の癇癪抑制エピソードはいずれもうすこし「ちむどんどん」にも生かされるかもしれません。気長に見ていきましょう。朝ドラは半年あるのですから。
下地先生(片桐はいり)と歌子の追っかけっこと、賢秀が博打でお金を稼いできてそれを暢子の就職断った祝いの費用にしたところは楽しかったです。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第16回レビュー}–
第16回:3人姉妹のなかで暢子が主役である理由
第4週「青春ナポリタン」(演出:松園武大)では、決まっていた就職先の横暴に怒った暢子(黒島結菜)が内定をきっぱり辞退して再び就職活動をはじめます。
料理コンテスト(ヤング大会)が行われることを知った暢子は参加を決めます。いよいよ暢子の料理人への道が拓けそう。
やりたいことがみつからない とぼんやりしている暢子に、走りのライバル・新城正男(秋元龍太朗)に「ブツブツ言ってないで体を動かす」と喝を入れられ、立ち上がりました。
主人公の面目躍如と思いきや、良子(川口春奈)と歌子(上白石萌歌)のドラマも盛り上がっていて、15分間でひとり5分計算です。さらに賢秀(竜星涼)のドラマも合わせたら、ひとり4分弱となってしまい、暢子=主人公がどうも目立たない。4人とも魅力的なのでそれはそれで楽しいのですが……。
良子はとてもポピュラーな恋愛部門。石川博夫(山田裕貴)からの手紙を家族に見られてあたふたしたのち、彼の勤務先の小学校を訊ねますが、石川にロックオンしている里美(松田るか)が先に来ていて……。この里美が露骨に良子をマウントしていて、厄介です。
歌子はこのドラマの清らかな歌を担っています。体も弱いし、気も弱く、ほんとうは歌いたいけれどはにかんで人前で歌えません。でも彼女を見込んだ下地先生(片桐はいり)に追いかけまわされます。
「マングース!」と騙される下地先生、この実にたわいない感じも楽しく見えてしまいます。
……とこんな感じで、ドラマの主人公が請負そうな役割を、良子と歌子が引き受けているため、どうしても視点が分散してしまうのですよね。でも、暢子が断然、主役である点を発見しました。
暢子はモテている
良子は石川、歌子は智(前田公輝)を思っていますがままなりません(石川は里美よりも良子のほうに好意的な気もしますが)。それに比べて暢子は智にも正男にもモテています。当人はまったく色恋に興味がない様子ですが、なぜか彼女の周辺の男の子たちは暢子を大事にします。子ども時代の和彦もそうでした。彼らはみんな、彼女を対等に見て彼女の存在をリスペクトして見えます。暢子のそういう人を引きつけるところが主人公らしさだと感じます。
さて、賢秀。ちまちましないでドカーンといきたいとそのタイミングを待っていると豪語する彼に、優子(仲間由紀恵)は「時代の変わり目だからねえ」と寛容です。確かに、アメリカから日本に返還されたら価値観ががらっと変わるでしょうから、本気出すのはそのあとでもいい気はします。ただ、「契約」の時代とか言うことにいやなフラグが立っている気しかしないですが……。
4兄妹の進路を見守っていきましょう。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第17回レビュー}–
第17回レビュー
下地先生と歌子の追っかけっこで引っ張るとは
ゆったりしています。「ちむどんどん」のゆったり感は沖縄の時間の流れを表しているのでしょうか。地元の人間ではないため、断言はできませんが、南国の人はゆったりしていると聞きます。
「ちむどんどん」第17回はなかなか本題に進みません。暢子(黒島結菜)は産業まつりのヤング大会に出品する料理の試作に励み、良子(川口春奈)は御曹司・喜納金吾(渡辺大和)につきまとわれ、歌子(上白石萌歌)は下地先生(片桐はいり)にとうとう家にまで押しかけられます。
賢秀(竜星涼)はバーガーレストランで出会った金融業の我那覇良昭(田久保宗稔)からひみつの話を持ちかけられて……。「ひみつを守れるタイプだよね」と言われていましたが、賢秀は口が固いとは思えません。それよりも、この”ひみつ”の話が気になります。地道にコツコツではなく一攫千金を狙う賢秀の足元が掬われそうで心配しかありません。我那覇は絵に描いたような悪い大人という感じで、これは「ストップザ詐欺被害」のコーナーを見ているような気持ちになります。
ただひとりスピード感があるのが片桐はいりさん。キビキビ、せかせか、セットのなかを所狭しと動き回り、メリハリを効かせます。東京から赴任してきた設定ですから違う時間を生きているということなのでしょうか。
やかんの蓋を開けて、歌子を探すなんて絶対ありえないのに、おもしろい。全身にいい緊張感がみなぎっていて、歩く姿がバレリーナのようです。全員がそれだと濃すぎて疲れてしまうし、ひとりだからいいのでしょう。
下地先生が隠れた歌子を見つけるかーーで第17回は終わってしまいます。え、これで終わり? とちょっとびっくりしました。
どうやらこのゆったり感は沖縄時間ということではなさそうです。ドラマ的にはのんびり進行ですが、実時間としてはさほど長い時間ではありません。4人分のエピソードを1回にぶつ切りで入れているため、話の進みが遅いだけではないでしょうか。いっそ、「24」方式で、4つに画面を分割して同時並行で4人の物語をやってみるというのもいいのではないでしょうか(無理)。
だいじょうぶ。ほら、見ている。
ドラマを見ていて、額面どおりでは物足りないとき、人は想像で埋めようとします。連休の朝、第17回のゆったりした余白のなかに何かを見出そうと考えてみました。
「親という字は木の上に立って見るというからねえ」(前田善一/山路和弘)というセリフから。「見る」という行動が「ちむどんどん」では重要ではないかと考えます。主題歌「燦燦」の歌詞にもあり、宣伝ビジュアルのキャッチコピーにも「だいじょうぶ。ほら、見ている。」とあります。
優子(仲間由紀恵)が木の上に立って子どもの成長を見守るように、登場人物はみな、誰かを見守っています。歌子は、智(前田公輝)がフライドポテトを作るため農家に安くじゃがいもを卸してほしいと頭を下げているところを目撃します。
智は本来、目撃者の役割をよく担っています。例えば第14回では賢秀が労働しているところを目撃しています。また、第9回では、暢子(稲垣来泉)が和彦(田中奏生)宛の手紙を読み返しながら東京に行く決意を子ども心にしているとき、背後にまもるちゃん(松原正隆)がそっといます。
悩み苦しみ努力しているところを誰かが必ず見ていてくれる。それもそっと。見てどうこう言わず、その人のやりたいように見守るだけ。優子が言うように、他人に何か言われたことで動いたら、何かあったとき自分で背負うことができません。自分が決めたことでしか人はナットクも満足もできないのです。そういう意味で「ちむどんどん」は伏線とか考察とかふつうならこうあるべきとか結論を先回りすることなく、いま目の前に起こっていることをただただ見守っていくタイプのドラマなのかなと思います。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第18回レビュー}–
第18回:比嘉きょうだいの魂を燃やすもの
歌子(上白石萌歌)ピンチ!と思ったらかぶった布の渦巻で下地先生(片桐はいり)が目を回し、ことなきを得ます。そんな〜
布のなかに隠れたままで歌子は下地先生の「音楽は人の心を動かし人生を豊かにときに弱い者を勇気づけてくれます」という言葉を聞きます。
先生は、産業まつりで歌子の”魂の歌”を歌ってほしいと希望を語っていったん引き上げます。
逃げながらもじつは先生のことは嫌いじゃないと家族に明かす歌子。歌子も意外と屈折した性格です。はにかみ屋で素直に他者に向き合えないんですね。
素直になれない代表格の賢秀(竜星涼)は素直にコツコツ働かず、どかーんと大きな仕事をしたいと豪語していて、それにつけこんだ謎の男・我那覇(田久保宗稔)に、お金が倍になる政府の秘密に基づいた儲け話を持ちかけられ、1000ドルをつぎ込もうとします。
眉唾であると良子(川口春奈)は猛反対。当然の反応です。が、沖縄が日本に返還されると通貨がドルから日本円に変わり、それによる貨幣価値の変動は気になる問題ではあったでしょう。2022年の現代だってまさに円安が問題になっていますし。だからこういうあやしい話もあったのでしょうけれど、なんでこういうことに引っかかってしまうんでしょうか、賢秀は……。
時代といえば、60〜70年にかけて民衆による政治運動が活発でした。石川博夫(山田裕貴)は良子とのサンセットバーガーでの勉強会で「封建的な現代社会を変えるのは言葉。ある熱量と気概に溢れた言霊こそが変化をもたらし、あらゆる意味での革命につながる」と語ります。革命の時代の余熱に石川はまだ影響されているのでしょう。
石川の考え方と下地先生の考えはある意味、共通です。人間の魂の発露が世界を変革すると彼らは信じてやまないのだと推測します。下地先生のハキハキしたしゃべり方もきっとこの”ある熱量と気概に溢れた言霊”なのでしょう。
学ぶこと、恋すること、歌うことは魂を燃やすこと。一方、料理に魂を注ぐ暢子(黒島結菜)は、産業まつりの料理コンテストの最大ライバルに闘志を燃やします。
前田早苗(高田夏帆)をはじめ料理部員の女の子たちがにぎやかで、とりわけ宮城珠子(井上向日葵)が高校演劇部みたいなムードで微笑ましいと思ったら、京都造形大学(現:京都芸術大学)出身で、さいたまゴールド・シアターの最終公演「水の駅」にも出演した演劇の人でした。「水の駅」筆者も観ていましたが、「ちむどんどん」ではメガネっ子役だったのでクレジットを見るまで気づきませんでした。
余談ですが、さいたまゴールド・シアターは故・蜷川幸雄さんがつくった劇団です。蜷川さんはまさに60〜70年代の政治闘争の時代に演劇活動を行い、その頃の想いを晩年までずっと持ち続けた人でした。その言葉には”ある熱量と気概に溢れた言霊”がありました。71年に初演した代表作で、民衆の闘争を描いた「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」を2014年、雨傘革命を行っていた香港で上演しています。そのゴールド・シアターの俳優たちと共に芝居をした井上さんが71年の沖縄を描いたドラマに出演していることに不思議な偶然を感じます。
さて、ライバル校・南山原高校料理部のリーダー屋良ひとみ(池間夏海)はまたいかにもなツンとした美人(言い方)で。女子高生たちのきらめきがまぶしぃ〜。
お話の流れや、キャラ造形が、かなり一昔前の雰囲気ながら、じょじょにそのなつかしさが味わいに感じるようになってきました。慣れるっておそろしいですね。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第19回レビュー}–
第19回:暢子に邪気がこれっぽちもなくて清々しい
産業まつりがはじまりました。暢子(黒島結菜)の発案のやんばるそばは大好評。ところが、ライバルの南山原高校の料理部・部長のお父さんがまつりのスポンサーで、役員に手を回して、山原高校のブースを
人通りのない場所に変更してしまいます。
いじわるする人、偏見に満ちた人、マウントする人、騙そうとする人、不公平な人、権力に依る人……次から次へと感じ悪い人が出てきます。
暢子は理不尽な出来事に怒らず、「南高もかわいそう」と味で勝負できないことを同情します。そんな暢子の態度に心が洗われる気持ちになりました。
さらにそこに、賢秀(竜星涼)がやって来て、バナナのたたき売りで身につけた口上でお客さんを集めます。賢秀の口上はなかなかうまくて、この人もだめなところばかりではないことを示しますが、すでに優子(仲間由紀恵)からお金を借りて、あやしい投資につぎ込んでいました。ひとくち1000ドルのところ、960ドルしか集まらなかったけれど、40ドル貸してもらいます。このへんがもうあやしすぎます。元出を奪われた挙げ句、40ドル返せと言われるんじゃないかと逆・ちむどんどんします。
あきらかにやばい空気が漂っていますが、これがほんとうに儲かる話であったら、参りましたとひれ伏しますが、はたして……。
暢子のほうは、調子が上向いてきたところ、宮城珠子(井上向日葵)が汁を床にぶちまけてしまい、料理が出せなくなりますが、歌子(上白石萌歌)からシークワサーをもらいかじって頭を回転させると、いいアイデアが……。
最初に汁の鍋に火をかけ忘れ、出足が遅れて、つぎは汁をこぼしてしまう。汁が鬼門であります。
汁がないなら汁なしそばとなるわけですが、暢子は料理ノートにメモしたあるメニューにインスパイアを受けます。賢秀とは逆に、暢子が大活躍しそうな気がしてちむどんどんしてきました。
南山原高校のメニュー・さんぴん茶の蒸しケーキを真っ先に食べて、美味しさを認めたうえに、アドバイスまでした暢子。食を愛し、人を憎まず蹴落とさない、おいしいもの至上主義です。彼女のこの清々しさを際立たせるために、いやな感じの人たちを続々登場させているのでしょうか。のんびりし過ぎの優子もどうかしている気がしますが、良子(川口春奈)に詰問されて、体ごと反らして応じる挙動不審なところにちょっとくすりとなりました。
暢子の清らかさがこれからどんどん発揮されて、世界の邪悪なものを浄化していけば、「ちむどんどん」確変していくと思います。
山原高校の料理部部長の早苗役の高田夏帆さん、部員の宮城珠子役の井上向日葵さん、料理部員の村田寛奈さん、南山原高校の料理部部長の屋良ひとみ役の池間夏海さん、部員ながら役名のない水島凛さん、工藤美桜さんと若い世代が眼福で、水島さんは斉藤由貴さんの娘さんであるとか、工藤さんは戦隊ヒロインであるとかSNS でも話題になっています。
若い世代の俳優たちが集まったドラマや映画では、そこから抜きん出ていく俳優が出てくるもので、この中から誰が……と楽しみです。そんな中で筆者は、ブースの引っ越しをさせられて、揉めるときに、中庭方向から心配そうに見ている、ピンクの服を着たエキストラの女性の演技がすばらしく感じました。このひとはその後も、賢秀たちが来たときは背後で、辺野古の農産物をもらってはしゃいだり、賢秀の口上に注目したりとじつにいい動きをしています。お名前はわかりませんがこれからもエンタメを支え続けてください。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第20回レビュー}–
第20回:北部産業まつりに主要登場人物たちが集う
汁がこぼれてしまったため、急遽、やんばるナポリタンに作り変えた暢子(黒島結菜)。美味しくできて
大好評。暢子は賢秀(竜星涼)も顔負けなほどノリのいい口上でお客さんを呼びました。
肉をじゅうじゅう焼いてつくるやんばるナポリタン、美味しそうで、気持ちが盛り上がってきた〜〜と思ったら、次々と気分が下がることが起こります。
智(前田公輝)はフライドポテトを考案したけれど、給料をあげてもらえず、悔しかったら自分の店を持てと言われます。サンセットバーガーのマスター(川田広樹)もいい人に見えて意外とそうでもない、被雇用者からむしりとるタイプの打倒すべき雇用者でした。
良子(川口春奈)は石川博夫(山田裕貴)から、里美(松田るか)が言ったことは嘘だったことを明かされます。人間はあそこまで堂々と嘘をついてライバルを蹴落とすのだと思うとほんとうに用心しないとなりません。それにしても博夫の態度が煮えきれなくてちょっといらいらしてきました。
賢秀は喜納金吾(渡辺大知)からドルを倍の円に両替してくれる話は詐欺であると聞き焦ります。
ヤング大会の会場には希望と欲望と悪意が入り混じって混沌となり、歌子(上白石萌歌)と下地先生(片桐はいり)の追いかけっこが、その混沌をさらにかき混ぜているように見えないこともありません。
そしてヤング大会の結果発表。暢子の山原高校が優勝。屋良ひとみ(池間夏海)ともガッチリ握手。
暢子が挨拶することになります。感極まって、東京に行って料理人になりたい、とやりたいことを見つけ、大勢の人たちの前で公言します。
あたたかい拍手に包まれましたが、観ているほうとしては、賢秀の詐欺問題が気になってそれどころでは
なく……。就職試験を受けた会社の人たちも見に来ていて暢子に好感触で、大会に出た意義があったわけですが、それをまた無にしてしまうことはまあ仕方ないとしても、どうしても詐欺問題がチラついて暢子の物語に集中できなくて……。
「あさイチ」では広末涼子さんが暢子に感動して「泣いた」と言っていて、見方もいろいろです。なかには、良子と石川の関係に興味がいった人もいるでしょうし、歌子が早く歌う決心をしたらいいのにと思う人もいるかもしれません。同じドラマを観て、まったく違うところに注目できるように工夫しているのを感じるドラマです。
やんばるナポリタンのあと智の悔しい経験を挿入して水を差し、さらに詐欺問題で暗雲たちこめたようにしつつ、その一方で暢子が未来の夢に胸いっぱいになっている。こういうときよく使うのが「禍福は糾える縄の如し」という言葉です。まさにそのとおりで、世界はこんなふうに、いいことと悪いことが常に絡み合いながら進行しているものだということを比嘉家の4人きょうだいから描き出したいのかもしれません。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第21回レビュー}–
第21回:第5週は”大きな禍”からはじまった!
いたたまれない〜。第4週から気になっていたにーにーこと賢秀(竜星涼)が一攫千金を狙った(といっても1000ドルが2倍になる)投資が詐欺だったことが判明します。
詐欺であることを信じたくない賢秀でしたがサンセットバーガーにほかにも投資した人物が現れて、これはもう詐欺確定です。
絶望した賢秀は荒れに荒れて店で大暴れ。下地先生(片桐はいり)の主催するフォークコンサートを台無しにして、先生は激怒。訴えるとまで言い出します。
肝心の賢秀は開き直ってふてくされるばかり。
せっかく暢子(黒島結菜)がやりたいことを見つけ、東京に行こうとちむどんどんしていたのに、また暗雲たちこめます。
いや、もう散々……。実際、こんなことがあったら悲惨ですが、そこはドラマなので、笑いに転じます。下地先生が比嘉家に来ると、今度は賢秀が隠れて、優子が布をかぶせて……と、ここを繰り返すのか!と驚きました。
「寺内貫太郎一家」などの昭和のホームコメディの復刻でしょうか。このコラムを読んでいる方々にはなにそれ?と思う人ももはや少なくないのではないかと思います。西城秀樹がいっつも小林亜星とけんかして転がったり、樹木希林(当時:悠木千帆)がおもしろいおばあちゃん役を演じていたりしていました。そういえば賢秀の歌い方は竜星さんがお好きだという矢沢永吉ふうのようでもあり西城秀樹みたいでもあります。
昭和のそれを知ってる世代にはなつかしいのかもしれませんが、それを知らない世代にとっては、何を見せられているのかわからないのではないかと余計なお世話ですが心配になります。いや、それで育った世代だって、アップデートしているわけで、さすがにこのスタイルは古い価値観だと感じるように思うのですが……。
いったい何を狙っているのかと考えてみました。夕方に放送している「首都圏ナビ」の中の「ストップ詐欺被害! 私たちは騙されない」という啓蒙コーナーにコメディをプラスしたものかなという印象です。
「ストップ詐欺被害! 私たちは騙されない」を見ていると、こんなことで騙されちゃうの? と思うわけです。
いわゆる「オレオレ詐欺」に代表される、身内を装った電話詐欺や、お金が返ってくると甘い言葉で騙し取る詐欺などです。でも実際、騙される人があとを絶たないわけです。
啓蒙ドラマでなくても、比嘉家のようなことは70年代だからということではなくいまもあり得るのです。
たぶん、きっと。
登場人物がまんまと騙されるドラマを見て楽しいかというと楽しくは……ないんですよね。
「おちょやん」(2020年度後期)の千代(杉咲花)のお父さんテルヲ(トータス松本)が朝ドラ史上最凶お父さんと注目されましたが、賢秀はテルヲと違って善人ではあるとはいえいまのままでは朝ドラ史上最凶お兄ちゃんになりかねません。テルヲは散々やらかしたすえ、最後は感動エピソードでイメージ回復しましたから、賢秀もそうであるといいのですが、そこまで待つのは気が遠くなりそうです。
下地先生がケチャップまみれになって「なんねこれ〜」と叫ぶのは「太陽にほえろ!」の松田優作演じるジーパン刑事殉職のパロディ「なんじゃこりゃあ」だと思いますが、元ネタは74年と未来の話になります。そうそう「寺内貫太郎一家」も74年の作品でした。
71年当時、すでにあったのは映画「寅さん」シリーズ。家族にひとりいる残念な人物といえば「寅さん」です。どんなひとも受け止める家族や隣人愛の大切さの象徴・寅さんですが、どれだけ日本の作り手は「寅さん」に頼っているんでしょうか。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第22回レビュー}–
第22回:いじわる叔父さんのほうが正論?
お金を騙し取られた賢秀(竜星涼)がサンセットバーガーで大暴れしたことでケガをしたと下地響子(片桐はいり)が比嘉家に警官と共にやってきました。結果、歌子(上白石萌歌)が歌ったら許すということで手打ちとなりました。
歌子の澄んだ歌声に下地は大満足。でも、お金は返ってきません。960ドルの一部を肩代わりしていた叔父さん・賢吉(石丸謙二郎)が怒鳴り込んできました。
一家総出で働いて返してもらうしかないと容赦ない叔父さんは、暢子(黒島結菜)が東京に行くと聞いてお金がたくさんかかると指摘し、とんでもないことだと猛反対。
暢子はせっかくの希望を摘み取られそうになってふつふつと怒りを溜め込みながら、夕食の支度をします。問題をつくった張本人の賢秀はおなかすいたとごろごろ。包丁の音が怒りの音に聞こえます。次第に
怒りは大きくなって……朝ドラでなければ、包丁でぶっ刺してもおかしくないほどの賢秀の悪びれなさ!
「ありえん」「絶対ありえん」ですよね……。
賢秀の言動はありえんし、優子がのんびりし過ぎているのもありえんし、暢子も突然、東京で西洋料理を作る!って飛躍しているし……。もっと理性を働かせることはできないのかと見ていてもどかしくなります。
でも、にーにーが「うれしかったわけよ」「はじめて褒めてくれた人を信じたかった」という言葉に暢子はすこしだけ心を動かされて見えました。彼女も料理コンテストで家族以外の見知らぬ人たちに料理を美味しいと言って食べてもらって嬉しくなった体験をしているので、兄の気持ちもわかるのでしょう。
賢秀は、生き方の指針となるはずのお父さん・賢三(大森南朋)を失くしてからずっと孤独なのだと思います。エネルギーだけは人一倍あるけれどそれをどうやって使っていいかわからなくて持て余す気持ちは暢子も同じでしたから、彼の苦しみを理解することができる。
父なき比嘉家、優子(仲間由紀恵)がひとりでなんとかしてきたものの、生活費を稼ぐだけでいっぱいいっぱいで、子どもたちの教育にまでは手が回らないようです。良子(川口春奈)は自分で道を見つけてコツコツやっていて、歌子は下地先生に出会って歌の才能を伸ばしてもらえそうですが……。
ほんとうなら、叔父さん夫婦がすこし世話してくれたらよかったと思いますが、彼らもたぶんカツカツで、お金のことしか考えていません。にもかかわらず、ここまで比嘉一家があとさき考えない場当たり的な行動ばかりしているので、叔父さんの言ってることのほうがまともだとSNSでささやかれはじめました。賢三が亡くなったときの叔父さんの態度は血も涙もないと批判されていたのに!
比嘉家の惨状を現代に置き換えて考えると、生活保護をかたくなに受けない人たちのような、行政が適切に機能していないことと、市民が適切な情報や知識を得られていないために、生活が困窮するばかりというような状況に近いのではないでしょうか。
比嘉家がこんなふうに困ってしまっているわけは、沖縄がこの時点ではアメリカ統治下にあり、日本ではなかったからとも考えられそうです。日本とアメリカの間にあって、どちらからも中途半端にされていたから、比嘉家のように取り残された人たちが存在しているのではないでしょうか。お金にうるさい叔父さん夫婦も犠牲者と言えないこともありません。そういう意味では下地先生のように外から手を差し伸べる存在が重要になってきます。良子のように学問する必要もあります。
賢秀もついに決意して家を出ます。その置き手紙の誤字がひどい。
旅立ちのバス停にはまた物言わぬまもるちゃん(松原正隆)がにいて……(子役時代の暢子が東京に行く決意をしたときもいました)。「だいじょうぶ。ほら、見ている」のは他ならぬまもるちゃんなのでは。
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–{第23回レビュー}–
第23回:優子、どれだけ働くんだ
やらかした賢秀(竜星涼)が家を出ていって、比嘉家は母と三姉妹の4人の生活になりました。暢子(黒島結菜)は東京行きを諦めて、地元で就職することにします。
1972年になり、友人・早苗(高田夏帆)が東京の大学に行くことになりうらやましい気持ちになった暢子。春休みに東京に旅行に行きたいと優子(仲間由紀恵)に相談してみますが、比嘉家にはそんな金銭的余裕がなく、暢子はもう食事を作らないとふてくされます。
ぎくしゃくする比嘉家でしたが、優子と良子(川口春奈)は給料を前借りし、賢吉(石丸謙二郎)にいくらか借金を返し、暢子を東京に行かせようとします。なんて麗しい家族愛! 暢子のつくったフーチャンプルーの卵のやわらかそうな感じには食欲がそそられ、賢吉を説得する優子と、ひとり芝居する良子の真剣な表情には胸を打ちました。
比嘉家の夕飯はボロボロジューシー(雑炊)やフーチャンプルーと一品のみ。貧しいことがわかります。
父が亡くなって7年、その間、優子が朝昼晩と働き、家と畑を買った借金を返しつつ、日々の生活を賄ってきて、暢子は小学生の頃から食事当番をずっとやってきて……。歌子(上白石萌歌)は病弱でなにもできません。良子はいまは働いて家にお金を入れていて、したいおしゃれもなかなかできません。高校時代までは良子も家の仕事をしていたのでしょうか。セリフによればいまも畑の手伝いをしているようです。
長男・賢秀が何もしないどころかお金をマイナスにしてしまうことを深く追求することなく、家族の誰かが補填しようとする。家族愛といえば聞こえはいいですが……。
なぜか破産するようなことはなく、960ドルを失ったあとも300ドル、給料の前借りをしたりする。「もっと内職増やします」と言う優子。朝から晩まで働いているのにこれ以上??? 比嘉家はお金も時間も意外となんとかなってしまう不思議な力に護られているようです。「なんくるないさー」の精神で、意外となんとかなってしまうものということなのでしょうか。だったらすてきですけれど。
「この先ずっとやんばるで働くだけだよ」という暢子の絶望の言葉を聞いて、比嘉家の人々は自分の好きなことが何なのかもわからないし、たとえ気づいてもそれができない不自由な世界に閉じ込められているのだと感じます。
優子や良子は身を犠牲にして、暢子だけでも自由な世界に羽ばたかせようとしているのでしょう。これまでの朝ドラのヒロインはたいてい家族のために働きに出る自己犠牲を強いられてきました。「ちむどんどん」では家族がヒロインを苦しい世界からひとり逃がそうとしているのです。哀しいけれど、誰かひとりでも生き残れば未来に続いていく。そんな切実な祈りを感じます。
歌子の歌う「翼をください」の歌は、希望に向かう願いの歌のように聞こえます。
鉛筆削りと貝殻(?)を行李のうえに置いて、お金を渡す稽古をする良子が健気で良かったです。
こういう小道具の使い方はいいなと感じます。その一方で「今日はなに?」「フーチャンプルー」という暢子と歌子のやりとりは、台本上では問題ないのでしょうけれど、実際現場では、歌子の目にフーチャンプルーがはっきり見えていて、その料理は馴染みのものという状況なので、どこか不自然です。良子のひとり芝居に涙したのを隠すために不自然なことを言ってるという解釈も可能ですが、ここは現場の状況を鑑みて、その場にふさわしいセリフに変えてもいいのではないかという気がしました。
作家の書いたセリフを一語一句変えない精神も大事ですが、頭のなかで書いたものと現場環境で相違が出ることはよくあるもので、作家がその場にいたら書き換えることもありますし、演出家や俳優が提案することもあります。何かひと手間、かけることで、もっと生き生きと多くの人に伝わるものになるような気が余計なお世話ながら致します。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第24回レビュー}–
第24回:ふーちゃんぷるーは冷めたけど
ほんとうになんくるないさーになってしまいました。
優子(仲間由紀恵)が300ドルを前借りして賢吉(石丸謙二郎)に暢子を東京に行かせてほしいとお願いすると300ドルでは足りないと拒否され、良子(川口春奈)が前借りした300ドルをここぞというところで出そうとするとーー
賢秀(竜星涼)が東京でボクサーになって試合に勝ち、日本円で60万円、ドルで1666ドル66セント、つまり、騙された960ドルの2倍にはならなかったけれど、1.7倍くらいにした賞金を送金してきました。
夢の大逆転です!
賢秀の使い所を探して渦巻いていたエネルギーがボクシングに生かされました。あのヘアバンドをして試合に出ています。
東京のボクシングジムの安里会長役は、具志堅用高さんです。
「ほんとうに沖縄の一番星になったわけ?」と盛り上がるところは良かったですが、良子の頑張りがかき消えてしまってちょっと残念と思ったら、歌子(上白石萌歌)がねぎらって、それを優子と暢子も立ち聞きします。
「ちむどんどん」の良さは、朝ドラ名物”立ち聞き”を「だいじょうぶ。ほら、見ている」とつながる、誰かが誰かの努力や善意をちゃんと見ているのだということにしていることです。
第24回は、誰かがきっと見ていてくれるから、おそれず、悲観せず、自分の道を行け、というメッセージを感じる回でした。
下地響子先生(片桐はいり)は学校で歌う歌子に語りかけます。
「感じるままに生きなさい」
「どんな歌でもいい。あなたがそのとき歌いたい歌でいい」
「聴く人がたったひとりでも 聴いているのが森や虫たちだけだったとしても それがあなたの人生」
まさに、感じるままに 自分の道をゆけ です。下地先生、4月から転任になるそうで、これでお別れらしく(残念)、すてきな言葉を残しました。
この言葉で思い出したのが、写真家であり映画監督でもある蜷川実花さんが父・蜷川幸雄さんから言われた言葉。「目の前に二本の道がある、自分以外の全員が右にいっても、自分が正しいと思えば、たとえたった一人でも、左に行ける人間になってほしい。」 (蜷川実花さん公式Twitterより)
ちょうど今日5月12日は、蜷川さんの御命日です。「ちむどんどん」と蜷川さんとは関連がないとは思うので偶然とは思います。当時60〜70年代はこういう考え方をする人たちが多く存在していたのではないでしょうか。
時代が変わっても、いや、時代が変わった今こそ、たったひとりでも自分の思った道を行ける人でありたいと思わされました。
誰もそれどころではなく食べてくれなくても、作りたてがおいしいフーチャンプルーを暢子はひとりでも食べるのです。冷めないうちに、情熱の燃えているうちに即、行動です。
でも、すこし冷ましてからのほうがいいときもあります。熱すぎるとニーニーみたいな失敗もあります。冷めてもやわらかさはちょうどいい。そんな暢子のフーチャンプルーのように生きていきたい。
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{第25回レビュー}–
第25回:お父さんの包丁をもらう暢子 涙の旅立ち
東京に行くことが決まった暢子(黒島結菜)は地元での残りの日々を過ごします。
正男(秋元龍太朗)と最後の徒競走。
「好きだったのによ」とこっそりつぶやく正男。暢子を”女”として見てしまったらいけない気がして
思いとどまるのです。「暢子は暢子のまま。俺は俺のまま。そのほうがいいって」
賢三(大森南朋)と同じく暢子は暢子のままでいいということ。たぶん、暢子が”女”として誰かを好きになるまでは外からは余計な意識をさせないという紳士的な態度です。”女”としての役割を担う前に暢子のやりたいことをやることが先決。
暢子への想いは智(前田公輝)も同じようですが、子ども時代は照れくさくて見送らなかった彼がいまや、自転車で見送ります。そして東京に行く宣言。
正男はブラジルに行くから暢子のことを諦めるしかないけれど智は諦めないようです。
まだまだ男社会だった時代に男子たちが一目置く暢子がバスに乗って出発するときの劇伴は勇ましい曲でした。「あさイチ」では「ジュラシックパーク」のようだったと言ってました。確かに。劇伴までジェンダーレス。
ジェンダーといえば、下地響子(片桐はいり)が、歌子(上白石萌歌)に「芭蕉布」を歌わせようと三線を伴奏するとき、その昔、三線は男性の楽器だったと語ります。でもこれからは男性も女性もないと下地は歌子を励ましました。
下地先生の素敵なところは、東京からやって来て、ただかき混ぜるのではなく、ちゃんと居住まい正しい振る舞いをするし、三線の歴史を学び、弾けるように練習もちゃんとしていると感じさせるところです。
愛する音楽をきっかけにして、沖縄の歴史と文化に敬意を払って勉強して、そのうえで、歌を通してある種の働きかけをしている。ほんの一言二言のセリフを単なる説明セリフに感じさせないのは、俳優がちゃんと台本の重要な部分を読み取って、それにふさわしい身振りや口ぶりをしているのでしょう。片桐さんが下地先生でほんとうに良かった。
椅子が並んだところをカメラがゆっくり動いていく画にもムードがありました。
「芭蕉布」の歌を背景に、暢子と優子(仲間由紀恵)が楽しく畑仕事をします。
サーターアンダギー食べて、ゆし豆腐食べて、海行って(黒島結菜、川口春奈、上白石萌歌の波打ち際のシーンは眼福。もう少し長く見せてほしかった)、お父さんの包丁もらって(昔、世話になった人がくれたという、その人がゆくゆく出てきたりするんでしょうかね)、沖縄そば食べて、家族4人で歌って……。なんとも平穏な行為の数々。幸せってこういうことなのかなと思わされました。
お別れの日。1972年、5月15日、沖縄が日本に返還される日。バスの車体には「祝沖縄復帰おめでとう」とあります。
「あの日からずっと幸せだったねえ」(良子)と家族の日々を噛みしめる比嘉一家。お父さんも亡くなって、生活は苦しいけれど、幸せ。ひねくれた視線だと、ほんとうに幸せ? と思ったりもしますが最後の「うちらはこれからもっともっと幸せになる」(歌子)の言葉になっとく。「幸せになる」と思い続ける、その意地みたいなものが大事なんではないかと思うのです。
来週から東京編!
※この記事は「ちむどんどん」の各話を1つにまとめたものです。
–{「ちむどんどん」作品情報}–
「ちむどんどん」作品情報
大好きな人と、おいしいものを食べると、誰でも笑顔になる―――
ふるさと沖縄の料理に夢をかけたヒロインと、支えあう兄妹たち。
“朝ドラ”第106作は個性豊かな沖縄四兄妹の、本土復帰からの歩みを描く
笑って泣ける朗らかな、50年の物語。
放送予定
2022年4月11日(月)~
<総合テレビ>
月曜~土曜: 午前8時~8時15分 午後0時45分~1時(再放送)
※土曜は一週間を振り返ります。
日曜: 午前11時~11時15分(再放送)翌・月曜: 午前4時45分~5時(再放送)
※日曜、翌・月曜は、土曜版の再放送です。
<BSプレミアム・BS4K>
月曜~金曜: 午前7時30分~7時45分
土曜: 午前9時45分~11時(再放送)※月曜~金曜分を一挙放送。
出演
黒島結菜
仲間由紀恵
大森南朋
竜星涼
川口春奈
上白石萌歌
宮沢氷魚
山田裕貴
前田公輝
山路和弘
片桐はいり
石丸謙二郎
渡辺大知
きゃんひとみ
あめくみちこ
川田広樹
戸次重幸
原田美枝子
高嶋政伸
井之脇海
飯豊まりえ
山中崇
中原丈雄
佐津川愛美
片岡鶴太郎
長野里美
藤木勇人
作:
羽原大介
語り:
ジョン・カビラ
音楽:
岡部啓一 (MONACA)
高田龍一 (MONACA)
帆足圭吾 (MONACA)
主題歌:
三浦大知「「燦燦」
沖縄ことば指導:
藤木勇人
フードコーディネート:
吉岡秀治 吉岡知子
制作統括:
小林大児 藤並英樹
プロデューサー:
松田恭典
展開プロデューサー:
川口俊介
演出:
木村隆 松園武大 中野亮平 ほか